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第20話 ごめんなさい



 なんで田沼さんが家に?!

 まさか、またストーカーしたでしょ!って言いに来たとか……?



 今回は完全に偶然なのに!

 ……でも、前科のある私がそんな弁明をしてもきっと信じてもらえないんだろうな……



 とは言え、居留守を使うわけにはいかない。今逃げたって明日会社で言われるだけで意味がない。



 私は覚悟を決めてドアを開けた。



 田沼さんは、怒ってるとも怒ってないとも言い切れない、読めない表情をしている。



「あの……なんでしょうか?」


「さっき、これ買うつもりだったんでしょ?」



 そう言って差し出されたコンビニのビニール袋を受け取り中を覗くと、入っていたのはさっき私がコンビニから逃げ出す前に手にしていたシーフードのカップラーメンだった。



 ちょっと意味が分からない。



「……あ、あの、さっきは私、つけ回してたわけじゃないんです!」


 

 謎のカップラーメンを手にしたまま、誤解だけはされたくない気持ちが先走ってまず訴えた。

 


「分かってる。だって、私の方が後からあのコンビニに入ったから。店内でウロウロしてる伊吹さんにすぐ気づいたけど、今は話しかけるとかじゃないかなって思って……」


「……え?」


「でも伊吹さん、私と目が合った途端に慌てて出て行ったでしょ?だからきっと、私に誤解されたって誤解したんだと思って。それで、代わりに買ってきたの」



 先に気づいてたけどスルーされていたという真相には複雑な気持ちになったけど、とにかく誤解はされてなかったみたいで、それだけは安心した。

 


「……わざわざありがとうございます。ちょっと待ってもらえますか?今お金……」


「お金はいい」



 ……お金はいい?

 今、『お金はいい』とおっしゃいました?

 それって、田沼さんが言わない言葉ランキング2位のやつじゃない……?



「そうゆうわけには!」


「そんなことより、伊吹さん」



 田沼さんの落ち着いた声が、長くなりそうなやり取りをピシャリと終わらせる。私より一段低い場所にいるから通常よりもっと小さいのに、じっと見てくるその目の鋭さで、私はメデューサに出くわした騎士のように固まってしまった。



 かろうじて機能している鼓膜で聞き取ろうと、次の言葉を怯えながら待つ。


 

「……ごめんね?」


 

 バツが悪そうに小さく肩を落とし、狙いなんて全くない天然の上目遣いで田沼さんは言った。その予想外な展開に体の力がふわっと緩む。


 

「あの……何がですか?」


「……朝、挨拶を無視したこと」


「あ、あぁ……」


「あの時は、伊吹さんの顔を見た瞬間に昨日のことを思い出しちゃって、つい……。でも、どんな理由があっても挨拶を無視するなんて良くなかった。ごめんなさい」


「…………田沼さん……」



 やっぱり田沼さんだ……。

 曲がったことはしない。例え過ちを犯しても、そのままやり過ごしたりしない。それが、私の大好きな田沼さんだ。

 


「あの、上がらせてもらうのは難しい?」


「えっ!?」



 さらに想像を越えたことを言われ、大きな声を出してしまった。



「ここじゃ声が響くと思って……」


「もちろん私はいいんですけど、田沼さんは人の部屋、苦手なんじゃないんですか……?」


「それはそうなんだけど……伊吹さんの部屋だし……」



 何が起こってるの?!

 ぺこりんのイベントの日には拒否反応を示してたのに……。でもそんなことを突き詰めて気が変わられたら困る。



「どうぞ!!」



 願ったり叶ったりの状況を逃さないようさらにドアを開いて招き入れた。



「お邪魔します……」



 田沼さんがうちの玄関で靴を脱いでる……。それだけで感動がこみ上げてくる。



「暑くてすみません。エアコン、じきに効いてくると思うんですけど……」



 コンビニに行く前に消してしてしまったせいで部屋は少し蒸し熱くなっていた。私は四角いテーブルの上に冷たい麦茶を出しながら言った。



「ありがとう」



 田沼さんが私のグラスで、私の作った麦茶を飲んでる……。感動を越えて涙が溢れ出てきそうだ。



「伊吹さんお腹空いてるでしょ?お昼、小さいお粥しか食べてなかったし。私のことは気にしないでさっきのラーメン食べてね」


「……ありがとうございます。確かに胃は空っぽなんですけど、なんか別の意味でいっぱいっていうか……。後で落ち着いたら頂きます」  


「そっか」



 部屋に入ってきたってことはまだ話の続きがあるはず。だけど田沼さんはなかなか本題に入らない。それなら今のうちだ!と、ゆっくり話が出来るこの機会を逃さないよう自分から話し始めた。



「田沼さん!昨日は、それから金曜日も、勝手なことをして本当にすみませんでした……」



 私はその場で正座をして畳に手のひらを着き、しっかりと頭を下げて丁重に謝った。



「もういいよ。そんなことしないでいいから」



 後頭部に田沼さんの穏やかな声が降りてくる。



「驚いたでしょ?私の秘密知って」



 お許しが出てゆっくりと上半身を上げてから返事をした。



「それは……正直、はい……」


「女の子が好きで、その上お金を使ってあんなことまでしてるなんて……引いたよね?」


「そんなこと!驚いただけで、全然全く引いてなんかないです!」



 私が全力で答えると田沼さんは微かな微笑みを見せ、そしてまたすぐ真顔へと戻った。



「あともう一つ、伊吹さんに謝らなきゃいけない。……昨日は『最低』なんて言ってごめんなさい。そんなこと思ってないから」



 田沼さんが謝ってくれて、あの時からずっと心臓に刺さったままだった痛みがポロリと転げ落ちた気がした。何か言わなきゃいけないと思うのに何も言えない。その代わりに、私の両方の目からは噴水のように一気にぶわっと涙が吹き出した。



「えっ?!なっ、なに?!どうしたのっ?!」



 田沼さんがそんな私を見て、見るからに慌てふためく。



「……良かったと思って……私、田沼さんに……取り返しがつかないくらい嫌われたと思って……」



 両手で次から次へとこぼれる涙を拭う私に、田沼さんは自分のハンカチを出して渡してくれた。手を伸ばした場所にティッシュの箱があるのに。こんな時でさえまたもっと田沼さんを好きになる。



「……今日伊吹さんが帰った後、話があるって相馬さんに言われて少し話したの」


「相馬さんと……?」


 

 突然飛び出た名前が私に冷静さを取り戻させ、次第に涙を止めた。相馬さんが改まって田沼さんに何を話したのか、予想がつかなくて聞くのが恐かった。



「昨日あの場所に相馬さんがいた経緯を説明された。伊吹さんと一緒に来たわけじゃないってこと。でも結果的に私に嫌な思いをさせたって謝ってくれた」



 相馬さんが釈明してくれたことは素直に有り難かったけど、相馬さんの言葉によって田沼さんの気持ちが変わったんだとしたら、さっき私が流した涙は少し意味が違かったかもしれないと虚しさも覚える。



「……でも、相馬さんにそう聞いたからとかじゃなくて、その前から自分自身でもよくよく考えてたの」



 すると、そんな私の気持ちなんて知らないはずの田沼さんが、私が気にしていたことを話し始めた。


 

「伊吹さんは面白がって人の内側を覗いてくるような、そんな子じゃない。それは、今まで関わってきた姿を見てれば分かる」



 そう思い直してもらえて嬉しい気持ちと、もどかしい気持ちがせめぎ合う。



「……伊吹さんはいつも優しいもんね。飲み会がある時は、いつも参加しない私に毎回必ず声をかけてくれるし、私が互い違いの靴下を履いてきちゃった時だって、恥をかかせないように率先して自ら新しい靴下を買いに行こうとしてくれたり……」



 この列車は悪くない方向へ向かってるんだと思う。だけどその着地点はきっと、私が行きたい場所とは違う気がした。



「ちょっといきすぎた行動だったことは否定出来ないけど、そこまでしたのもきっと優しさからだったんだろうなって。優しいから、大して親しくもない私のことも伊吹さんは心底心配してくれたんだと思った。感情が落ち着いてからようやくそれが分かったの」



 ……違う。

 そんなんじゃない。

 だけど、そうゆうことにしておけば今回のことはこれで丸く収まる。余計な波風を立てなければ、また今までみたいな関係に戻れるんだ……



「そんな伊吹さんに私は恥ずかしさで八つ当たりした……私の方こそ最低だった」




 私は田沼さんにそんな反省なんて求めてない。今までの関係に戻りたいわけじゃない。 

 私は田沼さんともっと違う関係になりたいんだ!



「……違うんです」



 私の否定発言に、田沼さんがゆっくりと顔を上げた。

 例え伝わらなかったとしても、今言わなきゃだめだ……



 自分の中から自分の声がした。



「心配はしてたけど、そんなのきっと言い訳です。優しいとかじゃない。私はただ、他の誰かに田沼さんを盗られることが耐えられなかっただけです」



 田沼さんは黙ったまま不可解な顔で聞いていた。



「前に私が、うちの会社の中で田沼さんが一番タイプだって話したの、覚えてませんか?」


「……覚えてるけど」


「あれは冗談でもノリでもなくて、私の本当の気持ちです。私、田沼さんが好きです!」



 誤解の隙も与えないように、ついにはっきりと言った。

 それなのに、田沼さんはいまだにどこかピンと来ていない表情のままだ。

 自分もレズなのにまだ分かってないの……?

 


「その、好きっていうのは恋愛感情としてって意味で……。出来ることなら田沼さんと付き合いたいって、実はずっと前から密かに思ってました」



 さっきの謝罪終わりの姿勢のまま、正座で告白をしていることに気づく。好きな人に『好き』と伝えることは、緊張とかいう言葉なんかじゃ到底収まらなくて、返事を待つ間は、どんなふうにしてるのが正解なのか分からずに指の先までが挙動不審になってもぞもぞした。そんな色々を誤魔化すのに、正座は思いのほかぴったりだった。



 背筋を伸ばした姿勢で恐る恐るその表情を伺うと、田沼さんは戸惑うでも拒むでもない純真無垢な顔をして私に尋ねてきた。



「質問していい?」


「どうぞ……」



 司会者のように、右の手の平を上に向けてを田沼さんに差し出す。



「そもそもなんだけど、伊吹さんて女の人をそうゆうふうに見れるの?」



 あ然とした。そこから?!

 でも、そうゆうことを言われるのは慣れっこだ。

 


「私も田沼さんと同じです!今まで話したことはなかったですけど、元々、女の人しかそうゆうふうに見れない人種なんです!」



 そこで初めて田沼さんは驚きの表情を見せた。そして、まるで知らない異国の人間を見るようにまじまじと私を観察してきた。



「あの……何か?」


「……あっ、不躾でごめんなさい。ちょっと不思議っていうか驚いて……。伊吹さんて全くそんなふうには見えないから……」



 困惑気味ではあるけど、悪い反応ではない。これは、本当にいけるかもしれない!!



「そう見えないかもしれないですけど、実際は筋金入りのレズなんです!だから田沼さん!どうか私と付き合って下さい!」



 もう一度しっかりと目を合わせ、言葉に魂を込めてぶつけた。

 あとは答えを待つだけ……

 


 田沼さんが私に習うように綺麗な正座で座り直す。その仕草もまばたきもスローモーションに感じる。閉じたまぶたが再び開き、田沼さんの黒い瞳が真っ直ぐ私に向かって光った。



「…………ごめんなさい」



 返ってきたのは、この世で一番聞きたくなかった言葉だった。



「……理由を、聞かせてもらえませんか?」


「……理由…………」


「やっぱり、愛ちゃんのことが本気で好きなんですか……?」


「ううん、愛ちゃんとは完全に割り切ってるから」


「でも、愛ちゃんの名前にハートマークをつけてましたよね……?」


「あれは……そこまで深い意味はなくて……雰囲気的に彼女のつもりでいた方がそうゆうことする時に気持ちが盛り上がるからってだけで……ただのなんとなく」


「本当ですか……?」


「愛ちゃんはいい子だし好きではあるけど、付き合いたいとかって思ってるわけじゃない」


「そうですか……じゃ、じゃあ……私と付き合えないのはどうしてですか……?」



 田沼さんが分かりやすく困った顔をする。



「はっきり言ってもらっていいですから。その方がいいので、正直に言って下さい……」



 本当はこれ以上悲しいことなんて聞きたくない。だけど、聞かないでいることの方が無理だった。



「……じゃあ言うけど……その……伊吹さんは私のタイプとは違う……から……」


「…………え」


 

 心から申し訳なさそうに言う田沼さんを私は呆然として見ていた。自慢じゃないけど、生まれてこの方、そんなことを言われたのは初めてで絶句してしまった。



 外見でばっかり言い寄られる人生で、それを何よりうっとうしく思って生きてきた私が、本気で好きになった人には『タイプじゃない』と断られるなんて……。



「じゃあ!田沼さんのタイプはどんな人なんですか?!」



 後先考えず食らいつく。



「……タイプは……目立たない子かな……」


「目立たない子……」


「真面目な委員長みたいな、とにかく控えめで大人しい感じ……。大人数のアイドルで言ったら、一番後ろの列の一番端にいるタイプ。伊吹さんは誰が見ても不動のセンターって感じだから……」


「それって……平たく言うと、私は田沼さんのタイプとは正反対ってことですよね……?」


「……ごめんなさい」



 田沼さんは否定をしなかった。

 私とは正反対の女の子が田沼さんのタイプ……。それなら、私を好きになってくれるはずがない……



「……よく……分かりました……」



 私をフッた田沼さんはさらに気まずさに拍車をかけ、下を向いたままもう顔を上げるつもりはないように見えた。



「ごめんなさい」



 そのまま、畳み掛けるようにもう一度言われた。同じ言葉だけど、二度目の方が辛かった。二度目は一度目よりもっと覆らない。そのたった6文字の言葉に、私は完全に絶望させられた。



「……恥ずかしい話ですけど私、出会った頃から田沼さんのことをずっと運命の人だって信じてたんです……。だから今断られた瞬間、思考がしばらく止まっちゃったんですけど……考えてみてれば、そうゆうこともありますよね。私にとっては運命の人だとしても、田沼さんにもそうだとは限らない。運命の人っていうのは一方通行もあるんだってこと、忘れてました……」



 田沼さんはもう何も言ってくれなかった。

 これ以上、もう本当に私と話すことがないんだろう。



 私ももう何を言ったらいいのか言葉が出て来ない。



 畳張りの和室で四角いテーブルを挟み正座で黙り合う私たちは、皮肉にもまるでお見合いの初顔合わせのようだった。




 そんな私と田沼さんの縁談は、日をまたぐことすらなく、その場で破談に終わってしまったのだった……。














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