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第25話 あなたのためなら……


 

 神様が私と田沼さんを引き合わせてくれた。



 そうとしか考えられなかった。



『ここからは自分で頑張りなさい』って言われてる気がして、あの日……いや、あの瞬間から、私はこの運命を逃すまいと後先考えずに突き進んだ。



 結局、社長さんが待っていた面接希望の人は現れず、私は目の前で突如空いた唯一の椅子に座るべく、ありったけの熱意で志願した。まだよく素性の分からない私に人の良さそうな社長は『これも何かの縁だね』と大満足して、その日のうちに二つ返事でその椅子を与えてくれた。



 お父さんとお母さんにはすぐには言えなかった。二人とも、今日の今日まで娘が実家を離れることなんて1mmも考えていないような過保護な人たちだった。



 それゆえ私は、二人を上手く説得出来るように、何度も何度も一人でリハーサルを積み重ねてから告げることにした。



 いざ切り出すと、予想通り二人は、奇行とも取れる一人娘の決断に大パニックになってしまった。



 夕食中だというのに父は箸を置いて立ち上がり、つられるように母も立ち上がり、気づけば私たち3人はリビングの真ん中で、スタンディング家族会議をしていた。



 両親がそんなふうに取り乱すのも無理はなかった。というのも、入念なリハーサルを重ね過ぎた結果、話をする前にゴム会社からの内定結果が先に来てしまっていたのだ。

 しかもその結果は、なんと内定決定だった……。



 家でその電話を受けた時、すぐ近くに母もいた。喜んだ母は即座に仕事中の父へ連絡をし、父はお祝いに少しいいシャンパンを買って、いつもより早く帰宅した。

 その夜に話したものだから、仕方ない。



 ゴム会社の内定は99%無理だろうと思っていたから、意外な結果に思わず二度聞するほど驚いた。だけど、それよりも驚いたのは、それでも自分の心が一つも揺れなかったことだった。

 巨大な岩石のように、田沼さんへの私の思いは内定をチラつかされてもピクリとも動くことはなかったのだった。



『上京したい理由は運命の人に出会ったから』だなんて、そんなこともちろん言えるわけがない。しかも相手は女の人だ。

 今日まで、壊れ物のように大事に育ててきた一人娘が地元の老舗会社の内定を蹴り、東京の小さな会社への就職を勝手に決めてきただけでも相当なショックの中、さらにレズだなんて知ったら、さすがに二人まとめて一気にノックアウトしてしまう……



 なので私は、とにかく東京のあの会社に魅力を感じ、どうしてもそこで働きたいと言う純粋な気持ちを強く訴えた。田沼さんのことは置いておいたとしても、その気持ち自体も真実だったので、それに対しての後ろめたさは全くなかった。



 初めは頭を抱えていた二人だったけど、あきらめずに何時間も延々と思いを伝えているうちに、だんだんと理解を示すようになっていってくれた。

 それでも東京の一人暮らしに不安が拭えない母に、会社から数分の場所に寮があることを説明し、さらにそこには他の社員さんも入居していることを告げると、最後には二人とも涙目で私の決断を許してくれた。



 ちなみに社長からは、寮の入居者について「他にもいるよ」としか聞かされていなかったので、この時はまだ他に一人しかいないということも、その人が田沼さんだということも、私は何も知らなかった。



 実際に上京した後に社員唯一の入居者が田沼さんだと知った時、私の運命レーダーは故障するくらいに波動を乱高下をさせて、爆音の探知音を鳴らしていた。

 


 そうやって私は、自分の中で感じた運命を信じて、それを逃さないように必死に頑張った。例え少し遠回りをしたとしても、側にいながら少しづつ近づいていってその内側に触れることさえ出来れば、最後には必ず結ばれる……。



 そう信じ続けていた。

 


 それなのにここに来て私は、9ヶ月前に起こったあの数々の奇跡は、本当にただの偶然だったのかもしれないと、初めてこの運命を疑い始めていた。




 今私の視線の先には、パソコンの画面ではなく窓の外へ顔を向けている田沼さんがいる。

 秋の色に変わり始めた街路樹の枝先あたりを見つめ、頬杖をつきながら田沼さんはかすかなため息をついた。見るからに心ここにあらずな様子だ。



「田沼ちゃん?」


「…………」


「田沼ちゃ〜ん?」



 清川さんに2回呼ばれ、ようやく田沼さんは気がついた。



「あっ、すみません……」


「珍しい〜!田沼ちゃんでも仕事に集中出来ないことあるんだね〜?なにか悩み事?」


「その……ちょっと……」



 仕事に真面目一徹の田沼さんが、就業中に仕事をないがしろにするなんてあり得ないことだった。



 やっぱり愛ちゃんの言っていた通り、田沼さんは誰かに恋をしている……。

 たった今も田沼さんの頭の中にはきっとその人が浮かんでいる。そしてそれは、 多分私の知らない(ひと)だ。



 あの田沼さんをこんなふうにさせるなんて、相手はどんな人なんだろう……。

 私みたいな即興の(にせ)たまちゃんじゃなくて、実写版たまちゃんみたいな人だろうか?



 私があの日、田沼さんを見て一瞬で恋に落ちたように、田沼さんもまた、自分を見失うほどにどこかの誰かに対して運命を感じてるのかもしれない。



 本当にそうなのだとしたら、本当の本当にこの恋は終わりだ。

 私が田沼さん以外誰も目に入らないみたいに、田沼さんも何があってもその子以外は受け入れられないはずだから……





「お疲れ様です、お先に失礼します」



 突然席を立った田沼さんがそう全員に向かって挨拶をしたことで、すでに定時を過ぎていることに気がついた。最近は私の方が先に事務所を出ていたのに、今日は先を越されてしまう。



 デスクの上の私物を手際よくバッグにしまい、田沼さんは事務所の入口へと向かう。



「……お疲れ様です」



 私の目の前を通り過ぎる時、小さく声をかけた。



「……お疲れ様」



 声に反応してちゃんとこっちを振り返ってはくれだけど、私を見下ろしながら横切ってゆく田沼さんは、心なしか嫌なものでも見たような表情をしていた気がした。



 私はたまらなくなってタオルハンカチを握り締め、トイレへと駆け込んだ。



 個室に入って声を殺して泣き、10分ほどして外に出ると、相馬さんが待ち構えるように腕を組んで鏡の前に立っていた。



「どした?」


「……別に、なんでもないです」


「目真っ赤にして、泣いてたのバレバレだけど?」



 言い返す言葉もなければ、釈明する元気もない。



「私応援するって言ったじゃん。何があったの?」



 言葉遣いはいつも通りデリカシーに欠けるのに口調は妙に穏やかで、弱りきった私はついぽろりと不安を口に出してしまった。



「田沼さんに好かれたくて自分を変えたのに、何も意味なかったのかなって思って……それどころか、むしろもっと嫌われちゃったような気がして……」


「嫌うとか、そんなの思い過ごしだと思うけどなー」


「田沼さんは私のことがウザいんだと思います……。きっぱり断ったのに田沼さんのタイプに合わせてこんなイメチェンなんかしてきて、あきらめてないの一目瞭然だし、しつこくて、面倒くさくてウザいんですよ、きっと……」


「本人から言われたわけじゃないでしょーよ」


「そうですけど、そうゆう目をしてたんです

……。見てられないみたいな呆れた顔してた……私のことはあんな目で見るのに、きっと好きな人のことは優しい目で見つめるんだろうなって……そう思ったら惨めで……悲しくて……」



 そこまで言葉にすると、姿形もどこの誰かも知らない田沼さんの想い人への嫉妬が抑えきれずに流れ出て、せっかくおさまっていた涙がまたじわじわと溢れ始めた。



「ちょっと待って!田沼さんて好きな人いるの?!」


「確実じゃないですけど、多分……」


「多分て……そんな不確かなことでそんなに打ちのめされてんの?」


「でもほぼ確実ですよ!最近の田沼さんどう見てもおかしいじゃないですか!いつもどこか気がそぞろだし、常に何かに悩んでるみたいだし……」


「らしくないじゃん。そんなコスプレしてるから中身もどんどん弱気になってくんじゃない?本当の伊吹ならさ、『田沼さんの運命の人は絶対に私です!』って言い張るはずだと思うけど」


「……だって、今までとは訳が違うし……」


「だってもクソもないわ!ボケ茄子!」


「……言葉が汚い……。そうゆうのってもう治らないんですか?」


「病気みたいに言うな」


「みたいって言うか、確実にそうでしょ。この現代、『ボケ茄子』なんて使ってるの相馬さんくらいですよ?」


「それはさておき、たまちゃんキャラはどこ行った?怒涛のツッコミしてくるけど、たまちゃんてそんなでした?」


「あっ……」


「今は完全に素の伊吹に戻ってたな」


「相馬さんのせいですよ!けしかけるようなこと言うから!」


「なんもけしかけてないわ!私は常にナチュラルな私だし!……でもさ、私の前ではすぐに素に戻っちゃうなんて光栄だねー。やっぱり伊吹は私と運命だったりして?今からでも思い直す?」


「絶対ないです!私の運命の人は田沼さん以外あり得ないんですから!!」


「ほら出た」


 

 まんまと私を引っ掛けた相馬さんは満足そうにニヤリと笑った。



「その方がいいよ。自分を消してまで好かれたい伊吹の気持ちは分からないでもないけどさ、やっぱりよくないと思う。素の自分を愛してもらえなかったら、例え一時的に振り向いてもらえても意味ないよ。そこから未来永劫、ずっと自分じゃない誰かでいなきゃいけないじゃん。そんなの虚しくなって結局ダメになるって」


「だけど……本当の私じゃ田沼さんは……」


「田沼さんは運命の人なんでしょ?そう信じてるんでしょ?なら自信持ちなよ。田沼さんのタイプになんか寄せないで、本当の伊吹で勝負しなよ」



 励ましてくれた相馬さんに上手にお礼を伝えられないまま、私は事務所を後にした。






***




 相馬さんの言うことは間違ってない。私だって、出来ることならこのままの私を好きになってもらいたい。でもそれが無理だからこんなことになってるわけで……



 うだうだと心の中で誰かに言い訳をするように歩いているうちに、アパートの前に着いた。階段の下から、電気のついた田沼さんの部屋を見上げる。



 いつもこんなに近くにいるのに、最近は誰よりも遠くに感じている。



 力の入らない体でなんとか階段を上り部屋に入ると、電気はつけず、窓から漏れる街灯の光がうっすらと家具を浮かび上がらせる中でうずくまっていた。

 


 その時、バッグの中からバイブの音がして、わたしは面倒に思いながらものろのろとスマホを取り出した。表示を見て後ずさりするほど驚く。



 たっ、田沼さん?!



 暗い中で突然明るい画面を見たから、見間違いかと思った。でも、間違いない。



「もしもし……?」


「い、伊吹さん!」


 

 電話先の田沼さんは、上ずる声でテンパっていた。

 田沼さんから電話がかかってきたのはこれが初めてだ。ぺこりんのイベントの時に半ば強引に連絡先を交換してから、ただの一度もかかってきたことはない。これは相当な緊急事態に違いないと思った。



「田沼さん!どうしたんですかっ?!」


「助けて!!……い、いるの……私、本当の本当に無理なの……」



 その言葉でピンと来た。



「もしかしてGですか?!」


「……Gじゃない!!……K!!」


「K?!」



 なんだそれ!!



「分かんないけど、分かりました!!とにかく今すぐそっちに行きますから!!」



 部屋を出て田沼さんの部屋へ向かうまでの短い廊下で考える。



 GじゃなくてK……

 Kってなんだろう……?



 ……そうか、分かった!蚊だ!



 でも、ちょっと待って……10月に蚊なんている?



 それに、もし蚊ならKって言うよりまんま蚊って言った方が早いよね……?



 てことは、Kより長い文字数でカ行から始まる虫……



 カマドウマ!!



 いやだぁーー!!

 カマドウマはレベル高すぎでしょ!!

 素人にどうこう出来る相手じゃない。


 

 ……だけど、そんなカマドウマよりもさらに100倍、いや、1000倍苦手な虫が私にはいる……。それもまさしくKから始まるあの虫……。



 あまりに恐怖がすごすぎて、想像の中ですらその名前を口に出来ないくらい怖い。



 とにかく、田沼さんの言うKが、私が一番苦手なあのKではないことだけを願って、ドアを叩いた。



「田沼さん!!来ました!!伊吹です!!」



 私が叫ぶと1秒もしないで扉が勢いよく開き、扉のヘリが私の鼻先をかすった。心の中で「危なっ!!」と漏らしながらも声に出すのはぐっとこらえた。



「伊吹さん!!」



 あまりの恐怖のせいか、田沼さんは私の姿を目にした途端、外に飛び出すほどの勢いで体に抱きついてきた。突然の柔らかい体と田沼さんの匂いに包まれて幸せに気を失いそうになる。



「だ、大丈夫ですか……?」



 この状況にかまけて、私は田沼さんの背中にそっと手を置いた。



「あの、ベランダのところに……」



 田沼さんは目をつぶって私の体にしがみついたまま、ベランダの方を指差した。私はとりあえず田沼さんの体を支えつつ玄関の中へと入りこんだ。後ろ手で扉を閉めた後、改めて首を伸ばして田沼さん越しに部屋の奥を見た。

 


 ベランダのガラス戸が中途半端に20cmほど開いている。田沼さんが開けようとしたところ何者かが入ってきてしまったんだろうか……?



 その時、ガラス戸のサッシの手前の木のヘリの上に黄緑色のなにかがいることに気づいた。



「まさか……」



 どわっと額から冷や汗が出て、瞬時に寒気がした。



 遠目ではっきりとは見えづらいけど、あれは間違いなくアイツだ……

 だってあんなフォルム、この世でアイツしかいないもの!!



 大きな目でこっちを睨みつけながらアイツはゆっくりと両手の鎌を上げた。



 カッ、カマキリだぁーー!!!!



 トラウマ級に苦手なアイツを久しぶりに生で見て卒倒しそうになった。しがみつかれていた田沼さんの体に、むしろこちらからしがみつく。



「……もしかして、伊吹さんもダメ……?」



 きつく抱いた腕の中で田沼さんが私を見上げて聞いてきた。心細そうに涙をためた目ですがるように見てくる。



「……ダメ……なわけ、ないじゃないですか……私にまかせて下さい……」



 田沼さんにそんな目で見られて苦手だなんて言えるわけがない。



「……本当に?無理なら無理しないで!誰か他の人に頼むから!」



 他の人……?

 平日のこんな時間に家にまで駆けつけてくれる知り合いが他にいるの?そんな人の存在なんて聞いたことがない。



 ……それってもしかして例の気になってる人なんじゃ!?



 私の知らない間に家にまで来るような間柄になってたとか?!

 それで、このカマキリ事件をきっかけにその人とどうにかなろうって言うんじゃ……?



 そんなこと許すまじ!! 

 させてたまるか!!



「……すみません、ちょっとの間、外に出ててもらえますか?」


「え?」


「アイツ、飛びますから……」


「えっ!?カマキリって飛ぶの?!」


「飛び回れはしないけどちょっと飛べるんですよ……しかも真っ直ぐ飛んでくるんです。何かのきっかけでこっちに来たら大変だから、田沼さんは外に避難してて下さい……」


「……わ、分かった」


「あと……なんでもいいので、何か長い棒みたいなものありませんか……?」


「長い棒…………あっ、これ!」



 田沼さんは玄関の傘立てに立てかけてあった、綺麗に畳まれたビニール傘を手に取り私に渡してくれた。



「ありがとうございます……助かります……じゃあ、事柄済んだら呼びますから……」


「うん……」



 私がそーっと扉を開けると、田沼さんもそーっと外へと出て行った。



「伊吹さん……」



 扉を閉める直前、隙間から呼ばれた。カマキリに注意を払いながら小さく振り返る。



「伊吹さんがいてくれて本当によかった……ごめんね、よろしくお願いします……」



 数cmの扉の隙間で田沼さんは丁重に頭を下げた。その時、真上からがっつりと胸の谷間が見えてしまった。谷間というか、もうそれは谷間にとどまらず、おっぱいそのものだった。



 条件反射のように一度生で触れてしまったあの感覚が両手の手のひらに蘇る。



 私の中の何かが覚醒した……



 扉がしっかりと閉まった直後、



「力を与えてくれてありがとうございます、田沼さん……おかげで私、なんだかいけそうな気がします……」



 声に出し、田沼さんの心に向かって唱えた。



 アイツは未だ微動だにせず、正々堂々と好敵手を待ち構えるようにヘリの上に立っている。



 私はフェンシングの(つるぎ)ようにビニール傘を構えながら、静かに靴を脱ぎ部屋へ上がるとアイツに向かってじりじりとゆっくり進んでいった。




 怖い……怖い……怖い……




 自分の100分の1ほどのサイズのアイツがサタン並みに恐ろしくてたまらない……



 でも、だけど、逃げるわけにはいかない……



 田沼さんは私が守る!!





 その時、アイツは私に向かって脇の可動域いっぱいに右手の鎌を振り上げた。












 

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