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第18話 気まずさの境地 




 次の日。

 ……ではなく、数時間後にやって来た朝は史上最悪だった。



「お……はようございます……」



 いつものように事務所の入口で私が挨拶をすると、田沼さんはふいに合った視線をそらし、顔をそむけながら私の前を通り過ぎた。



 田沼さんに決定的な無視をされた……



 田沼さんは非常識を良しとしない人。

 そんな田沼さんが挨拶を返してくれないなんて、昨夜から怒りの温度が全く冷めていないどころか、ひと晩たってさらに(はらわた)煮えくり返り、私のことを心底嫌いになったのかもしれない…。



 こんなことになったのは全部自分のせいだって分かってる。だけど、田沼さんにあんな態度を取られるなんて、今すぐ消えてなくなりたい気持ちになった。



 もう二度と触れないように言われたから、改めて謝ることも出来ない。私はただ遠くから、ひっそりと田沼さんの様子を見つめることしか出来なかった。


 

「おはよーございます」



 重苦しい空気に割って入るようにやさぐれた声が響き、私と田沼さんは反射的に事務所の入口へ顔を向けた。



 また別の意味で気まずい相手、相馬さんが出勤してきた。私が「おはようございます」と返すと、田沼さんも私に続いて同じ言葉を口にした。

 私の挨拶は無視したのに相馬さんにはちゃんと返すところが、正直ちょっと納得いかない。



 クラス一の不良の登校シーンみたいに事務所に入ってきた相馬さんは、私のことをウザい担任のごとくジロリと横目で見て、自分のデスクへ向かった。


 

 あきらかに態度が悪い。

 フラレて逆ギレするなんて、なんて理不尽なの?!



 田沼さんと二人でもすでに石を背負ってるみたいに重い空気が、三人になった今はそのまま海の底の水圧までもが加わったように体にのしかかる重さに変わる。



 誰も何も喋らない……。  

 なにこれ……?

 一番初めに喋った人が負けのゲームとかやってんの?



 静かすぎて、腕時計の秒針と壁掛け時計の秒針が互い違いにリズムを刻んでるのが聞こえる。

 やばい、本当に水の中にいるみたいに息苦しくなってきた。



 お願い!清川さん!!早く来て!!

 心で懇願したその時、



「みんな〜!おはよ〜う」



 事務所中に充満している灰色の空気を、優雅で余裕のある清川さんの声が一気にスパーンと切り裂いた。



「おはようございます」

「おはよーございます」



 他の二人が可もなく不可もない返事を返す中、



「清川さんっ!!」



 泣きつきたいくらいの安心感に私は思わず立ち上がって、挨拶の代わりに名前を叫んだ。清川さんはそんな私の変な反応に笑いながら近づいてくる。



「伊吹ちゃんどうしたの〜?なんか最低最悪な出来事でもあった〜?」



 あまりに図星すぎて、私の体は電池を抜かれたおもちゃのようにピタっと止まってしまった。同じタイミングで、奥にいる田沼さんがピクリと反応する。



「いや別に何も……」


「そお?そんな顔してるけどな〜。あ、じゃあ、相馬ちゃんから笑えないセクハラでもされたとか!」



 今度は斜め前の相馬さんがピクリと動いた。ダメだ……今日の清川さんはある意味、神がかってる。口を開くたび、ロビンフッド並みに的中させてくる。



「清川さん、大正解!過去一のえげつないセクハラしちゃったんですよ、私。ね?伊吹!」



 突然、相馬さんが会話に入ってきた。言い終わりに意味深な同意を求めてきたけどなんて返せばいいのか分からず、何も言えなかった。

 


「珍しい〜、伊吹ちゃんが言葉を失っちゃってる。もぉ〜相馬ちゃん!ほどほどにしなきゃダメだよ!」



 清川さんは相馬さんに甘めの説教をしながら、まるで幼い子どもにするみたいに私の頭を撫でてくれた。





 仕事が始まると、ようやく少しは息が吸えるようになった。沈黙は正当になったし、ダブル秒針の音も、キーボードを叩く音や電話の受け答えの声ですっかり聞こえなくなった。



 今日はとにかく大人しくして、出来るだけ人と関わらないでやり過ごそう……



 そう思っていた矢先だった。どうしても田沼さんに確認しなきゃいけない箇所を見つけ、私の鼓動は暴れ太鼓のように乱れ打ちを始めた。



 行くしかない……。

 高地と変わらないくらい酸素が薄い通路を田沼さんに向かって歩いてゆく。近づきすぎて嫌がられないよう、いつもより一歩手前で立ち止まると、田沼さんは気配に気づいてゆっくり顔を上げた。



「……あの、田沼さん、こちらの請求書なんですけど、いつもと内容が違うみたいで……確認してもらえないでしょうか……?」


「……分かった」



 良かった……無視されなかった……。

 挨拶はしてくれなかったけど、仕事に関しては私情を挟まないでくれるらしい。

 それでも気を抜かず引き続き丁重に進める。



「お願いします……」



 足の位置はその場から動かさず、腰から90度に上半身を折って、両手を伸ばし書類を差し出す。



 あれ?この格好、体に覚えがある……。

 そうだ!卒業証書をもらう時のフォームだ!



 そんなどうでもいいことを考えていると、田沼さんは眼鏡に手を添えながら、書類を手に取ることなく、そのまま覗き込むようにして確認した。無理な姿勢をキープする羽目になり、全身がプルプルする。

 もしかして地味な仕返ししてる……?

 まさか、田沼さんがそんなせこいこと……



「これはこのままで大丈夫。年4回だけは別注の仕事もらってるの。今回はその分が入ってるだけだから」


「分かりました……有り難うございます」



 無事に終わった……。

 ほっとして姿勢を元に戻そうとすると、限界を超えた筋肉が言うことを聞かず、バランスを崩して前につんのめってしまった。



「わぁっ!!ごめんなさい!」

「ちょっ!ちょっと!!」



 キャスター付きの椅子に座っている田沼さんの上に倒れながら、危険回避の本能でその体にしがみつく。すると今度はその惰性の力で、可動の良すぎるキャスターが二人分の体重をものともせずに床をすいーっと滑っていった。



「きゃーー!!」



 田沼さんの叫び声が耳元でつんざく中、無操縦の椅子は現在不在の社長のデスクに背もたれを衝突させてようやく止まった。



 その時の、ガンッ!!という衝撃で、田沼さんにつかまっていた私の体は10cmほど下へずり落ち、その瞬間、唇が田沼さんの首筋に当たってしまった。



「ごっ、ごめんなさいっ!!」



 顔を上げて必死に謝ると、田沼さんは首を反るようにして迷惑そうに目を細めた。



「もういいから……早く離れてくれる?」



 冷たい言葉と仕草に素直に傷つく。

 のろのろと立ち上がり、もう一度深く頭を下げてから私は田沼さんの前から去った。



「もぉ〜伊吹ちゃん大丈夫〜?ほんとおっちょこちょいなんだからぁ〜!」


「お騒がせしてすみません……」



 清川さんと話しながらデスクに戻る時、何を考えてるのか分からない顔をした相馬さんと目が合った。

























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