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第十一章 終焉

十一章 終焉

 十月九日土曜日。夕方五時頃。みっちゃんこと松坂道子は銀座をぶらぶら歩いていた。たまにショーインドウに映る自分の姿を見てはため息を漏らす。スマホを開き、先ほど水族館にいた時に受信したLINEのメッセージを見返す。

(坂本さんと二人で話したいから、適当に嘘ついて先に帰って。詳細はテレビのニュースで嫌でもわかるから。)

 みっちゃんはすぐにまたスマホをしまう。  

「荒川君…。坂本しゃんに伝えたか事って…。嫌でもニュースでわかるって…。荒川君が坂本しゃんに告白でもするかと思うとったが…。ましゃか坂本しゃんが殺人事件ん犯人…んでそれば本人に言うって事?いやいや、犯人の竹田はしゃっき捕まったやん!じゃああん人は犯人じゃなかったと?どげな事!?頭が追いつかん!」

 みっちゃんの目にはうっすらと涙が滲む。

「ましゃか、ましゃか…。ほんなこつ坂本しゃんが……。うう…。荒川君…。すらごとばいね…。そげ言いんしゃい…。」

 涙を流し、みっちゃんは独り言を呟きながら銀座のショッピング街を歩く。時折、買い物袋をたんまり持った婦人がすれ違う際にみっちゃんの顔を不思議そうにチラチラ伺う。

 みっちゃんがよたよたと歩く歩道の横に一台のハイエースが勢いよく路駐した。直後に黒い背広を着た男女5名ほどが飛び出してきてみっちゃんを羽交い絞めにする。

「え?何なん?こら!あんた達は何者と!?何なんか一体!?強う引っ張らんでくれん!?」

「え!?なに誘拐!?」

「警察に連絡した方が!?」

 歩道を歩いている婦人や会社員が目の前の出来事に騒ぎ始める。黒い服の男女はそれを無視して無理やりみっちゃんをハイエースに乗せる。

「こげん事ばして良かて思うとーと!?何とあんた達は一体!?」

 騒ぎ立てるみっちゃんに黒服の男が何かを懐から取り出し、みっちゃんに見せる。

「それは…………。」


                *


 同日同時間。野反五公園のブランコに二人の男女が相対していた。荒川は柵に座り、坂本はブランコに座る。坂本の顔からは血の気が引き、逆に荒川はニヤニヤ笑っている。早く話し始めたがっているようだ。

「…で?私がどうして犯人にされちゃうわけ?」

 坂本が様子を窺うように荒川の方を見やる。

「まずは事件のおさらいをしよう。この一連の殺人事件は猫の虐殺事件からすべてが始まった。一件目は四月の十日水曜日、午後三時頃、赤和コミュニティ公園にて。二件目は四月の二十四日、水曜日…赤和桜公園。これも丁度三時頃。三回目は五月の二十二日水曜日、これも三時頃。以上が猫の虐殺事件ね。十月の六日水曜日の三時頃、赤和桜公園の砂場で桜坂えみちゃん、七歳がナイフでメッタ刺しに遭う。ここで初めて人間の犠牲者が出る。翌日の十月の七日木曜日、朝の七時半頃に野反五公園で椿明日香ちゃん七歳がメッタ刺しに遭う。同日の昼十二時頃、トイレにて保健室教諭の山岸冴子先生が背中を刺され殺される。二日後の十月九日土曜日の朝十時頃、野反五駅の中で鈴原サキちゃん、七歳がトイレでメッタ刺しにされる。そして先ほどの四時半頃。現行犯逮捕された竹田梅が綾瀬警察署の取調室内で腹から血を流して倒れる。まだ生死はわかっていないが、取調室が血の海になるくらいだから、おそらく死亡は免れないだろう。」

 竹田梅の名前を聞いた途端、坂本は荒川の顔をきっと睨む。

「まあそんなに睨まないで。これは先ほど知り合いの警察関係者に直に聞いたから間違いない。おそらく口封じに為に殺されたんだろう。」

 荒川はなおも余裕の表情を崩さない。

「この連続殺人事件の容疑者は四人。教師の宮司陽子。その教え子の松坂道子。守衛の竹田梅、そして君、坂本麻耶だ。この事件のポイントは猫の惨殺から竹田梅の殺害まで一貫して特殊な形状のナイフが使われたこと。恐竜の鍵爪ような大きく曲がった形のナイフがね。すなわち全て同じ犯人が同じ凶器で犯行に及んだ事になる。」

「同じ凶器を使ったから全員同じ犯人?それは早とちりじゃない?」

 坂本は強気に言い返す。

「いいや?決して早とちりじゃない。滝川警部は部下と一緒に周辺の店や運送業者まで徹底的に調べたが、そんな形状のナイフは運ばれてもいないし、販売された形跡も無い。もちろん警察はそんな発表はしていないから、一般人は知る由もない。」

「じゃあこの世に存在しない凶器でみんな殺された訳?それで私が犯人にされちゃうの?たまったもんじゃないわ。」

 今度は坂本が余裕の表情だ。

「そう。この日本には存在しない凶器で殺されたんだ。海外からこっそり持ち込まれた凶器でね?」

「………………。」

 再び坂本の顔がこわばる。

「まず犯人は単独犯だ。それは山岸先生を殺害した経緯でわかる。犯人はわざわざ隙を作って背中から刺している。二人、もしくは三人で犯行に及んだのであればそんな小細工をする必要が無く、力技で行ける。また、死体のどれもが腹、もしくは背中など、一ヵ所のみをメッタ刺しにされていることから単独犯と言って良い。なぜなら集団で一人を血祭りに挙げるなら全身を蹴ったり殴ったり刺したりするはずだろう?一ヵ所に集中して刺し傷があるってことは、犯人は単独である証拠だ。」

「相変わらず、話し方が知的だね。」

 嫌味を言う坂本は力なく目を伏せ地面を見つめる。荒川は腰を上げ、坂本の前を行ったり来たりする。

「まずこの四人の容疑者のうち、二人は除外できる。一人目は宮司陽子。その根拠は主に三つ。」

「三つも?」

「その通り。まず十月六日夕方三時頃に起きた桜坂えみちゃんでの事件。現場は赤和桜公園。この公園はぐるっと反時計回りに車は一方通行だ。俺は夜中にこっそり路面を調べ、先生の乗るハイラックスのタイヤ痕が一回通った形跡しか無かった事を突き止めた。俺ら三人と会話したあの時だね。先生は普段から意味もなく急発進、急ブレーキを踏む人だからその時についたんだろう。では俺らが公園から去った後にこっそり戻ってきて殺害し、タイヤ痕が付かないようにゆっくり逃げたか?いいや。普段から急減速の多い運転をしている人間が人を殺した後にそんな繊細な運転が出来る訳がない。では遠くに車を止めて体だけで公園に行ったか?そんな非効率な犯行はしないだろう。これが一つ目の根拠。」

「ふああ。」

 坂本はわざとあくびをし、興味が無いというアピールをする。

「二つ目の根拠は十月七日の山岸先生殺害の際だ。先生は坂本さんに薄い推理小説である『ロビンの箱』という本を差し入れで持ってきている。これから殺人を行う犯人がそんな余計な物を持つ訳がない。ましてや血が染み込みやすい本なんてね。これが二つ目。三つ目は…これも知り合いの刑事から聞いたんだが…十月九日土曜日、つまり今日の朝十時頃に起きた野反五駅での事件。この事件の防犯カメラに宮司先生は映っていない。まあこの三つ目だけ言えば宮司先生は犯人では無いと立証出来るけど、誰かさんが反論したそうにうずうずしているから、一応、付け加えさせてもらったよ。」

 にやにや笑う荒川を坂本は真顔で見返す。

「そして除外できる二人目は松坂道子ことみっちゃんだ。それも三つの理由で除外できる。一つ目は先ほども言ったように、彼女は山岸先生が殺害される直前、君に発売前のお団子を差し入れで持ってきている。気品漂う紙袋に入れてね。これも先程の理論で言うと犯行現場にわざわざ余計な物を持ち込むとは考え辛い。そしてもう一つは猫アレルギーと刃物恐怖症だ。」

「みっちゃんが猫アレルギーで刃物恐怖症?」

 坂本の美人な大きい目がさらに大きくなる。

「仲の良い君でも知らないだろう。彼女は弱みを人に決して話さないからね。猫アレルギーに関していえば、十月六日水曜日、君が赤和桜公園から帰ったふりで一旦離れた後に、俺はみっちゃんと少し話していてね。その時に猫がふらっと寄ってきたんだが、あの怖いもの知らずのみっちゃんが異常に距離をとっていたんだよ。んで気になったから十月八日金曜日、君たちがショッピングを楽しんでいる間に銀座にあるみっちゃんの両親がやっている店にわざわざ行ってね。彼女の事を色々聞いたんだ。」

「みっちゃんの両親に?」

「そう。どうやら彼女は五歳の時。神社でこっそり育てていた猫を母親に話したが飼ってもらえず、しぶしぶ通いながら面倒を見ていたんだ。しかしある時、みっちゃんがいつも通り猫と遊んでいたら倒れたらしくてね。近所の人のおかげで何とか一命は取り留めたけど、原因が猫アレルギーによる呼吸困難だったそうだ。」

「………………。」

「それがトラウマになり、みっちゃんは猫に近づく事も出来なくなったってさ。母親に聞いたからまず間違い無い。刃物恐怖症もそうだ。坂本さんが彫刻刀で音花に切りかかった時もみっちゃんは異常に怖がっててね。まあ誰でもあの場面ではビビるだろうけど。それも母親に聞いたんだ。昔、店の厨房でお手伝いしていたみっちゃんは包丁で手のひらをざっくり切ったらしくてね。救急車を呼ぶほどだったらしい。今でもみっちゃんの手のひらには生々しい傷跡が残っている。それから店の厨房には刃物の類を置かなくなったってさ。まあ団子屋だからね。最悪、包丁なんてなくても何とかなるさってお母さん笑ってたよ。」

 徳子の活発な話し方を思い出したのか、荒川は鼻で少し笑った。坂本はそれを訝し気に見る。

「さらに水族館でも、あきらかに大きなステーキをナイフで切らずに頑張って食べていた。テーブルの隅にそれを置いてね。ナイフが使えないって事でみっちゃんも容疑者からは除外される。次は最重要容疑者の竹田梅だ。」

 荒川はここからが本題ですと言わんばかりにわざとらしく咳払いをする。

「彼はすべての現場に居合わせ、ましてやナイフを所持していて刑事に取り押さえられた。一見、彼しか犯人はありえないと言える。しかし、彼が無実で…かつ君が有罪である事は二つの物的証拠と…これまでの状況証拠で証明できる。」

「説明の仕方が定型化されてるねえ。随分練習した?」

 坂本の嘲笑を無視して荒川は続ける。

「まずは物的証拠その①…坂本さんの上着の右ポケットの中を見てみようか。」

「え?」

 坂本は咄嗟にコートの右ポケットを上から触った。何やら固い棒状の、手のひらサイズの何かがそこにあった。

「その中にある物を手に取って出してみて。」

 坂本は震えた手でポケットに手を突っ込んだ。ヌメッとした嫌な感触に坂本は顔をしかめる。

「え?何これ?」

 坂本は驚きのあまりブランコから立ち上がった。彼女が右手で取り出した物は黒くて細長く…何やらべっとりと液体が付いている。

「それは竹田さんが命の次に大切にしていた…孫からプレゼントされた携帯式空気入れだ。」

「空気入れ!?」

 坂本はとっさにそれを地面に落とした。

「大事な証拠品だから取り扱いは丁寧にね。」

 荒川はハンカチを取り出し空気入れを拾い、右の尻ポケットにしまう。

「これが…彼が犯人ではない証拠…同時に君が犯人である証拠でもある…。竹田が連行され…坂本さんがトイレと偽った行動から戻ってきた時に、君の上着の右ポケットがいつもより揺れが大きいと思ってね。それに、わずかにコートが右側にずれていた…。それは携帯式空気入れの若干の重みでそうなったんだろう。だとしても携帯式だ…君がそれをポケットに入れられても気づかないわけだ…。代わりに竹田がいつも尻ポケットに入れて持ち歩いているはずの空気入れが無い事にも気づいた…。そこでピンと来てね。君に刺された時に…竹田は咄嗟に自分の尻のポケットから空気入れを抜き取り、自分の血を付けて君の上着のポケットに入れたんだってね。そんな手品師のような事が出来るってことは、それをやろうと事前に決めていて練習もしてたんだろうね。十月の八日金曜日…みっちゃんの両親のお店に行く前に、俺は竹田さんの家を訪ねてね。奥さんの静香さんに色々聞いたんだ。なんでも竹田梅さんは三十台の頃から自転車にドはまりして大会にも出てるんだと。お孫さんがお店で適当に選んで買ってきた携帯式空気入れを貰った時は大層喜んだらしくね。職場にまで持ち込んだり、うっかり静香さんが触ったら激怒するくらいだったと…。ではなぜそんな宝物を君のポケットに入れたのか…。君を挑発してわざと刺され…自分の血の付いたそれをポケットに忍ばせることで…君が連続殺人事件の犯人である事実をなんとかして白日の下に晒したいと思ったからだ。自分の命と…命の次に大事な物を捧げてね…。これを警察に提出すれば、竹田梅の血だとすぐにわかるでしょ。以上が物的証拠その①だ。」

 坂本は固まっていた。目の前の事実と荒川の言葉が脳で処理できない様子だ。

「あ…そうだ。これは知り合いの刑事…ああ面倒くさいな。滝川警部に直に聞いたんだけど。竹田の所持していたナイフにはルミノール反応…つまり血液の反応が出なかったらしい。血っていうのはどんなに洗おうと完全に消える事は無い。というかそもそも竹田の持っていた刃物は普通のナイフ。これまで猫殺しから使われた特殊な形状の…恐竜の鍵爪のようなナイフじゃない。ああそれと。竹田の傷口を見てもらうように滝川警部に頼んだんだけど…傷口は今までの殺人で使われたであろう刃物の形状だったらしい。また水族館内や客…さらには従業員にいたるまで身体検査をして捜索したが、ナイフはもちろん不審な物は一切見つからなかった。あーあと…。」

 荒川は少し言い淀んだ。

「みっちゃんには事前にラインで説明して別の場所で身体検査を受けてもらってね。案の定、何も見つからなかったらしい。坂本さんを庇って刃物の処理を請け負っている可能性もあったから一応ね。あとちなみになんだけど…みっちゃんは俺たちと水族館を出た所からずっと刑事に尾行させてて…刃物らしき物を道中で捨てて無い事も確認済みだ。まあ彼女にも後々詳しく事情聴取が待っているだろうけど仕方ないね。」

 荒川はわざとらしく咳をして再び坂本と目を合わせる。

「さらに、君に罪を着せようと竹田が自分の腹を刺し、空気入れを君のポケットに滑り込ませたという線も消える。なぜなら君に罪を着せたいならナイフを直接君のポケットに入れるよね普通?わざわざナイフで自分を刺して…命の次に大事な空気入れに自分の血を付けて君のポケットに入れるなんて意味の無い事はしないだろう。」

「………………。」

 坂本は右手についた血をわざとねっとりと触りながら荒川を睨む。

「これまで述べた状況証拠によって竹田が潔白であるのと同時に…共犯者の存在も否定できる。では真犯人がみっちゃんで…君に罪を着せようとしている場合はどうなるか…そもそもみっちゃんが犯人である可能性は先ほどの推理で否定されている。よって誰かが罪を着せる為に君のポケットに空気入れを入れたのではない。これまでが状況証拠…。」

 しゃべりつかれたのか、酸素が足りないのか、荒川は深呼吸した。坂本は手に付いた血を必死に砂で洗い落とす。

「あとこれは余談なんだが…、君は竹田が刑事たちに取り押さえられた時に言った不可解な言葉を覚えてる?」

「確か…でぃーきゅー?」

「やっぱり覚えていたね。でぃーきゅうとはD9と書く。自転車競技の用語で「失格」を意味する言葉なんだ。」

「失格!?」

「君は人間失格って事だね、ふふ。」

 荒川は鼻で笑う。坂本はどすんと座ってブランコの鎖を力いっぱい握りしめる。

「まあいわゆるダイイングメッセージだね…まあこれは証拠としては乏しいから一応言っておこうと思って…。」

「ふー…。」

 荒川の話を坂本が溜息で遮る。不満そうに眉を捻じ曲げた荒川が坂本を睨む。

「ていうか空気入れだのみっちゃんが刃物触れないだの…でぃーきゅーだのってそれが何?それで私が犯人だって何で言えるの?空気入れなんか誰でも竹田から盗めるし、刃物だって警察が見逃しているだけでまだ館内のどっかにあるかもしれないじゃん!誰かが警察の目を盗んで巧妙に隠し持って身体検査をすり抜けたかもわからないし!あーあーもっとぐうの音も出ない推理を期待したのになー。それとも君ってその程度なのかなー?」

 坂本は勝ちを確信したかのように笑いながら荒川を見上げる。しかし荒川は余裕の顔を崩さない。

「推理小説を山ほど読んでいるとね…嫌でも疑問に思うことがあるんだよ…。」

「え…なに…急に?」

 坂本の眉間に皺が寄る。

「『お前あの時〇〇って言ったよな…それは犯人しか知らない情報なのに何で知っているんだ』…とかさ。『なぜ被害者が直前まで飲んでいたワインのコルクがお前のポケットに入っているんだ』…とかさ。そんなのすっとぼけてしまえばどうとでもなるような証拠で降参しちゃう殺人犯ばっかりなんだよ…小説に出てくる犯人ってのはさ…。」

「まあそりゃあくまで小説だからね。いつまでも犯人が言い訳していたら話が終わらないから…。」

「だからね。犯人がどうやっても言い逃れが出来ない決定的な証拠を突き付けてこそ完璧な探偵だと俺は思うんだ。」

「……………………。」

「でも実際はそんな都合の良い証拠なんて無いんだよ。だから警察や検察は証拠の捏造をするし自白の強要もするし…。どうあがいてもこいつが犯人なのに法の裁きを逃れた悪人は山ほどいる…。身内を殺されたのに何も出来ない遺族もね。」

「……………………。」

 荒川から笑みが消え、死んだ魚のような目つきで坂本をじっと見る。

「じゃあ決定的な証拠は無いって事ね?はいじゃあもうこの話は終わ…」

「坂本さん、首凝らない?」

「は……首………?」

 坂本から笑顔は消えた。荒川は立ち疲れたのか、再び柵に腰を掛ける。

「そこにずーっと入れてたら首も凝るだろう?髪を束ねているシュシュの中にナイフなんか入れてたら。」

「こんなところにナイフなんて入るわけないじゃん。」

「カランビットナイフ…。」

 坂本はびくっとした。

「君の異国を思わせる顔立ちと、その大きなシュシュがなんか引っかかってね…。ネットで色々探していたら面白いものを見つけたよ。」

「………………………。」

「インドネシア原産のナイフ…スマトラトラのかぎ爪をモチーフにされており、インドネシア軍を始めとした各国の軍隊が使っている。本国では女性がシュシュの中に入れて護身用としても広く使われている。…とネットには書いてある。」

 荒川はスマホを見ながらちらちら坂本を見る。

「…………。」

「一連の事件の特徴から見て、怨恨の線は無くどう見ても猟奇的殺人。つまり犯人は常にナイフを隠し持ち、いつでも人を刺せる状態にしていた。君は音花に腹を掌底された時も、俺からの缶コーヒーを落として拾う時も、やたらとその大きなシュシュを気にしていた。普通シュシュをそんな頻繁に触るもんじゃない。十月七日木曜日の正午、君と保健室前で会った時にシュシュが少し濡れていた。あれは山岸先生をナイフで刺し殺した後、手洗い場で急いでナイフを洗ってよく拭かないままシュシュにしまったんでしょ?俺の足音が外で聞こえて誰か来るかもしれないと焦って。宮司先生がトイレで手を洗おうとした時、洗面所の手洗い場に多少の血痕が残っていたそうだし。」

「え?」

 坂本はとっさにブランコの鎖を強く揺らした。

「宮司先生はそれを洗い流してしまったらしいけど、翌日の滝川警部を交えての現場検証の時、こっそり俺にだけその事実を教えてくれてね。まあ俺からしたら宮司先生もその時は容疑者の一人だったから完全には信用していなかったけど。宮司先生も、君が犯人じゃなければいいとかすかな希望を抱いていたんだと思うよ?」

「下駄箱前の階段でひそひそ話をしていたのはそれだったんだね。」

 荒川は小さく咳払いをする。

「先程、水族館でみっちゃんが君に抱き着いて後頭部に手を回そうとしたのを、君はさりげなく自分の手で止めていた。シュシュに下手に触られてナイフがこぼれ落ちるのを防ぎたかった…違う?」

「あんたってさ、何者なの?」

 坂本は立ち上がり、髪を留めている大きなシュシュを取る。

「これであたしも小説に出てくる馬鹿な犯人ってことだね?」

 腰の真ん中辺りまで髪が落ち、同時に金属音が響く。西日に照らされて、キラキラと光る何かが荒川の足元に転がる。

「これで一体…何人もの人を…。」

 荒川は立ち上がり、もう一枚のハンカチでそのナイフを拾い上げ、折りたたまれた刃先を出す。恐竜の鍵爪をそのままもぎ取ってきたかのように、鋭い曲線を描き柄の下には指を通す輪があり、刃先はこれまでの殺人の返り血でひどく変色している。荒川はそれを持ちながら再び柵に座る。

「これも竹田が神業で君のシュシュに入れたって?」

「もういいから…うざい。」

 坂本はもう疲れたと言わんばかりにブランコにもたれ掛かる。

「この四月から猫の惨殺で満足出来なくなった君は人を殺してみたいと思いついた。守衛室に忍び込み、竹田梅のスマホの番号を盗み見た君は、彼に脅迫の電話を掛け、現場に居合わせるように仕向けた。十月の六日水曜日。俺とみっちゃんが赤和桜公園から帰ったのを確認した君は、戻ってきて砂場で遊んでいた桜坂えみちゃん七歳をメッタ刺しにして殺害。十月七日木曜日の朝、野反五公園で椿明日香ちゃん七歳を同様にメッタ刺しにして殺害。同日十二時頃、保健教諭の山岸冴子先生の背中を刺して殺害。十月九日土曜日、今日の朝十時頃に野反五駅のトイレ内で用を足そうとしていた鈴原サキちゃんをメッタ刺し。そして先程の昼過ぎ二時半頃。トイレに行くと行って一旦群衆に紛れた後に竹田に近づきナイフで刺す。竹田梅はなんとかその場で踏みとどまり、咄嗟に携帯式空気入れを君のポケットに入れた。みっちゃんに逃げろと伝えようとした所で滝川警部に取り押さえられ、綾瀬警察署内の取調室で大量の血を流し倒れる…。まああの状況なら誰しも竹田を取り押さえるだろう。滝川警部は攻めれない…。」

「身内にはやさしいんだねえ。」

「君も身内だろ?そして今まで自分を虐待してきた母親を君は殺した。」

 坂本はこれまでで一番驚いた表情をした。

「何でそこまで!?」

「君は四月から今まで長袖のブラウスを着ていて、保健室で俺に会った時も体操着の下にわざわざ長袖の下着を着ていた。水族館でサメに触る時もコートの袖をめくらなかったし、俺が食っていたカップ麺からの湯気に露骨に嫌悪感を出し、缶コーヒーの熱さに驚いてとっさに落としていた。これらの事からわかるのは…虐待を受け、熱湯を掛けられていたってことかな。実はみっちゃんの家に行った後に君の家に訪問してね…。」

「ストーカーは嫌われるよ?」

 坂本の嫌味も弱り切っていた。

「あくまで捜査の為に君の母親に話を聞こうと思ってね。駄目だよ玄関は施錠しとかないと。不用心だなあ。まあおかげで君に殺された母親を発見出来たからね。鍵を掛けて無かった所を見ると、もう死体が発見されようがどうしようがどうでも良かったのかな?」

「……………………。」

「綺麗に髪を巻いて、綺麗な服を着て、ついてないテレビをじっと見て亡くなっていたよ。胸がメッタ刺しにされていて血だらけだった。まあ死後十一時間ってとこだったかな。恐らく山岸先生を殺した十月七日木曜日の夜。日付が変わるか変わらないかくらいの頃に夜の仕事から帰宅して、くたくたになって寝室の布団でそのまま寝入った所をメッタ刺しにしたんだろう。布団が血の海だったわ。寝室からテレビの部屋に行くまでの床もべっとりと床に血が付いてた。血だらけの母親を隣のテレビの部屋に引きずって運んだ際に付いたんだろう。ちなみに台所の床の色が薄くなっていたのは、そこで熱湯を浴びせられていたから…。」

「………………。」

「なぜ死体をテレビのある隣の部屋まで運んで座らせたか。まあその辺の推理はいいや。まったく死体とおままごとをさせられたこっちの身にもなってくれ。君に感づかれたくないから死体はそのままにしてきた。母親には悪いけどね。」

「あんな奴に気なんか遣わなくていいよ。私は畳で敷き布団じゃないと寝たくない。あいつの死体なんかと一緒に寝たくないと思っただけ。」

「認めるって事で良い?一連の犯行を?」

 坂本はブランコから立ち上がり、ジャケットを脱いだ。肩から腕にかけて真っ赤に変色した肌が露わになった。

「それで母親を……。」

「小説家の家でぬくぬく育った君にはわからないよね?」

 荒川は何も言い返さずじっと坂本の体を見る。その痛々しい火傷の跡が、凄惨な虐待の歴史を物語っていた。

「あと一つだけ質問していい?」

「何?」

 別人のような低い声で坂本が荒川に答える。


「なぜ竹田梅を仮の容疑者に仕立て上げた?代わりならいくらでもいただろ?」

「ああそれ?数か月前に傘を借りようと守衛室に行ったら誰もいなくてね。何気なく中に入って窓口のテーブルを見たら…楽しそうに映っている二人のガキと竹田の写真があってね。おまけにご丁寧に竹田の電話番号も上の壁に貼ってあったし。人の幸せとか温もりって、むちゃくちゃにしたくなるじゃん?」

「何?」

 荒川は凄んだ。すると坂本の顔から、これまで見せてきた天使の笑顔は消え失せ、悪魔のような醜悪な笑顔に変わっていく。

「あはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

 坂本は突如、腹を抱えて笑い出した。荒川はなおも坂本を睨み続ける。

「汚かったなー。ガキ共はうんこやら尿やら漏らして顔も涙と唾でぐちゃぐちゃにしてさあ。内臓の中もぐちゃぐちゃで…。あっはっはっはっはっはっはっは!山岸もさあ「殺さないで!まだ結婚してないから!」ってさあ!今その心配かよって!あっはっはっはっはっはっはっはっは!」

「てめえ…。」

「クソ親も散々私をいじめてきたくせに最後はあっけなかったなあ。汚い男どもに弄ばれてきた体をぐっちゃぐちゃに刺してやった時は快感だっだわー!竹田のバカも大人しく捕まれば良いのにさあ!わざわざ水族館にまで来て私を警察に突き出そうとするんだから…。だから人波に紛れて殺しちゃった…。今頃孫は泣いてるんかなあー。あっはっはっはっはっはっは!」

 荒川は柵から立ち上がった。こめかみには血管が浮き出てきており、怒りで拳に力を入れたせいで、普段鍛えている(たくま)しい上半身は服を破きそうだ。

「それがお前の本性か…。」

 荒川はスマホ取り出そうと左手に持っていたナイフを右手に持ち返そうとした。

「う!」

 荒川は突然、左手で右腕を抑えた。腕からは鮮血が噴き出し、地面が赤く染まる。肉は裂け、骨が見えた。

「ナイフが…………無い…。」

 荒川は血だらけの地面に倒れこんだ。

「あーあ。それじゃあ自慢の太い腕も台無しだねえ。」

 坂本は右手の人差し指で荒川から奪い取ったナイフをひょいひょいと回す。

「いつの間に…。」

 荒川は地面に倒れながら坂本を見る。息が荒くなり、血が溢れ出る。

「音花のせいであたし弱いと思ってるでしょう?こう見えてもあたしの母親は元々軍人でねえ。物心ついた頃からこうやって人の殺し方習ってきたわけ。出来なきゃ熱湯をぶちまけられるおまけ付きでね?あはははははは。」

 坂本は荒川の右腕を蹴ったぐり始めた。

「うわあああ!」

 荒川は腕を庇うために背中を向ける。彼の周りの地面は血の水たまりができていた

「はははははは!良い体した男が情けないね!だいたいてめえは何かと推理力を鼻に掛けて前々からうぜえなって思ってたんだよ!ほらもっと苦しめよくそがあ!!!!」

 坂本は荒川の右腕を蹴り続ける。

「うぐう!!」

 荒川はこの時初めて恐怖というものを抱いた。これまで何人もの人間に毅然と推理をし、時には烈火の如く激昂されても臆することのなかった荒川が初めて抱いた感情、本物の恐怖、本物の心が壊れた殺人鬼…。

「ちょっと音花から庇ってやったら良い気になりやがってよ!てめえみてえな勘違いしてる奴見ると虫唾が走るんだよ!クソガキやクソ親と同じでよ!」

 坂本はなおも荒川を蹴り続ける。荒川は恐怖心と痛みと、流しすぎた血のせいで意識が遠くなり始めた。

「死ぬかも………。」

             

           *


 荒川は、父である直人との会話を思い出していた。中学三年生の卒業式の直後、学校の外にある大きな公園を二人で歩いている時の記憶だ。周りでは卒業式の直後ということもあってか、記念撮影の嵐だ。

「ええ俺とあいつが…?」

「向こうの両親から頼まれてね。まだ本人には言っていないそうだが…。まずお前に話しておこうと思ってね…。」

「そんなの、あいつがOK出すかな…。」

「出すに決まってるじゃないか。二人は幼稚園からの仲だし。これまでお互い助けあってきただろう?」

「あいつは何度も暴力事件を起こして、その度に親御さんが頭を下げに行ってるけどな。」

「だからこそお前が適任なんだよ。親御さんは仕事が忙しいから彼女に付きっきりにはなれない。お前と高校も一緒なんだし。それにその為だろう?お前が体を鍛えているのは?帰宅部でその体は高校で色々な部から勧誘されそうだな!ははは!」

 荒川は腕をさする。

「彼女を止められるのは世界でたった一人…お前だけなんだ。それに彼女もきっとお前の事が好きなはずだ。これまで彼女に嫌がらせしてきた奴を何人も暴いてきたんだろう?その自慢の推理で?」

「父さんのより劣るって分かってて言ってるんだろう?」

「そりゃ僕は推理小説でお金を貰っている立場だからねえ。君と推理力に差があるのは当たり前だ。」

「ちぇ…。」

「これから俺と冬美はそのご両親と食事に行く。お前は彼女と二人で良い感じな雰囲気を作って本題に入れ。じゃあな。」

 直人は冬美と謎の夫妻がいる方へ走り、振り向き様にウインクをする。

「似合ってねえよ父さん…。しっかしあいつはクラスの一流美女たちと記念撮影しまくってるし。見計らって腕引っ張っていくか。」

 荒川も立ち上がる。遠くでは女子の集団と親たちが群れている。その中の一人の美少女が卒業証書の筒を片手に持ちながら荒川に手を振る。

「えっくん!直人さんと何喋ってたの!?こっち来て一緒に写真撮ろうよ!?」

「いや、周りに女の子が…優樹も嫌がってるじゃん。」

「え?優樹ってえっくん嫌いなの?」

 謎の美少女は隣にいる帆坂優樹に顔を近づける。

「嫌いじゃないから。綾人は女の子ばっかりだから照れてるだけだよ」

 帆坂優樹も筒を持っていない左手で謎の美少女の肩を叩く。

「そっか!えっくん推理オタクで陰キャラだから私たち以外に友達いないもんね!」

「俺に友達がいないのには、お前にも原因があるぞ。」

 女子の集団に近づきながら荒川が答える。

「まあまあ細かい事は忘れて今日はパーッとやりましょう!何たって卒業式だから!」

 天真爛漫に、かつ豪快に笑う謎の女性につられて周りの女子生徒や親たちも笑う。荒川と帆坂も「やれやれ」と言った感じで微笑みながら溜息をつく。

「あんたは本当に楽しそうだね…。」

「うーん?優樹なんか言った!?」

「うんうん…何も。」

 謎の美少女と帆坂のやりとりを見て荒川も口角を上げる。

           

            *


「ううう!!!!!」

 坂本の手からナイフがはじけ飛ぶ。荒川は薄れゆく意識の中、顔を上げると、右手を抑えて片膝をつく殺人鬼がいた。

「うぐほおおおお!!!!!」

 殺人鬼は顔を歪めてブランコの柵の外…数メートルほど先に吹っ飛ばされていた。坂本は口から血を流し、衝撃で顔が変形している。

「もう…お兄様は体ごっついくせに喧嘩はてんで弱いですね!」

「えっくん大丈夫生きてる!?」

 荒川は二人の美少女を見上げる。

 荒川ユミと、音花ユリだ。

 二人は心配そうにブランコの柵の中に入ってくる。

「どうしてお前らが…?」

 荒川はまた地面に顔をつけた。ブランコの近くの地面には矢が刺さっている。

「しかしナイフだけを射抜くなんて…やっぱりあんたは化け物だね。」

「人の顔面に蹴り入れて吹き飛ばした人に言われたくありません。」

 二人の美少女が軽く会話をし、ユミは身の丈以上の弓を器用に背中に掛ける。

「んだてめえら!」

 音花に蹴られ変形した顔で坂本が迫ってくる。

「ユミ!えっくん連れてって!」

「はいはい!お姉様も気を付けて?」

「はあ?何言ってんの?」

 音花が鼻を鳴らす。坂本は地面に落ちたカランビットナイフを再び持ち、音花に突進してくる。

「音花ぁぁぁぁぁぁ!」

 異国風美人の面影はもはや無い。

「はあ…。」

 呼吸を整えるように音花は息を吐く。

「ユミ…待て…ユリが…。」

 荒川はユミに肩車されながらブランコの柵を出る。柵の反対側では坂本が音花に切り掛かろうとしている。

「何言ってるんですかお兄様!」

「何って…?」

「お義姉様は…人類最強ですよ!?」

 音花はブランコの柵から出ると、蝶ネクタイを外し首元を緩めた。

 (そうだ…俺はあの背中を…)荒川は心でつぶやく。

「うおらああああああ!」

 坂本は目にも止まらぬ速さで音花の顔面にめがけてナイフを突き刺す。音花は、まるで小学生に交じって遊ぶ先生のように軽やかに避ける。

「避けた!?くそがあああああ!」

 狂った殺人鬼の猛烈なナイフの応酬もすべて音花は避ける。

「ふああ。止まって見えますなあ~。」

「はあ!?」

 ユミは公園を囲む柵に荒川を座らせ、振り返る。

「人類最強…まあ確かに…。全く俺には見えなかった坂本のナイフを…あいつあんな簡単に避けてるし…ははは。」

「随分血を流しましたね。お父様がすでに警察を呼んでくれています。もうこれですべて終わりましたね!」

「ああ長かった…。ついに捕まえたよ…足立区の悪魔を…。」

 二人は公園内を振り返る。

「うぐっ!」

 坂本はナイフを再び落とした。殺人鬼の手首から下が変な方向にひん曲がっている。

「うわああああたしの腕があああああ!」

「もう~うるさいな~。」

 うずくまる坂本の左頬に音花の右足のすねがめり込む。坂本はまた数メートル吹き飛ぶ。

「うわあ。何このナイフ…。血で変色してんじゃん~。」

 音花は地面に落ちたナイフを軽く蹴った。

「うううおえええええいいいいううううううう!」

 塩を掛けられたナメクジのように地面でのたうち回る坂本は、声にならない声を上げながら音花を見上げる。

「今だ取り押えろ!」

 公園内に粗暴な野郎どもがドカドカとなだれ込んでくる。滝川警部と十数人の機動隊員だ。

「離せえええええ!触るなああああああ!」

 喚く坂本に構わず機動隊員が取り押さえる。

「荒川君!うわ!何て血だ!」

 滝川警部が一人、公園を囲む柵に座る荒川とユミに走り寄ってくる。ユミが渡したタオルは荒川の腕に押さえつけられ、真っ赤に変色し、飽和量を超えた鮮血が地面に滴り落ちる。

「パトカーで病院まで運びます!さあこちらへ!」

 滝川警部が荒川に手を差し伸べる。ユミが心配そうに荒川の顔を覗く。

「ありがとうございます滝川警部…。ではお言葉に甘えて…。」

 荒川は滝川の肩に掴まり歩き出す。

「ユミ…ユリの事は…後は頼む…ちょっと血を流しすぎたようだわ…」

「はいお兄様!」

 滝川と荒川が車道に出て歩き出そうとすると、一人の美少女が道路の真ん中に突っ立っていた。

「荒川君……?これはどげんしたと?」

「みっちゃん…来ちゃったのか…。」

 みっちゃんは茫然と立ち尽くしていた。血だらけの荒川に寄り添う滝川警部と初対面のユミ。荒川の背後の公園内では大人数の機動隊員に確保され喚き散らす坂本。それをムスッとした表情で見る音花。

「こりゃどげな事なんか?坂本しゃんが取り押えられて、あとなして音花が?意味がわからん!」

 みっちゃんの巨大な髪団子はいつもよりしぼんでいるようだ。

「みっちゃん…すぐには受け入れられないと思うけど…坂本さんが連続殺人事件の犯人だったんだよ…あと猫殺しもね…」

「坂本しゃんが…。」

 みっちゃんは今にも泣きだしそうだった。

「すみません荒川君!どうしても現場に行きたいと言って聞かなくて…。」

「滝川警部が悪いんじゃありませんよ…。」

 必死に弁解する滝川に目を合わせず、荒川が半開きの目を地面に向ける。

「綾人!」

 みっちゃんが来た方向からまた別の美少女が現れた。帆坂優樹だ。慌てて来たせいか、上下スウェット姿だ。

「は!お前は音花の腰巾着の!?」

「嫌な言い方だな…まあユリと綾人の演技ももう終わりか…。」

「は!?演技!?どげな意味と!?」

 みっちゃんは帆坂と荒川を交互に見やる。

「優樹…お前まで…。」

「だってユリが犯人捕まえるってLINEしてくるから、そりゃ心配になるじゃん?一応親友だし。」

 帆坂は肩をすくめる。荒川は溜息をつきながら「もろもろの説明と…みっちゃんとユリを頼む…。ユミは…悪いがやっぱり一緒に来てくれないか…?」

「はいお兄様!」

「はよ行っといで腕だけアジの開き君。」

「アジの開き…。」

 荒川は地面を見る。

「早く行きましょう荒川君!血を流しすぎてます!」

「そうですよお兄様!」

「すみません滝川警部…すまんユミ…。」

 荒川は二人に連れられてようやく歩き出す。みっちゃんがよたよたと歩く荒川の背中を見ながら帆坂に向き直る。

「帆坂…何であんたは荒川君と下の名前で呼び合っとるんか?」

「何でって、そりゃあ小学校から一緒だし。ちなみにユリと綾人は幼稚園から一緒ね。」

「はあ!?」

 みっちゃんの団子髪が揺れる。彼女は視線を公園内に移し、駆け出す。中ではようやく機動隊員が坂本を抱き起こし連行しようとしていた。数メートル手前では音花が仁王立ちしている。みっちゃんは人類最強の女のすぐ横に走ってきた。

「音花まで…坂本しゃん…。」

 みっちゃんは音花から坂本に目線を移した。

「てめええええ道子おおおおおお!何ぼおっと突っ立ってんだよおお!そこの音花殺せよおおお!」

 坂本はなおも喚き散らし起動隊員から肩を強く引かれる。

「だいたいてめえみてえな人から笑われる事しか出来ねえクズが荒川と付き合えるわけねえだろ!現実見ろよこのうすら馬鹿が!てめえも殺しとけば良かったわ!虫唾が走るんだよ!何も考えないで生きてるてめえみてえな馬鹿を見てるとよ!」

「駄目だこいつ完全にイッてるぞ!」

「黙らせろ!」

 機動隊員に口を塞がれながら連行されるかつての親友の醜悪な姿を、みっちゃんは唇を噛み締めながらただ茫然と見つめる事しかできなかった。

「よーく見といた方が良いよ。あんな殺人鬼とあんたは一緒にいたんだよ、この半年間ずっと。」

 みっちゃんは音花を見る。音花もみっちゃんを見る。すると途端に人類最強女子は天使のような笑顔を見せながら抱き着いてきた。

「いやあやっともう演技しなくて良いんだ!みっちゃんとは一度話してみたかったんだよね!えっへっへっへ!博多弁可愛いね!そのお団子髪も可愛いね!どうやって毎朝セットしてるの!?今日うち来る?えっくんはたぶん入院するし、私一人になるから余ってるよ!?どうする!?」

「は!?え!?ちょ…。」

 困惑するみっちゃんの後ろから帆坂が話しかけてくる。

「こらユリ!直人さんから部外者は絶対入れないって言われてるでしょ?」

「えーこんな緊急事態でもそんな事言うのー?」

 たしなめる帆坂に向かって音花が口をすぼめる。

「えっくんて誰ね?荒川君の事と?今日おらんってどげな意味と?」

 みっちゃんの頭の上にはクエスチョンマークが飛び交う。

「えっへっへっへっへ!エラリー・クイーンが好きだからえっくんだよ!?それにあたしとえっくんは許嫁(いいなずけ)の関係だから一緒に住んでるんだよ!?まだ成人してないから籍は入れて無いけど!あっでもあたしはもう結婚できるのか!」

「お互い就職したら籍を入れるんでしょ?それも直人さんから言われてるっしょ?」

「ああそうか!?優樹もあたしの事になると記憶力増すよね!?」

「余計な言葉が多いな…。」

 帆坂はまた、やれやれと肩をすぼめる。二人のやり取りに、みっちゃんはますます訳が分からなかった。

「あんたは綾人とユミちゃんと一緒に病院行ってやんな。松坂さんはあたしに任せて…。」

「そう?じゃあ説明よろしくね!?みっちゃん今後は仲良くしようね!」

 天真爛漫な最強女子はパトカーや機動隊員の群れに走っていく。坂本もようやくパトカーに押し込まれたようだ。騒ぎを聞きつけ、近隣住民が車道に出てちらちら様子を伺っている。

          

           *


「はあ…まず何から話そうか…。」

 坂本が連行されてから十分後。公園内では制服警官と刑事が一生懸命現場を何やら見ている。みっちゃんと帆坂はブランコから数十メートル離れたベンチに腰掛ける。

「猫の惨殺事件は知ってるよね?」

「うん…。」

「これは殺人に発展しかねないって事でね。ユリの親父さんが綾人に依頼したんだよ。学校内に犯人がいるかもしれないから見つけてくれって。」

「河北高校におる生徒が犯人ってなしてわかったっちゃろうか?」

「事件は全部河北の周辺の公園で起きてるし…時間が全部水曜日の夕方三時…あたしたちのクラスだけその日は早く終わるから一年C組の誰かじゃないかってね。もちろんあたしたち高校生以外にも誰でも出来たわけだけど。まあとりあえず探りを入れたかったらしいよ?」

「はあ…。」

 みっちゃんはぼーっと遠くの警官たちをたまに見ながら帆坂に向き直る。

「んで、警察のお偉いさんの娘とイチャイチャしてたら必要な情報が取れないって言って。綾人はユリに学校では他人のふりしろってね。そんな言いつけをユリが守れるわけもなく、綾人にちょっかい出しちゃうから。だったらいっその事、いじめっ子といじめられっ子の関係にしようって綾人が提案してね。そしたらこれが成功しちゃって綾人も坂本と仲良くなっちゃって。まあそれが全貌かな。」

「そん事実はどれだけん人が知っとるんか?」

「ええっと校長に担任の宮司先生に、それとあたしだけだね?鷹羽も菅澤も知らないよ?まああたしは小学校四年生の頃からあの二人と一緒だから関係性は知ってたし。」

「……帆坂しゃんはそれまでどこにおったんか?」

「あたしずっと大阪に住んでてね。小四で足立区に引っ越してきたんだよ?そしたら初日にユリが話しかけて来てね。綾人も他に友達いなかったから私たちとばかりつるんでて…ちなみにユリは中三まで麻耶って名前だったから。」

「麻耶?坂本しゃんとおんなじやなかと?なして名前ば変えたと?」

「ユリがあたしや綾人を庇ってよく男子をボコボコにしちゃってさ。その度に親父さんが家族に謝りに行って。まあペナルティでもあり、今までの自分を捨てろって意味もあるし…だから私もたまに間違えちゃうんだよね。麻耶って言いそうになって。」

 みっちゃんは巨大な髪団子をポンポンとさわる。

「それで宮司しぇんしぇー、今はまだ言えんって言いよったんやなあ。それに麻耶って名前…それで…。荒川君と音花は昔から仲が良かったんか?」

 帆坂は組んだ足首の裾をまくり、ポリポリとかく。

「まああたしが出会った小四の頃からあんな感じだったね。綾人は今と変わらず本の虫で、ユリはその綾人の後ろをいつも引っ付き歩いて。まああたしも自分から友達作れるタイプじゃなかったからありがたかったけど。友達思いだけど短気でわがままで暴力沙汰が絶えないユリを見かねて、ユリの親父さんが綾人の親父さんにお願いしたんだと。綾人にユリを隣で一生見守るよう頼んでくれってね。綾人の腕って凄く太いでしょ?あれはユリの蹴りから一般人を守るために綾人が常に鍛えてるからなんだよ。んで中三の卒業式の帰り道に綾人がユリにプロポーズして。別にお付き合いしてたわけじゃなかったけどね。あははは。」

 帆坂が笑ったが、みっちゃんはふさぎ込んでいた。

「まあ、綾人って小学校の頃から推理オタクでさ。あたしの靴を隠した男子とかユリの水筒隠した犯人をクラスのみんなの前で追及したりとかしてさ、あたしもかっこいいって思ってた時期もあったけど、あいつにはやっぱりユリがお似合いだね。それにあたしは面食いだし、綾人は…顔はあんまカッコよくないけど賢いし優しいし………ああ勘違いしないでね松坂さん!私には普通に彼氏がいるから綾人の事なんて今は全然なんとも思ってないから!」

 帆坂が言い終わる前にみっちゃんは立ち上がった。座っている帆坂に正面から向き合うと、いきなり泣き崩れて帆坂の太ももの間に顔をうずめる。

「うわああああああ。うううううあたしも荒川君好いとったあああああ!ばり好いとったあああああ!それが音花ん許嫁やなんて!信じられん!あげん性悪女!そん性悪も演技やったなんて!それに坂本しゃんも親友やて思うとった!ほんなこつ親友やて思うとった!なんにしゃっき見たら悪魔んごたー顔しとって!ほんなこつえずかった!それも演技であってほしかったああああ!うちが荒川君の事ば好いとーって言うたら応援するよって言うてくれたとに!音花にいじめられとる荒川君の為にあげん怒っとったのに!あれも全部演技やったなんて!もうなんも信用出来ん!もうなんも信じとう無か!うわあああああああ!」

 みっちゃんは人目もはばからず泣いた。近くの野次馬が心配そうに見てくるのも構わず泣いた。親友だと思っていた人間が殺人鬼であったという事実…その人間に好き放題罵られた事実…最愛の男に許嫁がいたという事実…性悪で大っ嫌いだった女がその相手だったという事実…信じていた物が偽りだらけだった事実…これまで松坂道子がギリギリ保ってきた理性は完全に崩壊した。

「松坂さん…。」

 帆坂優樹はみっちゃんの巨大な髪団子を優しく撫でた。帆坂の太ももはみっちゃんの大粒の涙でびしゃびしゃに濡れ、地面まで広がる勢いだった。帆坂は自分の太ももがどれだけ濡れても嫌がることもなく、軽く微笑みながらみっちゃんを撫で続ける。泣き声は公園の周辺にまで聞こえているようだった。野次馬も物珍しそうに指をさすが、騒ぎ立てずに静かに見守る。もう夜で暗くなった辺りをパトカーの赤色灯が照らす。何分も、何十分も、みっちゃんの泣き叫ぶ声が途絶える事は無い。警察が現場検証をしている最中も、通りかかる子連れが不思議そうにしても、みっちゃんは泣き続けた。

 第十一章 終焉 終わり


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