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商人ラゴールの誤算-カモだと思っていたご令嬢は愛すべきとんでもないカモでした-

作者: 真岡鮫
掲載日:2025/11/09

「ターニャ様、ようこそお越しくださいました。お待ちしておりました」


 赤く色付いた丸いレンズ越しに、この店の主であるその男は目を細める。


「……本当に?」


 カモだ。それも上質な雌のカモ。

 結局、迷いなんていつも口だけ。甘い言葉を添えて軽く背中を押してやれば、ナバロ伯爵家令嬢ターニャは、いつだって彼の思うがままだ。


「もちろんでございます。このラゴール、今日も貴女様にぴったりのお品をご用意しておりますので、ぜひともお迎えくださいませ」


 恭しく彼女の手を取り自らを「ラゴール」と名乗ったその男は、慣れた様子で彼女の手の甲にそっと唇を落とした。


「またそうやって揶揄って……」


 炎が立ち昇るように瞬く間に首元から額まで赤く変化していくターニャの素直な反応に、ラゴールは密かにほくそ笑む。


「揶揄う? とんでもない。私はいつでも貴女様の味方ですのに」

「本当に?」


 わざとらしく睨みを利かせ彼を見上げるターニャ。

 だが頭一つ分も背が違えば、彼女の苛立ちはラゴールにとって可愛らしいものだった。


「私が嘘をつくなど、あるわけがございません」


 困惑する様子を一切見せず、ラゴールは少しだけ驚いたようにわざと大きく目を見開きターニャに微笑みかけた。


「さぁ、心ゆくまでご覧くださいませ」



 ——伯爵令嬢ターニャ・ナバロは、公爵家嫡男レオナルド・バラックに恋焦がれている。


 それは、彼女がこの店を訪れるきっかけとなった公然たる噂。


 ——公爵家嫡男レオナルド・バラックは、伯爵令嬢ターニャ・ナバロなんか好きにならない。


 それは、彼女がこの店の胡散臭い品物にすがることになった心ない噂。


 お供も連れず一人で店にやってきたターニャと、ラゴールが初めて出会ったのは、数ヶ月前。

 奇しくも、バラック公爵家主催の舞踏会だった。




 わざと傷を付け、より煌めくよう細工がされた異国のシャンデリア。

 乱反射する光が織りなす美しい眩さの下でも、その男性は決して劣らぬ輝きを放つ。

 古くは王家の血を引くとされる気品ある銀色の髪と見つめられるだけで吸い込まれそうなほど深い藍色の瞳。

 そして、何よりも驚くほど整った顔立ちに、数多の御令嬢が言葉を失くし自然と足を止める。

 そうして出来上がった女性達の輪の中心で穏やかに微笑む一人の男性。

 彼こそが公爵家嫡男レオナルド・バラックだ。


「……お嬢さん、こんなところから眺めているだけでは想いは伝わりませんよ」

「いっ、いきなりなんですの」


 その一方で壁の花と化したまま、どの令嬢よりも遠い場所で一人彼を見つめていたのがターニャだった。

 砂糖を煮溶かしたような茶色い瞳が今にも溢れ落ちそうなほど、熱心にレオナルドを見つめていた彼女になぜ声をかけたのか。

 誰かにそう聞かれたら、ラゴールはきっとこう答えるだろう。

 金の匂いがした、のだと。


「これは失礼。私は貴女のその熱い瞳に絆され、協力したくなった善意の男です」


 作り笑顔で唇を引き上げたラゴールに、ターニャは警戒心を隠さず眉をしかめ無言を貫いた。

 

「そんなに怪しまないでくれませんか。これでもそこそこ名の知れた商人なのですから」


 参加した男性達が黒い衣装に身を包む中、ラゴールはドレス生地で仕立てた真紅の燕尾服を身に纏い、肩より長いであろう黒髪を頭の上で一つに結んでいた。

 そんな奇抜な装いにも関わらず、誰も気にしていないこの状況を見るに、彼の話もあながち嘘ではないのだろう。

 それでも、ターニャの目には彼がよほど胡散臭く映ったのか、彼女は警戒心を崩すことなくじっと彼を見据えた。


「……そんなにお疑いなら一度私の店にいらっしゃいませんか? 貴女様の望みが叶う物、必ずや揃えてみせましょう」


 自信たっぷりに笑みを浮かべ、ラゴールは胸ポケットから小さなカードを取り出した。


「店の名前は『ラゴール』、私の名前です。分かりやすいでしょう? 決して店の名前を考えるのが面倒だったわけではありません」


 ターニャは差し出されたカードを恐る恐る受け取り、飾り文字で書かれた店の名をじっと見つめていた。


「噴水広場の脇にある路地を入った先、そこに私の店はございます。もし何かご入用の際はぜひ……それでは」


 恭しく頭を下げ、ラゴールはあっさりとターニャに背を向けた。


「あっ、あの! お休みはあるの?」


 かかった。

 思い通りの展開に、彼は嬉しさを隠さぬままターニャの方へと振り返る。


「そうですね。私も仕事をしたくない日がありますので、こういたしましょう」


 ラゴールは燕尾服の袖口に付いていた金ボタンを外し、手の平に乗せ彼女の前へと差し出す。


「私が店にいる日はこれを店のドアノブに下げておきますので、それを目印にお越しください。それでは……」


 可憐に咲く金色のリナリアをポケットに入れ頭を下げたラゴールは、一度も振り返らず颯爽と会場を後にした。


「さて、あの令嬢が欲しがりそうな物を仕入れに行きますか」




 その日は、朝から雲が多く肌寒い日だった。

 苦しそうに軋むドアの音と共に薄暗い店内に僅かな光が差し込むと、ラゴールはゆっくりと顔を上げ嬉しそうに微笑んだ。


「お待ちしておりました。おや? 今日はお一人ですか」

「だって、本当に店あるかどうかも分からなかったし。とりあえず、それだけ確認するつもりで……」

「興味はあれど、まだ心を許していただいたわけではない。さながら恋の駆け引きのようで、心が躍りますね」


 バツが悪そうに彼女が目を逸らすのは、図星だからだろう。


「どうぞ、ご納得いくまで店内をご覧くださいませ。異国から取り寄せた神秘的な物もございますし、きっと気に入っていただける物もあるかと……あっ、そうそう」


 わざとらしく人差し指を立て、ラゴールはその指をそっと唇の前まで持っていく。


「奥の倉庫には願いを叶えることができる特別な品もございますので、ご興味がございましたら遠慮なくお声かけください。では、ごゆっくり」


 胸に手を当て軽く頭を下げたラゴールは、椅子に座り読みかけの本に手を伸ばす。

 静かにページをめくる彼をしばらく見つめた後、ターニャは店内をゆっくりと歩き始めた。

 最初はぎこちなく周りを眺めるだけだったが、次第に店の空気にも慣れたのか、時折気になった物に手を伸ばしていた。


「ラゴール……って呼んでもいいかしら」

「もちろんでございます。ターニャ・ナバロ伯爵令嬢様」

「私のこと、知っていたの?」

「この国の貴族の方々は、全て頭に入っておりますので」


 食えない人間。そう思われることは、ラゴールにとって決して不利益ではない。

 むしろ、ターニャのように分かりやすく顔に出されるなら、ある意味それは彼にとっては非常に愉快な瞬間でもある。

 

「……これは何?」

「それは、遥か東にあります異国の髪飾りでございます」

「これが? ペンではなくて?」


 ターニャが疑うのも無理はない。

 それはまさに彼女の言うように、ガラスペンのように細くまっすぐな形状をしていた。


「不思議ですよね。実際にお見せしましょうか」


 ターニャの手からその髪飾りを取り、ラゴールは一つにまとめていた自分の髪を解くと、器用に結い直しその髪飾りを添えた。


「どうです?」

「にっ、似合ってると思うわ」


 ふいに向けられた艶やかな視線に、わかりやすく動揺するターニャ。


「ありがとうございます。ナバロ伯爵令嬢様の落ち着きのある焦茶の御髪にも映える赤でございますし、これだけで他の御令嬢方とは違う魅力的な装いになるかと」


 ラゴールが軽く頭を振ると、髪飾りは涼しげな音を奏で、それとは対照的に情熱的な輝きを放った。


「それ、いただいてもいい?」

「もちろんです、ありがとうございます。他はいかがでしょう?」

「これは何かしら……サシェ?」


 首を傾げた彼女が手に取ったのは、金糸の刺繍が施された小さな袋。

 サシェにしては中身のない薄さだが、今まで見たことのない複雑な模様の美しさに、ターニャは心奪われていた。


「それは、言うなれば『願いを込めた袋』でございます」

「願いを込めた袋?」

「えぇ。どうやら肌身離さず持ち歩く物だそうで、込められる願いは様々。自身の健康であったり、伴侶へ向けた道中の安全を祈るもの、あとは女性の恋なども少々」


 ターニャの瞳に浮かんだ明らかな動揺を、ラゴールが見逃すはずがない。


「年頃の女性であれば、当然そのような願いもございましょう……よろしければ奥にもまだこのような御品がございますが、ご覧になりますか」


 彼の思惑にすんなりと導かれたターニャは、気付けば黙って頷いていた。

  


「いかがでしょう。まずはこの美しさをご覧ください」


 カウンターに並べられた華やかな異国の品々を前に、ターニャは興味を隠すことも忘れ熱心に見入っていた。


「こちらは?」

「そちらはブレスレットでございます。何でもこれを付けるだけで、異性からのお誘いが格段に増えるのだとか」

「……なら、こちらはどう?」

「異性の気を引くことができる香水です。香りはもちろんのこと、瓶の細工がとても素敵でして。お試しになりますか」

「えぇ……」


 興味は人を素直にする。

 目の前でそれが証明されるこの時が、ラゴールにとって最高の瞬間だ。

 本心を上手に隠し飾り立てるばかりの貴族達が、自らの欲の片鱗を見つけた途端、手に入れるがために我を忘れる。

 人とは元来こんなにも自由なものなのだと、その事実を目の当たりにすることで、ラゴールはこの上なく歓喜するのだ。


「思ったより爽やかなのね。もう少し甘いのかと思ったわ」

「分かりやすく誘う香りは飽きやすいものですから。それに付ける人によって変わりますし」


 軽くひと吹き手首に馴染ませてから、ラゴールはそっと自分の手をターニャの前に差し出す。


「ほら、私の香りと相まって変化したでしょう?」

「確かに……こちらの方が落ち着いて心地良いわ」

「ならば、私が貴女様に気に入っていただけているということかもしれませんね」

「ラゴール!」


 自分の狙い通りあっさりと心を乱すターニャの言動は、はっきり言ってラゴールにとって面白みが薄い。

 他人にあっさりと見抜かれてしまう恋心。

 身の丈にそぐわないと理解できない経験の無さ。

 そして、何よりラゴールを信じ簡単に店に足を踏み入れるその純粋さ。

 どれを取っても彼にとっては赤子をあやすより容易だろう。

 だが、日々汚い腹の探り合いに付き合わされるラゴールにとっては、何も考えず揶揄う相手というのはひどく貴重なのかもしれない。


「お待たせいたしました。香水も先ほどの髪飾りと一緒にお包みさせていただきました」

「ありがとう」

「ご紹介したい品がまだまだございますので、ぜひまたお越しくださいませ」

「気が向いたら来るわ」


 そう一言だけ言い残し店を後にするターニャ。

 だが、ドアが閉まる間際に見せた彼女のご満悦な笑顔に、ラゴールは堪えきれずお腹を抱えた。


「……ったく、先が思いやられる。ターニャ様は私に一体いくら貢がれるおつもりかな」


 辛辣なその言葉とは裏腹に、店にはラゴールのひどく嬉しそうな笑い声が響いていた。


「なんだ、あんたでも声を上げて笑うことなんてあるんだな」


 ギシリと悲痛な音で床が軋む。

 そこには男が一人、何の感情も見せぬまま立っていた。


「これはこれは、お久しぶりでございます。もう別の商人に心変わりされたのかと、このラゴール悲しみにくれておりました」

「心にもないことを言うな。こんな物を買い取るのは貴方くらいしかいないのに」

「確かに。御令嬢方からの贈り物を金に換えるなど、私以外の商人なら躊躇するでしょう……ましてや、お相手がレオナルド様ともなればね」


 そんな嫌味にも眉一つ動かすことなく、公爵家の嫡男は乱暴に包みをカウンターに投げた。


「無駄口はいい。早く仕事したらどうだ」

「これは失礼……今回はタイピンですか。これはまた見事に全て同じデザインでございますね」

「無用な争いを避けるためだ。こうすれば手元に一つ残しておくだけで、どの御令嬢も自分が贈ったものだと喜ぶだろう?」

「なるほど。さすがはレオナルド様といったところでしょうか」


 ラゴールが微笑みかけると、彼は分かりやすく顔を歪め舌打ちをする。


「お前が言うと盛大な嫌味にしか聞こえんがな……ん? なんだこのやけに鼻につく香りは」

「おや、お気に召しませんでしたか? それは申し訳ございません。少々問題が起こりましてね」

「問題?」

「虫除けでございますよ。入り込んだ悪い虫が可憐な花を手折らないように……」





「おお、これはこれは! ナバロ伯爵令嬢様、お待ちしておりました」

 

 ドアを開けるなり、満面の笑みで出迎えたラゴールにターニャは面食らっていた。


「タッ、ターニャでいいわ。お邪魔してもいいかしら?」

「もちろんでございます、ターニャ様。ご贔屓にしていただきありがとうございます」


 長い手足を美しく動かし、ラゴールは最も格式高い礼で彼女を迎える。


「もう、大袈裟なんだから……」

「その髪飾り、やはりよくお似合いです。お勧めした甲斐がございました」


 今日のターニャも相変わらず素直で、焦ったように恥ずかしがるその姿にラゴールの頬が緩む。


「香水の方はいかがでしたか、効果はございましたでしょうか?」

「……全く相手にされていないと思っていたのだけど、名前は知ってくださっていたみたい」

「そうですか、それは大きな一歩でございますね。おや? 今日も付けていただいているのですね、いい香りだ」


 ラゴールの穏やかな微笑みに、ターニャは当たり前のように頬を染める。


「それで、今日はあれがほしいの。ほら、あのブレスレット」

「ブレスレット……あぁ、あれでございますね、お待ちくださいませ」


 会釈をし奥に消えていったラゴールは、しばらくしてブレスレットを手に戻ってきた。


「こちらでよろしいでしょうか?」


 ターニャの前に出されたのは、小さなガラス玉が連なったブレスレット。

 穏やかに光る透明のガラス玉と一回り大きい金細工が施された真っ赤なガラス玉、魅力の違う二つの輝きは、異国の物ならではの魅力を放っていた。


「お付けになりますか?」


 黙って大きく首を振るターニャに頬を緩ませ、ラゴールは彼女の手首にそっと触れる。


「どうです、我が国にはない輝きでございましょう?」

「えぇ、とっても綺麗だわ……」

「いかがでしょう? もちろんお望みの効果も十分にあるかと」

「……なら、ラゴールもそうなるのかしら?」

「そうなる、とは」


 珍しく言い淀んだラゴールを、ターニャはじっと見上げる。


「本当にそんな効果があるなら、ラゴールだって今私を誘いたくなっているってことでしょう?」

「あぁ、なるほど……」


 なんと可愛らしい人なのか、ラゴールは素直にそう思った。

 一方で、彼女の恋のお相手がその可愛らしさを理解できない人間だということも、彼は知っているのだ。


「そうですね。それは私がターニャ様に好意を持つ男であれば、でしょうね」

「えっ……」


 ターニャの顔から瞬く間に笑みが消えていく。


「少し厳しいようですが、物事は何もないところから核となるものを生み出すことが一番難しいのです。それは恋も然り……私からその核を感じられますか?」


 微笑みを抑え、ラゴールはまっすぐに現実を突きつけた。

 だが、意外なことに彼女は一切怖気付くことなく、彼の視線を真っ正面から受け止めたのだ。


「確かにラゴールの言う通りかもしれないわ。でもね、私だって知っているのよ」

「一体何をご存知で?」


 少し呆れたように彼が鼻を鳴らしても、ターニャは怯まずじっと彼を見つめ微笑んだ。


「恋って一瞬の出来事なの。相手にはそれが日常だったとしても、その一瞬は私にとって特別だった」

「特別な一瞬でございますか?」

「ええ、そうよ。目の前にいきなり大きな穴が現れて、私は恋に落ちたの」

「落ちた……?」

「そうなの。恋って生み出すものじゃなくて、勝手に落ちるものなの。だから、穴さえあればそんなに難しくないんじゃないかしら?」

 

 呆気に取られていたラゴールは、次の瞬間見たこともないくらいに大袈裟に声を上げ笑った。

 

「なるほど、それは失礼いたしました。では、私はそのお相手を穴に落とす手助けをすればよろしいのですね?」

「その通りよ、協力してくれる?」


 無邪気に自分を見上げるターニャの姿が、ラゴールにはなぜかひどく眩しく見えていた。


「喜んでお付き合いさせていただきましょう。では、ブレスレットは……」

「もちろんもらうわ。効果が少し気になるところだけど、こんなに素敵なんだもの。まだ他にもあるのよね?」

「もちろんでございます。また必ずや気に入っていただける品をご用意してお待ちしております」

「頼んだわよ、絶対よ!」

「承知しました。またいつでもお越しくださいませ」


 ラゴールに何度も念押ししながら、靴を鳴らしドアへと向かうターニャ。

 その勢いのまま彼女が外に出ようとした瞬間、向こう側からタイミングよくドアが開き、ターニャは目の前にいた人物の胸の中にすっぽりと収まってしまった。


「おっと、大丈夫かな? レディ」


 鈴を鳴らしたように心地よい甘さを含んだこの声。


「バッ、バラック公爵嫡男様! 申し訳ございません」


 完璧な微笑みを浮かべ、レオナルドはターニャを見下ろしやんわりと彼女の体を遠ざけた。


「怪我がないようでよかった。でも、前は見て歩いた方がいいな、万が一転んでしまっては大変なことになるよ」

「ご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございませんでした。以後気をつけます、失礼いたします」


 ターニャは慌てて深く頭を下げると、そのまま逃げるように店を後にした。


「ったく。私に近付くための姑息な手段かと思えば、ただ礼儀知らずか」

「……レオナルド様、彼女をご存知ないのですか」


 ラゴールはその違和感に僅か眉をひそめた。


「どこの令嬢だ? 全く記憶にないな」

「では、名前もご存知ない?」 

「知るわけないだろう、彼女が私の利になると?」

「なるほど」


 意地悪く笑うレオナルドに呼応するように、ラゴールもその顔に笑みを浮かべそっと呟く。


「ならば、彼女が穴に落としたい男は一体どこにいるのでしょうね……」

 



 それから一週間ほど経った頃、ターニャはまたラゴールの店にいた。

 異国の髪飾りで髪を結った彼女の腕にはあのブレスレットが光り、手首につけた香水とも相まって彼女を魅力的に彩っていた。

 

「やはりいい香りだ……ご愛用いただけて嬉しいかぎりです。それで今日はどんな物をお探しで?」


 もう見慣れたはずのラゴールの微笑みに、ターニャは未だ照れたように目を伏せる。


「あのね……人の心が知りたいって言ったらどう思う?」

「心ですか、これはまた大胆な発想をされましたね」


 ラゴールが少し馬鹿にしたように小さく笑い声を上げると、ターニャは拗ねたように視線を逸らした。


「……だって、すごく強敵なの。目の前に大きな穴を作っても、笑いながら軽々と飛び越えそうな感じ」

「おやおや、それはまた難儀なお方ですね」

「でしょう? だから考えていることが少しでも分かればいいなと思って」


 ラゴールを見つめ嬉しそうに笑うターニャ。

 その瞳には、いつものように穏やかに微笑むラゴールが映る。

だが、ラゴールの目に映っていたのはターニャではない。

 彼女が微笑んで店の品物を手に取れば、その姿は目の前で金貨へと化け、化けた金貨は必ず彼の手元へと落ちてきた。

 そう、今までは——。


「……そういうことでしたら、とっておきの御品をお持ちしましょう。お待ちくださいませ」


 ターニャに背を向け倉庫へ向かったラゴールは、何かを振り払うよう大きく一度息を吐いた。


「ターニャ……随分とだらしない顔で笑うのですね。そんな顔、一体どなたにお見せるつもりなのですか?」


 ふいに本心が口を突いて出た途端、全身から吹き出しそうなほど湧き上がってきた羞恥心に、ラゴールは思わず口を抑えた。

 気を抜けばうっかり吐き出してしまいそうほど、それは甘く蕩ける未知の感情。

 

「どうして人は、無いものに憧れるのでしょうね」


 自分にはない浅はかさと置き去りにしてきた無邪気な心。

 それが誰かに手折られる現実を目の前にしたラゴールは、倉庫にある小さな箱の蓋を開ける。

 中にあったのは白いスカーフ。

 向こう側が透けるくらい薄く頼りないその布を手に、ラゴールは倉庫を出る。

 表情は何も変わらない、いつも通り穏やかな笑みのまま。

 戻ってきたラゴールに笑顔を向けたターニャにとっては、彼は先ほどまでと何も変わらない「商人ラゴール」だった。


「お待たせいたしました、こちらでございます」


 ラゴールはターニャの前にそのスカーフを差し出した。


「これは?」

「目の前にいる人物の心が透けるスカーフでございます。この見た目の通り、お相手の気持ちが綺麗に透ける代物でございます」


 ラゴールがスカーフの端を摘み振り上げると、縫い込まれた銀色の糸に光が反射し美しい輝きを放つ。

 思わず伸びたターニャの手から逃げるように、ラゴールはスカーフを素早く自分の手元へしまった。


「おっと、安易に手を伸ばすのはおやめくださいませ。なんせ、気持ちが透けるスカーフなのですから」


 ターニャは慌てて手を引っ込め、静かに大きく頷いた。


「いいですか? こちらを身につけて誰かに話しかけると、その方の気持ちが言葉となって透けて見えるのです。まぁ、簡単に言えば言葉で誤魔化したり嘘をつけない、ということでしょうか」

 

 唇を引き上げ、ラゴールは目を細める。


「どうです、こちら最高でございましょう?」

「そうだけど……でも」


「ああ、効果に疑問をお感じなのですね。ならば、お試しになりますか」

「試す?」

「私の心、ご覧になりますか?」


 ターニャは驚きのあまり令嬢らしからぬほど大きく口を開け固まった。

 その姿にラゴールは一瞬戸惑ったものの、すぐにいつものように彼女に微笑みかける。


「効果を実感いただくなら、今この場で試すのが一番ですので……どうぞ遠慮なく」


 ラゴールは器用にスカーフまとめると、すぐさまターニャの首元へ持っていく。


「まっ、待って! 大丈夫なの?」

「もちろんでございます。ターニャ様が心ゆくまでお試しくださいませ」


 緊張して強張るターニャの体を、大きめなそのスカーフが優しく包み込んだ。

 

「どうぞ、なんなりとお聞きくださいませ」

「本当にいいの?」


 穏やかに微笑んだまま、ラゴールはゆっくりと頷いた。


「……ラゴール、私に初めて会った日のことを覚えている?」

「もちろんです。私が貴女の秘めた恋心に気付いた、あの日ですね」

「違うわ、やっぱり覚えてなかったのね」


 クスクスと楽しそうな声を上げたターニャとは裏腹に、ラゴールは不思議そうに顔をしかめた。


「ならば、いつなのです?」

「貴方が私に初めて魔法をかけた日よ」


 ますます困惑するラゴールをよそに、ターニャは笑顔のまま言葉を続ける。


「私が初めて貴方に会ったのは、王家主催の晩餐会。会場の片隅で泣いていた地味な令嬢、と言えば思い出すかしら?」

「泣いていた……」


 ラゴールの記憶の片隅に確かにその女性はいた。


「まさか、あの女性がターニャ?」

「ええ。あの頃の私は今よりもずっと地味で暗かったし、何よりお金になるような女性ではなかったから覚えていないわよね」


 驚きのあまり、我を忘れ言葉を失うラゴール。


「貴方のそんな顔が見られるなんて、このスカーフの効果は本物ね……それにあの時渡してくれたハンカチだって、私にとっては魔法のハンカチだったわ」

「それは……」

「そう、涙が止まるハンカチよ」


 美しいリナリアの刺繍が施された淡い水色のハンカチを差し出し、ターニャはゆっくりと口を開いた。


「誰もが見ないふりをして通り過ぎる中、貴方だけが手を差し伸べてくれたわ。『これは涙が止まるハンカチですから……』なんておどけてみせて。守銭奴と呼ばれていた貴方にとっては、金儲けの種を撒いただけかもしれない。けれど……」


 凛とした表情で、ターニャはまっすぐにラゴールを見つめる。


「たとえそれが作られた微笑みだったとしても、涙を拭おうとしてくれた貴方の気持ちに、私は一瞬で恋に落ちたの」

「だけど、貴女には好きな男がいるのでは? レオナルド様ではなかったようですが……」

「やっぱり勘違いしてたのね」

「勘違い?」


 次から次へと明らかになる想定外の事実に、ラゴールは初めて焦りを見せる。


「私が見つめていたのは彼じゃないわ。彼に恋するご令嬢方よ」

「ご令嬢ですか?」

「ええ、カミラ公爵令嬢様に気品を学び、クレア侯爵令嬢様からは振る舞いを盗み、ミランダ伯爵令嬢の艶やかさを真似たら、少しでも素敵な女性になれるんじゃないかと思って」

「まさか、私はそれを恋と勘違いしていたと?」

「勘違いとも言えないわ。だって、私は貴方に恋したからこそ、そんなふうに思えたんだもの」

「ターニャ様……」


 彼女は身につけたスカーフに手を添え、じっとラゴールを見つめた。


「あの時は貴方に声をかけられるなんて思わなくてびっくりしたけど……チャンスだと思ったの。だから、貴方の誘いに思いきって乗ってみたら上手くいったわ」


 そう悪戯っぽく笑うターニャの視線を受け止め、ラゴールは静かに口を開いた。


「金になる。最初にそう思ったことは否定しません、私は商人ですから」

「そうよね、だって私のこと『いいカモ』だって思ってたものね」


 自らを貶むような事実を口にしながらも、ターニャは嬉しそうに笑い声を上げた。


「でも、それを言うなら貴女自身に興味を持ったのだって、私が商人であったからです。あっさりと私に踊らされる貴女の可愛らしさを、他の誰かに盗られてなるものかと……でも、まさか貴女にしてやられるとは」

「でも、私は一度だって嘘は言ってないわよ。私は貴方に恋をして、貴方にその手助けを頼んだだけ。だって、考えてみて。貴方のことを一番分かってるのは貴方だもの。なら本人に協力してもらうのが一番でしょ?」


 勝ち誇ったように唇を上げ笑うターニャ。

 だがそんな自信に満ちた彼女を前に、商人ラゴールはいつもの穏やかな微笑みで彼女を見下ろす。


「ええ、その通りでございます。さすがは聡明なターニャ様でいらっしゃる。ですが、どうやらまだお気付きではないようで……」

「えっ」


 彼は彼女が纏うスカーフにそっと触れた。


「いいですか、ターニャ様。商人というものは欲しいと思ったら、どんな手を使っても必ず手に入れるものなのですよ」


 いつものように綺麗に微笑んだラゴール。

 

「……私が貴女を見染めたのは一体いつなのでしょうね?」




 

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