いや、今日は、歩いて行きたい気分なんだ
株式会社ENOKIコーポレーション。
この情報量がまったくない何をやってるのかわからない社名は、父がつけた。
ちなみに、ENOKIコーポレーションの元の名前は榎織物加工。これで何をしてるか一発でわかるだろう。そう、父の会社は、ただいま絶賛衰退中の繊維産業の会社だ。
俺から見て高祖父の代からある会社で、元の元の名前は榎紡績である。高度経済成長からバブル崩壊、リーマンショックまでを味わってきたそれなりに歴史のある会社だが、このたび父が見事に傾けさせて更生手続きと相成った。
創業百余年にも渡る大企業だったから、更生手続きというわけである。
そして俺は、そんな大企業の社長令息だったから、自転車の乗り方も知らない。俺の運動能力は絶対に関係がない。
なぜこんな話を持ち出したかというと、平たく言えば、何をやっているのかわからないENOKIコーポレーションを見事に再建させたのが、誰あろう、甘名やよいの父親だからである。
俺たちの関係としては、社長を追われた社長令息と、その会社を建て直そうとしている社長令嬢になるわけなのだと、嘆息しながら甘名やよいは教えてくれた。
平たく言えば、俺は甘名が突っかかってくるわけを、わかっていなかったのである。
で、甘名は当然、それをわかっていると思っていたので、俺に精神魔法を掛けていたわけだ。
そんなこんなで、両者の誤解も解けた昼休み。
「ほんっとーに、何も知らないのよね?」
なぜかついてきた菊倉も交えた説明会。衝撃の事実に口をあんぐりと開けるしかない俺に、甘名は疑いの視線を寄越す。くそっ、甘名め、誤解が解けたのにまだ魔法を掛けてくるとは。
俺は口を閉じ、胸を抑えながら、勢いよく頷いた。甘名はまたも嘆息。
「私は貴方を買い被りすぎたようね。いえ、貴方の父親である榎御白も、人に警戒心を抱かせない人間だったと聞いているわ」
隣にいる菊倉が「やっぱり」と声を上げる。なにがやっぱりなのかわからない俺は、甘名を見た。
「誰に?」
「父に、よ。貴方、貴方の父親の会社がどうして経営悪化したか知ってる?」
「確か、新事業に手を出して粉飾決算をして……的な」
「そう、粉飾決算。一番わかりやすい、棚卸資産の水増しをしてたの。破滅的な大損を隠すためにね」
甘名の目が、すうっと絞られた。
「更生手続きをする会社というのは、すべてが手遅れなのよ。内部にいる社員は不正に気付かない。だけど着実に、腐っていっている。父は多くの会社を再建に導いてきたけれど、まずは腐っている部分を見極めないといけないと言っていたわ」
「単刀直入に言ってくれよ甘名。昼休みが終わっちまう」
甘名の声に聞き入っていた俺は、せかす菊倉を睨んだ。なんてことをしてくれてるんだこのクラスメートは。
自分のスマホを見た甘名は、「それもそうね」と言って、改めて、俺のことを見つめた。関係ないが、距離がとても近い。俺たちが今話しているのは校舎裏だが、そこにはベンチが一つしかない。
最初は甘名に座らせて、俺たちが立ち聞きしていたのだが、「足が疲れるわよ」と言って、甘名は俺たちをベンチに座らせてくれたのだ。
「つまりね、榎……と言うと貴方の父親も連想されるから、御鹿君でいい?」
俺は一も二もなく頷いた。甘名は長いまつ毛を瞬かせて。
「榎御白は、半年で経営を立て直せるように、あらかじめ仕組んでいた、ということよ」
「私をハブって甘名やよいとお話しして、楽しかったですか」
語尾を上げない疑問系で、俺の隣を歩くちはやはそう言った。今はメイド服である。
そう言われても、ちはやは昼休みも男子にモテモテだったし、なんなら女子にもモテモテだったし。俺が近づくとみんな怒るし。
「スリッパ使ったか?」
「二人に使いました。これで害虫は駆除されましたね」
「俺が一回履いたスリッパだからな、効果は覿面だ」
笑いながら言うと、ちはやはなぜか「はっ」とした様子で、おろおろとし出した。
「そうでした、坊ちゃまが履いたスリッパでした」
ちはやは冷静だが、稀にこうやってオロオロすることもある。そのポイントが俺にはわからない。
「ちはや」
なんやかんやで、ハブったことは流せそうである。
俺はそんなゲスな考えを抱きながら、自転車をとぼとぼと引きながら歩くちはやの肩を、ぽんと叩いた。
「今日は卵が安いんだ。買い物して帰ろうぜ」
「では早速、リムジンにお乗りください坊ちゃま」
元気を取り戻したちはやが言うのを、俺は断った。
「いや、今日は、歩いて行きたい気分なんだ」




