第六章 邂逅
第六章 邂逅
十月九日、昼の一時頃。
「うわぁ何かあたしの手にめっちゃ寄って来てない?うわっ危なー、こいつめっちゃ噛もうとしてきたわー」
「坂本ちゃんの手ってばりよか匂いするんやなか?」
「普段は噛みつく事もこんなに人の手に寄ってくる事も無いんですけどねぇ。念の為に水槽に手を入れない方が良いかもしれませんねぇ。」
坂井臨海水族館に来た荒川たち一行はサメに触れるシャークタッチコーナーと言われる場所にいる。腹の高さくらいの所にある水深の浅い水槽に体長七十センチほどの小型のサメがうじゃうじゃいる。にしてもシャークタッチコーナーって…と荒川は思った。
「ありがとうございます飼育員さん。」
荒川はサメを制止してくれた飼育員さんに礼を言うと、濡れた手を拭くタオルを坂本に渡した。坂本は荒川に礼を良い、荒川は笑顔で手を振りながら去っていく飼育員さんに頭を軽く下げた。
「あららー袖がかなり濡れちゃったぁ。」
「長袖なんやけんまくりゃあ良かとに?」
みっちゃんは、濡れた坂本のジャケットの袖も丁寧に拭いた。
「ばってん美人で親切な飼育員しゃんやったねえ。荒川君が興奮するとも納得やなあ」
「俺がいつ興奮したの!!?」
「あれぇ?しとるんやなかったの?」
「ちょっと荒川くーん!」
三人はきゃっきゃっと会話を楽しんでいた。すると荒川のスマホのバイブが鳴った。
「ごめん、ちょっと出るわ!」
荒川は水槽の前にいる群衆から下がり、慌ててスマホに出た
「はい荒川です。…え!?十時頃に野反五駅で?…わかりました。今ですか?坂井臨海水族館にいます…。え?…分かりました…。詳細はまた…。」
荒川はスマホを切りながらため息をついた。すると、再びスマホを開きどこかに電話をし始めた。
「ああ俺だわ、帰り少し遅くなるかも。だから適当に飯食っといて…、え?…そうか面白そうな展開だな…わかった、また話聞くわ…じゃね…だからその呼び方やめろし…。」
荒川はスマホを閉じ再びため息をついた。
「どしたの?」
「うわっびっくりした!」
「アハハハ、驚き過ぎ!」
坂本は荒川の耳元で呟いた。荒川はびっくり性なのかかなり驚いてスマホを落としそうになった。
「あれ?みっちゃんは?」
「サメの表面が気持ち良いからって言うんでずっと触ってるよ!本当に気になりだしたら止まらないよねあの娘って。」
坂本はサメの水槽に集まる人々を指さしながら言う。水槽の最前列には小学生やカップルを跳ね除け、サメを一心不乱に触り続けるみっちゃんがいた。
「あの眼差し…もうあと十分くらいは触り続けるだろうな。」
「うんだろうね。ところで誰と話してたの?」
坂本はクリクリの目で下から覗き込むような荒川を見つめた。口をすぼめて明らかに自分が可愛いという絶対の確信を持っているようだった。
「ん?ああ親から電話来たんだよ!帰りは何時になるかって」
荒川は坂本の美貌に見とれていたのをさとられないように声を上ずらせた。
「そういえば、荒川君のご両親、二人共有名な推理小説家って聞いたけど?」
「ん?ああそうだね。二人共推理小説書いてるよ?有名って言ってもその世界の中だけだけどね。」
二人は水槽に集まる群衆の少し後ろ、トイレの前の…人が比較的少ない場所で話し始めた。
「いやいや、荒川君のお父さんって、あの『十日間の殺人』書いた人でしょ?確かペンネームは荒辻直人だっけ?」
「よくご存知で」
「知ってるよ?。荒川君が推理小説いつも読んでるから私も触発されちゃって…。凄いよねぇあの作品!まさか、同時進行してた全然違う場面の登場人物が同じ人だったなんてさ!」
荒川の父親は荒川直人。その界隈では知らない人はいない有名な推理小説家だ。読者の思い込みを逆手に取り騙す、いわゆる叙述トリックの先駆者だ。ネットで推理小説関連で検索したら、まず、名前がヒットする程の人物である。坂本がキラキラした顔で話している最中、荒川は浮かない顔をしている。
「あれれーそんなすごいお父さんの事話してるのに浮かない顔だねぇ?」
「え?そう?」
「そうだよー。あ、まさかお父さんと仲悪い感じ?」
坂本が荒川の顔を覗き込むと、荒川はたちまち顔を逸らす。
「んー確かに親父の書く推理小説は全部読んだし…。尊敬もしてるけど、叙述トリックは何か反則な感じがして…。」
「ごめん…その叙述トリックってよくわからなくて…。」
知識の無い自分を恥ずかしがっているのか、坂本の声はか細くなる。
「あー、ピアノ線とか針金で外から鍵を閉めて密室とかを作るのを物理トリックって言うんだけど…。叙述トリックってのは…小説っていう文字だけの特徴を活かした、人間の思い込みを利用したトリックでね…。例えば「謎の人物は力強く相手を投げ飛ばした」って書いてあったら、その人物を無意識に男だと認識しちゃうでしょ?逆に女だと思ってた人が男だったり、日本の話だと思ったら海外の話だったりとか?最近公開されたアニメ映画でも、ただの遠距離恋愛してたカップルが実は時空を飛び越えて過去と現代で繋がってましたって奴あったでしょ?あれはまさに叙述トリックなんだよ?」
「え?あの映画ってそうなの?近々見に行こうと思ってたのに…。」
「え?あぁ…。ごめん。」
鼻高々に力説していた荒川の顔は一気に力を無くし、地面をただ見る事しか出来なくなっていた。坂本も神妙な顔つきで荒川を覗いた後下を向いてしまう。数秒後、坂本は急に笑い出した。
「え…?」
「あははは!あぁごめん!あまりにも荒川君が楽しそうに力説するからさ、からかいたくなって!…お腹痛い…。その映画はとっくに見に行ってるよ!?」
「んだよ…。」
荒川は頬を赤らめた。
「ごめんてば!んで?その叙述トリックが気に入らないってこと?」
「気に入らない…って言ってしまえばそうなんだけど…。やっぱり推理小説は探偵が推理で犯人を追い詰めるのが醍醐味というか…。まあ親父の小説にもちゃんと探偵役がいるけど…。」
「まあそうだよね?荒川君はそんな感じがする!エラリー・クイーン…だっけ?その小説を書いた人はちゃんと推理するんだ?」
「そう…。殺人現場の一見なんてこと無い状況から殺人の瞬間を想像して…消去法でどんどん真犯人に迫っていくあの感じがねぇ…たまらないんだ!」
初めてちゃんと目を合わせたと思わせるくらい、荒川は坂本に顔を近づけた。いつもはからかう側の坂本の方が少し照れたように目線をそらした。
「そっか…。五月のみっちゃんの水筒にチョーク入れた事件といい、今回の山岸さんの事件といい…本当に荒川君は推理が好きなんだね!?確か…お母さんもすごいよね?小川由美だっけ?生霊シリーズまだ一冊しか読んでないんだよね~」
坂本は母親の話に話題を変えた。
「すごいなぁ。本当によく知ってるね。」
「いやぁ、荒川君が男子とたまに喋ってるの隣でよく聞いてたからさぁ。盗み聞きするつもりはなかったんだけどさ!」
坂本はくねくねと体をくねらせて荒川に話しかける。男性との話し方を熟知しているようだ。
「んまぁたまに物好きが話しかけて来るからねぇ」
荒川は照れを隠せない性格のようだ。
「ねえねえ。荒川君は推理小説をいつから読み始めたの?」
「え?うーん幼稚園の頃くらいかな。」
「そんなに昔から?」
「うん。てか子どもの頃なんて身近な物をとりあえず触るじゃん?俺の家にはゲームとか漫画の類が一切なくて、代わりに推理小説が山程あった訳よ。あとは、推理小説のネタになるようなマジックの本とか図鑑とかかな。」
「それでエラリィ・クイーンにハマったの?さすがに幼稚園児にはきついんじゃない?」
坂本はまたも美しい顔を荒川にのぞかせる。
「うん。まあ幼稚園児の頃は親父が絵本を子供に聞かせるように、エラリイの小説を俺に読み聞かせてくれた訳よ。もっと話をわかりやすく噛み砕いてね。」
「子供に読み聞かせるなんて、よっぽど推理小説が好きなんだね。」
「うん。まあじゃなきゃ推理小説家にはならんからね。」
坂本は膨らんだ胸を寄せるような仕草をしながら荒川の話に聞き入る。
「まあでもおかげで変な学生になっちゃったけどね。集中力が無くなるからってテレビも無かったし。学校の同級生とも話通じなくて…。まあでももともと集団とか人とか苦手だから、話通じても喋んなかっただろうけど…。」
「そうだったんだ…。」
坂本は少し同情したのか、荒川から視線を外し、水槽にたかる群衆へと移した。
「いや、でも両親を恨んだことなんてこれっぽっちも無いよ?なんだろうな。何に対しても考えるくせがついたっていうか…。」
「それであの推理力が身についてたんだね!?」
「うん?まあそうだね。お恥ずかしぃ。」
荒川はまた照れて頬を指で描いた。何かの気配を感じたわけでもなんでもない。ただ、何となくであった。荒川はふと、あたりを見渡した。1Kの部屋二つ分程の水槽にたかる人々…窓から見える東京湾を見る人々…柱に書いてある案内板の前で今後の計画を立てる家族…そんな中にふと目が合う老人が一人いた。
「あれ?」
「うん?どうしたの?」
「いや、今、竹田梅さんがいたような…。」
荒川は国宝級に可愛い坂本の顔に目もくれず、群衆に目を向ける。
「え?嘘!?どこどこ!?」
「あ、うーん見失ったなあ!」
竹田梅らしき人物はすでに人の波に飲まれ見失っていた。
「一人でいたの?」
「うん・・・・結構こっちをじーっと見てた感じだったなぁ。」
「ねえねぇ。それってちょっと怖くない?もしかしたら保健の先生殺しの犯人が竹田さんでさ。私たちを口封じの為にこっそり尾行してるとか。」
「無きにしもあらずだな。」
坂本は自分で言っておきながら、荒川の真剣な眼差しで一気に笑みを失った。
「とにかくみっちゃんが心配だなぁ。坂本さん…これから単独行動は慎むように。」
「う…うん。」
荒川は坂本に耳打ちした。坂本は無意識に荒川に体を寄せた。豊満な胸の位置を修正するように片手で胸元をゴソゴソしだした時、馴染の声が聞こえた。
「あああああああ!!!!!なに二人でイチャイチャしとーと!? しゃては二人で抜け出して何かやましかことでも企んどーな!?」
群衆の一部がキンキン声の発生源に目を向けた。荒川と坂本は口元に指を置き、無言の圧力をみっちゃんに与えた。みっちゃんはびしょびしょになった両腕を丹念にタオルで拭いている。
「いやいやいや、違うんだみっちゃん!実はね…。」
荒川は事の真相を詳しく話した。
「ええ?そん竹田っておっちゃんがおったと?しかもうちらば殺そうとしとーて?」
「しーっ!声が大きいよみっちゃん!しかもまだ決まってないから!そうかも知れないから、単独行動はやめようねってだけだから!」
荒川は必死に人差し指を立てた。ようやく興奮がおさまると、みっちゃんはとたんに落ち着き始めた。
「なーんだまだ確定やなかとか!安心した!ばってんいじゃそん竹田がもし襲うてきたら、荒川君が守ってくれるっちゃろ!?」
「いやまあ、そうしたいけど、俺も格闘技とかやってたわけじゃないし…。」
「えーそう言わず守ってよ?」
三人は他愛もない話で盛り上がった。そんな彼らから十数メートル離れた柱の裏側に竹田がいた。前を通った家族連れの子どもの不思議そうに覗き込む顔を気にすることもなく、竹田はチラチラと荒川たちを覗き込む。竹田は刑事が羽織るような長いコートの胸ポケットをゴソゴソ触っている。そこにはキラッと光る鋭利な刃物があることを荒川たちは知る由もない。
*
十月九日土曜日。昼の一時頃。昼食を終え午後の練習を始めようとした河北高校女子バスケットボール部全部員の前で同部監督の金田が口を開いた。監督の横には七人の少女が立っている。
「えー、実は皆には黙ってて申し訳無かったが、札幌中央高校女子バスケ部の方々に来ていただいた。と言ってもいつものスタメンの五人と控え選手の二人で計七人だけだがな。」
河北高校女子バスケットボール部は目を見開いて驚きながら、札幌中央高校女子バスケットボール部の面々を眺めた。藤崎アカネを筆頭に全員がその名を全国に轟かせている強者ばかりだからだ。しかし、それはお互い様だった。札幌中央高校女子バスケ部の面々も皆、内心の興奮を抑えるのに必死だった。最強の高校の部長である緑川敦子、その部にマネージャーという形で練習にだけ出ている女子最強の音花ユリがいるのだから。
(あれが緑川敦子!?すごい美人だけど性格キツそう…)
(あれが音花ユリ…意外と細身なんだなぁ…)
「えー実は向こうの監督にダメ元でお願いしたら、たまたま今回の三連休を使って東京都江戸川区の総合体育館でみっちり練習予定だったらしい。といってもうちの体育館がフルで使えないと知らせたら、お邪魔になるので最低限の人数だけそちらに送るとおっしゃってくれた。まあうちとしてはさして支障は無いがな…。」
金田の説明する間も藤崎の鋭い眼光は音花を睨みつけていた。音花は露骨に嫌がるように藤崎から目線を外した。しかし同じ一年の芳賀優乃はキラキラした目で藤崎アカネを見つめた。
(うわー藤崎アカネだあー。実物もやっぱりめちゃくちゃ美人ー!)
芳賀は声が出そうになるのをぐっとこらえた。
「えーというわけで午後はこちらの札幌中央高校の方々と練習試合をする。夏の全国大会の遺恨はキレイさっぱり忘れて、お互いを高め合うように。私は残した学校の仕事があるから、後は緑川に任せる。では悲しき社畜はせっかくの土日を返上して血便をぶちまける思いでパソコンにかじりつくので、これでドロンさせていただく。」
札幌中央高校の面々は言動にびっくりしながら、出口に向かう金田を目で追った。キチッとスーツを着込み、髪はベタベタにオールバックで目つきも鋭い金田が、まさかあのような言動をするとは想像出来なかったからだ。
「校長のクソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
信じられない奇声を発しながら体育館の出口の扉は勢いよく締められた。札幌中央高校の面々はただただ呆気にとられ、事情を知っている河北高校の面々はクスクスと笑い始め、緑川部長は額に右手を当てながらため息を漏らした。その間も、藤崎の眼光は音花からそれなかった。音花は相変わらず嫌そうな目をしている。緑川が咳払いをして自分に注目するように促す。
「まあ、えー何はともあれ、札幌中央高校の方々にせっかく来ていただいたので、早速試合の準備をしましょう。メンバーはそうだなぁ。私、音花、芳賀、流崎、加治木でいこうかな。」
「「「「はい!」」」」
音花以外の三人は地面が割れるほどの声量で挨拶した。芳賀は一年、流崎と加治木は二年である。
それぞれのチームは一〇分程のウォーミングアップを始めた。音花たちは午前中練習しているので軽めに。札幌中央高校の面々は入念にアップを始めた。すると、天が割れる程の騒音が体育館に鳴り響き、その騒音の発生源に一同は振り向いた。藤崎がダンクシュートを決めたのである。
「え!?音花さん以外に女子でダンク!?」
芳賀は思わず声が出てしまった。藤崎は音花とほぼ同じ背格好である。藤崎は空中の輪から手を離し、地上に降りると、したり顔で振り返った。しかし音花はそんな藤崎に目もくれず、右肩を気だるそうに回している。
「ちっ!」
藤崎は鬼の形相で音花を睨む。その背後で何者かが藤崎の脳天を勢いよく引っ叩いた。
「相手先のゴール壊す気か。そもそも開口一番「音花いますか!」じゃないだろ!?常識をわきまえろ!?」
「あ…すみません…。」
藤崎は片手で頭を押さえた。怖い者知らずの彼女が唯一従う女、札幌中央高校女子バスケットボール部主将、赤羽友美である。猛々しく逆だった短髪の赤い髪、ナイフのように鋭い目つき、音花や藤崎よりさらに低い身長、華奢な体が特徴だ。
「まあまあ部長!こいつは昔からこういう性格ですから!」
一八〇センチの長身に大柄な体格の高辻夏美が赤羽をなだめる。とたんに緑川の顔が引きつった。赤羽は藤崎の首根っこを掴むと、緑川に話し掛けた。
「久しぶりだな敦子。相変わらず可愛げの無い顔をしている。」
「あんたも似たような顔でしょ。」
音花はちょっと意外そうな目で両者を見た。
「え?部長って札幌の赤羽と知り合いなの?」
音花はひそひそ声で芳賀に話掛けた。
「えー音花さん知らないんですか!? 二人は中学時代に同じ学校で無敗の世代って言われてたんですよ? でも良い辛いですけど、音花さんの出現で影は少し薄くなっちゃったんですけどね…。」
「ふーん…。」
芳賀は緑川に聞こえないように囁き声で音花に耳打ちした。音花は少し興味があるような雰囲気で部長を一瞬ちらっと見たが、すぐに目線をそらしてまたウォーミングアップを始めてしまった。
(音花さんは…バスケは好きでも人には興味ないのかな…?でもそんな音花さんもかっこいい!)
芳賀はまたキラキラした目で音花を見た。試合開始の直前、両チームの内一人ずつがジャンプボールの為に中央にいる主審の下に寄ってくる。
「えーでは主審を務めさせていただく河北高校二年マネージャー、秋田理香子です。」
河北高校の実質的マネージャーの秋田はボールを片手に持った。それを挟むように、両チームの代表が向き合う。音花と赤羽だ。
(主将自らジャンプボール…?こいつポイントガードじゃないのか?)
音花は心の中でそう考え、構えた。直後に秋田が試合開始を宣言し、ボールは宙高く放り投げられた。
*
十月九日土曜日、昼の一時頃。現場検証を終えた大和介之助巡査部長と滝川昇警部は無言のままクラウンのサイレンを鳴らし、都内中心部まで走らせていた。ただでさえ狭い首都高を走る車たちがなんとかして覆面パトカーに道を譲ろうとしている。
興奮と不安を抑え、しかし迅速に車を走らせる。今から三〇分前、野反五駅の防犯カメラを確認していた二人は驚愕した。防犯カメラには先日、河北高校で起きた殺人事件の当事者が映っていたのだ。それどころか、その当事者三人が犯行の直前に全員トイレを使用していたのだ。九時三八分頃、殺された鈴原サキちゃんがトイレに入っていく姿が確認されている。九時四〇分に松坂道子がトイレに入り、九時四五分に出てくる。九時四八分に坂本麻耶が入り九時五二分に出てくる。そして竹田梅が九時五三分に入り直後に焦った様子で中から飛び出してきた。そして、九時五十五分に第一発見者の中丸美保が入っていき、事件が発覚。
「まさか先日の河北高校の当事者がトイレを使用しているとは驚きですね!」
「ああ。しかもサキちゃんが入ってから松坂道子、坂本麻耶、竹田梅しか入っていない。それ以前にトイレに入った奴は皆サキちゃんが入る前に出てきている。そして竹田が出てきた直後に中丸美保さんがトイレに入って発見…。」
助手席に座る滝川昇は右手に握りしめたボールペンに力を入れた。
「普通に考えたらもうこの三人の中に犯人がいますよね?」
大和介之助はサイドミラーをチラチラ見ながら滝川昇に問いかける。
「いや、犯人は竹田梅で確定だ。そもそも最後に入ったのが竹田だし、さらになぜ女子トイレに男性の奴が入る理由がある?」
「まあそうですよね?…。」
滝川昇警部は防犯カメラの映像から竹田梅が江戸川区にある、坂井臨海水族館に向かっていると判断し、高速を走らせ急行している。
「本当に坂井臨海水族館なんすかねえ?」
「ああ。竹田梅が坂井臨海公園駅で降りる防犯カメラの映像があったから間違いない!くそ、もう一時か!?まだ水族館にいてくれてたら良いんだが…。」
「また別の殺人事件起こしてたりして…。」
「馬鹿な事を言うな!」
滝川昇の罵声に一瞬体を強張らせた大和介之助だったが、持ち前の明るさをすぐに取り戻した
「見つけたら重要参考人として任意同行…で良いですよね!?」
「いや、もう奴しか犯人はありえん。今令状を取って貰ってる。見つけ次第逮捕だ。」
「わかりましたぁ!」
クラウンはとんでもないエンジン音を唸らせ首都高速をひた走る。
*
十月九日土曜日、昼の二時頃。坂井臨海水族館を楽しんでいたはずの荒川たちは一転して暗い表情を浮かべていた。
「明らかに後をつけられてるね…。」
「ほんなこつ?」
「うーん。尾行は下手なようだなあ。」
三人は水族館一階のレストランで遅めの昼食を取っていた。竹田梅はいかにも刑事の様な長いコートにハットを被り、新聞紙で顔を隠しながらチラチラとこちらを見ている。カップルや家族連れでワイワイと賑わうレストランでは、竹田の姿はかなり浮いている。
「何かあんなバレバレの尾行を見せつけられたら心配するのもアホらしくなってきちゃったなー。」
「気ば抜いて油断したらだめばい。気づいたら背中刺しゃれとーかもしれんばい!?」
「そうだねー。でもさすがにこんな人がいっぱい周りにいる中では襲って来ないとは思うけどー。」
坂本とみっちゃんのやりとりを荒川は無言で見つめる。荒川は大盛りパスタを絡ませたフォークを空中で止め、麺をジロジロと眺めている。
「どうしぇ襲うて来んっちゃったらしゃ、もうちょっと見て行かん?うちしゃ、ペンギンの生態って奴ば見たか!」
どう考えても口に入らない巨大なステーキを切らずにフォークで口へと運び、付いたソースをベロリと舐めながらみっちゃんは話す。
「あー私もそれ見たかったんだよね?このフロアのちょうど反対側にあったっけ?てかみっちゃん、どう考えてもそのステーキ切ったほうが良いよ?」
坂本はそこまでお腹が空いていないのか、フライドポテトをゆっくり食べながらみっちゃんと喋る。荒川はなおも、竹田をチラチラ見ながら何やら考えている様子だ。
「もーあんなキモオヤジの事を考えたってしゃあないよ?」
坂本は荒川のほっぺたをフライドポテトでツンツンと突いた。
「ああごめん。まあ万が一があるからさぁ。」
「もーせっかく何だから楽しもうよー!」
坂本は荒川にツンツンしたフライドポテトをほうばるとニヤニヤ笑い出した。
「ほんなこつ荒川君は推理小説が好きなんやなあ?」
みっちゃんは相変わらずの大きい声でガハガハと笑う。みっちゃんはナイフは使わずテーブルの隅の方に置いている。
「まあ念の為だ。二人共、俺の前を常に歩いて。決して他人に背中を晒さないように。もしかしたら背中を刺してくるかもしれないし…。」
「えーマジー?ちょーこわーい!」
坂本も堪らず笑い出す。直後…遠くにいる竹田が尻のポケットを気にする素振りをしたのを荒川は見逃さなかった。
第六章 邂逅 終わり




