それは、どっちに言った言葉だったんだろう
「さて、と」
俺は、父の方を見た。父は「な、なんで」と動揺している。俺が近づいてくるのを見て、少し、怖がっているようにも見える。
昔から、父は俺と違って頭が良い。俺がこれから言う言葉を、予測できているんだろう。
なら言わないという選択肢もあるが、あえて言わせてもらう。
「父さん、ここだけの話だけど」
「な、なんだろうな〜」
父は思い切り目を泳がせていた。会社を経営していた時よりも、マグロを見ていた時よりも。目も合わせてくれないのに、いちばん、俺を見てくれている気がする。
ちはやと甘名やよい、それに菊倉がいる前で恥ずかしいが、せっかくの機会だ。言っておこう。
「俺は、父さんがいなくてとても辛かった」
「……御鹿」
「仕送りしてくれたことには感謝してる。でも、父さんがいれば、あのとき……あの、授業参観の日に……」
俺は俯いた。本当に悔しかったのだ。
「放課後買い物した時に、おひとり様一点限りのトイレットペーパーを、三つも買えたんだ」
「あ、実利の方向なんだ」
父がほっとしたような、残念なような顔で言う。俺はそんな態度に怒りを覚えた。
「近年稀に見る安さだったんだぞ。ストックしておけば一年は困らない」
「それは言い過ぎです坊ちゃま」
冷静なちはやのツッコミが耳を打つ。たしかにそれは言い過ぎた。
「まあ、その、なんだ」
俺は頭を掻いた。本当に言いたかったことは、そうじゃなくて。
俺は、父を再度見つめた。父は口を動かそうとしてやめた。泳いでいた目が、俺のことをしっかり見ている。
「マグロ漁船に乗っても、忘れないでくれてよかった。催眠はやりすぎだと思うけど」
言いたいこととは違うことを言ってしまったが、俺はまあ、満足だった。父の中で、俺という存在は、案外大きいらしいことがわかったから。
「御鹿……ごめん、ごめんなぁ……」
父は袖で目元を拭った。こんな父を見るのは、初めてだった。いやきっと、俺が物心つく前に亡くなってしまった母さんの時にも、こんなふうに泣いたのかもしれない。
「催眠、完全に解いてもらおう。少し待っててくれ、敷田さんを呼んでくる」
「御鹿君、あらためて、ごめんなさい」
父が扉の向こうに消えた後、深々と、甘名やよいは俺にお辞儀をした。
「貴方は、なにも悪くなかったのね。ちはや様と、とても良い関係を結んでいた」
「や、やめろ」
俺は狼狽した。
そんなに真摯に謝られたら、好きになってしまう。自分の間違いを訂正して謝ることのできる人間がけっこういないことを、俺は知っている。
「こちらこそ、君に会うたびに奇行をして悪かった。もう、できるだけ、最大限努力して、しないことをお約束する」
アレは俺の奇行だ。甘名やよいの精神魔法などではない。
だって、その証拠に、俺はちはやに会う時は、なんか体温が〇.一度高くなった気がするから。あまりにも近くにいすぎて、それが普通になってしまったけど。
相談に乗ってくれたちはやには悪いが、俺の場合、べつに、魔法に掛けられているわけではないようだ。精密検査をしないと。
「ちはや、精密検査ってどのくらいの値段で受けられるんだろうか」
「坊ちゃま……」
ちはやが悲しそうにこちらを見てくる。なぜだ。
「ちはや、精密検査ってどのくらいの値段で受けられるんだろうか」
それを聞いて、私は少し悲しくなった。なぜか、御鹿君との距離が遠くなった気がしたからだ。
ちはや様と入院日程を立て始め、ああでもない、こうでもないと盛り上がる姿に、自然と声が出る。
「……良いなぁ」
それは、どっちに言った言葉だったんだろう。




