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第二章 偽装

第二章 偽証

 十月七日木曜日の朝七時。野反五公園南側の歩道。

「あ、いけない!」

「どうしたのおかあさん!?」

「お弁当忘れたから待ってて!」

「えー幼稚園バス来ちゃうよー!」

「本当にすぐ戻るから待ってて!」

 まだ若い主婦は傘を片手に近くのマンションに走る。同じく傘をさし、きれいな制服に身を包んだ女児は暇を持て余したのか、公園を囲む草を蹴り始めた。野反五駅前にある城南幼稚園では、朝七時半の早組と九時の遅組に分かれる。

「たとえばきみがーきずついてーくじけそうーになーったときはー。」

 歌を唄う女児に、黒いカッパを着た何者かが近寄る。何者かは草むらに夢中になっている女児の背中に刃物を突き立てる。

「きゃあああああああああああああああ!!!!」

 雷鳴のような叫び声が響く。何者かは刃物を抜くと女児を自分側に振り向かせ顔を見る。女児の顔は、恐怖と苦痛で歪み、逆に何者かの顔は満面の笑みが溢れている。何度も、何度も、何者かは女児の胸や腹に刃物を突き刺しては抜き、突き刺しては抜いた。血と肉が辺り一面に広がる。公園を囲む歩道と草むらの一部が鮮血に染まり、女児は絶望の中、命を落とした。満足そうにそれを見届けると、殺人者は刃物をカッパで拭い、その場を立ち去る。

「ごめんごめん、遅れちゃ………きゃああああああああああああああああ!!!!」

 草むらに生ごみのように捨てられた惨殺死体を目にした母親もまた、雷鳴のような叫び声をあげる。

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ!」

 まだ誰も登校していない河北高校の守衛室に竹田梅がなだれ込み、机に倒れるように座る。

「まさか…本当に!…」  

 竹田は机の上にある二リットルのお茶を勢い良くこぼしながら口の中に流し込んだ。         

             *  


 十月七日木曜日の朝七時。荒川綾人は台所の物音で起きる。体は気だるく、あと、一眠り、という誘惑に駆られる。昨日発生した事件の事を考え過ぎて上手く寝れなかったようだ。

「まだ寝てんの?朝ご飯できちゃうよ!?」  

 謎の女性がふすまを開け、布団でもぞもぞ動く荒川に怒鳴る。

「うーん。人に起こしてもらっておいて偉そうに……。」

「はいはいそういうの良いから!うだうだ言ってないで起きてよ!あたしより先に出なきゃいけないんでしょ!?」

 キンキンとした声が鳴り響く。このやり取りも何回目だろうか。荒川はゆっくりと起き上がり、洗面所へと向かう。

「もー早く家に帰ったからって夜遅くまであれこれ考えてるからだよ!」

 謎の女性は荒川の背中に向け、なおも声を荒げる

「昨日夕方三時頃、足立区の城南幼稚園に通う桜坂えみちゃん、四歳が同区内の赤和桜公園にて、刃物で刺される事件がありました。えみちゃんは胸や腹部を複数回刺されて大量に出血しており、発見当時にはすでに死亡していた模様です。同公園では四月からも同時間帯に野良猫の虐殺が発生しており関連性も含めて捜査を続行し・・・・」

「お!やっぱりニュースでやってるね!」

「そりゃあ女児がナイフでメッタ刺しだからな…。」

 荒川は気だるくテーブルの前のイスに座り目玉焼きをつつく。半熟の黄身と醤油とベーコンの肉汁を絡ませるのが彼のルーティーンだ。

「めちゃくちゃ怖いね!あたしも気を付けなくちゃ!」

「やられたのは小学生だろ?強い奴は襲わねえよ」

「なんだよー、素っ気無いなー。」

 荒川と謎の女性はテーブルで向かい合いながら朝食を食べている。テーブル横に置いてある小型のテレビからはニュースが流れ、それを見ながら他愛もない会話をする。謎の女性は荒川にかまって欲しいのか、急かして起こした割に荒川の食事の邪魔をする。

 すると、謎の女性は荒川の隣に席を移してきた。同時に食べ物が乗った皿も移動させる。

「…わざわざ移動してこなくても…。テレビ見えないだろ?」

「テレビなんて音聞こえているから別に良いもん!ねえねえ、これ誰犯人!?もうわかった!?」

「ごめん、朝は頭働かないわ。それに、どこまで推理しているかはお前でも言えん。どこで漏洩するかわからんし。」

「えー、まあいいや!すぐ解決してくれるんでしょ!?」

「んー、まあまだわからん…。」

 歯切れの悪い会話もそこそこに、荒川は最後のご飯をほうばる。

「あれ、今日体育あったっけ?」

「昨日言っただろ」

 彼は箸を置き、ソファのある南側の部屋に向かう。部屋干ししてある体操服を剥ぎ取るとそのまま学校カバンに押し込んだ。

「んわぁ、早ーい」

「いや、事前に畳んどけし」

 彼は洗面所に向かい、三面鏡の右側を開ける。中にはコップに二本の歯ブラシがあり、一本を取り出し歯磨きを始めた。ほどなくしてリビングに戻ってくる。

「今日夜何が良い!?」

「どっちが先に帰るかわからんだろ。先にスーパーに行ったやつ権限で考えれば良いよ。」

 朝八時頃、荒川は靴を履き外に出ようでした。すると、謎の女性が後ろから抱きついてくる。

「いや、学校行けないんだが……。」

「ちょっとくらい遅れても大丈夫だよ!」

 謎の女性は目を閉じ、幸せそうに頬を荒川の背中にこすり付ける。

「いや…あれだけ急かしてたじゃん…。」

 なおも謎の女性は力強く後ろから抱きしめてくる。

「…もう…。じゃああと十秒ね!」

 結局、二分以上のハグからようやく解放された荒川が玄関を出る。外の景色にも流石に慣れてきた。ざぁざぁと強めの雨による飛沫が顔に掛かる。十月で雨のせいか、朝は少し冷える。

「ちっ雨か・・・・傘は傘はと・・・・」

 手荒に傘を傘立てから引っ張りだすと、風が夏服の二の腕をかすめる。謎の女性が手を振ってくるのを遮るように玄関を閉める。

「じゃあな麻耶…あ…。」

 彼が出たマンションの下には野反五公園という大きめの公園があり、木々が生い茂っている。公園内は見えるが、木の枝が邪魔で完全には見えない。

「うん?パトカーがすごいいるな……。」

 野反五公園の周りには何台ものパトカーが止まっており、刑事や制服警官が慌ただしく公園内を行き来している。

「まさか…………。」

 荒川はむき出しの腕をさすりながら学校へと急ぐ。

             

           * 


 十月六日木曜日、朝八時三十五分頃。

「おはようございますう。」

「あ、宮司先生おはようございます。」

 眼鏡でアフロ気味の間延びして締まりのないしゃべり方。宮司陽子という化学教諭は職員室に入ってくる。

「随分濡れてますね?車のエンジンでも見てたんですか?」

「ああいやいや。ちょっとねえ…。」

 右隣の気さくな男性教諭からの雑談を宮司は歯切れ悪く返しながらデスクに座る。

「珍しいですね。宮司先生がこんなぎりぎりに来るなんて…。」

 お構いなしに男性教諭は続けてしゃべる。

「まあ色々と…。」

 またも歯切れ悪く返す。

「本日の朝七時頃…。足立区の野反五公園で椿明日香ちゃん四歳が血を流して倒れているのを母親が発見し通報。先日、同区内で起きた女児殺害事件との関連性が疑われ…。うわあやばいですよ、またこの辺で通り魔ですよ?」

「何ですってえ?」

 スマホを見ながら、なおも話し掛けてくる男性教諭の言葉に、宮司は初めてちゃんと反応した。

 宮司はデスクを整理しながら目を落とし、何か考え込んでいた。

「あ、宮司先生は推理小説がお好きだから、色々ご自分で推理されてるんですか?」

「まあそんな所ですう。」

 相変わらず愛想無く答えると、宮司は薄い小説らしきものをリュックから取り出し、デスクにしまう。

「じゃあ時間もぎりぎりなんでえ、私はあこれで!」

宮司は出席簿を持つとそそくさと職員室を後にする。

「ちぇ、何で今日はあんな冷たいんだ?」

「宮司先生…。お子さんを昔、流産されてて…。それがトラウマでなかなかお子さんが作れないらしいですよ?」

 宮司のデスクの左隣の若い女性教諭が話しかける。

「え?それとこれとはどういう関係が…。」

「ほら…最近、子供を狙った通り魔が多いじゃないですか?普通にお子さんが育っていればちょうど小学一年生くらいだから…。」

「ははあ。それで色々思うところがあるってことですね。いやいやこちらもデリカシーが無かった!」

「あーいやいやそういう意味じゃ無いんですけど!まあ私なりの見解なので…。」

 無責任な噂話が飛び交う中、教師たちも慌ただしく朝の準備をする。

            

                *


 河北高校一年C組の教室。黒板に向かって先頭、一番右側の席、そこが少年、荒川綾人の席だ。荒川は誰に挨拶するでもなく静かに席に座る。教室ではすでに何人かの生徒が登校しており、昨日のテレビの話やユーチューブの話で盛り上がっている。

「おはよう!また朝の読書タイム!?」

 話し掛けてきたのは東南アジア風の異国顔美人の坂本麻耶だ。今日はより一層、髪をまとめているシュシュが大きく見える。彼女は荒川の左隣の席に座りながら眩しい笑顔を荒川に向ける。

「まあね、朝と夜中に読むのがルーティーンだから。」

「この半年間ブレないね?」

 入学してから坂本は荒川にすぐ話しかけてきた。元々大人数で群れるのが嫌いな彼女は気さくに誰とでも会話や挨拶はするが、特定のグループには所属していない。坂本もみっちゃんも群れる事が嫌いで、言いたいことははっきりと述べる性格である。そんな性格からか、坂本とみっちゃんは意気投合した。

「相変わらずみっちゃんはギリギリなんだねー。」

「うん…。ギリギリまで布団で寝てるみっちゃんは容易に想像できる…。案の定、遅刻も常習だし…。」

 坂本が荒川の後ろの空席を見ながらぼやく。荒川もみっちゃんの遅刻癖がなんとかならないものかと考えているが、別に自分に被害がある訳ではないので本人を咎めた事は一度もない。

「どうもどうも道子でごじゃいますー!」

 荒川の目の前の扉が勢い良く開かれたかと思うと、そこには満面の笑みに巨大な髪団子ヘアーのみっちゃんこと、松阪道子が立っていた。

「あれみっちゃん今日は早いー。」

「はっはっはっはっ!この道子、おんなじ轍は踏まんばい!」

「この半年間踏みまくってたけどね。」と荒川が言う。

「そこ!しゃあしかばい!」

 みっちゃんはサッカーの主審が笛を吹いてレッドカードを出すような仕草で荒川を見る。

「出た!うるさいって意味だよね!」

 坂本が手を叩きながら笑う。みっちゃんが満足したのか、荒川の後ろの席に座ろうとした時、後ろのスライドドアを勢い良く開ける者がいた。

 短髪のスラリとした体の美少女、音花ユリだ。彼女が教室に入るなり空気が一変し、皆が雑談の声を小さくする。黒板に向かって一番右の列の最後尾、音花は椅子を乱雑に引きドカッと座り、机に足を乗っける。入学当初、音花のスカートの中を覗こうとした男子がいたが、彼女に顔面を蹴られ泣いたこともある。それからと言うもの、美人な顔に似合わず誰も彼女にちょっかいを出さない。しかし、それには他に理由があった。

「あー来た来た。あの横柄な態度…。足立区の悪魔だ…。」

「一Cん女王様んお出ましやなあ!」

「坂本さん…みっちゃん…もっと静かに…。」

 コソコソ話が聞こえたのか、音花がダルそうに椅子から体を持ち上げ、ズンズンと荒川の背後に近づいてきた。

「まあた本ばっか読んでんのかよ?」

「いてっ」

 荒川が座って読書しているイスを、音花が後ろから蹴り上げる。荒川は下唇を噛み、本を握る手をじっと握って耐え、坂本とみっちゃんは驚愕の表情で音花を見上げる。

「毎日毎日、飽きねーな!」

 そう言うと音花は今度は荒川の机を蹴る。衝撃で机は前に軽く吹っ飛び、中の教科書がバサバサと落ちる。

「なっ!!!!」

「何やりよるんか!」

 坂本とみっちゃんが音花を睨む。

「そんな本ばっか読んでねーでちったあ勉強しろよ!成績悪い癖に探偵気取りかよ!」

 音花は落ちた教科書をさらに蹴った。教科書は折れ、床の埃で黒く汚れた。クラスの人間たちの視線が一気に彼に移る。

「おい、またあいつやってるよ」

「しっ!聞こえるぞ!?」

 窓際にいる男子の一人が必死に相方の口を止めながら言う。

「お前これが聞こえたらどうなるかわかってるのか!?」

「分かるかって・・・・」

「お前も知ってるだろあの女、音花ユリはイかれてるって事。以前アイツにちょっかい掛けた男子が顔面蹴られて泣いたの忘れたのか!?」

「んなもん、忘れるわけないだろ…。」

「音花は、空手を昔やってて強いのはもちろん、イスやら何やらで人の頭かち割ったことがあるらしいぜ?」

「まじ?」

「ああ。不良の男子相手でも何人も病院送りにしてるらしい。しかもあいつの親父が警察のお偉いさんらしくて、たいていの罪は消えるんだ。だから教師連中もあいつだけには注意しないんだ。」

 二人は息を殺すように喋る。

「おいなんか言えよー。」

 音花は荒川を罵りながらさらにもう一発イスを蹴る。

「………。」  

 荒川は無言で落ちた教科書を拾う。

「だいたい荒川も少しは怒った方が良いんじゃないか?入学して半年経つけど、ああやってずっと蹴られたり、紙くず投げつけられたりしてるぜ?」

「なんでも中学一緒だったみたいらしいぞ?昔からああやっていじめられてんのかな?」

「まじかよ、じゃあ何年も耐えてるって事?気が狂うんじゃねえか?」

 すると後ろから小走りで慌てたようにもう一人の美少女が駆け寄り、強めに音花の肩を掴む。帆坂優樹、音花の親友でショートヘアー、胸や尻がやや大きく、音花に比べて肉付きが良い。

「ちょっとま…ユリ…。昨日結構やったんだから今日は控えめに…。」

「ええー、でもなー」

 さらに、その後ろにもう二人の美少女…鷹羽友美(たかばねともみ)と菅澤ゆずが駆け寄ってきた。

「いいかげんにしなよ!荒川君嫌がってるじゃん!」

「やっ坂本しゃん!」

「うおっ」

「まじか!」

 隅っこにいる男子二人は思わず声をあげた。同時にみっちゃんも目を見開いて驚いた。音花に近づいてきたのは坂本麻耶である。普段はクリクリとした大きく可愛らしい目も、今日ばかりは鋭くつり上がっている。坂本は近づくなり、音花の胸ぐらを掴んだ。

「入学してから毎日毎日!恥ずかしくないわけ!?」

「はあ?何お前? こいつのなんなん?」

 クラスの人間たちは一気に青ざめた。これまで誰も出来なかった事をついにやれる猛者が現れたのだ。しかし、音花の冷たい視線と低く猛獣のような声に周りは圧倒され、加勢に出るものはいなかった。しかし坂本は怯むことなく怒鳴り返した。

「あんたが、空手やってただの何人も病院送りにしたので、周りはあんたのこと嫌がってんのよ!さらには親父さんが警察のお偉いさんだが何だがでいい気になってんじゃないの?いい加減クラスの人間から(うと)まれてる自覚持ったら!!?」

 ついに言ってしまった。皆が思ってても誰も言えなかった事をついに。すぐ横に座っていた荒川はすかさず胸ぐらを掴む坂本の腕を掴んだ。

「ありがとう坂本さん…その…大丈夫だから…。」

 彼は絞り出すように言った。彼の額からは汗が滲んでいるようだ。しかし、それを見た坂本の激昂は止まらない。すかさず彼の腕を払い除けた。

「何が大丈夫なの!?毎日毎日辛くないの!?蹴られてゴミ投げつけられて食べてたおにぎり手で払いのけられて!辛くないわけないじゃん!荒川君も何か言いなよ!」

「坂本しゃん………。」

 坂本の怒声は凄まじく、隣のクラスにまで聞こえる勢いだった。みっちゃんはオロオロし、か細い声しか出ない。

 しかし坂本の怒声に怯む事なく、音花が口を開く。

「本人が大丈夫だっつってんだから良いだろ鬱陶(うっとう)しいな!」

 音花は思いっきり坂本の胸を手のひらで突き飛ばした。力は凄まじく、教壇に思い切り倒れかかった。またもやクラスの人間たちがざわめく。ついに音花にスイッチを入れてしまったのだと。しかし、相変わらず止めに入る者は誰もいない。

「ざけんなよ!!!」

 坂本は倒れた拍子に掴んだシャーペンで音花に襲い掛かった。しかし、音花は眉一つ動かさず坂本の振り下ろした腕をかわし、足を掛けた。すかさず態勢を崩し、坂本はスライドドアに顔面から突っ込んだ。

「あはははははは!まじだっさ!!!武器つかった挙げ句倒されてんの!?」

 後ろにいる菅澤と鷹羽もケラケラ笑う。

 坂本はすぐさま起き上がり、スカートのポケットから右手で彫刻刀を出した。

「うおっ」 

「さすがにそれはやばいだろ!」

「坂本しゃん!それはいかんばい!」

 一瞬クラスの時は止まった。坂本は鬼の形相で息を荒くし、音花を睨んでいる。しかし、音花を全く動じず、半開きの冷ややかな目で坂本を見る。みっちゃんは荒川の背中に回り肩に手を置く。手は極度に震えていた。

「はあ?そんなんであたしに勝てると思ってんの?ほうら刺してみろよ!」

 坂本は鼻息を荒くしながらも考えた。なぜこいつはこの状況で冷静でいられるのか。なぜひるまないのか。

「てめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 坂本は音花に切りかかった。しかし、音花は目にも止まらぬ速さで一気に間合いを詰め、坂本の腹に掌底を入れた。

「うぐっ」

 坂本はあまりに突然の衝撃に思わず腹と髪を止めているシュシュを抑えた。持っていた彫刻刀は坂本の手の中から弾け飛び、荒川とみっちゃんの目の前をかすめた。みっちゃんは一際体をビクつかせ、力強く荒川の肩にしがみついた。荒川は極度に狼狽しているみっちゃんをチラリと見る。

 すると、音花は右手で坂本の首を掴んだ。坂本の体は宙に浮かび、手足をばたつかせている。

「なっ!女子が片手で人を!?」

「嘘だろ!?」

 窓際の二人の男子は驚嘆した。音花はスラッとした痩せ型で、どちらかと言うと坂本の方が太めだ。その坂本を音花は軽々しく片手で持ち上げる。

 何やら骨が軋むような音が響く。

「うぐっ」

 坂本は苦悶の表情をしながら考える。彫刻刀を持った自分に怯むことなく間合いを詰めてからの掌底。さらには人ひとりを片手で持ち上げる怪力。こいつは本当に同じ女なのか。どうしてこうも体の作りが違うのか。今にも(あご)をへし折る勢いの握力はどこから来るのか。

 音花の腕を横から力強く掴む腕があった。荒川綾人の腕である。

「うおっ荒川ついに反撃に出るのか!?」

「あんな散々な目にあってもやりかえさなかったあいつが?!」

 荒川の指は細い音花の腕に食い込む。しかし、音花は動じる事なく冷めた顔でちらりと荒川の方を見る。みっちゃんは泣きそうな目で荒川をただただ見つめていた。

「ゆ…俺ならまだしも他の奴には…手を出さないでくれ…。」

 荒川は絞り出すように言った。

「はあ…。」

 音花はため息をつくと坂本をスライドドアにぶん投げた。坂本は盛大に体を打ち付け、ドアが激しい音を立てる。

「ごほっがはっ!」

「坂本しゃん!」

「大丈夫か坂本さん!一緒に保健室に行こう!」

 荒川とみっちゃんは坂本を抱きかかえた。途中で早退するかもしれないからか、自分のスクールカバンを持ってきてくれないか…坂本はみっちゃんに耳打ちした。みっちゃんはすかさず机の横にある大きな肩掛けバックを背負い、坂本のそばまで戻る。

 荒川は坂本を抱えながら音花をチラリと見上げる。音花は相変わらず冷めた目で荒川を見る。

 一秒にも満たない硬直から解かれた荒川とみっちゃん、坂本はゆっくりと教室を出る。

「はあ…。」

 音花はスタスタと自分の椅子にどかっと座り机に足を上げた。同時にジロジロ見ている周りの人間たちに一瞥(いちべつ)をくれると、全員視線を他に移す。

「しっかし、相変わらずの怪力だねぇ、あんた。」

 菅澤が話しかける。帆坂と鷹羽も集まってきた。

「ユリ…あんた本当に刺されるかと思ったわ。」

「でも空手やってたにしてもさすがにあれはびびったっしょ?」

 帆坂と鷹羽が順にしゃべる。

「はあ!?ビビるわけ無いじゃん?あんなちんちくりんが彫刻刀振り回したところでさぁ!」

 馬鹿騒ぐように会話をする四人の美少女に周りの生徒は最大限の憎しみを抱いた。一匹狼の彼女だが、坂本はクラスでは挨拶を欠かさない明るい性格であり、彼女を悪く思う人は一人もいないからだ。しかし、音花たちに物申す者たちはいない。すると教室の隅にいる男子二人は、またヒソヒソ声で話す。

「しかし、四人とももったいないよなぁ。あんな美人なのにあの性格でさぁ。」

「スポーツも成績も顔も良いのにあの態度だからな。」

         

              *


 荒川とみっちゃんは小柄な坂本を抱えて保健室に向かっていた。

「ごめん、坂本さん俺なんかの為に・・・・・。」

「いや、良いんだよ荒川君…。音花の奴が悪いんだ。あの性悪女。」

「ほんなこつ坂本しゃんな良うやった!くそ音花め!」

 みっちゃんは音花と…何も出来なかった自分に怒りを募らせる。

「ありがとう…みっちゃん…荒川君…。」

 三人は息を切らしながら保健室の扉を開いて中に入る。保健担当の山岸冴子がデスクに向かいながら首だけをこちらに向ける。

「どうしたの朝から…三人で…。」

「その…体調が悪いらしくて、しばらく寝させてあげられませんか?」

「まあ、良いけど。怪我とか熱は無い!?」

「そりゃ大丈夫ばい!少し体調が悪かだけばい!」

 みっちゃんが馬鹿でかい声で返す。

 四十代の美熟女先生は少し不機嫌気味に机に向き直した。

 荒川は坂本の柔らかい体をそっとベッドに横たえさせる。すると坂本の首筋の両側に複数のひっかき傷が見えた。

「うわっ、だいぶがっつり掴まれたみたいだね。あいつめ・・・・。」

「うん、でも大丈夫、すごい力だったけど…。」

「坂本しゃん…………うう……………。」

 坂本はそっと荒川の太くたくましい腕を触った。彼女は落ち着いてきたらしく、優しい口調に変わっていた。

「左の手の甲も所々皮膚が剥げてるね。右手の手首も・・・・・ちょっと血が滲んでるし・・・・・」

「ああ、あの女に掴まれた時にバタバタさせたから彫刻刀やら机やらにぶつけてね・・・・」

「そうか…。本当にごめん…。」

 荒川は坂本に優しく謝った。坂本は目を閉じたまましきりに首を横に振った。

「あのね、荒川君ずっと言いたかったんだけど、私ね・・・・荒川君の事・・・・。」

「え?」

「坂本しゃん…?」

「はいはいおしまーい!元気な奴はさっさと教室戻れ!」

 美熟女保健教師はベッド横のカーテンを勢い良く開けた。呆気に取られた荒川とみっちゃんは口をあんぐり開けて教師を見つめる。

「あっすみません、すぐ戻ります。」

「お邪魔した!行こう荒川君!じゃあ坂本しゃん!また昼休みに来るけん、安心して寝とってくれん!?」

「本当にありがとう…みっちゃん…荒川君…。」

 荒川とみっちゃんは坂本に挨拶すると、そそくさと保健室から出ていった。半袖のワイシャツから溢れる太い腕を荒川は無意識に触る。みっちゃんも巨大な髪団子の位置を気にするように触る。

「まったく人が仕事してる横で高校生風情がイチャコライチャコラと・・・ムキイイイイイイ!!!!!」

 婚期を逃した美熟女は耳障りな金切り声を上げながらデスクに座り、パソコンのキーボードを乱雑に押した。

 坂本は寝ている手をビクッとさせると少し微笑み、左手で右手首を覆っているブラウスを触った。

「惜しかったなぁ、あとちょっとだったのに・・・・・・。」

        

         * 

  

 荒川とみっちゃんが黒板側のスライドドアを開いて教室に入ると、すでに生徒は全員席に座っていた。教壇には女性教師の宮司陽子が居り、お世辞にも細いとは言えないその体をくねらせながら荒川とみっちゃんに問いかけてきた。

「おう荒川と松坂かぁ、丁度いいなぁ。今から出欠取るところだったぞぉ。どこ行ってたぁ?」

 ねっとりとしゃべりながら宮司は出欠簿をパンパンと叩く。

「ああ、いやぁ、坂本さんが体調崩したみたいで保健室に・・・・・。」

「それもこれも全部そこしゃぃ座っとー音花が」

 大声で喚き散らすみっちゃんの口を荒川の手が塞ぐ。

 音花は目を細めて不満そうに荒川とみっちゃんを後ろの席から見る。その左横に座る帆坂は不安げに音花をチラチラ見る。

「坂本を保健室にぃ…お前らがぁ?」

「ええまあ…。」

 事の成り行きを何も聞かされてないのか、宮司が大きな目を眼鏡から飛び出すくらい開いた。

「まあ良いわ。私も遅れて来たから人の事言えん。席に着け。」

 荒川とみっちゃんは席に着いた。小声で不満を言うみっちゃんを何とか荒川がなだめる。

 宮司は咳払いをして両手を教壇に置いた。いかにも大事な話をしようとする動きだ。

「ええーニュース見たやつもいると思うが、この足立区内にある、赤和桜公園って所で昨日の夕方三時頃に女児が刺されて殺される事件があった。さらにこれはさっき職員室で知ったんだが、今朝の七時半頃に、今度は野反五公園でも同様の通り魔があった。まあ被害者は女児だけどな。昨日と同じく、腹や胸がメッタ刺しだったそうだ。赤和桜公園も野反五公園もこの高校のすぐ近くだ。登下校や休日は十分気を付けるように。」

 クラスはざわついた。ナイフで女児を切りつけ、殺害した犯人がこの近辺にまだ潜んでいる。相手が女児とはいえ自分も狙われるかもしれない。そんなゾワゾワした感覚に皆支配されていた。

 荒川はふと、宮司の全体を見た。チノパンと肩がぐっしょりと濡れている…確か先生は車で学校に来てるはず…家も一軒家で玄関からすぐの所に車がある…果たしてあそこまで濡れるだろうか…。おまけにいつもならもう少し早く来て生徒からブーイングを食らってるはず…今まで宮司先生が朝のホームルームに遅れて来たことはない…なぜ今日だけ遅れたのか…。事件が起きた二つの公園も宮司が住んでいる埼玉県草加からこの河北高校までに通りかかる道にある。さらに宮司は結婚して妊娠したが子供を流産したらしく、成長していれば丁度七歳くらいになる。その寂しさを埋める為なのか、自分と同じ推理小説が好きだとわかったからなのか、宮司は何度か自宅に荒川を招いたことがある。その為、彼は宮司の自宅の位置や室内を把握しているのだ。

「犯人はまだ捕まっていないんですか?」

 荒川は宮司の話を遮った。

「いや、まだ捕まっていないらしい。まあそんな大胆な犯行したらすぐに捕まるでしょ?何だぁ荒川ぁ?もう推理始めてるのかぁ?我が河北高校誇る高校生探偵ならすぐに犯人を見つけられるなぁ!?」

 宮司はニタニタ顔で荒川を指さした。

「いやぁ、さすがに殺人事件はちょっと…。」

 荒川はクラスからの注目を浴びるのが恥ずかしいのか、メガネを弄り始めた。

「荒川君やったら犯人ば捕まえられるばい!何ば言うたっちゃこん前ん水筒にチョーク入れた奴だって荒川君ん推理で捕まえたし!」

「あれはただ知ってた事実を繋ぎ合わせただけだから…。」

 すぐ後ろに座るみっちゃんが筆箱で荒川の背中をバシバシ叩きながら言った。荒川は照れてるのか、相変わらず授業専用のメガネをいじっている。

「そのメガネをいじる仕草も、お前が敬愛するエラリィ・クイーンそのものだな!」

 聞き慣れない言葉にクラスの人間はぽかんとする。荒川は「あちゃあ・・・・」と独り言をつぶやいて手で目を覆う。宮司はすぐさまクラスの雰囲気に気づき笑い出した。

「あぁすまんすまん!みんなはエラリイ・クイーンとか言ってもわからんよなぁ!荒川の好きな小説に出てくる探偵の名前だわぁ。まあそんなことは良いやぁ。とりあえず、通り魔はさておいてぇ、期待してるよ荒川綾人君!君はこの半年でいくつもの学年で起きた珍事件を解決してくれたぁ!水筒にチョークを入れた犯人は見つけてくれたしぃ、校長の飼い猫も見つけてくれたしぃ!教科書を切り刻んた奴も見つけてくれたぁ!まあ強いて言うなら犯人に逆恨みされんようになぁ!?」

 宮司は豪快に笑った。同時にクラスの人間たちから拍手が巻き起こった。

「頑張れ、一Cの名探偵!」

 誰かの声が後方から聞こえた。

               

                * 


 ホームルームが終わり、宮司は一限目の教室に走った。宮司のチノパンの裾から白い花びらが落ち、荒川はそれを目で追う。同時にクラスでは十分後に始まる数学の準備のため、皆が慌ただしくし始めた。

 荒川は席から立ちあがり、先程の白い花びらを拾い上げる。

「何かの花びら…?それにこの香り…。」

 自分の席に戻った荒川は花びらをポケットのしまうと、次の数学の授業の準備をし始めた。すると、みっちゃんが話し掛けてきた。

「しゃっき言うたことは冗談やなかばい?ほんなこつ荒川君やったら通り魔も捕まえらるーて思うとーばい!?入学してすぐにうちん水筒にチョーク入れた奴ば捕まえてくれたしね!?博多から出てきてなまりも取れんけんよう目ば付けられて…。ほんなこつ荒川君には感謝しとーばい?」

 少し困惑した荒川だが、話は理解できた。

「ああそう、ありがとう。助けになれたのなら本望だよ。通り魔は…必ず俺が捕まえるから安心して!」

「ほんなこつ頑張りんしゃい!応援しとーけんね!犯人捕まえんしゃい!」

 そう言うとみっちゃんは荒川の両肩を掴みガンガン前後に揺らす。頭のお団子髪も勢い良く揺れる。荒川の太い腕は激しく揺れること十数秒、ようやくみっちゃんは手を離した。すると、荒川はみっちゃんの左の掌に大きな切り傷があるのが見えた。

「うん?みっちゃん手…怪我してるね…?」

「…そげなこと女ん子に聞いて良かもんやなかよ?両親んやっとる団子屋手伝うとって手が荒れただけばい!」

 みっちゃんは豪快に笑いながら答え、すぐ手を引っ込めた。彼女の一族は博多で有名な団子屋の家系で、最近東京にも進出してきたのだ。

「ああそうか!なら別に良いんだ!(荒れた跡では無いんだよなあ。)」

 後ろの席に座る音花ユリは、不満そうに荒川を睨み、左隣に座る帆坂がニヤニヤしながら音花を見る。

        

            *

  

 昼休み、荒川は校舎裏にいた。うるさい同級生から開放された閑静な空間。荒川はスズメが飛んだり木々が生い茂る中、こっそり置いている折りたたみイスに体を預ける。特に坂本やみっちゃん以外に友達がいない荒川にとっては至福の時間である。

 思えば幼、小、中と友達というものがいなかった。いつも推理小説を読みふけっていた彼は周りの人間と全く話は合わなかった。様々な証言証拠から鮮やかに仮説を立て、犯人を追い詰めていく小説の中の探偵、エラリー・クイーンは彼に取っては神そのもの。それに比べ、周りの人間は女子からの評判とスクールカースト、昨日見たテレビやスマホの動画を気にするだけの連中ばかり。荒川はそんな周りの人間たちに疲れ切っていた。なぜこんなにも面白い推理小説というものが存在するというのに誰も興味を示さないのか。なぜ、何も考えず生きているのかと。

「はあ…。」

 荒川は顔をぶんぶんと振り、頭に漂うモヤモヤを振り払う。アルミホイルに包んだおにぎりを食べながら、荒川は事件について考える。宮司先生の濡れた衣服、いつもより遅い出欠…。宮司先生には全幅の信頼を置いているが、彼女も人間だ。腹の底では何を考えているかわからない。推理小説の惨殺描写に触発され、つい女児を手に掛け…なんて事も無いことは無い。まあ自分はあまり言えた口ではないが。

 松坂道子こと、みっちゃんの手の傷…女児を手に掛けた時に引っ掻かれた跡…と考え出せばきりが無い。有名団子屋の両親を手伝っているのなら、手が荒れてても不自然ではないが…。彼女も後ろの席で何かと話しかけてくれるありがたい存在。そんな彼女が万が一女児を殺害した犯人であれば…いや、あまり考えたくないな。

 坂本さんだったら…いや、もっと考えたくないな…。音花ユリ…そう彼女も…。すると荒川の脳天に紙くずが落ちてきた。上を見上げると三階の窓から音花がこちらを見下ろしてニヤニヤしている。まさか、聞こえたか…いやいや、そんな訳はない。荒川は紙くずを開き中を見、すぐに三階の窓を見ると音花はもういなかった。荒川は食べかけのおにぎりを口にかきこみ完食した後、椅子を折りたたんで木の裏に隠し、その場を離れた。

        

           * 


「う!………。」

 とあるトイレの個室前、山岸冴子は苦痛の表情を浮かべていた。

「なんで…あなたが…!?」

「はっはっはっはっは!」

 山岸はトイレの個室に向かって立っており、謎の人物は彼女の背中にナイフを突き立て高らかに笑う。

「まさか…そんな…まだ…あたし…。」

 謎の人物はナイフを抜いた。山岸は便器の上にもたれかかり大きく肩で息を吸う。彼女はナイフを持って不敵に笑う謎の人物を見る。

「はあ…はあ…あんた…こんなことをして…。」

 山岸は疲れ果て便器に座り込んだ。謎の人物は山岸と一緒に個室に入り鍵を掛けた。

        

            *


 十月七日木曜日の正午頃、保健室に向かう途中の廊下、荒川は向こうから歩いてくるみっちゃんとばったり出くわした。みっちゃんは、はっとして荒川に気づくと両手で持っていた何かを体の後ろに隠し、ガサガサと派手な音がした。

「あれ、荒川君も坂本しゃんの様子見に行くと?」

「う…うん、流石にね。坂本さん大丈夫そうだった!?」

「体は大丈夫そうだばってん、やっぱり落ち込んどー感じやったね。同じ女子にあそこまでボコボコにしゃれたけん・・・・・。」

 みっちゃんは両手を後ろに回したまま塞ぎ込んだ。

「まあいいや、一応、俺も見に行ってみるね!」

「そうやなあ!荒川君が見舞いに行きゃあ坂本しゃんきっと喜ぶばい!」

「え?ああそうかなぁ…。」

 荒川は少し照れくさそうに頬をかいた。

「じゃあうち、教室に戻っとーね!昼からん現代文んしぇんしぇー早めに来る人やけん、遅れんごとね!?」

「ああ、うんありがとう。」  

 遅刻の常習犯に心配されるのは少し複雑だなぁ、荒川は思った。みっちゃんは後ろに隠した何かを荒川に見えないように走り去る。

 荒川は、進行方向左側にあるトイレを通り過ぎ、すぐ隣の保健室の扉に手を掛けようとした時に視線を感じた。保健室から出て左側、荒川から見て右の正面には守衛室の窓口があり、強面の竹田梅がお茶をすすっていた。

(うわぁヤクザ映画に出てきそうな顔の人だなぁ)

 荒川は頭で色々考え数秒沈黙した後、竹田に軽く会釈をしながら保健室に入る。入口付近で声を掛けた。

「坂本さーん!?」

 しかし、返事がない。

「荒川君?」

「ああ坂本さん!」

 坂本は長袖のシャツの上に体操着姿でトイレから出てきた所だった。右手では人差し指と中指、親指をこすり合わせるような動作をしており、左手はシュシュをいじっている。シュシュが少し濡れているようだ。

「なんだ、トイレ行ってたんだ!?体操着姿だね!?」

「ああ、少し汗ばんだからトイレ行く前に着替えたの。」

「そうか…さっきみっちゃん来たでしょ?」

「うん、来たよ。本当にみっちゃんて活発で楽しい子だよね!音花に対するイライラが吹き飛んじゃった!」

「んまあ、そうだね。見ていて気持ちの良い性格というか…。まあ元気そうなら大丈夫だね。じゃあ俺教室戻るから!てか、保健室の先生いないね!?」

「うーん、昼休みが始まる少し前に出ていったね。保健室の先生もやることあるんじゃない!?」 

「そうか、まあまた坂本さんと話していたら今朝みたいに邪魔されるかもわからんから、いない方が良かったけどね!」

「そんなに私と話したかったの?」

「え…いやいやそんな…。」

 坂本はいたずらっぽく笑うと荒川は頬を赤らめた。

「坂本さん早退する?」

「うーん、別に体調は悪くないけど、今さら教室戻るのもなんだし…。まあ午後になってから考えるよ!?」

「そうか…。とにかく無理はしないでね…。みっちゃんと同じで、坂本さんも気が強いから…。」

「心配してくれてるんだねぇ。ありがとう!うれしいよ!」

 荒川は少し照れて頬を右手でかく。

「じゃ、じゃあ俺は教室戻るから!早退するならするで早いほうが良いよ!じゃあね!」

「うん!じゃあね!」

 お互い手を振り終わると、坂本は保健室に戻る。荒川は保健室前を後にし、来た道を戻る。今度は進行方向右側にある先程のトイレを過ぎた所で、少し遠くに宮司が見えた。何かを仰ぎ、顔に風を送っているようだ。

「おお荒川ぁ。坂本の見舞いかぁ。」

 宮司は手元に持っていた何かを背中の後ろに隠し、荒川に話しかけた。

 荒川は今朝のひと悶着を二限目が始まる前、教室の外で宮司に報告していたことを思い出したのと同時に、宮司が隠した物が気になった。やれやれ、女性は秘密事が多いなぁと荒川はため息をついた。

「はい、そうです。元気そうだったんですが、教室に戻り辛いらしいんで早退させた方が良いかもしれませんね…。」

「そうか。じゃあそう説得しとくわ。」

「あの、先生。例の件は今まで通り誰にも…。」

「わかってる、わかってる。ちゃーんと秘密にしといてやるからぁ。」  

 宮司はお世辞にも可愛いとは言えないウインクで親指を突き立てた。

「ありがとうございます。では僕はこれで。」

「おう。じゃあ彼女にも…よろしくぅ。」

 一瞬ピクリとした荒川だったが、すぐに教室へと走り出すのと同時に、自分にも秘密があることを反省した。振り返ると宮司がトイレに入るのが見えた。

「うい~何か気持ち悪いから手だけ洗うかあ。おやあ?」

 宮司は女子トイレの洗面台の前に立ち、手を洗おうとかがんだ。

「…………………。」

 手を洗わず顔をあげた彼女はトイレの個室がある部屋に入り首を傾げる。

「まさかなあ…。」


           *


 放課後、部活に行く者、ボウリングに行く者、カラオケに行く者たちの会話がガヤガヤとされる中、荒川は黙々と片付けをしていた。

「ユーリ!北千住駅前のザイゼリア行かない?」

 帆坂が音花に話しかけてきた。

「んん?ああー?」

 音花は一瞬目線を黒板の方に泳がせた。

「じゃああたしたち部活があるから!じゃね!」 

 鷹羽と菅澤は音花と帆坂に別れをつげる。河北高校は偏差値こそ平均的だが、スポーツは全国優勝レベルばかりだ。鷹羽はテニス部、菅澤はバレー部にそれぞれ向かう。一年期待のエースの彼女らは練習に余念が無い。

「じゃああたしたちは帰るね!また明日!」

 帆坂は部活に向かう鷹羽と菅澤に手を振る。帆坂はネットで出会った数人のメンバーとダンスチームを結成しており、毎日頻繁に練習することは無い。大会が近くなったり、誰かがSNSに動画をあげようとすると練習の頻度が増すのだ。音花は中学ではバスケに身を捧げる毎日を送り、全国大会六連覇という偉業を成し遂げたが、高校ではバスケ部のマネージャーのみで選手登録はしていない。練習にたまに参加し、大会が近くなると毎日出る。音花は身支度をしている荒川に近づいた。

「痛っ!」

 今朝のデジャヴか、音花は荒川の椅子を後ろから蹴った。ニヤニヤとご満悦な音花の目と、ため息を付きながら細めている荒川の目が合う。

「うわぁ、帰り際もやんのかよ…。」

「さすがに引くなぁ。」

 またもクラスは一瞬、嫌な空気になった。窓際の二人の男子はまたヒソヒソ話を始める。荒川は嫌な顔をしながら左手であっちいけという仕草をし、音花はそれを確認するとクシャクシャに丸めた紙を荒川に投げつけた。

「なっ!?」

「まだやんのかよ!?」

 窓際の男子は思わず声を漏らす。

「んじゃあ行こう行こう!」 

 音花は帆坂の腕を掴み、足早にクラスを出ようとする。

「お前らは懲りんでそげんことば!」  

 お団子頭のみっちゃんが堪えきれずに声を荒げた。すかさず荒川はみっちゃんの腕を掴み静止させた。

「大丈夫みっちゃん…俺は平気だから…あんな蹴られても屁でも無いからさ…。」

 荒川はまた、額に汗を濡らしながら絞り出すように言った。

「ううっ…なんで、そげん我慢ばっかりすると?辛うなかと?見よーこっちが耐えられん!」

 みっちゃんはついに涙ぐんだ。荒川はみっちゃんの肩に手を置きながらなだめた。

「あいつはじゃれてるだけだ。気にしたら駄目だよ…?」

「あたし、今日あったこと全部先生に言うてくる!」

 みっちゃんはカバンを持ち、職員室へと走っていった。

「あっ!みっちゃん!」

 あちゃあという仕草で顔を覆う荒川はブツブツ言いながら教室を出た。その後、教室は一人、また一人と出ていき…そして誰もいなくなった。

          

           * 

                    

 みっちゃんは職員室を勢い良く開け、教師の注目を浴びる。スタスタと歩き宮司陽子の机に向かう。

「先生!荒川君の事ですが!?」

 宮司は化学の教科書から顔を上げ、みっちゃんをぼーっと見つめていた。

「荒川君は毎日毎日、入学当初から音花から椅子ば蹴られたり、紙くずば投げられたり、おにぎりば地面に落としゃれたり、散々な扱いば受けよーと!そん実態ばどうご理解しとーと!?」

 みっちゃんは巨大な頭の上のお団子をブンブン振り回しながら宮司先生に抗議した。

「うん。ああそうかぁ…。ちょっと今は言えないんだよなぁ。」

 宮司は頭をかきながら答えた。みっちゃんは意味が分からなかった。

「はあ?今は言えん?どげな意味と?」

 みっちゃんは全く納得出来ない様子だ。宮司は机の上に両肘を乗せ、手のひらで顔を覆った。

「まあ、本人から口止めされてるんだよなぁ。この件に関してはぁ…。」

「はあ?口止め?荒川君がしぇんしぇーになんも言うなって言うたと!?」

「そういうことだなぁ。」

 みっちゃんは体を硬直させて動けず数秒の沈黙があったが、すかさず口を開いた。

「それって音花に告げ口すんなって脅しゃれとーんやなかと!?」

「いや、そういうわけじゃないさぁ。」

「なんでそげん事分かると!?」

「んまぁ、取り敢えず言えないんだよお。荒川から止められてるからぁ。本人に詰め寄ったらいかんぞお!?時期が来たら話して良いって言われてるからぁ。あと、荒川のご両親からもそう言われてる…。」

 みっちゃんはまたも硬直した。なぜ両親まで出てきて口止めをするのか。何を私たちに言えないのか。彼女は諦め下を向いた。

「そうと…。なら、もうなんもゆわん。」

 幽霊のように出ていくみっちゃんの後ろ姿を宮司は溜め息混じりに見送る。すると職員室のスライドドアに右手を掛けながらみっちゃんは振り返った。

「ああそうそう。朝の出欠前に、耐えかねて坂本しゃんが彫刻刀持って音花に切り掛かったけど返り討ちにしゃれて保健室行ったけんね。」

 職員室はざわついた。

「ああ、それなら一限目の終わりに荒川から聞いたよ。昼休みに保健室に行って坂本見に行ってすぐ帰らしたわ。」

 宮司は焦る様子も無く、相変わらず化学の教科書を読みながら答える。

「ああそう。うちが昼見に行った後に来たんやなあ。」

 みっちゃんはゆらゆらと職員室を後にする。会話の後、右隣にいる男性教諭がが宮司に話しかけてきた。

「僕らにも話せない荒川君の秘密ってなんですか!?」

「いやぁ、秘密だから言えないですよ。」

 宮司は本の様な物を隠しながら言った。

「あれぇ、そういえば保健室の山岸先生見ました?」

「いやあ、見てないですねぇ…。」

 男性教諭はキョロキョロと周りを見渡すが、宮司は興味無いと言わんばかりに科学の教科書を見る。

       

         *


十月七日木曜日、夜の六時半。部活動をやっていた生徒や残業している教師は帰り、学校は静けさに包まれていた。

「うい~ちょっと残り過ぎちゃったなあ。」

 デスクに座る宮司は背筋を伸ばした。

「にしても荒川も早く片をつけてくれんとなあ。いつまでも騙し続けられんぞお…。しっかし松坂の夕方のあの剣幕…必死だったなあ。松坂に坂本に…罪な男だなあ…。」

 何気なく宮司は職員室を見渡す。すると、職員室の中から廊下に向かって左側の…スライドドアに何かが勢いよくぶつかる音がした。

「なんだあ?怪奇現象かあ?」

 宮司はねっとりと立ち上がる。推理小説ファンの彼女だが、心霊の類には興味が無いのか、ズンズンとスライド扉に近づき、勢いよく開いた。

「ん~おかしいなあ、あんだけの音がして気のせいな訳ないしなあ。」

 すると職員室を出て左側、階段の方から物音がした。

「んん~まだ生徒が残ってて悪ふざけでもしてるのかあ?注意せんとなあ?」

 宮司がスライド扉を開けたまま職員室を出たのと入れ違いに、反対側のスライド扉から何者かが入ってきた。謎の人物はまっすぐ宮司のデスクに向かい、それをまじまじと見ると下を覗き、彼女の私物と思われるリュックの中を漁り始めた。

 謎の人物は、なにやらプラスチックらしき容器を取り出し首を傾げる。

「ライター…?。」

 続けて中を漁る。

「水の入ったペットボトル…飴やキャンディー系のお菓子の類…。おかしいな。」

 謎の人物がそうつぶやくと突然、職員室の扉付近から足音がした。とっさに手に持っていた物をバッグにしまい、デスクの下に潜り込ませる。

「誰もいなかったなあ。この学校に七不思議なんてあるのかあ?」

 心霊に毛ほども興味も無さそうにした宮司がねっとりと歩きながら自分のデスクに向かう。

「さあてえ。もう遅いからそろそろ帰るかあ…ん?あれえ?」

 宮司はデスクの下を覗いて硬直していた。同時に開けっ放しにされているスライド扉から音も無く謎の人物は出ていく。

「そういうことかあ。」

 宮司は開いたままのスライド扉を振り返る。

「さすが、贔屓(ひいき)はしないってことかあ。」

 お世辞にも美人とは言えない顔をニヤつかせながら、宮司はデスクのパソコンに向き直り帰り支度を始める。

 

             *


 同日夜七時頃、宮司も帰宅し、学校が本当の静けさに包まれていた。保健室に向かって左側の女子トイレから、守衛の竹田梅が顔を青くしながら猛然と飛び出す。守衛室に走った竹田は電話機の受話器を取り、壊れるぐらいの勢いでボタンを押した。女子トイレに入って左手前から二番目の個室の中で、山岸冴子は血まみれで座らせられていた。その数分後、閑静な学校にけたたましいサイレンが鳴り響く。

第二章 偽証 終わり



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