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第九章 錯綜

第九章 錯綜

 時は現代に戻り十月九日土曜日。昼過ぎ二時半頃。高校一年生の荒川は坂井臨海水族館内を走っていた。不審者が出たという放送が流れた直後、パニック半分、ワクワク半分の呑気な客達をかき分けながら、荒川は必死に坂本を探した。

「くそっ、その場を動くなって放送で言ってるのに!」

 坂井臨海水族館は綺麗な円形であり、内部もそれほど広くはない。

「トイレに行くって言ってたってことはレストランの中のやつか!?一階にあるトイレはそこしか無い!」

 荒川たちがいたペンギンコーナーからレストランは丁度建物の反対側である。たいした距離ではないが、土日で混雑しており、半分パニック状態の館内では中々進みが悪い。

「おらぁ竹田はどこだぁぁぁぁ!」

 館内のレストランに入った所で聞き覚えのある怒声が聞こえてきた。

「ああ滝川警部!」

「おおこれはこれは、荒川君!」

「無事で何よりでした!」

 十数人の刑事を引き連れた滝川昇警部と大和会之助巡査長が階段から降りてきた所だった。

「電話で話した通り、野反五駅でまた女児が殺されてましてな。その防犯カメラに女子トイレに入っていく竹田が映っとりまして…」

「本当ですかそれは!?」

 周りの一般客の好奇の目を気にすること無く、荒川は驚いた。

「カメラには直前に坂本さんや松坂さんも映ってて…最後にトイレから出てきた竹田を犯人と断定して今、令状を取りました。防犯カメラを辿って奴がこの水族館に来ているのは間違い無いんですが…。」

「竹田梅ならこの館内で見ました!」

「え?本当ですか!?」

 滝川と大和、他十数名の刑事達は皆驚いた。

「しかし、見失いました。それと坂本さんがこっちのトイレに…」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 荒川の声がかき消されるほどの叫び声が、館内に響く。

「みっちゃんの声か!?くそ!」

「あっちだ!急ぐぞ!」

 レストランを突っ切り、一団は荒川が来た方向に戻る。

「通してください!」

「おんどりゃぁぁどけぇぇぇぇ!」

 荒川達には優しい滝川警部は一般客相手には人が変わったように怒鳴り散らす。しかし、その怒声虚しく、中々進めない。ようやく人を跳ね除けて先程のペンギンコーナーに戻ってくると、竹田がみっちゃんの腕の服を掴んでいた。

「みっちゃん!」

「竹田こらぁぁ!」

 刑事達と荒川は一斉に二人の間に割って入り、竹田は瞬く間に取り押さえられた。同時に竹田のコートからナイフが落ちるのが見えた。荒川はすかさずみっちゃんに駆け寄る。

「大丈夫かみっちゃん!?ケガしてないか!」

 するとみっちゃんは荒川に抱きついた。

「ばりえずかった!いきなりあんおじしゃんが腕掴んできて!ほんなこつえずかった!」

 荒川は優しくみっちゃんを抱き寄せる。みっちゃんは恐怖と安心感でむせび泣き、彼女の指先はなにやらヌルヌルと湿っていた。

「竹田ぁぁぁ!殺人及び殺人未遂で現行犯逮捕する!」

 滝川は床に倒れ伏されている竹田に力強く手錠を掛け、同時に竹田が落としたナイフも押収された。

「違う…違うんだ…」 

「違わねぇ!おらさっさと立てぇ!」

 弱々しく喋る竹田を滝川や他の刑事が強引に立たせる。一部始終の逮捕劇を見ていた周りの野次馬たちから拍手が自然発生した。

「我々はこれから竹田を署に連行して尋問します。荒川さんの推理で逮捕したかったですが、残念です。」

「いえいえ、犯人が逮捕されて一安心です。」

 刑事たちが竹田を連行するのを尻目に、滝川が荒川に話かける。横に並んだ大和巡査長もにこやかに事件の収束に安堵しているようだ。

「え!?何これ!?」

 髪をまとめた大きなシュシュを触り、上着の両端を大きく振りながら坂本が戻ってきた。彼女は連行される竹田と入れ違いになりながら目を合わせる。

「でぃーきゅー…」

 竹田は坂本を見ながら何やら呟いた。

「?…」

「ん?」

 荒川と坂本は一瞬動きを止めた。

「よそ見してねえで歩けぇ!」

 すぐに滝川警部が罵声とともに竹田の尻を蹴り上げる。丸く綺麗な形をした竹田の尻を荒川はじっと観察しながら滝川を呼び止めた。

「滝川警部…折り入ってお願いが…。」

「はい…?」

 滝川は振り向いて荒川と何やらひそひそとしゃべる。

「館内の刃物の捜索と…客と従業員の身体検査…?竹田は捕まったのに必要ですか?」

「いちお形式上…という名目で観客と従業員一人一人に金属探知機も用いて検査してください。また館内もくまなく…そんなに広くは無いので時間は掛からないかと…疑問は色々とあると思いますがお願いします!」

 荒川のまっすぐな目を数秒見つめた滝川はにんまりと笑った。

「あなたのその目…真相を見抜いた時の直人さんそっくりですね…良いでしょう…わかりました!おい大和!」

「はい!?」

 竹田を連行する一団の最後尾にいた大和がだるそうに振り返る。

「あと一つだけ滝川警部…お願いが…耳を貸してください。」

「え…?」

 ひそひそと何かを言われた滝川は目を見開いた。

         

                       *

 

 程なくして竹田を連行する組、館内を捜索する組、身体検査をする組に分かれた刑事たちが散っていくのを満足気に見送った荒川が坂本とみっちゃんのもとに戻ってくる。

「うわぁぁぁぁ!坂本しゃん無事やったんやね!あたしばりえずかったぁぁぁぁぁ!」

「おーよしよし。えずかった?ああ怖かったって意味ね?」

 みっちゃんは坂本に抱きつき後頭部まで右手を回そうとしたのを坂本が左手で優しく制する。せっかく自慢のシュシュを崩されたくないのだろう。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

「よしよし、怖かったね!」

 坂本がみっちゃんの頭を優しく撫でている様を荒川はじっと観察する。

「何ー?荒川君もヨシヨシされたいのー?」

「いやっ、そんなんじゃないから!」

「てゆーかさっき竹田のおっちゃんの尻をじーっと見てたね!?何!?もしかしてバイセクシャル?」

「ほんなこつ荒川君!?」

 みっちゃんは坂本の胸から顔をガバっと上げ荒川を見る。

「だから違うって!」

 荒川はプイっと視線を水槽に向けた。しかし、坂本たちに見えないように荒川の顔は険しさが滲んでいる。。

「まあ犯人も無事に逮捕された事だし、水族館の残り見てない所をぱぱっと見て帰りますか!?」

「はいはい!あたし最後に二階んマグロ見たか!」

「もーみっちゃんは本当に食いしん坊だなぁ。」

「食べたかんじゃなくて見たかと!?坂本しゃんな普段からうちん事ばどう見よーと!?」

 わずかに右側にずれたコートを直しながら坂本は笑い、みっちゃんがわあわあと抗議する。荒川はそのやり取りをただただ…じっと見つめていた。すると館内放送が突然鳴り響く。

「警察の方たちから連絡です。お客様一人一人に身体検査を実施するので出口までお並びください…繰り返します。お客様一人一人に…」

「はあ!?なんだよ犯人捕まったじゃん!?」

「刑事さんたちもまだ館内走りまわってるね?」

 館内はブーイングの嵐だ。

「ありゃりゃ…竹田捕まったのに…こりゃマグロは難しいね…。」

「何で身体検査なんてしぇなならんのやろうか!?荒川君、しゃっき刑事しゃんとなにやら話しよったばってん、何か知っとーとか?」

「さあ…知らないねえ…。」

 荒川はニヤニヤと笑う。


                            *


 十月九日土曜日の夕方四時頃、河北高校の北側、野反五公園では数人の男たちがうめき声をあげながら地面に倒れていた。ある男は鼻から血を流し、ある男は欠けた歯を震えた手で探し、またあるものは腹の痛みに悶絶していた。

「ひぃぃぃ!すみません!!もう大人しく帰りますから!」

「あっそ…うざいから早く消えて…」

 音花ユリに突き飛ばされた男は倒れた仲間を強引に引きずりながら退散していった。

「…たくっここは私の場所だっての!」

 音花ユリはブランコに座り缶ジュースを飲み始める。

「おーおー。さすが空手の全国チャンピオンー!」

 聞き馴染んだ長身の美女が自転車を押しながら公園に入ってきた。

「菅澤…。良いの?部活が終わるには早いんじゃない?」

「あんな騒動があったからねえ…。バレー部も顧問命令で今日だけ早めに部活を切り上げて良いってさ。」

 菅澤は音花の隣のブランコにどかっと座った。

「にしても遠目から観てたけど大丈夫?あんな不良共を堂々とボコって?仮にもバスケ部のエースがさぁ。」

「あいにく私はただのマネージャーだし、選手登録もしてませーん。それに、あたしが先に座ってたブランコを奪おうとしたアイツらが悪いし!ましてやナンパしてくるとか…。」

 音花はゴクゴクと残りのジュースを飲み終わると、十数メートル先のゴミ箱に缶を投げた。見事に缶はゴミ箱に吸い込まれた。

「バスケ最強で喧嘩も一流なんて…その性格の難さえ無ければねえ。」

「あんたが偉そうに言うな!」

 音花はブランコの鎖をジャランジャラン揺らして抗議した。菅澤はケラケラと笑う。

「しっかしあの藤崎って女まじ怖かったねー。マジで海外とかで悪霊に取り憑かれた奴みたいだったよ?。」

「いや、大した事ないし。」

「さっすが日本最強の女には怖いもん無いね?」

「いや、それ小六の時の話だし。」

 菅澤は相変わらずニヤニヤしながら音花を見る。音花は真っ直ぐ前を見ながら今度はカバンからポッキーを出して食べ始めた。

「他のバスケ部の人たちは?」

「皆でボウリング行った。私は気分が乗らないから断った。」 

「その付き合いの悪さも実力があるから許されるもんねー。」

 音花はなおも菅澤の顔を見ないでポッキーをほうばる。音花は菅澤とは仲は良いが、彼女のからかい癖があまり好きではないようだ。

「にしても藤崎って女の話に戻るけどさー。確かに酷い負け方して、リベンジに燃えて努力して…。それで非公式とはいえボコボコに負けたら悔しいとかそんなレベルじゃないよねー。まあさすがに相手を切りつけようとは私は思わないけど…。」

「努力が報われるとは限らないし、負けたからって相手に斬りかかるなんて、ゲームで負けて相手を叩く子供と変わらないでしょ。」

「おお、言うねー。」

 菅澤もバックからハイチューを取り出しほうばり始めた。なぜ女子はこうもお菓子をつまむのが好きなのだろうか。

「あたしは中学時代のあんたは知らないけど、帆坂から聞いたよ?学校の授業と寝食以外は常にバスケしてたらしいじゃん!?」

「……………………。」

 音花は時折、ポッキーをくわえたままぼーっと前を見た。

「それに走り込みとかの地味な練習も夜中までやってたとか…。旅行先にまでボール持って行って練習したり…さすがに私はそこまで真似は出来ないなー。」

 菅澤は先程の馬鹿にしたような態度ではなく、敬意を込めて音花を見る。

「努力が報われるとは限らないかー。努力の権化みたいな人が言うとまた違うなー。」

 菅澤は真意を確かめるように音花を見る。同時にハイチューをカバンにしまう。

「話が遠回りしすぎ。私が片思いしてる人の事を聞きたいんでしょ?」

 菅澤は諦めたようにブランコをゆっくり漕ぎ始めた。

「まあ話したくないなら別に良いけどね。でもさぁ。気になるじゃん?一応、あたしはあんたの親友だと自負してるけど?」

「…別にあんたを親友と思ってないから話さないわけじゃないよ。」

 菅澤は勢い良くブランコを漕ぎ始めた。

「まあなんか…事情があるのは察してるけどさぁ…帆坂に聞いても…頑なに教えてくれないし…いやぁでも…性格以外に非の付け所の無いあんたが…心奪われた男がどんな奴か…気になるじゃん?」

 体が吹っ飛びそうな程にブランコを漕いでいるせいで、菅澤の声は途切れ途切れに音花の耳に入る。音花は性格の事をまた言われて反論しようとしたが、また黙り込み最後のポッキーをかじる。

「まあ期限付きだからさ。その期限が過ぎたら教えるよ。」

「え?期限?」

 大砲のように菅澤はブランコから吹っ飛び前方の地面に着地した。勢いあまり地面を滑りながら強靭な脚力で耐える。

「なーにそれ?その期限が過ぎたら教えられるけど、過ぎる前は教えられない?良く分からないね。」

「まあ教えるというより、嫌でも知らされると言った方が良いかな?」

 音花は先程のうつ向いた顔から一転、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「嫌でも?ますますわからん。まあ時期がくれば嫌でもわかるならいいや。気長に待つわ。ところで卒業したら…。」

 二人の女子高生が話す数十メートル先の公園の外、ある一人の女性が立っている。それに気づいているのは音花ユリだけであった。        

        

          *


 十月九日土曜日、夕方四時頃。野反五公園の目の前の立派な邸宅の中で、熱心に小説を執筆している者がいる。荒川直人…荒川綾人の父親で推理小説家。推理ファンなら知らぬ物はいない。

「ふあ?さっきまで朝だったのにもう夕方か?」

 直人は校長先生が座るような立派な椅子に腰掛けながら背筋を伸ばす。時折眼鏡を直し、鼻の下の立派なヒゲを触る。決して広くはない部屋の隅には棚があり、海外や国内の推理小説や資料がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。窓は二重窓になっており、強化ガラスでボーリング玉を投げつけてもヒビも入らない。壁も完全防音で、外で遊ぶ音花たちの声は一切響かない。程なくして部屋をノックする音が聞こえる。

「コーヒーを入れましたよ?」

「ああ、いただこう。」

 一人の女性がコーヒーを二つ、お盆に乗せて入ってくる。ヨーロッパを思わせる眩しい肌、緑色の瞳をしている。荒川綾人の母親、冬美である。彼女は心霊体験談をまとめた本や、そこからヒントを得たホラー小説を書いており、その界隈では有名人である。彼女は机にお盆を乗せ、コーヒーカップを直人に手渡す。

「朝から一歩も出ないで昼食も食べずに…。体は大丈夫ですか?」

「運動してないからね。朝食を食べれば夕食まで腹が減らないのさ。」

 直人は渡されたコーヒーをすすりながら体をくねらせストレッチをする。冬美も自分の分のコーヒーをすする。

「小説は順調?」

「うーん、最後の詰めのシーンだから、また一晩頑張ろうかな。」

「また徹夜ですか?お体を壊したら大変ですよ?」

「今までサボっていたからね。僕は夏休みの宿題は終盤にやる派だったからね。」

「あらまぁ。」

 二人はささやかな会話を楽しむ。外の公園のブランコで遊ぶ音花たちをたまに見ながら、直人はコーヒーをすする。

「君の小説はどうなんだい?」

「先程、出版社の方が来てもう渡しました。」

 冬美は当然と言った口ぶりだ。

「さすがだ。君は夏休みの宿題はきっちり計画通りにやる派のようだね。」

「何で先ほどから宿題に例えるんですか?」

 直人は鼻で笑う。冬美は呆れ半分、面白半分で直人を見やる。

「学生時代が恋しいのさ。窓の外にいる少女たちのような青春を送って来なかったからね。」

「おやまぁ、今は輝かしい賞ばかり獲っているじゃないですか。」

「まあ、そうだけどね。あちらの少女さんのように、青春時代に得た称号もなかなか捨て難いぞ?」

 外では音花が勢い良くブランコを漕ぎ、菅澤が後ろから音花を押している。あまりの力強さに音花が加減するように懇願している。

「まるで無音映画を見ているようですねぇ。」

「ああ。彼女たちの笑顔が眩しくて敵わん。」

 直人は現在執筆中の『六つ子館の殺人』の執筆に追われていた。筆が遅い直人は度々担当編集から釘を刺されていた。

「またいるわ。猫と…子供の霊が公園をうろついている。」

 冬美は外を指さす。

「また見えるのか。その霊感のおかげで、数々の怪談小説を爆誕させたわけだ。ジャパニーズホラーの生みの親だな。」

「私の生まれはイギリスですけどね。」

 冬美は小さく笑った。彼女はイギリスのロンドンで生まれ、十歳の頃に日本に移り住んだ。家では英語、学校では日本語を喋っていたため、どちらの言葉も流暢に喋れる。幼い頃から幽霊が見える彼女はこれまで様々な場面に遭遇してきた。

「猫と子供の霊…。そういえば私も先ほど知ったのですが…。今日すぐ近くの野反五駅でまた女児が殺されたらしいですよ?」 

「そうなのか、知らなかった。それは何時頃だい?」

「十時頃ですよ。」

 冬美は腕時計をチラリと見る。

「六日の夕方三時に女児、七日の朝七時半にまた女児、同日夜七時頃に息子の高校で保健教諭の女性…。そして九日の朝十時にまた女児か…。君が現場に行って霊に語り掛ければ簡単に事件は解決するのにな!」

「何を言ってるんですか。そんなの裁判でどう立証するんですか!?」

「おお、さすが詳しいね!」

 直人はニタニタ笑いながら飲み終わったコーヒーカップをお盆に乗せる。冬美は不機嫌になりながらも最後の一滴までコーヒーを飲み干した。

「あなたならこの連続殺人、簡単に推理で解けるんじゃないですか?」

「まあ出来ない事も無いが。それは私の仕事じゃない。」

「まあそうね…勇作さんや滝川さんがすぐ解決してくれますね…。」

 コーヒーを一口飲み、直人はニヤリとしながら冬美を見上げる。

「勇作は署長だから直接事件捜査はしない。滝川君や大和君も体力はあるが推理力は乏しい…てなったら…?」

 冬美ははっとした表情で直人を見下ろす。

「まさか…綾人にやらせる気じゃ…?」 

「そのための半年間だよ?それに奴はもう核心に迫っているはずだ。」

 冬美は硬直した。直人は自信に満ち溢れた顔つきで外の少女たちに顔を向けた。

「もう数ヶ月まともに綾人と喋ってないじゃないですか?たまには彼のマンションに顔を出してあげてくださいな。」

「いやぁ、感じるんだよ。俺とアイツはスマホの電波なんかよりも強い何かで繋がっているだ。」

「呆れた…。ただでさえ探偵の真似事して学校でも色々恨みを買ってるというのに!」

 冬美は自分のコーヒーカップの乗ったお盆を持って扉に向かった。

「これは試験だ。あいつが本当にエラリー・クイーンに匹敵するかどうか。」

「あいにく私は推理小説の方は知識がありませんので。綾人には私が連絡しときます!」

 冬美は少し強めに扉を閉めた。外の公園では音花が仕返しに菅澤のハイチューを全て自分の口に詰め込んでいる。

「やってくれるさ。なんたって私の息子だからね…。」

 直人はパソコンに視線を向け激しくノートパソコンのキーボードを弾く。

        

          *

  

 十月九日土曜日、夕方四時頃。埼玉県草加市の一軒家で宮司陽子はノートに鉛筆で何やら書きながら唸っていた。ささやかな庭を眺められる一階のリビング、座布団の上に座り、ちゃぶ台の上にお茶と煎餅(せんべい)を乗せてそれを時折ほうばる。

「十月七日木曜日。昼十二時に山岸先生がトイレに入り、向かって左手前から二番目に入るぅ。次に松坂が入って山岸先生の声を聞くぅ。次に坂本が入って、彼女も声を聞くぅ。その後にあたしが入って声がしたかは分からないぃ。竹田のおっさんが言うにはこの後、自分が見回りに行くまで誰一人トイレを使ってない…………かぁ。ってなったら松坂か坂本が犯人じゃねえかぁ。しかし、何で女子高生が保健の先生何か殺さなきゃいけないんだぁ?てか竹田のじいさんが本当の事言ってる保証なんて無いしぃ…。やっぱりあの時荒川が言ってたように、時間に融通の効く竹田が犯人かぁ?だぁーもうわからん!私は結局ワトソンだぁ!」

「ワトソンって何だい?」 

 宮司陽子は頭を掻きむしり、鉛筆を机に押し付けて大の字に倒れた。上から夫の宮司幸陽が覗き込む。黒い短髪でお世辞にもイケメンではないが、優しく微笑みながら宮司を見下ろす。

「あー幸陽かぁ。いやぁ。推理小説みたいに簡単に事件は解決しないなぁって思ってさぁ。」

「ハッハッハ。そうか君の学校で起きた事件の事か。そういえば、今日の昼前にもその学校の近くの駅で女児が殺されたんだろう?」

 陽子は眼鏡を取り、疲れを取るように目をマッサージした。

「んあー、野反五駅なぁ。私は車で学校行ってるから知らんが、うちの生徒であの駅を使ってるやつも多いぃ……ったく、足立区も米花町みたいに世紀末だよぉ。」

 陽子は起き上がり、煎餅をヤケ食いし始めた。幸陽は宮司陽子の煎餅を袋から取りながら彼女の隣に座る。

「酒もたばこも甘いものも食べない君の唯一の心配事といえば、煎餅が大好き過ぎるって所かな?」

「良いじゃねえかあそれぐらい~、健康そのものだろお。」

「まあ、塩分だけ気にしとけば大丈夫だよ。」

「ったく、学生時代から体重が変わらない幸陽にはわからんだろうなあ。」

 宮司はバリバリと音を立てながら煎餅をかっ食らい不貞腐れた。向陽は微笑みながら一緒にそれを食べる。向陽は少しづつかじるタイプの様だ。

「話戻すけど、米花町ってあれだろ?あー主人公の体が小さくなるあれ?にしても自分で推理するって、本当に昔から推理好きは変わらんな。推理小説だけの部屋があるし、週末には殺人事件があった土地巡りするし……。」

「んん?愛想が尽きて離婚したいかぁ?」

 一瞬だけ幸陽の手元が止まったが、すぐに彼は上品に煎餅をかじり始めた。

「何を言ってるんだ陽子。そういう人と違う所に惚れたって何回も言ってるだろ?」

「んーまあなら良いけどぉ。」

「にしても嫌な事件だなぁ。そもそもその保健の先生が殺される前日と当日の朝も女児が殺されたんだろう?まあ殺人鬼が何人もうろうろする荒廃した世界じゃなきゃ、その女児殺害の犯人がそのまま保健の先生殺したって考えた方が楽だよなぁ?」

 幸陽は自分が入れたお茶をすすりながら、陽子の分も入れる。陽子は煎餅をかじりながら頭だけ下げて礼を言う。

「うん、そうなると私の教え子の二人のうちのどちらか、もしくは竹田っていう守衛のおっさんが殺って嘘の証言をしているかぁ…。」

「あるいは君が犯人か…。」

 気まずい沈黙が数秒場を支配した。途端に陽子は笑いだし、むせ返した。

「あははははは!そうだなぁ!あたしが殺ってない証拠なんて無いもんな!いやぁ確かにぃ!」

 陽子は胸を叩きながらお茶をすすった。ため息なのか、煎餅が無事喉を通って安心したのか、大きくため息をついた。

「まあ何にしても、早く犯人が逮捕される事を祈ろう。じゃなきゃ君の教え子達は不安だろうし、君だって犯人から狙われるかもしれない。」

「んー。女児ばかり狙ってると思ったら大人もやられてるからなぁ。」

 一瞬、幸陽は動きを止め、湯呑みのお茶を見た。

「一軒家を買って…待てずにおもちゃも先に買って…でも子供を流産して…さらに君まで失ったら…。」

 幸陽の持つ湯呑みは小刻みに震えた。

「幸陽…。」

 陽子も顔を伏せ、お茶に映る自分の顔を見た。数秒間の沈黙が流れた後、テレビにニュース速報が流れる。陽子は反射的に音量を上げた。

「たった今入ってきた情報です。本日昼過ぎ二時半頃、東京都江戸川区に新しくオープンした坂井臨海水族館で刃物を持った男が暴れ、張り込んでいた綾瀬警察署の捜査員に逮捕されました。今朝十時頃に東京都足立区の野反五駅で起きた殺人事件の容疑者として、捜査員が尾行していた際に事件が起きたようで…」

「お、まさか一連の事件の犯人が捕まったのか!?」

「…。」

 幸陽が興奮気味にテレビに釘付けになる。逮捕された犯人の顔と名前が出た瞬間、陽子は雷に打たれたようにその場にピンと立ち上がった。同時に湯呑みが倒れ、お茶が盛大にこぼれた。

「陽子…?」

「竹田…梅…?」

 二人ともお茶を拭くことも忘れていた。

        

          *


 十月九日土曜日、夕方四時頃。綾瀬警察署はバタバタしていた。警察署の前では慌ただしく報道陣が行き来し、時折通行人に疎まれている。署長である音花勇作は滝川昇警部に連れられ速歩きで廊下を歩いている。

「すまんな、滝川。取り調べを私も見学したくてな。」

「いえいえ、お忙しいのに助かります。」

「にしても手柄だな。これで事件は一気に片がつく。」

「だと良いんですが…。」

 ずんぐりとした体格をひときわ縮めて喋る滝川に勇作は鋭い目線を投げた。

「いやぁ、推理小説でもあるじゃないですか!?序盤に捕まる犯人って大抵誰かを庇ってたり…。」

 勇作はそんな事かと言わんばかりにため息をついた。

「お前な…。まあ良い。今は別の刑事が取り調べてるんだな?」

「はい!署長は取り調べ室の外で見学しててください!お偉い方が来ると萎縮して喋らなくなるかもしれないんで!」

「ふん、そんなに繊細な奴なら誰も苦労せんがな。」

 二人してズンズンと警察署の廊下を歩いている時、滝川のスマホが鳴る。

「署長…失礼します…おう大和か…そうか…。わかったありがとう…。客は解放していいぞ…従業員も全員シロか…わかった…俺はこれから竹田を取り調べる…じゃな。」

 滝川は溜息をつくと勇作に謝り、再び二人で歩き始める。

「竹田を捕まえたのに客を足止めしてたのか?それに従業員とは?」

 勇作は訝し気に滝川に尋ねる。

「いやあ荒川君の希望で…館内の刃物の捜索と…客と従業員の身体検査をしてくれって…おそらく共犯者がいるのを危惧したんではないでしょうか…?」

「ふん…まあいい…何も見つからなかったか…?」

「現場を任せた大和がそう報告してきました!」

「なるほど…一体何手先まで見てるんだろうか…。」

「署長…?」

 普段笑わない勇作がほくそ笑む姿を滝川は驚いた表情で横から見つめる。

 勇作と滝川は取り調べ室の手前の部屋に入った。マジックミラーの向こう側では今まさに取り調べが行われているようだ。

「どうやら丁度始まるみたいですね!?」

「…ああ。」

 二人が部屋に入ると何人かの刑事が挨拶してきた。勇作は適当に挨拶を返し静かに取り調べ室を睨む。

「まあ最初から話していただけますか?」

 取り調べ室には下を向いて青ざめる竹田梅がいた。竹田がいる机の向かい側には刑事が座り、少し離れた小さな机には別の刑事が座っている。被疑者の発言を逐一パソコンに入力しているようだ。

「十月の五日…最初の女児が殺される日の前日の夜…。八時頃に自分のスマホに留守電が入ってました。男とも女ともわからん声で「明日の夕方三時頃に赤和桜公園に来い。そうしないとお前の孫に危害を加える」…と言われました。」

「何!?」

「何だと!?」

 慌てて滝川警部は取り調べ室になだれこんだ。竹田は一瞬だけびっくりしたが、すぐに落ち着きを取り戻した。

「何かのいたずらだと思って最初は気にして無かったんですが、妙な胸騒ぎがして…。その公園は以前に猫の虐殺死体が見つかった所でもありましたし…。興味半分、恐れ半分で行ってみたんです。」

 勢い良く取り調べ室に入って来た滝川に気圧された刑事は彼に席を譲った。滝川はそのまま竹田の前に座り顔をぐっと近づける。

「ほう!?それで!?」

「行ってみたら公園の砂場のあたりで女の子が…。血まみれで…。腹の臓物がグチャグチャになってまして…。女の子には申し訳無いけど…その場から逃げました…。」

「なるほど、あんたはそこから逃げる所を目撃されたんだな…。」

 竹田は意外そうな目で滝川を見てすぐまた顔を伏せる。

「その日は怖くなりすぐに帰りました。家に帰ったら、また変えた声でスマホに留守電が入ってて…「明日の朝、七時半頃に野反五公園に来いと…。」

「なるほど…。」

 滝川は息を飲んで話に聞き入った。

「どうせ学校行く時にその公園を通るので行ってみたら、公園の端っこの茂みの中に女の子が血だらけで倒れてて…昨日の現場にもいた自分が通報したら疑われると思って…。だから死体を放置してそのまま学校に向かいました…。その時初めて私は犯人にハメられたと気づきました…。」

「まあその状況ならあんたを疑わないわけないな。」

「それでその日の夜に今度は…保健室の山岸冴子先生が殺されて…。間違いなく犯人は私に罪を着せようとしていると確信しました…。全ての現場に居合わせた事なんて、警察は簡単に突き止めるだろうし…。」

「…んで?」

 滝川が相槌を打つ。

「私の見落としが無ければ、十月七日…守衛室前のトイレを使ったのは松坂さん、坂本さん、宮司先生の三人しかいない。という事は…この三人の中に犯人がいると…。それで私は自分なりに犯人を見つけようとしたんです…。」

「大胆に出ましたな。」

「はい…。証拠は何も無いので、容疑者一人一人にカマを掛けてみようかなと…。」

「なるほど…。」

 滝川は大きくうなづいた。

「待て!というかさっきからあんた!自分はまるでハメられた側みたいに言ってるが…じゃああんたは一連の殺しの犯人じゃないのか!」

「ええ…ですから先ほどからそれを…。」

 小さい声だが、はっきりとした口調で竹田は言い放つ。

「じゃあ何であんた野反五駅にいた!?何でナイフを持って水族館にいた!?また電話で脅されたのか!?」

「いえ…。脅迫の電話はそれ以来有りませんでした…。私はこの手で犯人を捕まえようと彼女たちを尾行しただけです…。ナイフは万一の護身用で…。」

「待て待てすまなかった。話しを戻そう!あんたは犯人をあぶり出す為にカマを掛けていこうとしたんだな!?」

 ゴツゴツとした手で竹田の話しを遮りながら滝川は追及する。

「はい…。山岸先生が殺された日の翌日、荒川君たちと警部さんを交えて改めて現場検証した日です。あの日…解散してから私…職員室に行って…思い切って宮司先生にスマホの留守電を聞かせたんです…。」

「ほう!? んで!?」

「宮司先生は「何ですかそれぇ。飲み会のネタですかぁ」って言ってツボにハマったみたいで…。とても演技には見えなくて…。」

「なるほど…。あの先生なら言いそうだな…。」

 滝川は一瞬だけ笑った。

「宮司先生じゃないとすると…松坂さん…と坂本さんのどちらかだと思って…会話の内容を盗み聞きして、荒川君たち三人が明日、坂井臨海水族館に行くとわかって…。彼らの家は知りませんでしたが、最寄りの野反五駅で待ち伏せしたんです…そしたら…。」

「荒川君たちが現れたと…。」

「はい…。荒川君が来る前に…小さい女の子が駅の女子トイレに入って…。女の子が出てこないまま、松坂さんが入って出てきて…その後には坂本さんが入って出てきて…。何か物凄く不安になったんで、私も恐る恐る女子トイレに入ってみたんです。そしたら学校で山岸先生が殺された時と同じ個室が閉じてあって…。もの凄く嫌な気がして…それで試しにノックしてみたら反応が無かったので…山岸先生の時と同じように左の一番手前の個室に入って中を覗いてみたんです…そしたら…。」

「まさか…。女児の遺体が…。」

「はい…可哀そうですが…遺体をそのままにしてトイレから出て…そしたら荒川君たちはもうエスカレーターを登ってホームに入ってて…私はその後をつけて…。」

「松坂さんと坂本さんが入った後に女児が殺されてたってあんたの証言が正しければ…。じゃああの二人の女の子のどちらかが…。」

 突然、勇作のいる部屋に刑事が一人入ってくる。勇作は突然の事に糸目を片方だけ開け、他の刑事たちも驚いて彼を見る。

「ああこれは音花署長お疲れ様です!」

「ああおつかれ…どうした血相変えて…。」

「ああいえ重大な事実が…失礼します!」

 刑事は挨拶もそこそこにノックもしないで取調室内に入る。

「なんだあお前ノックもしないで入ってきて!」

 滝川が怒鳴る。

「ああすみません!先程鑑定に出した竹田の所持していたナイフなんですが…ルミノール反応は出ませんでした…。」

「なに?…という事は…こいつの言っている通り…ナイフはただ護身用に持っていたという話は本当なのか…。それに形状も普通のまっすぐなタイプのナイフだったし…やはりこいつはシロなのか…。」

 滝川は独り言をつぶやくと、竹田がうめき始めた。

「う…。もうそろそろダメそうです…。」

「は?」

 竹田の座る椅子の下の床に、まるでお茶をこぼしたような勢いで赤黒い液体が広がる。

「竹田ぁぁぁぁぁぁ!!!」

 竹田は勢い良く床に倒れ、滝川と二人の刑事が駆け寄る。マジックミラーの向こう側にいた刑事たちも取り調べ室に雪崩込む。しかし勇作だけはその場に残り、取り調べ室内の修羅場をじっと眺める。

「うわぁ!腹刺されてますよこの人!」

「クソ!救急車を呼べぇ!」

 取り調べ室はあっという間に血の海になり、怒号と叫び声に支配された。一部始終を見ていた勇作は普段閉じてある糸目をカッと開くと、ツカツカと部屋を出ていった。

「ああ私だ。今は場所が悪い?私が一方的に言うだけだから問題無い。竹田は真犯人を捜していたようだ…。まず彼が取った行動は…」

 勇作は歩きながら、早口で電話で誰かと話す。


第九章 錯綜 終わり


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