第27話 言葉の裏側
私はプチパニックに陥っていた。
やっぱりおかしい……。
田沼さんが前から気になってた人が私だなんて、そんなことあるわけがない。
だって私は、つい2週間前にしっかりと告白してきっぱりと振られている。
それに、もう一つおかしいことがある。
愛ちゃんによれば、田沼さんが気になる人の存在をほのめかしていたのは今年の春。
その頃の田沼さんといったら、入社したての私に対してサバサバの極みで、愛想笑いすら見せてくれたことはなかった。
だから絶対に私なわけがない。
ということで、私は一つの結論にたどり着いた。
……これは私の夢の中だ。
そもそも、カマキリがお辞儀をして去ってくなんて現実にしてはファンタジーが過ぎる。ピノキオに出てくるバッタじゃないんだから!きっとカマキリ事件も全て夢だったんだ……
……でも、それならいつからが夢なの?
ここに来たきっかけは田沼さんからの電話だった。その直前までの私は確か、一人暗い部屋の中でうずくまっていた……
……そうだ!きっとあの時私は寝落ちしちゃったんだ!それでそのまま、現実では叶わない願望を詰め込んだ夢を見て、今も現実逃避をしてる真っ最中なんだ……。
「伊吹さん……?」
夢の中の田沼さんが不安そうに私を見ている。偽物の田沼さんでも、その目は私を吸い込もうとしてくるし、声は心の奥をくすぐってくる。なんだかすごく憎らしい。
「大丈夫……?あの……お願いだから、何か言って……?」
不安気なバーチャル田沼さんを無視して、私は何も言わずおっぱいに向かって両手を伸ばした。
これが私の夢なら、この田沼さんは私の望む通りにおっぱいを触らせてくれるだろう。 しかも、その感触は一度直に触れた経験がある私の脳の記憶から作り出されているはずだから、本物さながらなはず……
どうせ夢なら、現実では二度と触れられないおっぱいを好きに揉んでしまえ!!と、指先が触れそうになったその時、
「なっ!!何してるの?!」
まるで夜道でド変態とバッタリ遭遇してしまったかのように、田沼さんは胸の前で手を交差させておっぱいを保護し、後ずさりをした。
「……あれ?おかしいな……触らせてくれない……」
「当たり前でしょ!どうして今いきなり胸を触る流れになるの?!脈絡なさすぎるでしょ!?」
私が作り出した田沼さんのくせにおっぱいを揉ませないどころか、夢のオーナーに対して偉そうに口ごたえをしてくる。私はムッとして言い返した。
「夢に脈絡なんてものはないんです!」
「……えっ?夢?」
「なぜか突然レディー・ガガが隣に越してきたり、山登りしてる山が気づけば巨大おっぱいだったり……。ちょっとくらいおかしいことが起きたって『あぁ、そうだったよな』って納得しちゃう。夢ってそうゆうものですから!」
「……伊吹さん、もしかしてKが怖すぎた後遺症でおかしくなっちゃってる……?これは夢なんかじゃないよ?現実だよ?」
「現実……?いや、そんなはずないです!あんなにきっぱり断ってきた田沼さんが前から私に気があったなんて絶対におかしいですもん!!こんなの絶対現実なわけないです!」
「……そのことは……自分でもやっかいなことしてるのは分かってる……。だけど、さっきは精一杯の勇気を振り絞って自分の気持ちを伝えたつもりなの……。だから、お願い……夢で片付けないで……」
田沼さんは、すがるような悲しい顔で私にお願いをしてきた。田沼さんのこんな表情、私の記憶の引き出しには入っていない……。
「…………もしかして……これ、本当に現実なんですか?」
「……うん」
「じゃあ、カマキリがお辞儀したのも……?」
「……うん」
「……なら、田沼さんは本当に私のことを……?」
「…………うん」
私の質問に、田沼さんはうつむきながら小さな肯定を繰り返した。
「……あの、一つ確認なんですけど、『気になってた』っていうのは『好き』っていう意味に捉えて問題ないんでしょうか……?」
「…………うん」
いまだ目を合わせてくれず、変わらない調子で返事をする田沼さんの手元に視線を落とす。右手で左手の指を3本、掴むように握っているけど、力が入りすぎてしまっているのか、指先が真っ白になって血が通っていないように見える。
心の中では、沢山の感情がスクランブル交差点のようにひっちゃかめっちゃかに行き交っていた。その中の一つには、空へ駆け上りそうなほど嬉しい感情もあったけど、私はまだ半信半疑だった。
「……でも、それならなおさら分からないです……。あの日、私を振った田沼さんは、迷ってる素振りすらなかった。つけ入る隙もないくらい完全拒否だったのに、今さらどうして……?」
安易に真に受けて浮かれて舞い上がっても、もし田沼さんの気持ちが真実じゃなかったら私はそこから真っ逆さまに落ちることになってしまう……。
私の質問めいた呟きに、田沼さんは視線を泳がせるだけで何も言わなかった。不安が胸をよぎる。適当な気持ちで期待をさせるだけなら今すぐやめてほしい。私は、煮え切らない田沼さんに苛立ちをぶつけた。
「田沼さんが私を好きな気持ちが本当に本当なら、どうして私の告白を断ったのか、完全に納得出来るちゃんと辻褄の合う説明をして下さい!じゃないと信じられない!」
喜びの感情を奥へ奥へと押し込め、強く責め立てるように私は説明を迫った。鏡で見なくても分かる。今の私はきっと鷹並みに鋭い目つきをしているだろう。
その目で睨みつけながら返事を待っていると、視線の先で田沼さんの表情はゆっくりと崩れてゆき、その瞳からはぽろぽろと透明の涙がこぼれ出てきた。
「あっ……たっ……田沼さん……?」
何かに耐え切れなくなった様子の田沼さんが両手の手のひらで顔を覆ってうつむく姿を目にすると、さっきまで心の中で渦巻いていた無数の感情が一気に合体して、田沼さんを泣かせてしまったという罪悪感一つだけで、私の胸はいっぱいになった。
慌てて、どう取り繕おうかとオロオロする。
「だって!」
すると、顔を覆ったままの田沼さんが涙声で反論するように叫んだ。
「伊吹さんが可愛すぎるから!!」
そう言い放った田沼さんは崩れ落ちるように畳の上に座り込むと、ついに本格的に声をあげて泣き出してしまった。
私が求めていた説明の答えには全くなっていないけど、それとは裏腹に、田沼さんから初めて言われた『可愛い』の言葉に、勝手に心が反応して躍ってしまっている……。
だけど、納得出来るかどうかは別の話だ!
私は速まる鼓動を隠しながら、泣き続ける田沼さんを容赦なく追い詰めた。
「でも田沼さん、私のことはタイプじゃないって言ってたし!今だって、適当におだててるだけで本当はそんなこと思ってなんかないんでしょ?!」
「バカ!」
「バっ……?!バカ?!今、まさかバカって言いました?」
「言ったよ!だってバカなこと言うんだもん!」
「バカなことって……何がですか!」
「伊吹さんを可愛いって思わない人間がこの世に存在するわけないでしょ!?奇跡みたいに超絶可愛い顔してるんだから!!」
田沼さんは怒りながら、これ以上ないくらい最上級に褒めてくれた。
「……じゃ、じゃあ……タイプではないけど、可愛いとは思ってくれてるってことですか……?」
「だから……そうゆうことってわけじゃなくて……」
ここぞというところで結局言葉を濁される。
「じゃあもっと簡単な質問に変えます!だから忖度無しに正直に答えて下さい!田沼さんは、愛ちゃんと私、どっちの方が可愛いって思いますか?」
「それは……」
返答までのたった数秒の間が怖くて、祈るように目をつぶって待った。
「…………愛ちゃん」
薄闇の中、耳に届いた声に思わず目を見開いた。
「は!?」
「……には悪いけど、伊吹さん」
「何言ってるんですか!どっちなんですか?!よく分かんない!ちゃんと言って下さい!!」
「今言ったでしょ!?」
「てゆうか、さっきからどうして怒ってるんですか!」
「怒ってないよ!」
「怒ってますよ!言い方が思いっきり怒ってますもん!」
「……怒ってなんかない……ただ、ずっと素知らぬ顔して本心を隠し続けてたくせに今さら全部打ち明けるなんて恥ずかしくて仕方なくて……」
そう口にすると、田沼さんの怒りのボルテージはゆるりと下がっていった。少し拗ねた顔をして真横を向き、私から目をそらす。その仕草のせいで、真っ赤に染まった耳が髪の隙間からちらりと見えた。
いつもはガチガチの防具で全身を護っている田沼さんが見せた無防備な一部分に異様な興奮を覚えながら、それでも私は心を鬼にして続けた。
「……田沼さんには今さらでも、私には今からなんです!私、田沼さんの本当の気持ちをちゃんと聞きたい……。今日の田沼さん、こないだまでと言ってることが全然違うから、嬉しいことを言ってくれてても不安で仕方ないんです……。このままだと何を信じていいのか分からない……」
私がそう言うと、田沼さんはぐうの音も出なくなったように苦い顔で目をぎゅっとつぶってから、もう一度しっかりと私の方を向いた。
「……分かった。ちゃんとはっきり言う」
覚悟を決めたように言い切る田沼さんの目を、私は瞬きせずに見つめた。
「……私、とにかく顔がいい子が好きなの。人によって審査が分かれるようなレベルじゃなくて、誰が見ても誰も否定出来ないくらい完璧なレベルの顔が」
田沼さんは悪びれもしない澄んだ瞳で、宣言通り、なかなかなことを言った。
「……な、なるほど」
「……つまり、身の程知らずだけど、鬼がつくほどの面食いなの。……それで、伊吹さんは人類の中でもごくごく僅かなそうゆうレベルの人でしょ?」
「いやいやいやいや!全然そんなレベルじゃないです!滅相もないです!!」
「謙遜しなくていいから。事実としてそうなんだから」
私が全力で否定すると、田沼さんは呆れたようにため息をついてから簡潔に言った。説教でもされてるみたいに有無を言わせない雰囲気で言葉が出ない。
「その上さらに言うとなんだけど……伊吹さんの顔って……私の好みのど真ん中の核の中の芯の中枢なの……」
「……中枢……」
「……だからその……愛ちゃんとどっちの方がとかそうゆう次元じゃなくて……伊吹さんは私の人生史上、ぶっちぎりのダントツで世界一、銀河一、一番可愛いから……」
飛びすぎたワードの数々に、なんて返せばいいのか固まる。それでも、残った疑問をちゃんと解決したくて、棒読みで問いかけた。
「……だけど田沼さん、毎朝挨拶の時でさえ私のこと全然見てくれないですけど……?」
「まともに見れるわけないでしょ!?ただでさえ尋常じゃないくらい可愛すぎるのに、朝からキラッキラの眩しい笑顔で近づいてくるんだから!……これでも平常心を保とうと私だって毎日頑張ってた……。私はあくまで会社の先輩なんだって肝に銘じて、余計なことは考えないようにして、基本的になるべく直視しないようにしたり、あんまり近い時は敢えて眼鏡外して視界をぼやけさせたり……」
「……えっ……たまに眼鏡外してたのって、そうゆうことだったんですか?」
田沼さんは無言の返事で肯定をした後、さらに続けた。
「……それなのに伊吹さんは突然いたずらに私のことをタイプだとか言ってくるし……。本気なわけじゃないって分かってても、そんなこと言われたらどんなにおこがましくても嬉しくなっちゃうのに……そうゆう罪深くて不埒な伊吹さんのことは、心底憎らしく思ってた……」
「そんな!私はいつだって本気でしたよ!?真剣にそう伝えたじゃないですか!」
「……言葉で言われても、信じられるわけないよ……」
「どうしてですか?!」
「私たちはあまりにも違う人間だから……」
そう言うと、田沼さんは静かに姿勢を正して正座をした。私も腰を下ろして向かい合って同じように座ると、畳に視線を落とすように田沼さんが再び話し始めた。
「……あの日、伊吹さんに告白された時、初めはまず、伊吹さんがノンケじゃないってことに驚いた。伊吹さんからそうゆう雰囲気は全然感じなかったし、単純にこんな可愛い子が……?って、信じられなくて……。でも、伊吹さんの真剣さに本当にそうなんだなって、そのこと自体は理解した。だけど、私を好きだなんてことはさすがにあり得ないことすぎて、本気だなんて思いもしなかった」
それを聞いた私はあの日の田沼さんのリアクションを思い出していた。確かにあの時の田沼さんは、私からの告白をどこか他人事のように受け取っているように見えた。
「だけどね……例え本気じゃなくても、伊吹さんにそう言ってもらえたことは素直に嬉しかったの……。それこそ夢の中だったら、後先考えずに大喜びで受け入れてたと思う……。だけど、現実の私にはどうしてもそれが出来なかった。……劣等感がそれを許さなかったから」
「…………劣等感?」
「私と伊吹さんじゃレベルが違いすぎて何もかもが釣り合わない。私は身の程知らずではあるけど、身の程はわきまえてるの。例えもし伊吹さんと付き合ったとしても、きっとすぐに歪みが生まれるだろうって思った。初めは幸せでもすぐにそのバランスは崩れる。伊吹さんは太陽の下しか似合わない人だけど、私は陰しか歩けない人間だし、そんな私が伊吹さんの隣を歩いてるなんて誰が見てもおかしい……。後ろ指差されて、馬鹿にされて笑われるに決まってる……」
「そんなこと!」
「そんなことあるの!伊吹さんといれば、ただでさえ常につきまとってる劣等感がどんどんどんどん抱えきれないくらいに大きくなってく。それに、そもそも伊吹さんの気持ちがずっと変わらずこんな私に向いてくれるわけもない。結局行き着くところは悪い結末しかない。いつかそんな悲しみに暮れることになるなら、初めからそんな関係にならなければいいと思った……」
反論したいことは沢山あった。だけど今は、田沼さんが吐き出す気持ちを一回すべて聞いてみたかった。田沼さんがこんなにも内側を見せてくれることはまずないことだ。
「……私だって、好きな人から好きって言われて嬉しくて……出来ることなら伊吹さんの気持ちを信じたかったよ……。だけど、どうしたって説明がつかないんだもん……。伊吹さんならいくらでも綺麗な人と付き合えるのに、どうして私なんかを選ぶのか、その理由が見つからなかった……。もし可能性があるとするなら、ふっと沸いた興味本位だろうなって。大トロとかウニとかばっかり食べてると、突然芽ねぎが食べたくなるみたいな、そんな感じなのかなって」
「なんですかそれ!」
「だって!地味だの愛想がないだの散々言われてきた人間なのに、そんな私が一番に選ばれるわけがない。箸休めに芽ねぎを食べる人はいても、寿司ネタで芽ねぎが一番好きだなんて言う人はいないでしょ?」
自信満々に自分を蔑む田沼さんに、私はついに黙っていられなくなった。
「……田沼さん、田沼さんは根本からまず間違ってます」
田沼さんは真剣な目で真っすぐに私を見て、今から私が話す言葉を大切に聞きとろうとしていた。
「田沼さんは芽ねぎなんかじゃない。大トロでもウニでもない。私にとって田沼さんは寿司そのものです。いや、もはや寿司屋です!」
「…………え?あ……ごめん、ちょっとよく分からないんだけど……」
「私、田沼さんの顔がとにかく好きだけど、顔だけじゃないんです。田沼さんの体も声も仕草も……田沼さんにしか出せない独特な雰囲気も、仕事に対して病的なくらい真面目なところも、弱みを隠すために強がっちゃうところも、誰も何も差別しない優しい心も、回りに流されない頑なで偏屈なところも。……それに、今日また一つ初めて知ったけど、恥ずかしいとそれが怒りに変わっちゃうところも……。私、田沼さんの全部が大好きです。目に映る姿も、目では見えない部分も、田沼さんの全てが私の中に響いてきて心を震わせるんです。自分をそんなふうにさせる人がこの世に存在するなんて、思ったこともなかった……。自分でも信じられないくらい、私は田沼さんが好きです」
「…………」
「田沼さんは自分にコンプレックスがあるのかもしれない。そうゆうのは自分自身の傷だし、誰に言われたからって他人の力で簡単に消えるものじゃないと思うけど……それでもとにかく私は、誰が何と言おうと田沼さんが誰より一番可愛いって思ってます!嘘じゃないです!神さまにも悪魔さまにも、閻魔さまにだって誓えます!」
正座のまま畳の上をじりじりと前に進み、もう少し近づく。そして、膝に置いていた田沼さんの左手の上にそっと自分の右手を重ねて聞いた。
「……まだ、信じてもらえないですか?私が田沼さんを好きな気持ち……」
すると、田沼さんは私の手の上にさらに右手を重ね、濡れたまつ毛を下に向けて首を横に振った。
たったそれだけの仕草で私の全身の自由を奪うくらい簡単に心のすべてを持っていくくせに、自分に自信がないなんて、本当にズルい女だと密かに思った。
「私、自分がいつも凝り固まったイメージで見られることが嫌だったくせに、自分こそ伊吹さんにそうゆうことしてた……。こんな可愛いい子が私のことなんか好きになるわけないって、初めから決めつけてた」
「田沼さん……」
「でも、今はもう分かる……」
田沼さんはゆっくりと顔を上げ、なでるように私の三つ編みに触れた。
「……本当はね、少し前から気づき始めてたの。ありのままであんなに可愛いかった伊吹さんが、私の適当な一言でこんなにダサくて陰気な姿になっちゃった時から……」
「……えっ?!ダサくて陰気?」
「あっ!!ごめんね!いい意味でだから!」
「ダサくて陰気にいい意味とかあります……?」
「あるよ!だって、それも全部私のため……なんでしょ?」
「……それは……もちろんそうですけど……」
「思い返したら、今までだっていつもそうだったんだって気づいたの。伊吹さんはいつでも、自分のことより私のことばっかりを考えてくれてた……。一見変わった行動に見えることも、そう考えたら全部辻褄が合ってた……。それに、今日だって本当は内心すごく怖かったはずなのに、伊吹さんは私のためだけにKに立ち向かってくれた……。だから、伊吹さんの気持ち、もう信じられる。全部きっと、伊吹さんが本当に私のことが好きだからなんだって……」
田沼さんからしたら最後の一文は相当な勇気をかき集めて口にした一言だったんだろう。言い終わったその表情はどこか申し訳ないような、落ち着かないようなそんな顔だった。今もまだ自分に自信がないままのいつもと変わらない田沼さん。そんな田沼さんが私のために勇気を出して一歩前に進んでくれたんだ……
「……大正解です!!田沼さん!!合ってます!!」
私は嬉しさのあまり立ち上がり、大きな拍手で田沼さんを讃えた。すると、田沼さんは私を見上げながら吹き出すように笑った。
「なにがおかしいんですか?」
「伊吹さんてその可愛いさでスルーされがちだけど、だいぶ変わってるよね?」
「……多少自覚はありますけど、私、そんなに変ですか?」
「うん、すごく変!普通の人はこの状況でスタンディングオベーションなんかしないよ?」
軽く握った手を口元に当てて笑いの余韻に耐える田沼さんを見てると、胸の中がじんわりと温かくなっていった。
「でもね、伊吹さんが普通じゃないからこそ、私のことが好きっていうのもあり得なくはないのかもって、信じられる後押しになってるよ」
「ちょっと!なんですかそれ!」
子どもみたいに笑うその笑顔に、私はついに我慢できなくなった。田沼さんの前に膝で立ちその体を包み込んで強く抱きしめる。
「……私は物好きなんかじゃありません。『田沼好き』なだけです」
言葉にして伝えると、不思議なことにさらに愛しさが増した。
「……大好きです……出会った時からずっと大好きでした……田沼さん……」
耳元へ小さく伝える。すると、私の背中にそっと腕がまわり、背中に小さな手のひらが置かれた。
「……私も……伊吹さんが好き……」
そのセリフはすごいスピードで鼓膜を突き破り、体中の血液を流れ、私の心臓へと突き刺さった。
「……『好き』って言った!田沼さんが『好き』って言ってくれた!」
「過剰に切り取らないで!」
「だって!あの田沼さんが『好き』なんて素直に……感動しますよ!」
「本当にもういいから!」
「……あの……田沼さん?」
「…………なに?」
「私たち、これで正式に両想いってことでいいんですよね?」
「……そう……だね」
「だったらその……キスしたいです」
「なっ?!突然そんなの、急展開すぎるでしょ?!」
「何が急展開なんですか!お互いの気持ちを確かめ合えたんだから当たり前じゃないですか!それに、田沼さんが一度私の告白断ったせいで、むしろ予定より数日遅れてるんですから!」
私がわざと意地の悪いことを言うと、田沼さんはまんまと責任を感じているような顔をした。
「そんな傷つかないで下さいよ、冗談ですって!」
「えっ?!どの部分が?……キスのこと……?」
「もぅ……田沼さんは仕事出来るのに、そうゆう理解力が救いようなく乏しいですよね……。でも、そうゆうところもツボなんですけど」
「ちょっと訳が分からない!」
もう待っていられなくて、田沼さんからの許可が下りる前に、まだテンパっている最中のところ、顔を近づけた。
「……冗談で『キスしたい』なんて言いません」
往生際悪く拒んでくることを予想して両手を掴んで軽く拘束したけど、田沼さんは抵抗せずにぎゅっと目をつぶった。
私はそんなぎこちない田沼さんの姿もずっと見ていたくて、目を閉じないままでキスをした。
唇と唇が触れる……
ずっとずっと、いろんなシチュエーションを想像してようやく叶った現実のキスは、田沼さんの唇に力が入りすぎてキスと思えないくらい硬い感触で思わず笑ってしまった。
「どうして笑うの!?」
「ごめんなさい!だって!田沼さん唇に力入りすぎて感触がほぼ肘みたいなんですもん!」
「肘?!なんてこと言うの!?」
「だって本当にそれくらい硬いんですもん!私だってちゃんと田沼さんの唇の感触感じたいのに!」
「感触って……」
「次はもっとリラックスして力抜いて下さいね?」
改めて体に触れると、石像にでもなったようにすでに硬化は全身にまで回り始めていた。
「む、無理……リラックスなんか出来るわけない……」
冷静を装いながらも、本当は私も私で、そんな田沼さんにとっくに平常心を壊されていた。
「いいこと考えました。田沼さんは、今から私の言った言葉繰り返して下さい」
「え?」
「好き」
「どうゆうこと!?」
「いいから早く!」
「……す、好き」
「好き」
「……好き」
「キス」
「キ……ス」
田沼さんが恥ずかしそうに発した「ス」のタイミングに合わせて、私は奪うようにキスをした。
驚いた田沼さんは目を見開いたままだったけど、呆気に取られて少し開いたままの唇は、溶けるように柔らかかった。
「……今度はちゃんとキス出来ました」
「……なんか、伊吹さん慣れてる感じする……」
「そんなことないですよ!」
「今のなに?あの手口……。何度も使ってる技なんでしょ?」
「違いますって!たった今思いついたんですから!」
「……本当かなぁ」
「本当です。そもそも、自分からキスしたのだって今のが初めてですもん」
「……そうなの?」
「私は田沼さんと違って嘘つきませんから」
しばらくは使えそうな最強の一言に、真面目な田沼さんはまたもちゃんとバツが悪そうにする。だけどさっきよりも少し素直になって、ちゃんと不服を申し立てた。
「……伊吹さんて思ってたより意地悪なんだ」
「違います。いじめると田沼さんがいちいち反応してくれるのが可愛いから、わざとそうしてるだけです」
私は本心を隠さず、田沼さんの体に触れながら言った。田沼さんはもうすっかり私の気持ちを信じてくれていて、いちいち照れるのが本当に可愛い。だけど、そんな幸せに触れていると、私の中でまだ残されている一つの不安が浮き上がってきた。
「あの、田沼さん……もう一つだけ、確認したいことがあるんですけど」
「なに?」
「田沼さん、顔がいい子が好きって言ってたじゃないですか?」
「……うん」
「その……すっごくおこがましいですけど、分かりやすさのためにシンプルに言っていいですか?」
「うん」
「私のこと好きなのって、顔だけですか……?」
「……そうゆう確認って、キスより前にするものじゃないの?」
「……そうかもしれないけど、どう転んだってキスはしたいので……」
「……それもすごいね」
「……それで、本心はどうなんですか……?」
どんな言葉が返ってくるのか、ある意味、今までで一番の恐怖を感じていた。
「……確かに私は怪物クラスの面食いだけど、見た目だけで好きになんてならない」
さっきまでとは違って、田沼さんは照れもなくはっきりと言った。
「……まだ伊吹さんが会社に入って一ヶ月くらいの頃かな、会社の前の道でカラスが死んじゃったことがあったでしょ?」
「……はい」
「あの時、野次馬目的で沢山の人が集まってきたけど、その誰もがカラスの死骸に嫌な顔をして近づこうともしなかった。そんな時、伊吹さんだけが駆けつけてくれて、あの子を一緒に運んで埋めてくれた……。心から悲しそうにしながら……。あの時私は、この子はこの外見に見合うよう自分を装ってるんじゃなくて、本当に芯からいい子なんだなって知っちゃったの。そのせいでだいぶ困ったよ」
「……困った?」
「見た目がとことんタイプな上に中身までいい子だなんて知って、これ以上近づいたら確実に好きになるって思った……。だから、出来るだけそんな気起こさないように避けてたの。……でも、深層心理ではもうとっくに惹かれてたから、近づきたい本能を完全に抑えこむことが出来なかった。それで、なんか色々と行ったり来たりしちゃって……」
いつも無表情だったその内側に、そんな感情を抱いてくれていたなんて、私は全く何一つ想像すらしていなかった。
ただただ感動して体が熱い……
「……笑わないでくれる?……実はね、私、初めて伊吹さんに出会った時、何か不思議なものを感じたの……今まで忘れようとしてたけど」
その言葉を聞いた時、私は運命に身震いをした。
やっぱりそうだったんだ……
私たちは運命の相手だったんだ……
言葉にして伝えたいことが沢山あるけど、出来ない。今の私には、とてもこの気持ちを言葉で表現することは出来ない。
「……私も、田沼さんに話したいこと、いっぱいいっぱいあります……だけど、全部丸ごと後回しにして、今は田沼さんのこと抱いてもいいですか?」
「『抱く』って……抱き合うってことだよね?」
「……田沼さん、子どもじゃないんですから……」
「……ちょっと待って!色々と生き急ぎ過ぎると思うんだけど!」
「だって、今逃したらまた田沼さん、『やっぱりごめん。付き合えない』とか言って撤回しかねないですもん」
「もうそんなことしないよ!」
「もう我慢出来ないんです……もういい加減、田沼さんが欲しいです……ずっと、ずっと我慢してきたから……」
距離を詰めて切実に伝えると、田沼さんは火がついたように真っ赤になった。
「でも……今日木曜日だし……」
「木曜日は何か問題があるんですか?」
「……平日だから。明日も仕事だし……」
「田沼さん、そんなにも激しくしてくれるつもりでいるんですか?」
「そうゆう意味じゃなくてっ!!」
「でも考えようによっては明日一日頑張ったらお休みなわけだし!むしろ一番いいですよ!」
「伊吹さん、それ、本気の本気で言ってる……?」
「私はいつも本気です。私、既成事実が欲しいんです。これ以上もう田沼さんが後からごちゃごちゃ言えないように」
「ごちゃごちゃって……」
「ほら、もう始まってる」
「今のは!!」
私は、田沼さんの黙らない口を唇で塞いだ。さっきより長いキスをしてから離れると、
「……せめてシャワー浴びたい……汗かいてるし……」
と、田沼さんは観念してそう呟いた。
「いいですね!やる気があって!」
「だから、そうゆうこと言わないで」
「じゃあ私も一回帰って色々ちゃんとしてきますね!」
「色々ちゃんと?」
「とりあえず、このたまちゃんスタイル直さないと私バカみたいじゃないですか。田沼さんの好みでもなんでもないのに……」
「……でも、伊吹さんがすると結局なんでも可愛いけど……」
そうゆうことを言ってくるので、たまらなくなってもう一度ぎゅっと強く抱きしめた。
「急ぎますから!待ってて下さいね!田沼さんにもっと可愛いって思ってもらえるようにしてきます!」
名残惜しい気持ちを断ち切ってすくっと立ち上がると、言葉を失ったままの田沼さんに手を振って、私は勢いよく玄関の扉を開けて飛び出した。




