第三章 惨劇
第三章 惨劇
十月八日金曜日、六時の早朝。荒川は学校に向かっていた。この日の前日の夜七時半頃、校長から学年主任に。学年主任から各クラスの担任に。クラス担任から生徒に休校の連絡をしていた。それと同時に何人かの関係者を次の日の朝六時に学校に来るように指示した。
荒川は学校に着くと雑に上履きに履き替え、下駄箱から入って左向き、守衛室のある角までひたすら走ると、何人かの見知らぬ大人たち数人と、宮司陽子、松坂道子ことみっちゃん、坂本麻耶、守衛の竹田梅が保健室横のトイレ前に集まっていた。
「おぅ、荒川ぁ」
「あ、荒川君きた!」
「そうか、荒川君も昨日保健室に来たもんね」
「あ、みんな集まっているんですね!」
荒川はあらかた挨拶をすると、長身のイカツイ男が近づく。
「おぅ、君が地元新聞にちょいちょい名前の出る高校生探偵かぁ。」
荒川は大男に近づかれても怯む事無く、目線を合わせた。細目の色黒短髪、一九〇センチはある堂々とした体格。宮司のようなねっとりとした喋り方。おまけにチョビヒゲが生えている。
「まだ、探偵と呼べるレベルではないですよ。日常のささやかな事件を解決しているだけです…。」
「いやぁ、凶悪事件とはそういうささやかな事から肥大していくものなんだよぉ。隣人トラブルやストーカーなんかはその典型だあ。君の解決した事件も、下手したら傷害や殺人に発展していたものばかりでねえ。そんな君の近くでこんな事件を起こすなんて、殺人犯はとんだ無謀者だなぁ。」
「ええ、そうですね。犯人をぜひとも見つけていただかないと。」
大男に怯んだのか、宮司、みっちゃん、坂本は後ずさりした。
「これはこれは申し訳ない。少々威圧してしまったか。私は直接この捜査には関わっていないが、現場を少し視察しているだけの者でね。綾瀬警察署署長の音花勇作です。」
「ええ、お噂はかねがね。」
「あ、音花ユリさんのお父さんでいらっしゃいましたか!」
「うげっ」
「ほんなこつ?」
坂本とみっちゃんは怪訝そうな顔をした。宮司は相変わらず目を飛び出させるくらい見開いた。荒川はなおも冷静だ。
「ほう、やはりこんな状況でも冷静だな、令和のエラリイ・クイーンは…。」
荒川と宮司は面食らった顔をして、坂本とみっちゃんはぽかんとした顔をした。
「ああ、すまんすまん。娘からちょくちょく聞いていてね。私も推理小説をかじっているもので…。まあとりあえず、君にも知恵を借りるよ?一Cの名探偵?」
「ええ、最大限ご協力させていただきます。」
そういうと、音花勇作は一人の刑事だけを残し、五、六人を引き連れて足早に去っていった。一人残された刑事はその場で深々と頭を下げ、音花が見えなくなるまで顔を上げなかった。みっちゃんは音花勇作をじっと目で追っていた。あいつが憎き音花ユリの父親…警察署長?それにあんな同じくいかつい男達が皆気を遣って…。やはり噂通り…奴の父親はめちゃくちゃお偉いさんなんだなと、みっちゃんは思った。宮司、みっちゃん、坂本は緊張していたのか、彼が立ち去ると、ふっとため息をついた。とたんに、みっちゃんが興奮したように話しかけてきた。
「すごかよ、荒川君! あげんイカツイ大男に近づかれたっちゃビビらんで対等に喋れて! うちなんかえずうて声出らんやったもん!」
「いやぁ、ビビると逆に睨み返しちゃうんだよねぇ」
照れてる荒川に再び別のイカツイ男が近寄る。
「あの方はとても優秀なお方だ。イカツイ大男はやめなさい。」
「ああ、すみません。」
丸坊主の肩幅のある男。身長は一七〇センチくらいと普通。左目の上には大きな傷がある。
「ああ、申し遅れました。この現場の責任者の滝川昇です。」
「ええ、どうも。」
またもや、荒川は余裕の挨拶をした。
「ええ。朝早くお呼び出ししてしまい、申し訳ありません。担任の方から聞いていると思いますが、昨夜七時頃、こちらの守衛の竹田梅さんが見回りの為、守衛室を出た所、保健室の明かりが付いているのを見つけました。保健室に誰もいなかったので、山岸先生はトイレに行ったものだと思ったと。トイレの前に行くと中の電気がついていたので、声を掛けたが応答は無かった。仕方なく中に入ると、左の手前から二番目のドアが閉まっており、声を掛けたが応答が無い。なので一番左手前の個室に入り便器の上に登って中を覗くと、山岸冴子先生が便器に座ったままピクリとも動かない。一応、声を掛けたが反応が無いので、何とか頑張って壁を乗り越え中に入ったと。衣服も全て身につけており、便器も蓋がしてありおかしいなと思っていると、背中の辺りの白衣が血で染まっているのに気づいた。慌てて白衣を剥いだら背中を何かで刺した形跡があり、体を揺すっても意識がすでに事切れていた。急いで個室の扉を開けてトイレから飛び出し、守衛室の電話機で一一〇番通報したと…。」
「音花ん親父はイカツイ顔ばしとったが、竹田って人も結構イカツイ顔やなあ!?」
「こらみっちゃん聞こえるよ!」
滝川の説明中にみっちゃんが坂本の肘を突き、小さい声で耳打ちした。坂本は慌ててみっちゃんを制した。
「ということは刺殺ですね…。昨日、一昨日と続いた連続女児殺傷事件と同じ…。」
滝川の説明に荒川が合いの手を入れる。坂本、みっちゃん、宮司、竹田はぎょっとして荒川と滝川を交互に見やる。
「はい…。実は他の事件の詳細をあまり言ってはいけないんですが…。我々警察は一連の通り魔と今回の山岸さん殺害は同一人物だと見ています。」
「うそ!?」
「ほんなこつ!?」
「おぉ?マジかぁ。」
「……………。」
生徒二人と教師一人は驚嘆の色を隠せない。その者たち以上に狼狽する竹田の全身を荒川はなめるように見やる。
「なぜ同一犯と言えるんですか!?」
滝川に向き直り、荒川が質問をする。
「傷口の形状が似ているんです。一昨日の夕方、昨日の朝、そして今回の山岸さんは同一のナイフで刺された可能性が高い。」
「ナイフの形状なんて似るもんじゃないんですか?」
今度は坂本が滝川に質問する。
「非常に特徴的な形状のナイフで刺されていたんです。巨大な恐竜の鍵爪のようなひん曲がった感じの…。」
「そげなゲームあったね!?モンスターハントやったっけ?あんテガレックスん爪なんてましゃにそげん感じやったね!?うちゃ友達がおらんやったけん、そげんゲームばっかりプレイしとった!!」
「もーみっちゃん!親友ならここにいるじゃん!」
「や、坂本しゃん!」
うるうるとした目でみっちゃんは坂本に抱きつき、抱きつかれた本人はみっちゃんの団子髪をよしよしと撫でる。宮司がチラッと荒川と目線を合わせる。
「なんだよ荒川ぁ?。美少女同士が絡み合ってるのに見向きもしないのかぁ?」
「今は事件の推理が先なんで…。」
「うわぁ、つまらん奴だぁ。」
宮司はニヤつきながら荒川を見ると、荒川はやれやれと言いたげに滝川に向き直った。
「ではその特徴的な曲がった形状のナイフが使われた可能性が高いと…。ということは凶器はまだ発見されて無いんですね?」
「はい、その通りです。」
「犯人がまだ隠し持ってるか…どこかに捨てたか…。捨てられたらこの広い足立区だ…。探しようが無い…。学校内で凶器の捜索はされましたか?」
「はい…。この学校内の教室や体育館、部室や守衛室、掃除用具やゴミ捨て場、食堂や学校内の茂みや周辺道路まで一晩中総力を挙げて探しましたが、凶器は発見されませんでした…。」
「となると犯人は未だに凶器を隠し持ってるか…目の前の彩瀬川にでも捨てたか…。まだ所持しているとなると、また犠牲者が出るかもしれませんね…。」
荒川と滝川以外の面々はまたも驚嘆の表情を見せた。
「外部から犯人が侵入した形跡はありますか?この保健室は外側からも窓から普通に入れますし、そもそも私立のセキュリティが完璧な学校ならまだしも、税金で立てた都立高校なんて外から入り放題ですからね。」
「外側の窓は割られた形跡も鍵をこじ開けられた形跡も有りませんでしたし、我々が駆けつけた時は内側から鍵が掛かっていました。まあ外からノックしたりして窓を開けさせれば中に入れますが、犯行現場はトイレですし、見知らぬ侵入者がノックしてきたら開けないでしょう…。」
「なるほど…。でも普通に学校内に侵入すれば保健室に入れるでしょう。保健室は山岸先生が留守にしない限り施錠なんてしないだろうし…。ああそうだ一番大切な死亡推定時刻を聞いてませんでしたね。」
荒川の質問に、滝川はハッと思い出したように警察手帳を縦に開いた。
「ああそうでした失礼。検死の結果、死亡推定時刻は昨日の昼十二時前後だと思われます。」
「うわぁ、ちょうどあたしたちがトイレ使った時間帯だねぇ。」
「それで、あたし達か呼ばれたんかぁ。」
「困っちゃうなぁ。じゃああたし達はぁ立派な容疑者ってわけだなぁ。」
坂本、みっちゃん、宮司が順に不満を漏らす。竹田もどこか落ちつかない様子で冷や汗をかいている。
「先ほどの話で外部犯が窓から侵入した説は否定されました。それで荒川君は外部犯が普通に学校に侵入し、保健室の入り口から入ったのではないかと尋ねられましたね?実はそれも竹田さんの証言で否定されるんですよ?」
「ほう…?というと?」
荒川は滝川と竹田を交互に見た。竹田は一団より若干離れた位置で顔は青ざめている。まるで今この瞬間に死体を発見したかのようだ。
「ここにいる女性方は事件があった時間帯にこちらのトイレを使われたらしいですね。そちらの守衛の竹田さんがそれを見ていたらしいのです。」
竹田梅は綺麗に禿げ上がった頭をしている。髪は残念だが、六十歳前後の年の割に背筋は伸び、体もがっしりとしている。顔と手の指の先端が日焼けしており、両目から横の耳にかけて日焼けしてない細い線がある。竹田は滝川に指名され、彼の横に並ぼうと、一団の間を通り抜けた。竹田のズボンの後ろ、右ポケットには、手のひらサイズの筒状の何かが入っているのを荒川は見逃さなかった。
「あなたは十二時前後にトイレに行った人間をしっかり記憶しているんですか?」
荒川は少し背の低い老人のすぐ横に近づき、覗き込むように話しかけた。
「ええ、何せ守衛なんて夜の戸締まりと忘れ物や備品の貸出くらいしかやること無いですから。暇だから廊下を眺めていたんです。昼少し前に山岸先生がトイレに行って、すぐにそこのお団子頭の子が入って行きました。」
みっちゃんはぎょっとして、周りを見た。
「ああ、確かにあん時一個だけ扉閉まっとった!じゃああん時まだ、しぇんしぇーは生きとったんやなあ!」
「ちなみにどこの個室が閉まってたか覚えてる?」
荒川が聞くとみっちゃんは額に指二本を当てて思い出そうとしている。某バトル漫画の主人公が瞬間移動する時のように。
「思い出した!左ん手前から二番目やった!そりゃよう覚えとーばい!」
「ありがとう…参考になるわ。しかしあるいわ、その時みっちゃんが殺したか…。」
「え?ましゃか荒川君、うちん事疑うとーと?ひどか!」
みっちゃんがピーピー叫びなから荒川に抗議し、荒川は笑いながらこれをなだめていた。着実に捜査のメスを入れ始めているのを宮司はまたニヤニヤ笑いながら見る。
「どうせなら犯行現場を見せてもらってもよろしいですか?滝川警部?」
「ええ構いませんよ?一晩中現場は調べましたから…。」
一団はトイレの中に入っていく。竹田は最後尾で何かためらっているようだった。すかさず気づいた滝川が話しかける。
「竹田さん。お気持ちは察しますが捜査のためです。お入りください。気分が悪くなったらなんなりと申してください。」
「わ、わかりました…。」
一団はトイレの中に入った。左右の洗面台を通り抜け、さらに奥に左右に五個ずつ、計十個の個室が揃っている。
「ここが犯行現場か…。」
荒川は左手前から二番目の個室のドアや壁、便器の裏まで詳しく調べ始めた。
「荒川君。端から見たら変態にしか見えんよ?」
「こらみっちゃん!荒川君は捜査してるだからチャチャ入れないの!」
「ぶふ!」
みっちゃんと坂本のやりとりに思わず宮司は吹き出した。荒川はそんな茶化しに動じる事無く、黙々と調べている。
「みっちゃんがトイレに入った時、何か物音や声は聞いた?」
荒川は個室の中を調べながらみっちゃんに問いかけた。
「うーん。中でぶつぶつ独り言言いよーとるのは聞こえたなー。誰かが電話で喋りよーとかて思うて、聞くとも申し訳なかけん、内容までは聞いとらんなあ。」
滝川は持っていた手帳に素早くメモした。荒川はトイレットペーパーが入っているホルダーを見た瞬間動きを止めた。トイレットペーパーは便器に座った人間から見て左側の壁に付けられており、紙が扉方向に乱雑に切られていた。周りの人間が不思議そうに見ている沈黙の後、荒川は口だけ動かした。
「ということはそこまで先生は生きていたことになるな…。それで、その後は誰が?」
荒川はようやく個室から出てきて竹田に質問した。
「その後五分くらいしてからそこのお団子頭の女の子がトイレから出てきて、そしたら保健室からショルダーバックを抱えて出てきた子とばったり鉢合わせしたんだよ。」
「あ、それたぶん私だ。」
坂本が答える。
「なるほど、そこで坂本さんはみっちゃんから発売前の串団子を一本貰ったのか!」
「「え!?」」
みっちゃんと坂本は同時に声を出した。
「うち、荒川君にそげんな事言ったっけ?」
「うん。私も言ってない。何でわかったの?」
二人は不思議そうに荒川を見た。
「ああ、やっぱりそうだったのか。カマかけて良かったよ。」
二人は少しむっとした。
「まあ簡単な推理だよ。みっちゃんと廊下でばったり会った時、俺にバレないように体の後ろに何か隠したじゃん?んでその後にトイレから出てきた坂本さんが人差し指と中指と親指を気にしてた。つまりそれは坂本さんがみっちゃんから渡された串団子を食べて指がベトついた証拠。んで、発売前の串団子をあまり人に見せたくないみっちゃんは、それを入れた紙袋を体の後ろに隠したんじゃないかなってね。ガサガサと派手な音がしていたから袋は紙袋で間違いない。んでカマかけて言ってみた二人の反応で確信に変わったってこと。まあそんな感じよ?」
荒川が得意げに話し、五人の顔に視線を戻すと数秒の沈黙があった。
「え?」
荒川が困惑してると直ぐに女性三人と滝川が拍手喝采した。
「すごかよ、荒川君! ましゃに名探偵ばい!。頭ん中どうなっとーと?」
「すごい、そこまで普通思わないよ!」
「本家のエラリィ・クイーン並じゃん!」
「いやぁ、さすがに現職刑事の私でもそこまで考えつきませんよ!」
四人は口々に様々な称賛の言葉を掛けた。守衛の竹田は話についていけなかったのか、遅れて不思議そうに拍手した。しかし、当の本人はすかさず話を戻した。
「ええーっとつまり、みっちゃんがトイレに行ったあとは坂本さんがトイレを使ったわけですね!?」
ぼーっとしていた守衛ははっとして話を再開した。
「はい、そうです。お団子頭の女の子からポニーテールの女の子が串団子を受けとってそのまま廊下で食べ、その後 数分立ち話した後に分かれて、ポニーテールの女の子がトイレに…。」
「坂本さんがトイレに入った時、当然左の手前から二つ目の個室は閉まってたんですよね?」
刑事の滝川が聞く。
「確かに閉まってたなぁ。山岸先生が入ってるのかな?とか考えながら私も適当な個室に入って用を足して出ました。」
「何か物音や声は?」
「うーん。私にも何かブツブツ独り言は聞こえましたねー?あー早く結婚してーっみたいな。」
坂本は髪をとめているシュシュを触りながら記憶を確かめるように言った。
「ん?結婚?」
滝川は眉を曲げ、宮司は声を出して笑った。
「つまり、その話が本当なら先生はその時点でも生きていた事になりますねー。」
滝川はまた、メモに何やら書き込んだ。
「んで、トイレから出てきたところで俺と廊下で会ったと。」
荒川は坂本に目線を投げた。坂本は無言でうなづいた。
「はい、んでそこのアフロ気味の先生が最後に入りました。」
竹田は口をパクパクさせながら必死に話した。
「あぁ私は廊下で荒川と会ってちょっと喋ってからトイレに入って…でも手ぇ洗っただけだからねぇ。そこから保健室に入って坂本と少し喋ったねえ。」
「なるほど、宮司先生は山岸先生の独り言は聞いたんですか?」
滝川がメモをしながら宮司に問う。
「んんそうですねぇ。手ぇ洗う所から山岸さんのいた場所は少し距離あるしい、水出してたから声は何も聞こえなかったなぁ。あれ?これ私が犯人になっちゃうんじゃない?」
「そうですね、みっちゃんや坂本さんが嘘をついていなければ…。」
荒川が発言すると、またもや三人の女性と滝川は荒川を見た。
「何言いよーと荒川君まぁーたうちらば疑うとーと!?ひどか!!?」
「私、荒川君のこと助けたのになぁ。」
「まあまあ、一応お約束というか…形式的なね、儀式みたいなものだよ!」
二人の抗議に荒川はまたも冗談めかして笑う。
「うーん、普通に考えれば。二番目に入った坂本さんまでが声を聞いたのであれば、三番目の宮司さんが犯人になりますねー。」
「それは困るなぁ。おい荒川ぁ。何とか言ってくれぇ。」
荒川は数秒考えこんだ。
「全員、個室のどこに入りましたか?」
「まあ、それも聞いときましょうか。」
滝川は新たなページを開いた。
「うちゃ閉まっとった扉ん丁度真向かいに入ったばい。用ば足しとる人の近くに入るとは何か気が引くるし…。」
みっちゃんは実際に座る動作をしながら説明した。
「つまり入って右側の手前から二番目ですね!」
滝川が念を押した。
「あたしは右側一番手前だったね。」
坂本が答える。
滝川はふんふん言いながらメモする。
「ああ!」
いきなり竹田は思い出したように口を開いた。
「そういえば、宮司先生!トイレから出てきてすぐまた中に戻っていったろ?」
「本当ですか!?
滝川は食い気味に聞いた。
「あ、いやそれはぁ。」
宮司は困ったように手をパタパタし始めた。
「坂本さんに渡す予定だった町野かえで著「ロビンの箱」の小説をトイレに忘れたんですよね?」
荒川の発言に宮司はぎょっとして顔を向けた。同時にまた、二人の女子と滝川が荒川を見た。
「何でぇわかったんだぁ?」
「どうしてそんな?」
宮司と坂本は荒川に問いただした。
「お、やっぱりそうだったんですね。宮司先生と廊下で会った時、手に持ってたか何かで先生は自分の顔を仰いで風送ってたでしょ?ってことは平べったい物であるのは間違いない。しかも厚みは無く比較的薄い物…。会話の中でこれから坂本さんの見舞いに行くのはわかってたので、坂本さんに渡す何かだというのは容易に想像できる。坂本さんは推理小説はまだ初心者なので、素人でも読みやすい薄くて内容がわかりやすい推理小説でも差し入れしようと思ったんですね?んで宮司先生それを僕に見せないように隠しましたよね?「ロビンの箱」は確かにどんでん返しで内容は面白いが、恋愛中心で特に探偵が推理する内容じゃないから僕は嫌いですねって以前に宮司先生に話したことがあります。そんな小説を坂本さんに差し入れると僕が知ったらネチネチ言われると思ったからとっさに隠したんですよね?」
三人の女性と刑事はまたもやぽかんとした。
「あれ?そんなに驚くこと?」
荒川は右手で頬をかいた。
「荒川君。しゃすがにそこまでいくと気持ち悪かね」
「いやいや、どこまで脳みそ回転させてんのぉぉ!?ウケる!」
坂本は腹を抱えて笑った。宮司は顎に手を乗せてまたもやニヤニヤしている。滝川はあまりの推理に呆気に取られ、ペンと手帳を落とした。
「ええっとすみません! つまり、松坂さん→坂本さん→宮司先生の順番でトイレに入り、全員山岸先生が殺害された個室とは反対側に入った。んで松坂さんと坂本さんは山岸さんの声を聞いた。宮司さんはトイレの洗面所に本を忘れて一旦トイレに戻り、それを持って保健室に入って行ったと。それ以降はその日は誰もトイレを使って無いんですね?」
滝川は竹田に聞いた。
「はい、間違いありません。」
「うーん、それで竹田さんが夜の見回りに行くまで本当に誰も出入りしてなくて、坂本さんの証言を信じるなら、宮司さんが犯人になりますねぇ。」
滝川はポリポリと頭をかいた。
「うーん、そう言われてなあ。誰かさんみたいに彫刻刀なんて持ち歩いてないしなぁ…。」
宮司はニヤニヤしながらみっちゃんと坂本を見た。
「なっ、先生!生徒を売るんですか!?」
「私も犯人扱いされたくないからねぇ。」
笑う宮司に二人の女子が詰め寄りわあわあ抗議した。
「うん?彫刻刀?何ですかそれは?」
滝川がすかさず問いただす。宮司、荒川、みっちゃん、坂本は少し焦った様子を隠せなかった。
「あーいや、実は坂本さんは昨日の朝に音花ユリと教室で喧嘩しちゃって…。そこで坂本さんはカッとなって彫刻刀取り出しちゃって…。結局、音花が強すぎて彫刻刀は跳ね除けられちゃったんですけどね!」
荒川は目をキョロキョロと回して説明した。坂本は「余計な事を言わないで」と言わんばかりに荒川を見たが「ちゃんと説明しないと逆に怪しいだろ」と言いたげに荒川は坂本を見返した。坂本は口をすぼめて荒川から目線を反らし、荒川は坂本にジェスチャーで謝る。
「なんと!?音花署長の娘さんが!?さすが父親に似て強いなぁ。」
「感心することやなかばい!?音花ん奴、荒川君ん事ば毎日蹴ったり紙くず投げつけたりおにぎり弾いたり、ひどか女たい!?警察署長ん娘が聞いて呆るばい!?あんチョビヒゲ色黒糸目野郎にしっかり言うてくれんと困るばい!」
みっちゃんは頭のお団子髪を勢い良く揺らしながら滝川に抗議し、荒川はまあまあと肩を叩く。
「なんと音花署長の娘さんがそんな事を…。しかし、それは警察ではなく、先生方になんとかしてもらうしかありませんなぁ。」
滝川が言うと、みっちゃんは宮司をきっと睨んだが、宮司は口笛を吹きながら目線を反らす。昨日の職員室での宮司の言葉を思い出し、みっちゃんは唇を噛み締めながら今度は荒川をきっと睨む。
「ど、どうしたのみっちゃん?」
「なんも無か!」
不満そうにみっちゃんは荒川から目線を逸らす。
「うーん。わかってはいましたが、事情聴取したくらいでは犯人は当然わかりませんね。」
「誰かが嘘をついててもわかりませんし、トイレ内に監視カメラがあるはずも無いですしね…。」
落胆する滝川に荒川が少しフォローを入れる。
「ただひとつわかった事があります。竹田さん…。もしかしたら発見当時、山岸先生は未使用のトイレットペーパーを握りしめていませんでしたか?」
一同はぎょっとして荒川を見た。特に竹田と滝川が強く驚いた。
「荒川君…。なぜそれを?」
滝川が聞くと荒川は満足そうにニヤついた。宮司はそんな荒川を見て同じようにニヤつく。荒川が敬愛するエラリー・クイーンに重ねて見ているようだ。
「困りますねえ滝川警部。些細な事も報告してもらわないと…。トイレットペーパーが扉方向にギュッと集まって切られていました。トイレットペーパーのホルダーは便器に座った人間から見て左側にあります。普通便器に座った人間がトイレットペーパーを千切るとなるとまっすぐ引っ張って切るはず。わざわざ扉方向に、ましてや力の弱い女性がそんな力の入りにくい方向にトイレットペーパーを切ることは考えづらいです。ましてや山岸先生はちゃんと衣服を身にまとい、蓋をした便器の上に座って亡くなられていた。となると、用を足している最中に無理やり壁をよじ登られて侵入され殺されたのではなく、用を足し終え外に出た時、もしくはこれから用を足す瞬間に襲われたと見るべきでしょう。」
「んで、未使用のトイレットペーパーは何なの?」
坂本が荒川に食い気味に聞く。
「それは山岸先生がトイレから出た後、もしくは入る前に立って便器の方向を向きながらトイレットペーパーを千切ったんですよ。僕も鼻をかみたい時はそうやってちぎります。」
「ばってん用ば足しとー時にでも鼻はかめるし…。じゃあ山岸しぇんしぇーは鼻ばかむためだけにトイレに行ったっちゃろうか?あれ?ばってんトイレん扉が閉まっとったけん用は足しとったんやろうか?何だか訳がわからんくなってきた。」
みっちゃんの巨大な髪団子が左右に揺れる。荒川はメトロノームのような髪団子に目移りすることなく推理を続ける。
「考えられるストーリーは一つ。用を足し終え個室から出てきた、もしくはこれから用を足そうとしていた山岸先生に向かって犯人が「胸に何か付いてますよ?拭いたほうが良いのでは?」などと言う。白い白衣に万が一変な物が付いてたら一大事。まあもしかしたら顔に何か付いてますよ?でもいいでしょう。いくら四十歳で結婚適齢期を過ぎた山岸先生といえど、あの美貌ですからね。見た目には相当気を遣っていたはずです。山岸先生は促されるままトイレットペーパーを千切り、無いはずの汚れを取ろうとした。」
美貌という荒川の言葉に、みっちゃんと坂本は少しピクッとした。
「だけどよぉ。何でまた犯人はそんな事を山岸さんに言ったんだぁ?」
間延びした口調で宮司が荒川に問いかける。
「そりやぁ隙を作るためでしょう。人間一人をいきなり襲うのはリスクがありますからね。ましてや真正面から刺したら腕で防がれますし、下手したら相手に引っかかれて爪に自分の皮膚が残る可能性だってある。」
「すごいね荒川君!あんな短時間の現場検証でそこまで推理するなんて!」
異国風美人に褒められて荒川も少し照れたようだ。みっちゃんは一瞬ピクリとした。
「えーっとそうだ。それで山岸先生は刺されたショックで体が強張り、持っていたトイレットペーパーをギュッと握ったまま亡くなったわけです。んで死体を便器に座らせ中から鍵を掛け、壁を登って脱出したんです。」
「何でよじ登ってまで中から鍵ば掛くる必要があったと?自殺に見しぇかけようとしたならまだしも、調べりゃあ刺しゃれたっちゃわかるし…。」
「それはもちろん発見を遅らせるためだよ。事実トイレは立て続けに三人も使ってるし、外では守衛の竹田さんが見ている。自分がトイレから出て入れ違いに人が入ってすぐ発見されたら、一発で犯人だと分かるからねぇ。」
「なるほどやなぁ。」
みっちゃんの髪団子の揺れを後ろから坂本が支える。
「まあ竹田さんが犯人ではなくて、全て真実を語っているという前提の話ですが…。」
荒川は不適な笑みを浮かべながら竹田を見る。竹田は強面な顔をより一層真ん中に寄せて荒川を睨む。
「わ、私は嘘はついとらん…。」
「しかし、一番時間と場所に融通が利くのは竹田さんでは?なんせ向かって左からトイレ、保健室、守衛室と近い感覚で並んでいるし、普段からここはあまり人が来ない事を知っているのは竹田さんと亡くなられた山岸先生くらいだ。」
「おい、貴様…。あまり調子に乗るなよ?さっきから聞いていれば…。」
竹田はずいずいと荒川の目の前まで近づいた。
「そういえば、さっきからやたら青ざめて落ち着かない様子ですねぇ竹田さん。まるで隠している真実が明るみにならないでくれと願っているかのように…。」
「………………。」
竹田は顔を伏せ黙ってしまった。
「荒川ぁ。そう言ってやんなよぉ。竹田さんは恐らく死体を見つけた恐怖がフラッシュバックしているだけなんだよぉ。そんなデリカシー無いと推理はデキても女から好かれんぞぉ?」
「いやいや、僕はもう…」
荒川ははっとして口をつぐんだ。
「えー荒川君なになにー?もうすでに彼女がいるとかー?もしかしたらあたしかみっちゃんに告る予定でもあったりとかー?」
「そ、そうなんか荒川君!?ちょっと待ってくれん!心ん準備がまだ出来とらん!」
「待て待て待て!話を勝手に進めないで!彼女もいないし、誰にも告る予定も無いから!」
宮司は安心したように鼻を鳴らし、反対に坂本とみっちゃんは残念そうに溜め息をついた。
「竹田さん、失礼しました。少々探りを入れたに過ぎません。お気を悪くされたのであれば謝罪します。」
荒川は竹田に頭を下げた。
「まあ、こちらこそもうちょっとで取り乱すところでした。申し訳無い。」
二人が和解した所で、滝川が話に割って入ってきた。昨日の朝、一昨日の夕方でのアリバイを聞いてきた。一昨日、荒川や宮司含めた四人は事件のあった時間の少し前、現場の公園のブランコで談笑していた事を素直に明かした。荒川がクイズのネタにした女児が被害者だとわかると、みっちゃんは驚きのあまり泣き出してしまった。坂本が抱きかかえ頭を撫でる。荒川はみっちゃんに対して同情の気持ちと同時に、この娘はどれだけ普段からニュースを見ないのかと少し呆れた気持ちになった。竹田はその時間はずっと守衛室にいたと言い張り、その時も多少動揺しているのを荒川は見逃さなかった。滝川は念ために宮司、坂本、みっちゃん、竹田の電話番号と住所を控えた。
「関係者から話を聞けるのはこのくらいですかね。事件から一晩たっているので、今更みなさんの所持品検査や身体検査は必要無いでしょう。本日は朝早くにありがとうございました。何かお気づきになりましたら、何なりとこちらにお電話ください。」
名刺を取り出し、全員に渡して解散となった。
「私はここで色々結果を電話で報告するので、先に帰っててください。」
ようやく尋問から開放された一行はトイレから出て背伸びした。
「では私は守衛室に用事があるのでこれで…。」
竹田梅は全員に挨拶した。
荒川は頭を浅く下げると、去りゆく竹田の背中をじっと眺めた。
「いやぁ、荒川君はほんなこつ探偵んごとあったね!?どう!?もう犯人わかったと?」
みっちゃんは興奮したように荒川に話しかけた。
「んまあ、色々情報は集められたね。帰ってからまた、色々考えるよ。」
四人は下駄箱に向かおうとした。
「やっぱりあの竹田って人が犯人?」
坂本は荒川の顔を覗く。
「それは事件が解決する瞬間まで話せないなぁ。」
荒川は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「さっすが荒川ぁ。エラリィ・クイーンもギリギリまで考えを周りに話さないからなぁ。」
四人は下駄箱付近に来る。
「あたしは職員室に用事あるから気ぃつけて帰れよお?おおそうだ荒川あ。ちょっと耳貸せえ。」
「え?ああはい…。」
下駄箱の目の前の階段の前で宮司と荒川はヒソヒソと何かをしゃべる。
「ん?荒川君と宮司しぇんしぇー…何ばしゃべりよーとやろうか?」
「んーわかんない…。事件の事か…推理小説の事じゃない?」
二人の女子は下駄箱前で待ちながら推測をたてる。
「本当ですか…わかりました…。」
「じゃあそんな事だから後はよろしくう。」
決して美しくないウインクをしながら宮司は階段を登っていき、荒川はそんな宮司を数秒見つめていた。
「あれー?宮司先生疑ってんのー!?それに何かひそひそと話てたねー?」
坂本はぱっちりとした美人の目を荒川の顔に近づけた。
「いやいや、そんなんじゃないよ!?」
荒川は顔を赤らめて、手をバタバタさせた。
「あれ…?」
「ん?」
荒川は右手で坂本の喉仏らへんを指さした。坂本はわざとらしく驚き、自分の首を触る。
「首の傷、改めて見るとやっぱり生々しいね…。」
荒川は昨日の朝の出来事を思い出した。
「ああ、事件ん事んばっかでいっかり忘れとった!音花め!あげん偉か父親いるけんって調子乗りやがって!ムキィィィィ!」
みっちゃんは下駄箱の扉を思いっきり閉めた。坂本は笑ったが、荒川は真顔でみっちゃんの手元を見ながら思考を巡らせた。前を歩く二人の女子を見ながら、荒川はトボトボとついて歩く。守衛の竹田、担任の宮司、クラスメイトのみっちゃんと坂本。この中に犯人はいる…荒川は確信した。
「ああそうだ!何か変な事件続きで気持ち暗くなっちゃったからさぁ。三人で明日、水族館に行かない!?」
「え?」
荒川は上履きを外履きに履き替えながら驚いた。
「良かね!?それって最近オープンしたばっかりん坂井臨海水族館ん事やろ!?うち行ってみたかったっちゃんね!」
「よし決まりだね!?このメンバーで休みの日に会うなんて初めてだからワクワクするね!?」
「え…ちょ…。」
「うわぁ。うち、オシャレに疎かけん何着て行きゃあ分からん!」
「じゃあ今から西新井に行って服でも買おうよ!?平日だから空いてるし!」
「ちょ…待っ…。」
「じゃあうち、親に明日お店休んで良かか聞いてみるね!」
「うん、うん、そうして!んはぁ!何か楽しくなってきた!」
「おーい…。マジか…。」
女子二人は先に外に出て階段を降りてゆく。荒川は推理する時間を失った。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
荒川はその場で立ちすくみ何かを考え、女子二人は彼に振り返る。
「荒川君?」
「荒川君どげんしたと?」
「…ごめん、先帰ってて!」
荒川は足早に校舎の中に戻る。
「え!?ちょ…明日の時間、後でLINEするからね!?」
「ちゃんと時間通り来んしゃい!?」
荒川は無言で手を振ると光の速度で姿を消した。
「荒川君…忘れ物でもしちゃったろうか?」
「うーん。荒川君の事だから捜査の為だろうけど…。警察があらかた調べたのに今さら何か見つかるのかな…?」
二人は駐輪場に歩いてゆく。
*
一連の長い現場検証も終わり学校は静けさを取り戻していた。宮司陽子は職員室でやりかけの仕事をしており、その時ある一人の男が職員室に入ってくる。
「すみません…ちょっと…。」
先程のイカツイ守衛の竹田が宮司の机に近づいてくる。
「はて、えーっとどうしました竹田さん?」
宮司は竹田に話しかけられて多少驚いた。
「実は少し話したい事がありまして…。」
「ほぉ…。」
第三章 惨劇 終わり




