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第31話 あなたと私



 前列に相馬さんと清川さん、後列に私と田沼さんという2列の配置で駅の方へ向かった。



 思えば、私が入社してから初めてこのメンバーで道を歩いている。同じ事務所の中、毎日この4人だけで仕事をしてるのに……。

 なんだかすごく感慨深い。



 その道中で清川さんは『終わったら飲み会においで』としょうこちゃんに電話をかけていた。



「あ。ついいつもの居酒屋に向かっちゃってたけど、伊吹あそこじゃない方がいいんだよね?」



 相馬さんが思い出したように振り返って私に聞いてきた。



「あっ……そうですね、出来たら別のお店の方が……。すみません……」



 私も嫌な記憶を思い出してわがままを言った。



「全然いいよ、別にどうしてもあそこがいいってわけじゃないし」



 右隣の田沼さんはまっすぐに前を見据えている。だけど、なんとなく私と相馬さんのやり取りを面白くなさそうに思っていそうな感じが伝わってくる。

 そんな田沼さんのそのまた右隣に、電話を終えた清川さんが少し下がって並んだ。口元に軽く手を添え、横から田沼さんに話しかける。



「伊吹ちゃんね、前にみんなで飲みに行った時、いつも行くお店の店長にナンパされちゃったの」


「えっ?!」



 田沼さんが、田沼さんらしからぬ大きな声を出した。



「だから伊吹ちゃんがいる時はそのお店に行かないの」


「そうなんですね……」


「伊吹ちゃんてさ、すごく優しい子なのに興味がない人からの好意には情け容赦ないのよね。その時もね、人が変わったみたいに怒ってて私びっくりしちゃった。……で、これは私の想像なんだけど、そうゆう子って逆に、好きな人にはとことん甘々になるんだろうな〜って。きっと田沼ちゃんには『好き好き』がすごいでしょ〜?」



 内緒話のような仕草とは相反して、その内容は全てしっかりと私の耳にも届いていた。届いていたと言うよりも、届くように話していた。



 こうゆうところが本当に清川さんは長けているなと尊敬する。瞬時に田沼さんの感情の変化に気づいて、フォローをしてくれたんだろう。しかも、私から話すには角が立つような話だと分かった上で、自ら説明してくれつつ、嘘という脚色もなしに上手くまとめてくれた。

 


 こうゆう誰にも評価されないことを率先して出来る人こそ本当に優しい人だと思う。そしてシンプルに、『いい女』というのはこうゆう人のことを言うんだなと脱帽する。



 清川さんのセリフ終わり、私は視線だけで田沼さんへの一途な想いを伝えた。強い念をこめたからか、田沼さんは肩を叩かれたみたいに私の視線に気づくと、目が合った2秒間で私の想いをちゃんと感じ取ってくれたようだった。



 清川さんの言うことには何も返せなかった田沼さんだけど、ほんの数ミリだけ上がった口角がそう教えてくれた。



「どこにするー?みんなどこがいいとかあるー?」



 一人で辺りを見渡しながら歩いていた相馬さんが一旦立ち止まると、清川さんは相馬さんの元へ戻りその腕に掴まった。



「はい!は〜い!私、行きたいとこある!最近ちょっと気に入ってるお店なんだけど、そこでもいいかな?」



 全員の顔を見て笑顔で尋ねる。

 他のあても異論もない私たちはすんなり了承して、清川さんを先導にいつもの南口ではなくお店があるという北口へと向かった。





***





 あるビルの3階までエレベーターで上り扉が開くと、そこからすでに店内になっていた。

 そこは比較的新しめで、和テイストの居酒屋さんだった。私に第六感なんてないけど、なんとなくいつものお店よりも気がいい気がする。



「いらっしゃいませ〜」



 店員さんの一人が私たちに気がつくと、その他の全員が至るところで同じ言葉を繰り返した。幾重に重なるその声を聞いて、気の良さの理由を知った。



 そっか……ここ、店員が女子ばっかりなんだ。把握する前に感じ取るなんて、自分は筋金入りの男嫌いなんだなと改めて思う。レズだからってここまで男を毛嫌いする私みたいなタイプは珍しい。



 清川さんが個室希望の旨を店員さんに話している間、私は一人そんなことを考えていた。



「大丈夫?どうかしたの?」



 よほど真剣な顔をしていたのか、考え事にふけってしまっていた私を田沼さんが気にしてくれた。



「いえ。ただ、このお店見る限り男の人がいなくて落ち着くなーって思ってただけです」


「……そうだよね、男の人がいたら伊吹さんすぐ狙われちゃうもんね」


「いや、そうゆう意味で言ったわけじゃ……」


「おーい、2人とも行くよー」



 清川さんの側にいた少し先の相馬さんが私たちに声をかけてきた。



「あ、はーい!」



 元気よく返事を返すと、



「……そっか、伊吹さんの場合は男も女も関係ないよね」



 世捨て人のような諦め口調で田沼さんはボソッとそう言った。



「あの、田沼さん……?」


「早くー!何してんの?」



 もたもたしていて相馬さんに煽られる。



「呼んでる。行こ」


「はい……」



 あれ?やっぱりまだなんか不穏なんだけど……。田沼さん、相馬さんのこと結構気にしてる……?

 この飲み会大丈夫かな……



 田沼さんの後ろを歩きながら、そこはかとなく不安になってきた。



 店員さんに案内され外れにある個室エリアに着くと、一段上がって入る入り口の手前に靴を脱ぐ空間があった。

 下駄箱に靴を入れて廊下を進んでいく。すると、テーブル席の騒がしい声は遮断され、まるで別のお店へと移ったみたいに印象がガラリと変わった。

 廊下づたいには左右にいくつかのふすまがあり、時折中からは何を話してるかまでは分からない会話が聞こえてきた。角を一つ右に曲がり、廊下の突き当たりが見えたところで、店員さんは奥から一つ手前の襖を開けた。するとそこは、こじんまりとしながらも、ちょっとした旅館のように高級感と味わいのある和室になっていた。

 粗い木目の入った飴色の四角いテーブル、うっすらとい草の香りのする畳、正面には価値は低かろうけど、ちゃんと掛け軸と壺まで飾ってある。



「へー、雰囲気あるー!」



 酒さえ飲めれば環境なんて何も気にしなさそうな相馬さんのテンションまでもが上がっていた。



「わぁー!なんかみんなで温泉でも来たみたい!ね?田沼さん!」


「うん……素敵だね。居酒屋とは思えない……」



 田沼さんもまた、非日常を感じさせてくれる空間に少なからず心が躍っているようだった。その輝かせている瞳を見つめながら、無防備な左手の指先に、かすめるようにしてそっと触れた。田沼さんがはっとして私を振り返る。



「……隣同士で座りましょうね」



 こっそりそう言うと、田沼さんは私の指先をきゅっと一瞬握って小さくコクリと頷いた。



「ふふ、いいでしょ?いいでしょ〜?」



 すでに部屋の中へと足を踏み入れている清川さんは、みんなの好評ぶりに満足気だった。

 私の右に田沼さん、その正面に清川さん、そしてその隣、私の正面に相馬さんの位置でそれぞれが陣取る。

 「みんなビールでいいの?」と相馬さんが聞くと、腰を下ろしきる前に全員が賛同した。



「あれ?ここ、モバイルオーダーとかじゃないんですか?メニューしかない……」



 私がキョロキョロと部屋を見回すと、清川さんがテーブルの上に身を乗り出した。



「もちろんそれも出来るんだけど、今日はちょっと。実はここの個室ね……」


「失礼致します……」



 話を遮るように襖の裏から声がした。



「は〜い」



 清川さんは腰を折られたことなんて全く気にせずに、すっぱり説明をやめて感じのいい返事を返した。

 一呼吸おいて襖が開くと、着物を着た若い女の子が、それこそ老舗旅館の仲居さんの佇まいで部屋へと入ってきた。一同はあっけにとられる。



「本日お席を担当させて頂きます、谷口と申します。どうぞよろしくお願い致します」



 その子は三つ指を畳につき、強制ギブスでも身に着けているかのような美しいお辞儀をした。田沼さんも相馬さんもつられるように姿勢を正して会釈を返す。そんな2人に習って私も同じ動きをする。そんな中、



「やったぁ〜!今日の担当さんすっごい可愛い〜!!大当たり!」



 清川さんだけが雰囲気に飲まれず、清く正しいその子に対して、今の時代一発アウトになりかねない発言をした。焦って女の子の様子を伺う。けど、意外にも恥じらっているようで、なんなら悪い気はなさそうだ。

 よかった、セーフ……。



「お飲み物がお決まりでしたらお伺いさせて頂きます」


「じゃあ、生ビールを4つ、お願い出来ますかぁ〜?」



 すぐ近くにいる清川さんはさらにもう少し近づき、どことなくいやらしい感じで注文をした。そうだった……清川さんはなんにも染まってないような若い女の子が好きなんだった……。



「……か、かしこまりました」



 清川さんの異様な好意に確実に気づいていそうなその子は、それでも忠実にマニュアル通りの接客態度を最後まで貫き、部屋を出ていった。

 


「清川さん、どうゆうこと?なにここ?」



 担当さんの足音が遠のく中、相馬さんが尋ねる。



「ふふ。ごくごく普通の居酒屋なんだけどね、個室だけは希望すると特別に担当さんつけられるの。まぁオプション料金はかかるんだけど。でも安心してね?今日は私がご馳走するから!」


「え!ダメですよ!そんな!」


「いーの!いーの!だって、私すごく嬉しいんだもん。田沼ちゃんと伊吹ちゃんのこと。今日なんて珍しく田沼ちゃんも来てくれたし。せっかくだからお祝いしたくて。それに、私が勝手に連れてきちゃったお店だし、実は最近ちょっと通ってて割引クーポンもあるし、今日だけは遠慮しないで!ね?」


「やったぁー!じゃあガンガン飲もー!」



 相馬さんは素直に喜んで受け入れた。遠慮する気はまるでない。



「ほら、こうゆう感じで田沼ちゃんも!」



 田沼さんは奢られるのとか苦手だろうな……どうするんだろう……。



「……じゃあ、今日だけはお言葉に甘えて……。ありがとうございます。ご馳走になります」



 嘘……案外すんなり……?

 そうか!断らないことも礼儀なのか!

 大人たちめ!!



「……ほんと、すみません」



 今さら私一人が遠慮しても意味がないので、申し訳ないと思いながらも乗っかることにした。



「ううん!飲んで!飲んで!その方が私、嬉しいから!」



 しばらくして担当さんがビールを運んできてくれた。雰囲気は申し分ないし、料理も美味しくてお酒が進む。隣の田沼さんも順調なペースで飲んでいて、慣れない飲みの会に少し固くなっていた体も、一杯目を飲み切る前にはすでに余計な力が抜けたように見えた。



「おかわり頼も〜。みんな次は何飲む〜?」



 清川さんは気を遣わせないよう、誰かのジョッキが空になる手前ですぐに気づいて手元のボタンを押した。すぐに気持ちのいい返事で例の谷口さんが来る。



 あどけない見た目の割に受け答えに品と落ち着きがある谷口さんが注文を聞きに来たり料理やお酒を運んで来るたび、清川さんは彼女のその一つ一つの所作を失礼なくらいに見つめていた。



 清川さんの秘密は私しか知らない。何も知らない2人は、そんな清川さんに徐々に困惑し始めていた。



「いくらなんでも見過ぎですって」



 谷口さんが居なくなった後、ついに相馬さんがズバリ清川さんに言った。



「だってあの子可愛いくない〜?すごいタイプなんだも〜ん。いっそ彼女にしちゃいたいくらい!」



 清川さんはすでにかなり酔ってるようだ。それにしても、彼女がいるのにそんなこと言っていいの……?見てるだけで触れてるわけじゃないけど、それでももし田沼さんが私のいないところでこんなふうになっていたらと思うと、絶対耐えられないと思った。



「そうゆう冗談はよくないなー」



 相馬さんがまたつっかかる。



「冗談じゃないもん、本気だもん。ね〜?伊吹ちゃん?」


「あの……この場合、私どうしたらいいんですか?言ってもいいんですか?」



 私が率直に聞くと、清川さんは天井を仰いで笑った。



「伊吹ちゃん、それじゃあもう言ってるようなものだよ〜!」


「あ、すみません……」


「なになに?なんなの?!」



 相馬さんが怪訝な顔で私と清川さんを交互に見た。田沼さんも不思議そうに答えを待っている。すると、清川さんはおもむろに手にしていたお箸を箸置きに置いた。



「……あのね、みんなには話してなかったんだけど、私実は同性愛者なの」


「……は?だって、結婚してるじゃん」


「結婚はカモフラージュのための建前。旦那もゲイだから」


「待って待って……え?……え?」



 相馬さんは想像以上にキョドっていた。無理もない。なんだかんだ何かと一番行動を共にしている清川さんの最大級の秘密を知ったんだから。

 田沼さんも田沼さんでかなり衝撃だったのか、清川さんを凝視したままで固まっていた。2人とも全く予想もしてなかったみたいだ。でもそんな2人を前に、告白を終えた清川さんは随分あっけらかんとしていた。



「そんなに驚くことかな?」


「驚くよ!」



 相馬さんが食い気味で清川さんとの距離を詰めると、清川さんはクスっと美しく笑った。



「……自分もなのに?」


「…………なっ……」 


「相馬ちゃんもそうでしょ?女の子が好きだよね?私は聞かなくてもずっと前から気づいてたけど〜」


「…………」



 さすが清川さんだ。反論の隙も与えずに相馬さんをピタッと黙らせた。

 なんか分かんないけどすごく気持ちがいい!



「田沼ちゃん、こうゆうわけだから伊吹ちゃんとのこと、何も気にすることなんかないからね?だって、うちの会社の事務所の人間、全員レズなんだから!」



 清川さんは一人で大ウケしていた。

 一瞬でアイデンティティを丸裸にされた相馬さんは軽く唇を噛んで瞑想に入り、愛しい田沼さんは驚きのあまりいつもの1.5倍に目を見開いている。



「お疲れさまです〜!」


  

 カオスな状況の中、見事に絶妙なタイミングで襖が開くと、遅れて仕事を終えたしょうこちゃんが現れた。



「しょうこちゃん!お疲れさま!」

「やっと来たぁ〜!大変だったね?」

「遅くまでお疲れさま」



 みんなが一斉にしょうこちゃんを労う。



「あっ!田沼さんがいる!」



 何も知らされてないしょうこちゃんは、何よりも田沼さんの姿にまず食いついた。田沼さんは気恥ずかしそうに「お疲れさま……」と小さな声で言った。



「なんかいいですね!今日は田沼さんもいて!5人でなんて初めてですね!」



 しょうこちゃんは田沼さんの参加を、こないだのランチと同じく気まぐれと思っているようだ。



 機嫌が良さそうにニコニコしながらも、しょうこちゃんはどこに座ろうかと目を泳がせ始めた。



「ここ座れば?」



 そんなしょうこちゃんに気づき、相馬さんが奥のお誕生日席を勧める。

 必然的にそこしかないんだけど、相馬さんからある意味隣の席とも言える場所へと呼ばれたしょうこちゃんは、分かりやすく嬉しそうにいそいそと奥へ向かった。



 しょうこちゃんが腰を下ろすと、ようやく全員が揃ったことを祝して改めて乾杯をした。



 いつものようにみんなとの遅れを取り戻そうと景気よくジョッキを傾けるしょうこちゃんを呼ぶ。



「しょうこちゃん……」


「うん?どうしたの?さと美ちゃん」


「これ見て」


「ちょっと!伊吹さんっ!」



 私は勝手に田沼さんの左手を取って繋ぎ、その手を掲げて見せた。



「えっ!?うそ!!もしかして……」


「うん!私たち、付き合うことになりましたー!!」


「い、伊吹さんっ!恥ずかしいから!」



 ジタバタして繋いだ手を離そうとする田沼さんの手を意地でも離さない。



「田沼さん、しょうこちゃんには私の好きなように報告していいって言ったじゃないですか」


「そうだけど!だからって……普通に恥ずかしいでしょ?!」


「何を恥ずかしがることがあるんですか!恥ずかしいことなんかないですよ!私と田沼さんはもう完全に恋人同士なんだから!」


「……そうだけど……でも私……人前でこうゆうことは……」


「伊吹だいぶ酔ってんな。もう少し田沼さんの気持ち考えてあげなよー」


「伊吹ちゃんの気持ちは分かるけど、堂々としたいかどうかは人によるからね……」


「……さと美ちゃん、田沼さんが可哀想だからとりあえず手を離してあげた方が……」



 まるで私が悪者のように四方から諭され、ふてくされながら手を離した。



「ほらぁー、田沼さん顔真っ赤になっちゃってんじゃん!」


「相馬さん、もういいから。やめて……」



 瀕死の声を出す田沼さんをよくよく見る。ほんとだ、尋常じゃないくらい真っ赤でどことなくエロい!



「ダメです!田沼さん!そんな顔、私以外に見せないで下さい!」


「お前がそうしたんだよ」



 相馬さんに言われ、ギンと睨み返す。



「でも、良かったね、さと美ちゃん……。私、自分のことみたいに嬉しい……」


「しょうこちゃん……」



 しょうこちゃんの言葉に胸が打たれる。自分は難しい恋愛の最中な上に、一時は恨まれても仕方ないような立場だった私にそんなふうに思ってくれるなんて……。



「田沼さん!さと美ちゃんて色々暴走しちゃうことあるから、振り回されることもあるかもしれないけど、それも全部ただただ田沼さんが好き過ぎるからなんです……!だから、この先もし何かやらかしても大目に見てあげて下さい!さと美ちゃんの気持ちを信じてあげて下さい!」


「……うん」



 もはや結婚式の挨拶かというくらい素敵なしょうこちゃんの言葉と、覚悟を決めたような田沼さんのうなづきに、私は静かにじーんとしていた。



「失礼致します……ステーキ丼お待たせしました」


「あ、はーい!私!私!」



 感動的な雰囲気を切り裂くように、相馬さんが手を挙げ身を乗り出してお盆に乗った丼を受け取る。



「……嘘でしょ?!人にご馳走になるっていうのに、個人プレーでステーキ丼なんて頼みます?!」



 呆れながらも言わずにはいられず、私ははっきりと物申した。


 

「だってお腹空いちゃったんだもん。遠慮しないでって言われてるんだし、ちゃんと清川さんに許可も取ったしいいじゃん。いっただきまーす!」



 早速食べ始めている。

 清川さんはその姿を楽しそうに見てるし、実際本当にいいと言ったんだろう。とは言え、そうゆう問題じゃない。



「遠慮するなって言われて本当に遠慮しないって、聞き分け良すぎですか!そりゃ清川さんがダメなんて言うわけないじゃないですか!それにしたってステーキ丼て……しかもちゃっかりレアだし!」


「ごちゃごちゃうるさいなぁ、そんな正義感ぶったこと言って、結局伊吹も食べたいだけでしょ?」


「違いますよ!」

 

「しょうがないなぁ、ほら一番美味しそうなとこあげるよ」



 すると、相馬さんは私の目の前にスプーンに乗せたミニステーキ丼を差し出してきた。



 思わずガン見する。

 ……本当に全然そんなつもりじゃなかったけど……なに?この綺麗なサシの入ったお肉は……とんでもなく美味しそうじゃん!!

 


 ……ていうか、どうしよう、これ……。

 こんなふうに相馬さんがおすそ分けしてくることは別に珍しいことじゃないんだけど、田沼さんの前でいいのかな……?



 ちらっと右隣を見る。田沼さんはグラスに半分も残っている焼酎のロックをぐいっと一気に飲み干した。



 ……やっぱり食べちゃよくないやつだよね……?



「早くしてよ!腕疲れんじゃん!」


 

 でも、私は相馬さんのことをほんとになんとも思ってないし、相馬さんだって何も考えてない。いつも当たり前にしてたことを突然断る方がむしろ意識してるみたいで、それもそれで変な空気にならない……?



 どっちだ!!?

 食べるか、食べないか、私はどっちを選べば……!



 その時、



 パクっ……



「田……沼さん……?!」



 右から横取りをするように田沼さんがスプーンに乗ったステーキ丼を食べた。予想外の出来事に全員の動きが止まる。



「…………ごめんなさい」



 ステーキ丼を味わいながら、田沼さんは申し訳なさそうに伏し目がちに謝った。



「そ〜だよね!彼女に目の前であ〜んなんてされたら、嫌だよね〜?相馬ちゃん、デリカシーな〜い!」



 清川さんが和ませるように明るくとがめる。



「ほんとですよ!さと美ちゃんに田沼さんの気持ち考えてあげなって言ってたのに、相馬さんこそですよ!」



 しょうこちゃんは痛いところをつき、珍しく相馬さんに苦言を呈した。



「あの……そうじゃなくて私……普通に美味しそうだからつい食べちゃっただけで……」



 嘘だ。そんなしつけのなっていない犬みたいなこと、田沼さんがするわけない。

 すると、しばらく黙っていた相馬さんが、ひらめいたように田沼さんに話しかけた。



「そっか、そっか。そういうことね!……田沼さんさ、伊吹から聞いたんでしょ?私が伊吹に告白したこと」


「ちょっと相馬さん!」



 田沼さんが何かを言う前に私の方が思わず声を発してしまった。



「いいじゃん別に。知ってるなら今さらコソコソすることじゃないでしょ?」


「……相馬ちゃん、伊吹ちゃんに告白したの?!」



 清川さんがナチュラルに驚いて聞き返す。



「まあ……」


「全然気づかなかった……」



 みんなの前で何をぶちかましてるんだろ、この人は。

 しょうこちゃんは歪んでしまう表情をこらえて無理に愛想笑いを浮かべてるけど全然笑えてないし、田沼さんは何を思ってるのか全く読めない顔でとにかく相馬さんをずっと見ている。



「告ったのは事実だけど、でも安心してよ、田沼さん。私はもうほんとに伊吹に対してそうゆうのは全くないからさ」



 田沼さんが相馬さんを見つめる目は変わらない。これは疑いの目だ。そのことに相馬さんも気づいている。



「だってこいつさ、憎たらしいくらいに0.1ミリも揺らがないんだもん。自慢じゃないけどベッドで口説いて落とせなかったことなかったんだけどね」


「ベッド!?」

「ベッド!?」



 寸分狂わず、田沼さんとしょうこちゃんの声が揃った。



「誤解されるような言い方しないで下さい!」



 私は気が気じゃなく、テーブルに手をついて言った。



「あぁごめん、ごめん!別にいかがわしい話じゃなくて。……前に伊吹がさ、雨の中傘もさせないくらい田沼さんのことでめっちゃ落ち込んでた夜があってさ。一人にさせられないくらいボロボロだったから、私の部屋に連れて帰って泊まらせたの。それでまぁ、ベッド一つしかないから一緒に寝たんだけど……」



 自分の血の気の引く音がする。

 後ろめたいことなんか何もないけど、田沼さんに何かを思われて『やっぱり付き合えない』とか言われるんじゃないかと不安に襲われる。とは言え、相馬さんの話を無理やりに止められる空気でもない。どこに行き着くか分からない話を、私は一傍聴者として聞いているしかなかった。

 


「その時の伊吹、見たことないくらい打ちのめされまくっててすごい弱ってたし、端から見てもここから田沼さんとどうこうなることはもう完全にないなって感じで、伊吹自身もそう思ってた。だから正直、かなり狙い目の状況で結構期待したんだけどさ、『それでも私は田沼さんが好きなんです!田沼さんだけなんです!」って、私への気遣い完ゼロではっきり言われて……。それで、そのまま逃げるように出て行かれちゃってさ」



 そこで小さなグラスを傾けて日本酒を飲み、相馬さんは嘲笑気味に笑った。



「でも、一人になった後、一周回ってすごいなって思ったんだよね。そんなに好きになれる人がいるって素敵だなーって、普通にね。不思議だけど、振られたのになんか感銘受けちゃってさ……。だからそっからは応援することにしたの、純粋に。それだけ田沼さんのこと好きなら、本当に上手くいってほしいなって本気で思えた」



 タンッ……



 話の締めくくりの合図のように、相馬さんがテーブルにグラスを置く高い音が響く。

 


「そうゆうことだから安心して信用してよ!それにそもそも私、一人に執着するほど困ってないしね!」


「……ちゃんと話してくれてありがとう」



 落ち着いた声で相馬さんにそう言った田沼さんの目には、もう疑念の色は消えていた。



「私も。長い話聞いてくれてありがとね!さー、次何飲もっかなー」



 そう言って楽しそうにメニューを開く相馬さんを、しょうこちゃんは空になったジョッキを両手で持ったまま、横目でじっと見ていた。











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