第七章 誤算
第七章 誤算
十月九日 昼の一時三十分頃。河北高校体育館。女子バスケ部が練習する隣、女子バレー部では菅澤がどこか落ち着かない様子だった。
「ユリが…押されてる…?」
河北高校女子バスケ部では、突如乱入してきた札幌中央高校との練習試合が勃発し第二Qが終了した。十分の休憩中、河北高校側ベンチでは重苦しい空気が漂っている。まるで練習試合とは思えぬ空気の元凶である音花ユリはタオルを被り、誰とも視線を合わす事なくベンチに座り下を向いている。点数は二十五対十五で札幌中央高校がリードしている。さほど絶望的な点差では無いにも関わらず、音花ユリの無双を期待していた河北高校女子バスケ部の面々は口を軽々しく開けれなかった。
「まさか、藤崎がここまでユリを封じ込められるなんて…。」
ベンチに座っている選手たちと向かい合うように立つ秋田がボヤいた。すぐに周りの視線を感じ、はっと口をつぐんだ。
「何を皆落胆している。夏の全国大会で散々私たちを苦しめた奴らだぞ!?当然だろ!?」
音花の左側に座る部長の緑川敦子の檄が飛ぶ。しかし、相変わらず部のメンバー達の顔色は悪い。二階で観戦していた、ギャラリーの女子二人組がひそひそ声で話し始めた。
「ねえねえ。音花ってさぁ。意外とたいした事なくない?」
「うん…。点を取ろうとしても藤崎に邪魔されて。藤崎のシュートも止められて無いよね。」
「あーあー。何か期待してたのにがっかりだなぁ。ねーもう帰ろうよー。」
音花が藤崎にまるで歯が立たない姿を見たせいか、二階の手すりにもたれかかって観戦していたギャラリーは皆帰り支度をし始めた。音花の右側に座る芳賀優乃は下唇を噛みながら、音花の顔をチラリと見たが、やはり彼女は被ったタオルから顔を出さない。
「なあに、落ち込むことは無いって!相手も全国優勝レベルだぞ!?それに例え負けてもたかが練習試合だし!?」
芳賀の右隣に座る短髪猿顔の二年生、流崎涼子がゲラゲラと笑う。
「いや、選手登録はしてないにしても音花は我ら河北高校女子バスケ部のいわば武威の象徴のようなものだ。非公式とはいえ、ギャラリーも多数いた。その中で音花が他校に負ける姿を晒すのはすなわち、我が部の弱体化に繋がりかねない…。」
緑川の左隣の加治木聖子が銀縁眼鏡を上げながら冷たく言い放つ。それを聞いた芳賀は再び心配そうに音花を見るが反応は無い。
「まだやれるか音花?」
緑川が問いかける。数秒の沈黙の後、音花はゆっくりと立ち上がり、頭に掛けたタオルを取りながら、座るメンバーに満面の笑みを見せた。
「やれるに決まってるじゃないですか!?」
その言葉を聞いた途端、芳賀はパァっと顔を明るくした。
「藤崎にまるで歯が経ってない姿を二十分まるまる見せつけられたこちら側としては信じられぬな。」
またも、加治木が機械の様に冷たく言う。芳賀は彼女を睨み、流崎が「またお前は…」と半ばあきれた様子だった。ただ一人、質問した緑川は変わらず音花をじっと見つめる。
「チッチッチッチッチ。先輩方、勘違いをしちゃいけません。皆様方はまだ、この音花ユリという人間をわかっていませんね!?」
音花は右手人差し指を左右に振りながら、不敵な笑みを浮かべる。
「半年間、間近で見てきた私たちが、まだお前の事を知らないって?」
緑川は少しムッとしながら音花に問いかける。
「そうです。あなた方はまだ…音花という人間のイカレ具合を知りません!」
「おお!さすが我らの音花!じゃあここから劇的な逆転劇を見せてくれるんだな!?」
流崎は興奮したように音花を見る。彼女も年上ながら音花信者のようだ。
「逆転?ふっふっふ。そんな生易しいものじゃ有りませんよ!?札幌中央高校の彼女たちには、今日ここに来た事を後悔するくらいの屈辱を見せてあげますよ!?」
彼女の強い言葉に、部長のみならず、周りにいた河北高校の面々は皆無言で驚いた。芳賀も、何を言ってるのかわからない様子だった。
コートの反対側では札幌中央高校の選手七人がベンチに座り、無言ながらも確かな手応えを感じていた。
「なんか音花も噂ほどたいした事無いな。これなら藤崎に相手を任せておけば普通に勝てるんじゃないですか!?」
高辻は肉付きの良い腕をブルブル震わせて右隣にいる藤崎をちらりと見た。赤羽友美部長は左隣に座る藤崎アカネを見た。しかし、藤崎は一切の油断の無い顔で遠くにいる音花を睨みつけていた。
「彼女がこの程度?ありえない。絶対に手を抜いてます。ああやって手を抜いて油断した所を叩くのが彼女の常套手段です。」
藤崎は興奮した息遣いで言った。
「さっすが、アカネ!うちのエースは油断もスキも無いなぁ!」
誰に言うでもなく、高辻はいちいち大声でオーバーな身振りをする。それを赤羽は制しながら
「そうか。なら後半も油断することなく全力で行こう。お前らもな?」
「「「はい!!!!!!」」」
他の選手が力強く返事をする。秋田の後半開始のホイッスルが鳴り、河北高校から攻撃が始まる。緑川はドリブルをしながらゆっくり音花を見ると、天使のような笑顔でボールをくれ、としきりに合図をしている。
(あれだけやられてたいした根性だ。)
緑川は心で思いながら音花にパスをした。藤崎はドリブルをする音花の前に立ちふさがり、集中力を高めた直後、自陣の方からの騒音に思わず振り向いた。藤崎やそれ以外の面々、その場にいた誰もが何が起きたのか分からなかった。
藤崎は自陣のゴール下にいるはずのない人物と転がるボールを受け入れられず、ホイッスルを持つ秋田でさえ状況を掴むのに数秒掛かった。音花は全神経を集中していた藤崎を抜き去り、ダンクシュートを決めたのだ。
「え?」
「何が起きた?」
「もう点入れた?」
「んな馬鹿な。たったさっきハーフラインにいたが?…。」
芳賀、緑川、流崎、加治木が順番に言う。
「ホラホラ、ぼーっとしてないで守りましょう!」
自陣に下がりながら…子供のようにクシャクシャな笑顔で音花はチームに檄を飛ばす。
(まさか…いやそんなはずは…。)
赤羽は反撃を再開しながらも現実を受けともられなかった。確かに音花を舐めていたのは事実だ。しかし、だからといって、あんな光のように動ける人間がこの世にいるのか…。
「キャプテン!!」
藤崎の形相と大声に赤羽ははっとし、すぐさま彼女にボールを渡した。
(ありえない…何かの間違いだ…次は必ず…。)
「音花あ!」
藤崎はまたも鬼の形相でドリブルを開始した。
「藤崎!待て!」
「え!?」
赤羽の言葉で我に返った藤崎は、すでに手元にボールが無い事にも気づかず、数メートル走り出していた。
「ボールが…無い…?」
藤崎は目を見開いて自分の手を見た直後、またも自陣ゴールから放たれるけたたましい轟音に思わず振り向いた。
「いやぁ、随分と頭に血が登ってますな!」
音花はわざとゴールに数秒ぶら下がりながら言い放った。
「は!?」
藤崎は河北高校側の陣地に下がっていく音花をただただ目で追っていた。
「何これ…?」
高辻も口を半開きにしたまま茫然と音花を見つめた。
「お前ら!!リアクションは後だ!!攻めるぞ!!」
赤羽の檄に皆が我に返る。しかし、藤崎の動揺は治まる事は無かった。
(そんなはずはない。手を抜いていたにしてもさすがにここまでとは!?じゃあ中学時代からまったく差が埋まってない?なぜ?あいつは試合にすら出てないのに?毎日血反吐を吐く思いで練習したあの日々はなんだったの!?)
ドリブルをしながら赤羽はちらりと左を見た。
「藤崎…。」
藤崎はハーフラインで佇み、床を見ながら何かをぶつぶつとつぶやいている。
(くそ!だめか…完全に…戦意を喪失している…。)
藤崎を残し、少し前進した所で赤羽はドリブルをしながら立ち止まった。
「キャプテン!!」
叫んだのは高辻だった。藤崎とは逆の右側のコートで、鼻の穴と目をかっ開いてパスを懇願している。
「高辻…頼む!」
高辻は赤羽からのパスを力強く受け取る。
「よっしゃ!」
「やばい止めろ!」
叫んだのは緑川だった。すぐさま彼女にドリブルをさせまいと三人の少女が高辻を包囲する。
「くっそ止めろ!」
「行かせん!」
「大巨人め!」
流崎、加治木、芳賀が順に叫び、高辻の前に壁を作る。
「邪魔だおらああああ!」
一八〇cmの巨体は三人の少女を跳ね除けて前に走り出す。
「きゃ!!!」
「うお強!!」
「何だこの力は!!!」
芳賀は尻もちをつき、流崎と加治木は吹っ飛ばされながらなんとか持ちこたえた。
「ははははは!力であたしに勝てる奴なんているわけないだろ!」
あっという間にゴール下に到達した高辻は両手でボールを掴みながら飛んだ。
「まさか!こいつもダンクを!?」
高辻の後ろから緑川が叫んだ瞬間、コートにささやかな風が吹いた。
「ん?」
緑川の短髪がその謎の風に煽られた直後、空中のボールをもう一本の手が掴む。
「音花!!!?どっから来た!?」
「うーん、よいしょ!」
高辻の両手からボールがはじけ飛び、彼女は豪快に尻もちをついた。またも鼻の穴と目を大きく開いた高辻は、ゴール下に佇む氷のような目をした美少女を見上げる。
「悪かったね力入りすぎて…てかあんた…後で芳賀ちゃんに謝れよ?」
「ひい!!!」
高辻は尻もちをつきながら顔から血の気が引くのを感じた。
(高辻が負けた?あいつがパワーで負ける所なんて初めて見た…しかも高辻は両手で体重も乗ってたのに音花はそれを片手で…?あいつの体…どうなっているんだ…?)
赤羽が思った直後、こぼれたボールをすでに確保していた音花は自陣側の右隅に立っていた。
「んー最近やってないから出来るかわかんないけど…あれやってみるかー!」
「は?」
高辻はようやく巨体を起き上がらせて音花を睨みつけた。
「何でわざわざそこに…?」
緑川がつぶやくと音花は両手で持ったボールを頭上に上げてシュートモーションに入った。
「は!?」
「何をやって…?」
「まさか、そこから!?」
高辻、赤羽、緑川が呟いた瞬間、音花から放たれたボールは天井近くまで飛び上がった。コートにいる人間、ギャラリーにいる人間、となりのバレー部さえも、放たれた弾丸を目で追った。ハーフラインで立ち尽くしていた藤崎も、亡霊のようにボールただただを目で追う。その物体は一ミリもリングをかすめる事なく、札幌中央高校ゴールの網を揺らした。
「あちゃー、ちょっと本気出しすぎちゃったかなー?」
音花をわざとらしく頭に片手を当て舌を出した。
「これが…本当の音花ユリ…?」
緑川は黒縁眼鏡を取って汗を拭いた。
*
十月九日土曜日、昼の二時頃。坂井臨海水族館の駐車場に覆面パトカーが数台が荒々しく入ってきたかと思うと、これまた人相の悪いガタイの良い刑事たちがぞろぞろと降りてくるのを家族連れやカップルがぎょっとして見る。
「どけどけぇ、道を開けろ!人の命かかってんだよぉ!」
滝川昇警部が叫ぶ。これまた荒々しく一般人を跳ね除け、ズカズカと水族館の受付ロビーに乗り込む。
「えーとあなた方は…?」
「綾瀬警察署のもんだ!責任者に伝えろ!今すぐこの水族館を閉鎖して中の人間を一人も出すな!そして場内アナウンスをして客にはその場を動くなと伝えろ!」
滝川昇は受付の台の上に片ひじを乗せながら怒鳴る。受付嬢の女性がびくびくしながら、内線で責任者に電話を掛ける。滝川昇は受付嬢から内線電話をひったくると、先程と同じことを電話の向こうにいる責任者に怒鳴った。場内にアナウンスが流れる。
「ただいま不審者が出ました。危険なのでその場を動かないようにお願いします。繰り返しますただいま・・・・」
水族館一階の北西にあるペンギンの生態というコーナーにいた荒川たち三人はぎょっとした。
「え?何?」
「不審者が出たっちゃ?もしかしてしゃっきん竹田しゃんの事かな?」
「…………。」
荒川は無言で放送に聞き入っていた。しかし、新たな情報は何も無い。ただ、不審者が出たからその場を動くなと一点張りだった。
「てかさぁ、さっきまでいた竹田のおっさん、全く見ないね?」
「しゃっきまでずっと近うばウロウロしとって気持ち悪かったとに、まあおらんくなって良かったけど!」
坂本とみっちゃんはまた仲良くおしゃべりし始めた。殺人鬼の疑いのある人間がさっきまで近くにいたのに、随分呑気なものだ、と荒川は心の中で思っていた。
「ねえねえ、動くなって言われたけど、あたしトイレ行きたくなって来ちゃった。どうせこんな大勢の人がいる中で襲われるわけ無いし、ちょっと行って来るね!?」
そうみっちゃんに言うと、坂本はトイレまで走って行ってしまった。
「あ!坂本しゃん!!」
みっちゃんの心配をよそに坂本は走って行ってしまった。
「どうしよう荒川くん!坂本しゃん行ってしもうたばい!?」
「まずいな…。みっちゃん!壁を背中に向けて周りからも自分からも見えやすい位置に立って待ってて!何かあったら大声で周りに助けを求めるんだよいいね!?俺は坂本さんを追うから!」
荒川はそう早口でまくしたてると、坂本が去った方向に走り出した。ポツンと取り残されたみっちゃんは頭の巨大な団子髪を弄りながら溜め息をついた。
「一人になってしもうた…。」
みっちゃんは壁を背にしてキョロキョロと周りを見渡しながら、持っていたバックから何かを取り出そうとした。遠くの柱の陰には似合わないハットを被りながらみっちゃんをジロジロと見る竹田梅の姿があった。竹田は荒川が去り、みっちゃんが一人になったのを見計らって彼女に近づこうとした時
「あ、すみませ…うっ!?」
竹田は人とぶつかり軽く謝った直後、顔を激しく歪め片膝をついた。近くを歩く子供が不思議そうに竹田を見つめる。
「はあ…はあ…。くそっ…。」
竹田は腹をタオルで押さえ、体を引きずりながら歩き出す。
*
十月九日土曜日、昼二時頃。河北高校の体育館は絶叫で満ちていた。
「藤崎何やってんだ!?やめろ!」
「アカネ!」
「誰か!金田監督を呼んで!」
「クソがぁぁぁぁぁぁお前何かお前何か!」
札幌中央高校の七人がもみくちゃになっている。体格の良い高辻夏美が藤崎アカネを羽交い締めにし、残りの赤羽部長含めた五人が暴れる藤崎の手足を抑えつけている。部員の一人がようやく藤崎から銀色に光る何かを取り上げた。藤崎は試合前の美人な顔が消え、涙まみれの醜悪な顔になっていた。
「音花!無事か!?」
「ええ別に何も…。」
「良かった。音花さん本当に刺されたかと思った!」
「ったく本当にそうよ…。」
河北高校部長の緑川敦子が青ざめた顔で音花の安否を確認したが、音花は冷静に返した。同輩の芳賀優乃は泣きじゃくって音花の胸にすがりついた。マネージャーの秋田理香子は胸から下げた笛を弄りながら、激しく鼓動する心臓を落ち着かせた。
「しーかし、よくあれが避けれたなぁ!」
「空手の小学生チャンピオンだったんで…。」
「なるほど、あの身のこなしは尋常じゃないと思ったらそういうことか。」
流崎涼子は目をカッと見開いて子供のように感心した。反対に加治木聖子は銀縁眼鏡をくいっと上げながら機械の様に喋る。二階の手すりにもたれかかっていたギャラリーも皆、言葉を発さず、眼下で繰り広げられていた惨劇をただ見ることした出来なかった。今から数分前、試合終了のホイッスルが鳴った。結果は一二〇対二五で河北高校の圧勝だった。突如本気を出した音花の前に札幌中央高校は手も足も出ず、後半一点も取れずに惨敗。人間技とは思えぬ速さのドリブル、女子とは思えぬパワーでのブロック、ダンクシュート。オマケに自陣のゴール下からありえない距離の超ロングシュート、広大な視野と的確なパス…全国で名を連ねた選手がただ傍観することしか出来ないほど…音花はバスケットボールプレーヤーとして…神の領域にいた。
「なるほど、藤崎さんが錯乱して持っていたカッターで音花に襲いかかったわけか…。」
事件が起きて数分後、金田監督が駆けつけ、何とか藤崎をなだめることが出来た。
「はい、このような事を招き本当に申し訳ありません!」
赤羽は金田監督にひたすら頭を下げていた。
「いえいえ、お互い怪我が無くて良かったです。」
金田監督はやさしい言葉を掛けるが、目や口調はかなり冷たい。仮にも自分の部員を傷つけられる寸前までいったせいか、完全に相手を許すことは出来ないようだ。金田監督はその場で事情聴取のような事をしていた。
「何か、うちの音花から藤崎さんに対して侮辱するような、喧嘩を売るような事とか言ってました?」
金田監督は皆に問いかけた。藤崎はタオルで顔を隠しながら高辻に付き添われ、体育館の隅っこに座っている。残りの札幌中央高校の面々と河北高校の面々は金田と一緒に体育館の中央に集まっている
「うーん、本気出しすぎちゃったなぁっとか、頭に血が上ってますなあとか…言ってましたねぇ。でもそれぐらいだったと思いますけど…。」
「私もそう思います。」
赤羽と緑川が交互に答える。
「なるほど、では藤崎さんが負けた腹いせに音花に襲いかかったってことですね…。」
「はい、すみません…。」
「君が謝ることじゃないよ?」
金田はひたすら謝る赤羽を言葉で制した。
「この件は私で止めておきます。試合も終わりましたし、札幌中央高校の皆さんにはお帰り頂こうか。明日と明後日は江戸川区の体育館で練習されるんですよね?」
「その予定です…。」
「そうですか…。出来れば明日も明後日も合同で練習したいと考えてもましたが無理そうですね。」
「本当にすみません・・・・。」
赤羽は部の代表としてただ謝る事しか出来なかった。
「いえいえ。それだけ藤崎さんの情熱が強すぎただけですよ。今回のは決して褒められた行動じゃありませんでしたが、冬の大会が楽しみです。まあ音花は選手登録してないので出れませんが。」
「本当にすみませんでした!」
赤羽は金田に頭を下げると、つかつかと体育館の隅に座ってる藤崎の目の前に歩み寄った。
「え?」
「やば!?」
赤羽は藤崎の頭から掛けたタオルもろとも横顔に思い切りビンタを食らわした。直後に胸ぐらを掴んで無理矢理立たせ、金田監督の前まで引きづっていった
「お前が何も言わないでどうする!早く謝れ!」
赤羽の気迫にさすがに藤崎は圧倒されたのか、するすると頭のタオルを外した。
「本当にすみませんでした。」
藤崎は金田に深々と頭を下げた。
「あーいや、ハッハッハッハ‥そこまでしなくても…。」
赤羽はそのまま藤崎を引きづって河北高校の面々の前、そして音花の前と順番に回って謝罪をさせた。音花は謝られても何も喋らず、口を尖らせて目線を泳がせた。程なくして、札幌中央高校の面々は体育館の出入り口で整列して再び七人全員で頭を下げた。二階にいたギャラリーも、もう面白い事はなさそうだということでぞろぞろと帰り始めた。体育館には河北高校のバスケ部とバレー部だけが残った。体育館を仕切っている巨大な網の向こうには菅澤がニヤニヤしながら音花を見つめ、それに気づいた音花は鬱陶しそうに手で跳ね除ける仕草をした。
「さあて、少し早いですが、あんな事があった後に練習しても身が入らないので、これで終わりにしますか。」
部員たちはホッと胸を撫で下ろした。あんな修羅場の後にとても練習などする気分にはなれない。
「じゃあモップ掛けして、ボール片付けて、部長が挨拶したらもう帰ってていいよ。私はまだ、仕事があるからねぇ。クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
金田監督はおぞましい雄叫びを上げながら体育館を出ていった。いつもならクスクス笑う部員たちは、さすがに今回は笑う気にはならないようだ。
「しかし、本当に切られなくて良かったな。音花がやられたらうちの部のモチベーションがガクンと下がるになるところだった…。」
沈黙を破るように緑川が黒縁眼鏡を上げながら音花に話しかけた。
「別に…。あたし強いんでカッター使われても勝てましたよ?」
直後に乾いた破裂音がした。
「バアカ、そういう問題じゃないだろ。首とか切られて血がドバドバ出たらどうすんだよ!」
「痛ぁなにするんすか秋田正式マネージャー!」
「その呼び方辞めろ!」
ぬっと現れた秋田理香子が音花の頭にメガホンを叩きつけた。
「でも、音花の空手も見てみたかったな!」
「いや、どちらかが怪我をするのをみすみす、見届けるわけにもいくまい。」
流崎涼子がまた猿のようにケラケラ笑う。すかさず、加治木聖子が銀縁眼鏡を上げながら機械のように冷たく突っ込む。緑川と加治木のキャラが被っているのが若干気になる。
「でも本当に無事で良かったぁぁぁ!」
さっきのデジャブか、芳賀優乃が再び音花の胸に顔を埋めた。
「よーしよーし怖くないぞ?。」
音花は機嫌を直し、ニヤニヤしながら芳賀の頭を撫でる。
「よーし、じゃあ片付けて帰るぞ!一年モップ持ってきて!」
芳賀がガバっと音花から顔をあげ、すぐさま用具室に走った。
「あ、私たちもやるよ芳賀ちゃん!」
何人かの一年部員が芳賀の後を追う。
*
河北高校の門の前にはすぐに歩道と車道が有り、それに沿うように彩瀬川が流れている。札幌中央高校の七人は再び泣きじゃくり始めた藤崎をなだめながら彩瀬川に掛かる五兵衛橋を渡っていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!すみませぇぇぇぇん!私…皆と勝ちたかったですぅぅぅぅぅぅぅ!」
たまにすれ違う人にぎょっとされながらも、横にいる赤羽が優しく藤崎の頭を撫でる。他の部員たちや高辻ももらい泣きしているのか、鼻をすする音がちらほら聞こえる。先程は立場上、怒鳴り散らした赤羽だが、今では無言で藤崎の頭を撫でる。藤崎がどれだけ普段から打倒音花に燃え、寝食娯楽を捨て練習と努力に没頭しているかを、彼女は知っているからだ。赤羽だけでなく、その場にいた部員全員も…である。
*
今から十ヶ月程前、全国大会一回戦、足立区立第三中学と札幌市立清平中学校が対戦したが、結果は清平が大敗。マッチアップした藤崎は当時の音花に手も足も出なかった。
「気持ちは伝わってくるけど、バスケは情熱だけじゃ勝てないよー?」
本心か、挑発か。試合終了のホイッスルが鳴るのと同時に音花は藤崎にその言葉を浴びせ、藤崎は血が滲むほど下唇を噛みながらも何も言い返せなかった。試合が終わり、まだ大会が継続されている武道館を出た所で、藤崎は地面を殴り始めた。何度も、何度も。チームメイトや監督に羽交い締めにされ、そのまま救急車に運ばれた。拳は幸い折れてはいなかったが、念の為に藤崎は入院した。泣き疲れ、感情を失った戦争孤児のように、ただベットに寝そべって天井を見つめるだけの藤崎のいる病室で、見舞いに来たチームメイトは皆泣いた。全国大会に導いてくれた藤崎の努力と奮闘が粉々に散った事実を、チームメイトも受け止められずにいた。高辻夏美は廃人のような藤崎を見ながら泣いた内の一人だった。彼女は藤崎と共に打倒音花に燃え、北のバスケの名門、札幌中央高校に進学した。藤崎とともに切磋琢磨したが、音花の突然の引退宣言によって彼女たちは目標を失いかけた。しかし、再び奮起し、強豪校で一年にしてレギュラーになり、全国大会決勝にまで進んだ。惜しくも敗れたが、確かな手応えを感じた。そこから運命の巡り合わせかのような今回の練習試合。しかし、結果は惨敗。音花との差は微塵も縮まってはいなかった。
第七章 誤算 終わり




