いや、なんか、めんどくせえなって
移動教室の時である。
「お前の父親さ」
やたらと父に言及してくるクラスメート。科学の教科書を抱えながら、俺はそっちに振り向く。
「マグロを見たくなったのか?」
「いやそうじゃなくて……お前の父親さ、もしかして、名前ーー」
そのときだ。
「うっっ」
「大丈夫か、榎!」
胸を抑えて立ち止まった俺を、心配するクラスメート。
「はじま、ったか……」
「何が始まったんだ榎!?」
「逃げろ、菊倉……お前も巻き添えになるぞ」
「何の巻き添えになるんだ榎!?」
俺は、震える指であちらを指差した。そこには、凛とした顔の、一人の女子生徒が立っている。
「甘名がどうしたんだ榎!」
「あいつが、あいつが、俺に精神魔法を掛けてくるんだ……」
「わりとお前の言ってることがわからないぞ榎!」
そうしてる間にも、俺の元に、甘名が近づいてくる。俺は震える体を叱咤して、甘名に対峙する。
「お前のクラスは、体育、だろう……」
「人の少ない時に言っておきたくて」
甘名は、冷たい瞳で俺を見下ろした。
「ちはや様を解放しなさい。どんな弱みを握っているか知らないけれど、佐鳥家の令嬢を、貴方が好きにしていいはずがない」
「くっ……」
「傷ついたのか榎、おのれ、甘名やよい!」
「いや、いいんだ、菊倉」
いきりたつ菊倉を、俺は腕で制した。
完っ全に勘違いだが、その正義感が、俺には心地が良かった。
わざわざ人が少ない時を狙って、ちはやの個人情報を必要以上に漏らさないところもポイントが高い……なんで菊倉はセーフだと思われたのかはわからないが。
「くっ、いつも言っているが、俺はちはやを好きにしてないぞ。むしろ好きにされている方だ」
「信じられないわ。そうやって、馬鹿のふりをしたって、貴方の研ぎ澄まされた頭脳は隠せない」
「何言ってんだこいつ」
この失礼なツッコミは、菊倉の方である。俺は地味に褒められてまた胸を痛くしているというのに。
「貴方の策謀をもってすれば、ちはや様をどうとだってできるはずよ」
「くっ、そこまでわかっているのに、俺に直接説得しに行く愚直さがたまらん!」
「榎さぁ」
甘名が来た時と違って、俺と菊倉のテンションは真逆だった。俺のテンションと心拍数が上がっていくに従って、なぜか、最初は同情してくれていたであろう菊倉のテンションが下がっていく。
面倒くさそうに菊倉は口を開いた。
「実際問題、なんでちはやちゃんは榎に付き従ってるんだ? 幼馴染でも、仲悪い奴はいるだろ」
「わからん」
「わからんて。それじゃ、誤解も解けないだろ」
「誤解も何も、その男は能ある鷹なのだから、仕方ないじゃない」
「甘名はちょっと静かにしてろ、な?」
甘名を宥めて、菊倉は必死そうに俺の肩を掴んで揺さぶった。
「ほら、あるだろ、榎ぃ! お前がちはやちゃんに見捨てられてないワケが!」
俺は顎に手をあてた。もうすぐ始業のベルが鳴りそうなんだが。
「必死だな菊倉……強いて言うなら金か? ちはやは、俺のところになんかこう、修行的な感じで送られたから、修行先が没落しても関係なかったとか?」
「おお、それはありそうだな!」
「佐鳥家の令嬢が、没落した家に仕えていたら面子丸潰れなのに、そんなことあるわけないわ」
ぴしゃりと、俺の考えを否定した甘名。
「どう考えても、あの方の自由意志を貴方が奪っているとしか考えられない」
「いや他に考えられるだろ」
思考中の俺の代わりに答えてくれる菊倉。どうでもいいが、なぜこの男は俺をこんなに庇ってくれるんだろうか。
「なにか、特殊なことをしてるんでしょう?」
「特殊なこと……あっ!」
そこで俺は、ちはやが言っていたことに思い当たった。
『私は今も、魔法を掛けられているのですよ』
「精神魔法……!」
「精神魔法って、さっき言ってた」
菊倉の言葉に、俺は頷く。
「ちはやは言っていた。俺と同じように、精神魔法にかけられているのだと」
「それは、新証言ね……!」
目を瞠る甘名。しらじらしい奴だ。俺に精神魔法をかけているくせに。
「体温上昇、心拍数増加……ちはやも、同じ症状に悩まされているんだ、きっと」
それで、仕えていても何のメリットもない俺に、仕える羽目になっているのかもしれない。
「あれは、ちはやなりのSOSだったのかもしれない……どう思う、菊倉」
途中から何も喋らないようになった菊倉の方を向くと、奴はうずくまって頭を抱えていた。
「どうした菊倉」
すると、菊倉はじとっと俺を見て、
「いや、なんか、めんどくせえなって」




