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第一章 始動

足立区の悪魔 荒川綾人 

 

 

第一章 始動

 十月六日水曜日、教師が解散を命じた十四時二十分。一年C組の教室はガヤガヤと今後の予定を話す者たちや椅子や机を引きづる音で賑わっていた。荒川綾人は帰り支度を始め、まだ夏服の半袖からは彼のたくましい筋肉が見えている。彼が教室を一人で出ようとすると一人の美少女が話し掛けてきた。

「もー荒川君!何で一人でそそくさと帰るの!?」

「何でって…。そりゃ放課後だし…。」

 お馴染みの歯切れの悪い会話もそこそこに二人は教室を一緒に出る。坂本麻耶、一年C組で荒川の左隣に座る美少女。東南アジアを思わせる日本人離れした顔立ち、腰の中ほどまでくらいの髪を大きなシュシュでまとめているのが特徴的だ。

「荒川君てほんとミステリアスだよね!クラスで頼りにされてるのに友達居ないなんてさ!」

「余計な一言を…。」

 ぶすっとした顔でそそくさと廊下を歩く荒川に坂本は必死についていく。時たま彼女は長袖のブラウスを指でいじり、女の子アピールをする。

「すごいねー。現代文と化学は満点なのに他は点数ダメダメだったねー。」

「ああもうーうるさいなー。推理に必要無い知識は要らないんだよ…。」

「出たぁ推理オタク?。」

 ケラケラ笑う坂本に荒川は少し顔を赤らめた。すると廊下をすごい速度で走る何者かが荒川たちの後ろから迫ってきた。

「何であたしが目ば離した隙に教室出ると!?しゃては君たちデキとーとか!?」

 頭に髪で作った巨大なお団子を振り回した一人の美少女が荒川と坂本の肩に飛びついた。このバリバリの博多弁を話す少女は松坂道子、通称みっちゃんである。

「あーごめん、ごめんみっちゃん!別に出し抜いたわけじゃなくてさ!荒川君が帰宅部のエース級の速さで教室を出ていくもんだからさ!」

「俺のせい…?」

 いつも松坂道子は荒川の後ろの席に座っている。席が近いこと、とある事件を解決した事などが重なり、荒川と親交を深める。

「ばってん、あん音花って女!今日は荒川君の早弁のおにぎりば弾き飛ばしとったね!マジ許しぇん!」

 松坂道子は荒川と坂本の間に体を無理やりねじ込ませて言い放った。

「だよね!あの女!荒川君がやり返さないのを良いことに!ねえ荒川君!」

「え?…あ…うん…。」

 クラスの荒くれ者の女子、音花ユリの話をすると荒川はいつも下を向き冷や汗をかく。

「荒川君はうちが守るけん!例え荒川君が許したっちゃっても、うちゃ許しぇん!」

「おー!そうだ!」

「…………………………………。」

 盛り上がる二人の女子に反比例して、荒川はふさぎ込む。

「そうだ!このまま音花のいるバスケ部に乗り込んじゃう!?バスケではあいつ神格化されてるらしいからさ!あいつの評判落としてやろう!」

「そりゃ名案やね!行こう!行こう!」

 荒川は二人の女子の背中の制服をがっと押さえた。二人はビクっとした様子で荒川を振り返る。

「辞めてくれ…。そんなことをしたら…二人の立場も悪くなる…。」

 二人の女子は一瞬膠着したが、すぐに笑いだし荒川の肩をバシバシ叩き始めた。

「いやいや、冗談に決まってるじゃん!マジになりすぎ!」

「あたしらも本気で言いよった訳やなかばい!しゃすが荒川君は冗談に関しては素直に騙しゃれてくれるね!」

「冗談か…。」

 荒川はホッと一息つき、ハンカチを取り出し汗を拭う。

「でもさぁ、あたしたちの事を本気で心配してくれたんでしょ!?嬉しいよ!」

 坂本は荒川の頭を撫でた。

「あー!坂本しゃん!やっぱり二人はデキとったんやね!」

「いや、だから違うって!」

「喜んじゃってー。」

 三人は勢い良く階段を駆け下りる。みっちゃんの頭のお団子と坂本のシュシュが勢い良く揺れる。

        

          *


 三人が教室を出ていった後の一年C組ではまだほとんどの生徒が残っていた。

「ユリ、今日もマネージャーとして部活?」

「あー、うん…。」

「どうしたの浮かない顔してー。」

「別にー。」

 ユリと言われた少女は自分の席に座りカバンをゴソゴソ触っている。黒板に向かって一番右の最後列が彼女の席だ。音花ユリはショートヘアで茶髪、スラリとした体の美少女。彼女に話し掛けてきたのは左隣の席に座る帆坂優樹。こちらも茶髪のショートヘアの美少女で、音花より体の肉付きが良い。

「冬の大会までまだまだあるのに、熱心だねー。」

「私はあくまでマネージャーだし…。」

「マネージャー?専属コーチじゃなくて?」

「ああ、もう何でも良いから!あんたもダンスの練習あるんでしょ!?」

「まあねー。まあ下の下駄箱まで一緒に行こうやー。」

 二人の少女の背後に、さらに二人の少女が近づく。

「あたしもバレー部あるから一緒に行こー。」

「あたしはテニスだから途中で別れるけど…。」

 話しかけてきた二人の美少女。菅澤ゆずと鷹羽友美。菅澤は一八〇cmの長身でモデル級の美人。鷹羽は一四五cmの低身長だが、クリクリとした大きな瞳とポニーテールが特徴の美少女だ。

「んじゃあ全員で行きますかぁ!」

 音花の号令とともに、四人はゾロゾロと教室を出ていく。そんな四人の後ろ姿にクラスの人間たちは恐ろしい者を見るような眼差しを送る。チラリと音花が教室を振り返ると皆が慌てて目を伏せる。音花は鼻息をふんと鳴らし、教室のドアをピシャリと閉める。同時にクラスの人間たちは安心したようにため息をついた。

 四人の美少女が横一列になって廊下を歩く。

「しっかしおにぎりぶちまけるなんて大きく出たねー。クラスの奴らビビリまくってたじゃん!」

 鷹羽が小さい体をぴょんぴょん弾ませケラケラと笑った。

「一限目の終わりからいきなりおにぎり食い始めるんだもん!そういう人と違う事をするのがいちいちムカつくんだよねーあいつ!」

「言うねー!?」

 菅澤がまたもからかうように音花を覗き込む。帆坂は心配そうな顔つきで一瞬だけ音花を見る。四人は一階に降り、音花と菅澤は北の体育館に、帆坂は階段を下りてすぐ目の前にある下駄箱に、鷹羽はテニスコートのある南に向かって廊下を歩き出した。

「にしても荒川の奴、松坂と坂本と仲良いよね!」

「ふん。チョロチョロ引っ付き合ってムカつく…。」

「まあ荒川の奴が事件色々解決して席も近いしね?」

 音花と菅澤は体育館へ続く渡り廊下を歩く。体育館の入り口ではまだ誰の生徒もおらず、扉は閉まっていた。

「ああそうか。水曜日はうちらのクラスだけ五限までだからまだ人いないや。」

「んじゃあ、さっさとコートの準備して気遣い出来る所を見せないとね。期待の大型ルーキーさん…。」

「んもーユリに言われると嫌みに聞こえるー。」

「別にー。」

 二人の少女は体育館に入っていった。

          

            *


 十月六日水曜日、十四時半頃。荒川のクラスがホームルームを終えた約十分後…。校舎の南東に位置する守衛室で一人の男性が椅子に腰掛け、肘をテーブルの上に乗せながら頭を抱えている。テーブルの上のスマホを見ながら強面の彼は震えていた。

「十五時まで…あと三十分…。赤和桜公園…。」

 男性の名は竹田梅、六十一歳。元河北高校の現代文の教師である。去年の四月で定年退職してからは校長の計らいで守衛室で勤務している。拾得物の管理や花壇の水やり、夜間の戸締まりが主な仕事である。

「うーん。やっぱり行くの辞めるか…。いや、でも行かないと…。」

「竹田先生?」

 一人の白衣の女性が守衛室の扉を無遠慮に開ける。保健教諭の山岸冴子、四十歳。年を感じさせない美貌の持ち主だ。竹田はビクっとスマホを抱きかかえるように隠し、山岸を振り返る。

「ど…どうかしました竹田先生?スマホを念入りに見て…。ただでさえ怖い顔がより怖いですよ?」

「いえいえ何も!?それに私はもう先生じゃありませんよ?ははは…。」

「あら、そうでしたね。」

 山岸は訝しげに隠されたスマホを見たが、すぐに目線を上げた。

「ああそうそう。保健室の横の女子トイレに誰のか分からない黒い傘があったんで、ここに置いといて良いですか!?なんだか高そうな傘なんで誰かが取りに来るかも…。」

「ああ、そういう事ですか!?じゃあ受け取りますんで!」

 竹田は右手でスマホを体の後ろに回しながら左手で黒い傘を山岸から受け取った。

「じゃあ確かに渡しましたんで…。大丈夫ですか!?額に汗が…。」

「ああいやいや、大丈夫ですよ!?何も無いですから!」

「まあ…なら良いですけど…。」

 山岸はまたも訝しげな顔つきで扉を閉めた。

「はあ…。」

 竹田はため息をつき、再びスマホの画面を見る。

           

           *


 十四時四十分頃、河北高校を出た荒川たち三人組は赤和桜公園にいた。河北高校から北に数百メートルの場所に位置するこの公園は春には桜が咲き、年中色々な花を楽しめる大型の公園だ。荒川たち三人は公園内のブランコに座り他愛もない雑談をしている。

「見て見て!色々な花があるばい!?いっちょん種類知らんばってんね!?」

「うん?ああ花の種類は私も知らないよ?」

 二人が花について何とも浅い話をする中、荒川はブランコを漕ぎながら左横にある砂場をぼーっと眺めていた。砂場では小さい女の子が一人で砂遊びをしている。

「あらやだ!朝顔がないとたいへん!」

 一人おままごとのように女の子はブツブツつぶやきながら砂で建物を作っている。砂場は頑丈そうな金網と木の板の壁で囲まれており、荒川たちのようにブランコをこいで上から見ないと、背の低い子供が中にいるのが気づきにくい。

「荒川君?性格歪んでると思ったら女の子の好みも歪んでるの?」

「いやいや、ただ眺めてただけだから!え?俺って性格歪んでると思われてるの!?」

「取り乱す所がますます怪しかねぇ?」

 三人が楽しく話す間も女の子は黙々と砂での建設を続ける。

「にしてもこんな大きな公園で女の子が一人で砂場なんて、親は何してるんだろうね!?」と坂本がつぶやく。

「ほんなこつね!?あげな子が誘拐とかしゃるーとかな!?」

「もー!?みっちゃん縁起でもない!」

 荒川は少し考え込んでから二人の女子に顔を向けた。

「………。じゃあ二人に問題ね?あの女の子の親の職業は?」

「え?」

「なになに職業?そげん事わかると?」

「ヒントはあの女の子が言った「朝顔が無いと落ちたら大変」って言葉だね。」

 突然のクイズに二人はブランコを止め、同時に下を向きながら考えた。

「うーん、朝顔っていうけん花屋しゃん?あ!?花ん手入れするって事で校長しぇんしぇーかな!?」

「もーみっちゃん、それじゃあ校長先生のやる事が花壇の手入れしかないみたいじゃーん!」

 みっちゃんがボケて坂本が突っ込むのが会話の定番のようだ。

「んーとね、華道の先生とか?朝顔を指してバランスを保つ…みたいな!?」

 坂本が自身満々で荒川を見る。荒川は余裕の表情で坂本を見返す。

「良い線行ってるけど違うなぁ。」

「うわぁ何そのしたり顔、うざあ?」

「出た!荒川君が推理ば披露しとー時んドヤ顔やねそれ!」

「うーん、まあそうだね…。」

 荒川は観察力と広い知識を披露したい時にこのように二人にいつもクイズを出す。

「正解は建設業。」

「「建設業!?」」

 タイミング完璧に二人は声を出した。

「建物を建てる時に、落下物が通行人に当たらないようにネットや板で屋根を作るでしょ?それを建設用語で「朝顔」って言うんだよ。だからあの女の子は「朝顔が無いと落ちたら大変」って言ったんだよ。まあ両親のどちらかが建設業で、夫婦同士でそんな話をしてたのを聞いて覚えたんだろうね。んで、そんな専門的な話を子供の前でするほど仕事熱心で、かつ俺みたいに知った知識を他人にすぐ話したがるような親なんだなと推測出来る。んでこの辺には立派な一軒家が多いから所得も安定した比較的裕福な家庭環境で…っあれ?」

荒川が自慢げに知識と推理を披露している顔を二人の女子がぼーっと見つめる。

「「あっははははははは!」」

 二人の女子は同時に笑いだした。

「な…何をそんなに…。」

 荒川は恥ずかしがりながら、笑い転げる二人を見る。

「もー荒川君、少し黙ってると思ったらそんな事考えてたの!?」

「推理小説ん読み過ぎばい!?もっと人生楽しまな!」

「な…俺は十分楽しんでるし…。」

 二人の女子はようやく笑いが落ち着いてきたのか、お互いに顔を合わせ、また笑い出す。

「そ…そんなに笑わなくても…。」

「ごめん、ごめん!いやぁ建設業でそんな言葉があるのか!いやあ、荒川君って本当に何でも知ってるよね!?」

「ばってんテストん点はだいぶバラツキがあるよね!?」

「うるさいなぁ…。」

 坂本たちはまた笑い始めた。

 すると突然、車が急加速する音が聞こえ、三人は同時に後ろを見る。巨大なハイラックスが荒川たちのすぐ後ろに急ブレーキで止まると、中から担任の宮司陽子が足早に降りてきた。アフロ気味の髪型に黒縁眼鏡、語尾を伸ばす特徴的な喋り方をする人だ。

「なんだあ荒川ぁ?美女二人連れて良い身分だなぁ?」

 宮司は目を見開き、唇を尖らせながらブランコに近づいてきた。

「あーいやいや、そんなのではなくて…。」

 荒川が何かうまい言い訳を考えてると、隣のみっちゃんが喋りだした。

「荒川君から、あん砂場ん女ん子ん親ん職業は?って問題ば出しゃれたっちゃん!」

 みっちゃんが言い出し、坂本が事の詳細を宮司に話す。

「なんだぁ荒川ぁ?職業当てるってそりゃぁシャーロックホームズじゃねえかぁ。お前の好きなエラリイ・クイーンはどうしたぁ?」

「いやぁ、エラリイは面白いですけど、人に話す内容だと…。」

 荒川は目をキョロキョロと動かす。

「まあそうだな。女の子相手に難しい推理を長々と話しても飽きられるだけだからなぁ。」

「何としぇんしぇー!?まるでうち達ん頭が悪かみたいな!」

 ブランコから立ち上がり、みっちゃんが抗議する。

「ああまあまあ、そういう意味じゃなくてなぁ。まあ推理小説みたいな話をなあ、知らない人相手に話してもつまらないと思われるだけだからなぁ…って言っただけだぁ。」

 宮司は両手でみっちゃんを制しながら釈明する。

「私は荒川君の話好きですよぉ!?だって色々知れて面白いですから!」

 坂本は荒川の顔を覗き込む。荒川は照れて坂本から顔を背ける。宮司は荒川の顔を見てニヤニヤする。

「まあ推理力では荒川に負けるけどぉ、エラリイを読み込んでいるのはあたしが勝つなぁ。」

「そりゃあ人生経験が違うんだからそうでしょ…。」

「しぇんしぇーも推理小説が好きなんか!?」

「好きなんてもんじゃないさぁ。推理小説だけの部屋があるくらいだからあなぁ。」

「えー荒川君負けてられないね!」

「いや…まあ推理力では勝ってるし…。」

 四人はわあわあと雑談を楽しんだ。どうやら荒川は自慢の推理以外はもっぱらイジられてばかりらしい。

「ところで先生…。何用でこんな公園に……?」

 荒川が宮司の車をチラリと見る。そこまで大きくない道路にハイラックスを駐車しているせいで、運送屋のトラックが迷惑そうに通っている。

「毎週水曜はうちのクラスだけ授業が早く終わるからなぁ。あたしもその日だけはノー残業デイにしてるんだぁ。まあ明日から忙しいけどなぁ。」

「へーしぇんしぇーにも残業とかあるんやなあ!うちゃ大人になりとうなかとです!」

「もーみっちゃんは!実家のお団子屋さん継がなきゃ!」

「そりゃ将来結婚した旦那しゃんに継いでもらうけん大丈夫ばい!」

「なんだ松坂ぁ!?その年でもう専業主婦希望かぁ?」

「不労所得で毎日お団子食べて暮らしたかばい!」

 みっちゃんはお腹をかきながら団子を食べる仕草で宮司と坂本を笑わせた。坂本の髪をまとめているシュシュが勢い良く揺れる。荒川はふと砂場にいた女の子を見たが、どうやら水道に水を汲みに行ったようだ。

「と…言うことでお前らも遅くはなるなよぉ!まあこのメンバーは成績上位組だからまあ良いかぁ…荒川以外はぁ。」

 またもや坂本とみっちゃんがお腹を抱えて笑うのを荒川は膨れながら目を逸らす。

「あぁそうだ荒川ぁ。見せたい推理小説のあるからちょっと車に来てくれぇ。」

 荒川と宮司は公園の南に路駐してあるハイラックスに近づき、運転手側に来るようジェスチャーする。荒川が運転席に周り、坂本達から見えなくなったのを確認し、宮司はコホンと喉を鳴らした。そんな宮司を荒川は訝し気に見る。

「どの本ですか?まさか『ロビンの箱』じゃないですよね?あれはあんまり好きじゃないって前にも…。」

「荒川はよぉ。どっちが好みなんだぁ?」

「どの小説ですか!?」

「違うわぁ。坂本と松坂だわぁ。」

「え?それは…女として…?」

「それ以外あるかぁ?」

 荒川は困ったように頬をポリポリとかく。

「いえいえ!別に僕はあの二人にうつつを抜かしてはいませんよ!?」

「そうなのかぁ!?でもあの二人はお前の事好きだぞ!?」

「え?んなまさか?」

「あのなぁ。もっと大人数だったらまだしも、女の子が少人数で遊ぶのは、それは好きな男子がいるからに決まってんだろう…。」

「しかし僕には…。」

 荒川は目線を下に向けた。宮司は外国コメディー映画俳優バリに鼻息鳴らし両手を左右に広げた。

「わかってるってぇ!でもあの二人は知らないだろぉ?いつかは真実を言わなきゃならんのだからぁ。まあその日は必ず来るからぁ、ちゃあんと言葉を考えとけって話よぅ。」

 またもや荒川は下を向く。

「宮司先生…。あの話は引き続き…。」

「わかってるわかってるぅ。秘密は守るからよぉ。んでぇ?捜査の方は進んでるのかあ?」

 宮司の目の色が変わった。

「んー、この五ヶ月まったく尻尾を出さないので…。この近辺に潜んでいるはずなんですけど…。犠牲者が出る前に何とか…。」

「まあ努力してるって事かぁ…。まああたしが言える事は何も無いからぁ、引き続き頑張ってくれ給えぇ。お前と向こうのご両親にもよろしくぅ。」

「では僕はこれで…。」

 宮司は自慢のハイラックスに颯爽と乗り込み急発進した。荒川はトボトボとブランコに戻る。

「おー早かったねー。どんな推理小説だった!?」

「え?あーいや、坂本さんにおすすめしたいってう推理小説見せられたなぁ。」

「おおー。坂本しゃんもついに荒川君と宮司しぇんしぇーん仲間入りと!?」

「まあ推理小説はちょこちょこ私も読んでいるけどねー。」

 みっちゃんの頭上の巨大な髪団子が揺れる。彼女が上機嫌だと揺れるようだ。

「あーそろそろ三時かぁ。ごめん、家でやることあるから帰るね!?」

 坂本は思い出したようにブランコから立ち上がる。

「うーん平日は団子屋ん手伝い無かっちゃけど、荒川君はぁ?」

「なら、俺も帰ろう。二人で遊んでたら坂本さんに悪いしね。」

「ええ!?荒川君そんなこと気にしてるのぉ?」

 荒川がブランコから立ち上がり柵から出る際、坂本が後ろから抱きついた。

「え?」

「や、坂本しゃん!?」

 驚く二人を他所に、坂本はさらにぎゅっと荒川を抱きしめる。

「本当に優しいね荒川君!推理でみっちゃんを助けてもくれたし!カッコいいよ!」

 荒川はその場で固まり、声が出せなかった。みっちゃんは突然の事に頭と手を、わせわせ動かす事しか出来なかった。

「…続きはまたいつかに取っておこ!じゃね!」

 さすがに坂本も照れたのか、異国風美人はそそくさとブランコ横の自分の自転車にまたがり、公園から出て西に走っていった。残された二人はその場で放心状態だったが、意を決したようにみっちゃんが荒川の前に立ち両肩を掴む。夏服から見えるスラっとしたみっちゃんの細い腕を荒川はちらっと見る。

「え?どうしたのみっちゃん…?」

「荒川君と坂本しゃんは付き合うとると?」

「え…付き合ってない…けど…」

「ほんなこつ付き合うとらんのやね!?宮司嶽神社ん神しゃんに誓うて付き合うとらんのやね!?」

「付き合ってないよ…。それに宮司嶽神社は商売の神様でしょ…?」

「おーさすが荒川君、よう知っとーね。」

 みっちゃんは荒川の両肩から手を外し、自転車に飛び乗ろうとした。しかし彼女は自転車の前で棒立ちし動かない。

「うん?みっちゃん?いやいや、本当に坂本さんとは…」

「何か黒かものが乗っとって動きよー?」

「え?」

 次の瞬間、みっちゃんは荒川の体の後ろに隠れ、無言で自転車の方をツンツン指を指す。荒川は恐る恐るみっちゃんの自転車に近づくと籠の中の謎の物体はもぞもぞ動き、飛び出してきた。みっちゃんは荒川を後ろから抱きしめ、夏服でむき出しの逞しい腕に食い込む。

「ぎゃぁぁぁぁ!!化け物がおるぅぅぅぅ!!」

「みっちゃん!動けない!逃げれないから!」

 荒川は動く黒い謎の物体と…みっちゃんの絶叫…それぞれに恐怖し声を漏らした。謎の黒い物体は軽やかにみっちゃんの自転車の籠から降りたかと思うと、大きく背伸びをして欠伸をした。

「なんだぁただの猫かぁ。」

 荒川はほっとしてみっちゃんの方を見る。するとみっちゃんの目は飛び出す勢いで開かれ、真っ赤に充血している。

「ケロベロスばい荒川君!?猫はね!ケロベロスばい!?」

「ごめんみっちゃん…。何言ってんのかわからんよ…。猫は猫だよ…。相当苦手なんだね…。」

 猫が五十メートルくらい遠ざかったのを確認し、ようやくみっちゃんは自分の自転車に近づく。

「憎きケロベロスめ!ましゃかうちん自転車に乗ってまったりするとは…許すまじ!」

「良いじゃんそれくらい…。まったりしてただけなんだから…。」

 荒川は力なく笑った。

「じゃあうち、野反五駅前やけん!荒川君また明日ね!」

 いつもの明るい調子に戻ったみっちゃんは自転車にまたがり、振り返りながら大きく手を振った。たまに振った手が巨大なお団子髪に当たりボヨンボヨン揺れる。

「あのお団子髪…邪魔じゃないのかな…。」

 荒川は小さく手を振った。みっちゃんは満足そうに自転車で走り出し、すぐに公園の西に消えていった。

 荒川は徒歩で公園に対して南に歩き去る。彼は時折、邪念を振り払うように頭を強く振る。

 十月六日水曜日、夕方三時過ぎ。荒川たちが公園から去り、赤和桜公園は静寂に包まれる。先ほど水道で水を汲んでいた女児が再び砂場遊びを始めた。すると全身黒いカッパを着た謎の人物が女児がいる砂場に入ってきた。女児は思わずその人物を見上げる。

「うん?えみと遊びたいの?」

 次の瞬間、謎の人物は女児を押し倒し馬乗りになる。左手で胸を押し付け、右手の刃物で女児の胸にひと刺し…、抜いてもう一度…。何度も何度も刺しては抜いてを繰り返し、時折、臓物が一緒に飛び出る。殺人者の手を強く握り抵抗していた女児の力は徐々に弱まり、いずれ完全に無くなった。バケツや砂場は鮮血に染まり、女児の顔は恐怖と憎しみと涙…それぞれが混ざった恐ろしい顔のまま固まっている。殺人者は刃物の血を服で拭うとゴソゴソと体のどこかにしまった

              

         *


 十月六日水曜日、夕方の三時三十分頃。付近の住民の通報により、多くのパトカーが赤和桜公園を埋め尽くした。

「滝川警部!こっちです!」

「急かさんな!死体は逃げんて!」

 まだ二十代の大和会之助(やまとかいのすけ)巡査長と滝川昇(たきかわのぼる)警部だ。大和は大学生だと偽れるくらい若々しく、逆に滝川は四十代にも関わらず、すでに還暦間近の風格を放っている。坊主で体は横に大きく、大和より背は低いが体は強そうだ。

「う…これはひどい…。」  

 女児の遺体がある砂場は鮮血が飛び散り、悲惨な状態であった。

「胸や腹をメッタ刺しか…。足立区は毎年何かしらの殺人が起きるが…ここまで残忍な事件は近年無いな…。えーっとすみませんが、あなたが第一発見者ですね?」

 砂場の柵の外には他の警察官に肩を持たれながら嗚咽(おえつ)を必死に堪えている六十代らしき女性がいた。

「はい…。私が第一発見者です…。」

「辛いでしょうが…お名前とご年齢と…発見までの経緯を教えていただけますか?」

 滝川警部が聞き、大和巡査長はサッとメモを用意した。彼女の名前は松田トメ。三時過ぎに日課の散歩の為にこの赤和桜公園に来て、砂場で子供が寝ているのかと近づいたら、凄惨な現場が広がっていたという。現場の公園には死体以外無く、不審な人影も居なかったという。

「警部!女児の切り口が妙なのですが!?」

「妙とは?」

 滝川が鑑識捜査員に近づく。ガタイの良い警部でも女児の凄惨な死体を見るときは目を細めてしまう。

「切り口から推測するに、かなりひん曲がった特殊な形状の刃物で刺されています。イメージで言うと…恐竜の鍵爪のような…。五月に起きた猫の虐殺でもこのような切り口が…。」

「なるほど、ということは同一犯の可能性が一層高まったか。刃物も特殊な物が使われている。こりゃあ解決まで時間の問題だな。」

 後ろでメモを取りながら聞いていた大和はそんな簡単にいくかよ、とでも言いたげにニヤついたが、滝川が振り返ると真顔に戻る。

「よし、周辺の聞き込みと、防犯カメラの確認!それと特殊なナイフが売っている店をしらみ潰しに探せ!」

「「「「「はい!!」」」」」

 五、六名の刑事が一斉に四方に散った。

「一応、彼にも状況を伝えておくか。」

「良いんですか!?音花署長に許可取っといた方が…。彼は部外者ですし…。」

「問題無い。その辺の判断は俺に一任されている。」

 滝川はそういうと忙しくどこかに電話をし始めた。大和は尚も嗚咽を我慢する松田に寄り添いながら死体を見やる。

(ついに人の犠牲者が出ちゃった…。でもここで止めとかないと、マジで音花署長が言ってた通りになっちゃう…。)

「よし、報告はいちおしといた!現場に他に遺留品が無いかくまなく探すぞ!」

「あ、僕は松田さんとパトカーに…。」

「逃げんな大和ぉ!俺だってこんなグロい死体見たかねえんだよ!」

「ひぃ!ですよねすみません!」

        

            *


 十月六日、夕方三時三十分。赤和桜公園から南に数百メートルに位置する野反五公園。その公園のすぐ西側にあるとあるマンションの三階。荒川綾人は風呂上がりでパンツ一丁のまま台所に置いてあるスマホを見る。

「夜七時には戻るから何か作っといて…か…。まあ昨日の余り物があるから…。めんどいから鍋でいいや…」

 スマホの画面を見ながら冷蔵庫を開ける。荒川専用の二リットルのお茶を取り出すと蓋を開けグビグビと飲む。

「パンツ一枚でこんな事してたらアイツが見たら怒るだろうな。」

 そう独り言を呟くと、荒川は裸のままソファに座り夕方のワイドショーを見る。

「ついに出たか…。まだニュースにはなってない…。明日の朝イチのニュースで報道されるか。いや、早ければ夜七時のニュースでやるかな。うん…?」

 荒川のスマホが鳴る。

「ああ父さん?ああごめんな、ついに…あああら方状況は聞いた…。まあそうだな…これまで通りに学校生活は送るよ…。んじやぁ。」

 荒川は電話を切ると再びため息をついた。 

「まったく…過保護なのか放任主義なのか…。」

 事件はまだ始まったばかりである。

第一章 始動 終わり

 


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