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そこに写っているのは、マグロの写真ではなかった。

甘名やよいの家は、閑静な住宅街にある。周りの家と同様、固定資産税を無視して建てられた、所謂豪邸だ。


それでも、旧榎家には負ける。一室一室に細かな目的があり、リラクゼーションルームが三つあった旧榎家は、無駄としか言いようがなかった。あの家で人を探すとなると、一旦庭に生えている樹齢何百年の庭の木に上って、御白や、御鹿を探したものである。


今思えば、榎御白が一所懸命、継いだ金を無駄遣いしようとしていたのだとわかる。あの家は、金で作りだした虚無だった。


「素敵なおうちだねっ」

「そのキャラまだ継続するんだ……」


庭に咲き誇るよく手入れされた薔薇を見ながら言うと、菊倉が引いた声を出す。仕方がないだろう。ちはやは、社交界にもこの性格で通しているのだから。


「あ、ありがとうございます。うちの、自慢の庭師が、手入れしてるんです」


甘名やよいの顔は真っ赤になっていた。極度の緊張と、佐鳥に褒められた嬉しさからくるものだろう。やよいは知らない。ちはやが、やよいをよく思っていないことを。


玄関のドアに手をかける。


「さ、さあ着きましたよ。あ、紅茶、頼んできますね」




などという、カチコチ緊張していた態度は、応接室での菊倉の言葉で吹っ飛んだらしい。


「頼む甘名、何も言わずに、ENOKIコーポレーションの社員リストを売ってくれ!」

「正気なの?」


学校でよく見る甘名やよいの顔に戻った彼女は、菊倉のことを冷え冷えとした目でみつめた。


「なに? 御鹿君に頼まれたの? やっぱり、彼は油断ならない人物ね」


おお、とちはやは紅茶を飲みながら思った。過程も何もかも省いた菊倉の言葉が、奇しくもやよいの中における御鹿の好感度を下げた。


「いや、そうってわけじゃ……」


御鹿の恋を応援する菊倉はしどろもどろになるが、


「うん、そうなんだ。社員リストが欲しいんだって」


ちはやはこの好機を逃さない。


「特に、辞めた社員のリストが欲しいみたいだよ。反感を持ってるだろうから、自分の部下にしたいみたい」


菊倉が「よくもそんなペラペラと」という呆れたような視線を送ってくるが、無視だ。


辞めた社員のリストが欲しいのは本当だ。いまだに会社に留まっている社員でなく、辞めた社員達が犯人ではないかと、ちはやたちは目星をつけていた。それが、榎御白に恨みを持っている人間である。


だが。甘名やよいは、妙なことを言う。


「菊倉君、私が榎御白にかけてた疑いを覚えてる? 経営破綻をあらかじめ仕組んでいたという話」


菊倉は、言いにくそうに「ああ」と頷いた。ちはやは思わず菊倉を睨んだ。


この男、冗談めかして言っていたのに、実際にはちはやに鎌掛けしていたのである。


「あの時は結論を急いでしまったけど、少し補足するわね。私の父がそれを疑ったのは、あまりにも、社員の中に不穏分子がいなかったからよ」




通常、傾いた会社を建て直すのに邪魔なのは、旧経営陣と、それに与する社員である。


「自分の利益を害する者として、非協力的なのは勿論のこと。最悪なのは、会社をよく見せようとして、嘘の数字を見せてくること」


会社を建て直すのに必要なのは、正確な数字である。嘘や誇張された数字を元に再建計画を立てたところで、赤字から脱せられるわけもない。


「……だけど、そんな人間は誰一人としていなかったと、父は言っていたわ。経営陣も、引き継ぎに協力的すぎた、って」


これまでの経営態度からして考えられない、明確で完璧な数字。驚くほどにスムーズに、再建は進んでいったという。


甘名やよいは、困惑しているようだった。そして、ちはやと菊倉も困惑していた。


あの男が経営破綻を仕組んでいたことは、あの男がちはやに御鹿を頼みにきたときにわかっていた。

けれどそれが、あの男単独のものではなく、組織的なものだとは思わなかったのだ。


「やべえ、あてが外れた」


菊倉がぼそっと呟く。ちはやも心の中で同意した。


犯人は、経営破綻に恨みを持つ人間。もしかしたら、わざと破綻させたことに気付いた人間……だと思ったのに。容疑者候補すらいないときた。


それなら一体誰が、ちはやの御鹿を攫ったというのだろう。御鹿と誘拐犯の会話からして、榎御白が関わっていることは明白なのに。


…………いや、そもそも。


「ちはやちゃん?」

「どうして、攫ってから聞き出さなかったんでしょう」


わざわざスマホに文字を打って、会話をしたのだろう。声を聞かれたくないから? そんな慎重さがあるのに、なぜ悠長に御鹿と会話をしたのだろう。


する必要のない会話を、なぜ。実際、菊倉に聞かれてしまっているというのにーー!?


「……っ」


瞬間。


ちはやの肌が総毛立った。「もしかして」、


「わざと、聞かせた……?」






「ちはやちゃん達は、甘名家に行ってくれたらしいよ御鹿。偽装工作した甲斐があった」


マグロ漁船から降りた榎御白は、七年ぶりに再会した我が息子に話しかけた。「実の息子を殴って誘拐する奴がいるか!」などと喚いていた息子は、今はすっかりおとなしい。お抱えの催眠術師に催眠させたからだ。


おかげで、ただでさえぼーっとしている顔が、更にぼーっとしてしまった。


「御鹿、これ、何かわかる?」

「とりゅふ」


きのこなら何でもトリュフだと思わせる催眠は成功した。


人の認識を歪める催眠は、たとえば、核のボタンを早押しクイズのボタンに誤認させたりすることができるお役立ちものである。


御白としても、実の息子に催眠とかはしたくなかったのだが、どうやら()()()()が生じていたらしい。


御鹿から没収したスマホ。御白はぽちぽちと操作して、メールボックスを開く。


「やっぱり……」


未開封になっているメール。


画面(そこ)に写っているのは、マグロの写真ではなかった。

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