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第21話 一途




 運命の人だと信じていた田沼さんにフラれて、早すぎた出勤を適切な時間に戻した。

 必要じゃない会話はしないようにして、今まで無意識に向けてしまっていた視線にも気をつけ、極力存在感を消すことを心がけた。


 

 私は色々変わったけど、田沼さんは何も変わらなかった。

 何もなかったように今まで通り普通に接してくれることが有り難くもあり、何よりも悲しくもあった。



 あの日から、夜は必ず缶酎ハイを何本も空けるようになった。

 飲みながら泣いて、涙が枯れるほど泣いて泣いて泣き尽くした一週間後、ようやく泣くのをやめた。



 その次の日からは、毎日お弁当を作って会社に行くようにした。事務所でお昼休憩を過ごす田沼さんの邪魔にはならないよう、事務所を出て近くの公園のベンチで食べた。



 食べ終わったお弁当箱をしまい、水筒に入れた麦茶を飲んで秋空を仰ぎながらため息をつく。その時、



「お弁当おいしかった?」



 後ろから声がして振り返ろうとすると、それより先に、空いていた右のスペースに相馬さんが座った。


 

「……清川さんはどうしたんですか?」



 私は投げかけられた質問には答えず、別の質問で返した。



「薬局寄って行きたいから先戻ってて〜って」


「……そうですか」

 


 そう答えると、相馬さんは左手でベンチの背もたれを掴んで前のめりになり、終始目を合わせない私の視界に無理くり入りこんできた。



「田沼さんにフラれたんでしょ?」



 思いも寄らない一言につい顔を見合わせてしまった。



「なんなんですか?!いきなり!」 


「私の気持ち分かった?好きな人にフラレるのってかなりきついでしょ?」  



 相馬さんは真顔で淡々と言う。


 

「……だからって、私は相馬さんみたいにフッた相手に逆ギレなんてしないですけどね」



 この一週間、ただでさえ田沼さんにフラレて落ち込みきっている中、相馬さんからは何かと感じの悪い態度を取られ続け、私の相馬さんに対するイライラは募りに募っていた。



「ムカついた?」



 ひょうひょうと放ったその言葉が油に火を注ぐ。



「当たり前じゃないですか!てゆうか!散々あんな態度取ってきたくせにしれっと何もなかったみたいに突然普通に話しかけてくる今も、すごいムカついてます!」



 感情を露わにして正直にぶつけると、相馬さんは両手を大きく広げその場でバンザイをしながら「やったー!」と歓喜の声を上げた。



「なに喜んでるんですか!」


「大成功したから」


「私は本気で怒ってるんですよ?!」


「見りゃ分かるよ」



 嬉しそうに言われ、人生で初めて怒りで言葉が出てこなくなった。



「いや、ごめん!だってさ、伊吹って私のことでなんにも感情動かさないんだもん。田沼さんのことになると喜怒哀楽が大暴走するのにさ……」



 足元の砂利を軽く蹴飛ばし、ふてくされるように言う。



「本気で迫ったらなくはないんじゃないかってちょっとは期待してたんだけど、微動だにもしない揺るがない田沼さんへの気持ち聞かされて、内心はすぐ受け入れてたよ。つけ入る隙なんか1mmもないなって。でも、ただでフラレるのは悔しすぎて、なんでもいいから伊吹の中の感情の一つを動かしたかった。で、一番簡単そうな『怒』でいってみたってわけ」


「……相馬さんて、元々どうかしてると思ってましたけど、本当に骨の髄までどうかしてるんですね」



 その弁明はとても同情出来る理屈じゃなかったし、被害を被った身として決して許せるものじゃなかった。

 だけど、好きな人にフラレてどん底を見た私には、何一つ理解出来ない話ではなかった。



 結局ぷしゅ〜とガス抜きをされて、寸前で怒りは爆発を回避した。



「こうゆう曲がったところも例の先輩と似てる?」


「……いえ。相馬さんよりはだいぶまともな人でした」 


「うそ、興味本位でレズ遊びしてた人より私のがヤバいの?」


「はい。相馬さんの方が完全にヤバいです。ぶっちぎりの大勝ちです」


「……やっと分かったかも」


「何が?」


「私、これでもずっと悩んでたんだよねー。なんでひっきりなしにこムカつかせてくる伊吹のことがこんなに好きなんだろーって」


「…………で?」


「真面目な話、聞いてくれる?」


「どうぞ」


「私ってさ、昔っからいっつも人に距離置かれがちなんだよ。初対面から怖がられて異常に気遣われるし」


「でしょうねぇ……」



 嫌味でもなんでもなく、ごくごく自然に同意がこぼれてしまった。ハッとして右を向くと、相馬さんは無表情でこちらを向いて黙っていた。真面目な話だと前置きされてたのに、さすがに罪悪感を感じて申し訳なくなる。



「今のは本当にごめんなさい……。ちゃんと黙って聞きますから」


 

 反省を口にすると、相馬さんはそんな私を見て吹き出した。



「伊吹ってさ、ほんと私のことナメすぎだよねー」


「そんなことないですよ!仕事的にはちゃんと敬ってますし!」


「じゃあ仕事抜きでは?」


「相馬さんから仕事抜いたら何が残るんですか?」


「……それだわ。そうゆうとこが好きなんだわ。……もしかして私って隠れМなのかな……?」



 腕を組んで首をかしげ、本気で悩むような仕草を見せる。



「変な独り言やめて下さいよ!結局何が言いたかったんですか?」


「なんだろーね、まぁもういっか……」



 私のせいで話が中途半端になってしまったのに、本人はもう何かに納得したようだったので、これ以上私から掘り下げることは違う気がしてやめた。



「……で、一通り終わったからようやくツッコもうと思うんだけどさ、その髪型はなんなの?」


「何って三つ編みですけど」


「その丸メガネは?伊吹って目悪かった?」


「普通には悪いですけど、ギリコンタクトなしで生活出来るレベルです」


「じゃあなんでかけてんの?今までかけてなかったのに」


「メガネかけてると真面目そうに見えるかと思って」


「三つ編みに丸メガネって、誰目指してんだよ」


「穂波たまえです」


「誰だよ!」


「知ってるでしょ?まるちゃんの友だちですよ」


「それなら『たまちゃん』って言えよ」


「尊敬してる人にちゃん付けとかしないです」


「いや、ちゃん付けどころかさっき呼び捨てしてたよね?」


「……うるさいなぁ」


「で、なんで一夜で突然たまちゃん化してんの?」


「……田沼さんにフラれた時、私はタイプじゃないって言われたんです。それで、『じゃあどうゆう人がタイプなんですか?』って聞いて教えてもらった特徴を自分なりに総括してみたら、ここにいきつきました」


「そんなに好きなんだ?そんなふうに自分を殺してもいいくらい」


「好きですよ。ずっとそう言ってるじゃないですか」


「でもそのスタイル、田沼さんには好みでも他からはだいぶ敬遠されそうだけど気になんないの?」


「そんなのどうだっていいです。田沼さんが好きになってくれるなら他の人なんか関係ないですから」



 私の話に、相馬さんはあごが外れたみたいに口を半開きにした。



「……完全に負けたわ」


「何にですか」


「正直、そこまでだとは思ってなかった。いや、そんなようなことは確かに言ってたけど、実践するとはね……。ねぇ、今更だけどさ、田沼さんのどこがそんなに好きなの?」


「……私の言葉じゃ言い表すのは難しいです……とにかく説明がつかないくらい惹かれるんです。田沼さんを作ってる姿形も声も精神もすべてに心が動かされて、前世でも運命だったんじゃないかって本気で考えるくらい、田沼さん以外考えられないっていうか……」


「……じゃあ、田沼さん好みの女になってもう一回告白するつもり?」


「今はフラれたばっかりでそこまで考える余裕はないです。せめて今までより少しでも好きになってもらえたらって願うのに精一杯で……」


「……応援するよ。今度は全力で本気で」



 相馬さんはしっかりと私の目を見て言った。



「なんかここまで来たら上手くいってほしいって心から思えてきた」


「ありがとうございます……」


「てことで、今日終わったら作戦立てがてら二人で飲みにでも行こっか!」


「なんで突然そうなるんですか。二人でなんて絶対行かないですよ」


「大丈夫だよ、もう口説いたりしないって。ちゃんときっぱりあきらめたからさ」


「そうゆうことじゃなくて……」


「あ、分かった。しょうこが私のこと好きだから気使ってるんだ?」


「……相馬さん、知ってたんですか?!……どうして?」


「見てれば分かるよ。私がちょっとちょっかい出すだけであの子すぐ顔赤くするんだもん。可愛いよね」


「あのね、しょうこちゃんは相馬さんのこと本気で好きなんですよ?本人がいないからってそんな茶化すような言い方やめて下さい!」


「別にバカにしてるわけじゃないから。本当にすごく可愛いって思ってる」


 

 反論する相馬さんの顔は真剣そのものだった。



「……それなら、しょうこちゃんの気持ちに応えてあげたらどうですか?」



 しょうこちゃんは、付き合いたいとまでは思っていないというようなことを口では言っていたけど、本音はそんなことないと私には分かっていた。



「それは無理でしょ。だって私、伊吹に告ったんだよ?」


「でももうそれは解決したし」


「バカだな。だとしても履歴は残るんだよ。しょうこからしたら、自分の友だちのことを好きだって言ってた人間と付き合うってことじゃん。そんな残酷なことなくない?」


「……それは……」


「それに、どっちにしてもしょうことは付き合えない。あんな汚れのない子、私みたいなのと関わっちゃダメだよ」


「……しょうこちゃんの友だちとしての本心を言うと、私もそれには賛成です……」


「でしょ?……ほんとそうだよ」



 そう言って遠くを見る相馬さんの目は少し寂しそうに見えた。





***




 一足先に席を立った相馬さんから数分遅れて公園を後にし、会社に向かって歩きながらさっき相馬さんに言われて引っかかっていたことを思い返していた。

 


 私は今まで、相馬さんから告白されたことをしょうこちゃんには黙っていた。知れば傷つけると思って当たり前のようにそうしてきたけど、私のしてきたことは本当に正しかったんだろうか……?



 好きな人が自分の友だちに告白したことを、好きな人にもその友だちにも隠されたままでいるなんて、そんなに虚しくて悲しいことはないんじゃないか……?



 でも、言えば100%確実に傷つけることになるのも間違いない。どうすることが正解なのか分からなくなってしまった。



「いーぶきちゃん?どーしたの?元気ないね?何かあった?」



 階段を上る手前で清川さんと鉢合わせた。



「清川さん……」


「なぁ〜に?」


「……知れば絶対に傷つくって分かってるけど、知らないでいるのは残酷なことがあるとして、それって相手に伝えるべきなんでしょうか……?」


「……思った以上に深いこと考えてたんだね?」


「すみません、なんの脈絡もなく変なこと聞いて……」


「変なことなことないよ!……そうだなぁ〜、それはどっちってはっきりした答えはないかもね」


「そうですよね……」


「でも大丈夫だよ」


「えっ?」


「どっちにしても、今そのことに悩んでる伊吹ちゃんが相手を想ってることに変わりはないから。そこに愛があれば大丈夫だと思うよ?綺麗ごとじゃなくて、愛さえあればどんなことも全部解決するって思うから」


「……さすがです!清川さんは本物の愛の女神ですね!」


「もぉ〜伊吹ちゃんてば!」





***




 その日、事務組の全員が帰った事務所で私は、しょうこちゃんの帰りを待った。



「きゃあっ!!」



 1時間半後、いつもは現場から戻って来ると誰もいない事務所のデスクにひっそりと私が佇んでいたので、しょうこちゃんを驚かせてしまった。



「驚かせてごめんね!」


「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ!」



 ちょっとじゃなくかなりびっくりしてたのにしょうこちゃんは気を遣った。



「てゆうか、さと美ちゃん、三つ編みのメガネ可愛いー!たまちゃんみたいだね!」


「しょうこちゃん……」



 無邪気なしょうこちゃんを見ていたら涙が出てきた。それに気づいたしょうこちゃんが急いで私に近づく。



「どうしたの?大丈夫?」



 しょうこちゃんが椅子に座る私の背中をさすってくれると、涙はさらに溢れ出てきた。



「しょうこちゃん、私……実は……相馬さんに告白されたの。黙っててごめん……傷つけると思って……」



 目を見て言うことは出来なかった。

 背中に触れているしょうこちゃんの手が止まる。



「……それっていつ?」


「……一週間くらい前」


「……そっか。やっぱりそうだったんだね……。実はちょっと前からそうなのかなって思ってたんだ。……最近、相馬さんとさと美ちゃんの関係がちょっとおかしかったから」


「でもはっきり断ったから!」



 私が顔を上げると、しょうこちゃんは優しくほほ笑んだ。その笑顔には隠しきれない傷が、もうはっきりと浮かび上がっていた。



「話してくれてありがとう。私のせいで悩ませちゃったんだね。ごめんね……」 



 私を一つも責めないしょうこちゃんが痛ましくて仕方なかった。


 

「私のことなんて気にしなくていいのに……。さと美ちゃんが思うようにしてくれれば私は……」


「前も言ったけど、私は相馬さんには全くそうゆう気持ちないから!」


「……そうだよね、ごめん。さと美ちゃんは田沼さん一筋だもんね」


「……うん。あ、でも、その田沼さんなんだけど……フラれたんだよね」


「え!?田沼さんにフラレたって……告白したの?!」


「うん……実は相馬さんのことがあった次の日に……。完全になりゆきでそうなっちゃったんだけど、今しかないって思って。……だめだったけど……」



 改めて言葉にするとまた悲しみが襲ってきて、枯れるほど出し切った涙がまた出てきた。すると、背中に置かれていたしょうこちゃんの手が私の頭を撫でた。



「さと美ちゃん、偉かったね。頑張ってすごいよ!私にはそんなこと出来ないもん!さと美ちゃんはすごいよ!」


「しょうこちゃん……」

 


 もう一度顔を上げると、しょうこちゃんも私と同じくらい泣いていた。私は立ち上がり、小さなしょうこちゃんを力いっぱい抱きしめた。



「泣いたりしてごめん……さと美ちゃんのことは何も恨んだりなんかしてないから……ただ……ごめんね……相馬さんがさと美ちゃんのことを好きなのはずっと前から分かってたのに………どうしてこんなに……」



 全部言わなくてもしょうこちゃんの気持ちはちゃんと私に強く伝わっていた。

 言葉では胸の中を上手く伝え合えない私たちはただただ抱き合って声を上げ、誰もいない夜の事務所で二人、延々と泣いていた。









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