甘名やよいは、魔法を解いただけだ
空転するペダル。それを見て、佐鳥ちはやは、買ってきた卵をエコバッグごと落としそうになり、持ち堪えた。
「……いけない、私としたことが」
ぽつりと呟いて、周囲に視線を走らせる。
「出てきたらいかがですか、菊倉様」
「メイド服着てるとそっちのモードなんだな、ちはやちゃん」
物陰から出てきたのは、ちはやの大切な主人に最近ひっついている男だ。この男、最初から怪しいと思っていたのだ。ちはやがいくら妨害工作をしても、めげずに、ちはやの御鹿から離れなかった。
どころか。
「私が彼氏募集中という噂を流したのは貴方ですね」
「あれ、そこまでわかってたんだ」
二人の間に、冷たい空気が張り詰める。
ちはやの妨害工作をものともしないだけでない、目の前の菊倉という男は、逆に、ちはやと御鹿を引き離す工作さえしてみせたのだ。
「学校でキャラ変したのは間違いだったな。もっと男ウケしにくいキャラにすれば良かったのに。ああ、高嶺の花になれば、榎が振り向いてくれるって思ってたとか……っと、あぶねー」
菊倉がしゃがむ。ちはやがその首を蹴り飛ばそうとしたからだ。
「今はメイド服だろ。良家のお嬢様が、下着が見えるぜ」
「ご安心を。スパッツです」
「それはそれで……」
奇妙なことを口走った菊倉は、ちはやの二撃目を前にして、両手を挙げた。
「あー、降参降参」
ちはやは、振り下ろそうとしていた足を止めた。そのかわり、菊倉の胸ぐらを掴んだ。
「御鹿様は、どこですか」
「それは、君がいちばん知ってるんじゃないか?」
「死にたいのですか」
「頭に血が昇ってる、短絡的な脅し文句だな」
苦しそうにしながら、減らず口を辞めない菊倉。仕様がない。ちはやは、息を吐いた。
鞄からボールペンを取り出す。高校ではあまり使わないが、これは、とあることに役立つのだ。
芯を出して、自分の首にあてがう。
「おい、洒落になんねえぞ……」
胸ぐらを掴まれている時よりも、顔色の悪い菊倉の声は震えている。その手首を掴んで、強引にボールペンを握らせながら。ちはやは冷静に告げる。
「貴方は、これから佐鳥家の後継への殺人罪で逮捕されます」
誰を殺したって、罪は変わらない。不敬罪や尊属殺人罪はなくなった。けれど、賢い菊倉にはわかるだろう。誰を殺したって、同じではないことが。
「……っ、わかっ、た」
ちはやは手を緩めた。菊倉は、ひどい顔をしていた。ちはやの大切な男の子は、きっと、菊倉の心配をするのだろう。
なにせ彼は、あの父親の言葉を正直に守っているからだ。
「ったく、覚悟、キマり過ぎだろ……」
「そうでないと、御鹿様を守れませんから」
「健気だなぁ」
脂汗をかいている菊倉のこめかみを、ハンカチで拭ってやる。菊倉は笑った。
「やべ、惚れそうだわ」
「棒読みで言われても」
地面に座る菊倉に、ちはやは手を差し伸べる。菊倉はその手を取らなかった。
「まあ俺は、榎が連れ去られる一連の流れしか知ってないけど、だいたいこんな感じだ……ちはやさん? お顔が怖いですよ?」
「あの亡父、どこまでも御鹿様を苦しめて……」
声を出さない誘拐犯。だが、御鹿の会話の内容からして、榎御白を目的とした犯行であることは予想がついた。
「それで、貴方はなぜここに?」
「そりゃ、榎を守るためだよ。朝、ちょいと電子チラシを覗かせてもらってな、榎ならここに来るだろうと待ってたんだよ」
「何から、守ろうとしたんですか?」
ちはやのことを指差す菊倉。ちはやはこめかみに青筋を浮かべた。
「私が御鹿様を傷つけると?」
「現在進行形で傷つけてるだろうが。庶民になりきれない、かといって上流階級でもない、社会から榎を孤立させてるのは、君だろ、ちはやちゃん」
「……」
「えーっと、なんだっけ」
菊倉は、殺したくなる笑顔で、
「精神魔法。ちはやちゃんは、榎にそれを掛けられてるって遠回しに伝えたんだろうけど……とんでもない。むしろ君が、榎に幼い頃から精神魔法を掛けていたんだろ?」
核心に触れた。
「甘名やよいは、君が榎に掛けた魔法を解いただけだ」




