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第17話 ノーマーク 




 ショックで足が動かず、せっかく買って来てもらった傘もさせず、結局相馬さんの傘に入れられて大通りに出ると、促されるままタクシーに乗った。



 タクシーの中でも、勝手にいなくなった私を相馬さんは何も責めなかった。



 しばらくしてタクシーが停車すると、相馬さんに「降りるよ」と手を引かれ、降りてすぐのマンションへ入った。



「……ここ、相馬さんちですか?」



 居心地の悪い見知らぬエレベーターの中で、どこかへ飛んでいた意識がようやく戻ってきた。



「そう。今日はうち泊まっていきな」


「なんで?」


「一人にしたら髪も体も拭かないで100パー風邪引きそうだから」


「むしろ風邪引きたいです。そしたら田沼さんが少しは心配してくれるかもしれないし……。て、そんなわけないか。最低なことした私のことなんか心配してくれるわけ……」


「私がするわ!」



 部屋に上がると、相馬さんは温かい飲み物やら着替えやらを次々に渡してきた。



「これ飲んだらシャワー浴びなよ。そのままだと風引くから」



 面倒だったけど、断るために口を開くことも面倒で、私は無言で全て相馬さんの言う通りにした。



 浴室から出てくると相馬さんは待ち構えていたように勝手に私の髪を乾かし、それが終わると



「明日も会社だし、早く寝な」



 と、ベッドを指し示して言った。

 初めて来る、しかも先輩の家だというのに、私は遠慮せずベッドに横になった。壁の方を向き、立ったままの相馬さんには背中を向ける。



「面倒見いいんですね、意外と」



 と言うと



「『意外と』は余計だよ」



 と返ってきて、なんだか少しだけ安心した。



「相馬さんが世話焼いてくるの見てたら、おばあちゃんのこと思い出しました」


「……おばあちゃん?」


「年に一度は必ず母親の田舎に帰ってたんです。そうすると、おばあちゃんがすごく嬉しそうにして、なんでもかんでも次々に出してきて……。もう今はあの古い家も無くなって、おばあちゃんも遠くに行っちゃいましたけどね……」


「……そっか。でも空からいつでも見守ってるんじゃない?可愛い孫のこと」


「空からって……勝手に人のおばあちゃん殺さないで下さいよ、俄然生きてるんですから」


「は?!生きてんの?!だって、遠くに行ったって言ったじゃん!」


「年取ってからフラダンスにどハマりして、田舎の家売ってハワイに移住しちゃったんですよ」


「あ、そう……。それは元気そうで何よりです……」



 眠れる気なんて全くしないと思ってたのに、受け入れ難い現実から逃避したい気持ちが眠気に繋がったのか、相馬さんにあったかい掛け布団と毛布をかけられてからたったの数分で、私は簡単に深い眠りの中へ入っていった。



 眠りにつくギリギリ手前の残された意識の中、そう言えばこのベッドで相馬さんは夜な夜な男の人としてるのか……と最悪なことが思い浮かんでしまい、そのまま気を失った。




***




 夜中にふと目を覚ますと、部屋の角に立つ間接照明が部屋全体をオレンジにぼんやりと照らしていて、私は眠った時とは逆を向き、ベッドの上で体全体を抱きしめられていた。



「ちょっ!!ちょっと!!なんですかこれ!?」



 寝てるか起きてるかも分からない相馬さんに言い放つと、起きていたらしく、すぐに返事が返ってきた。



「雨に打たれて冷えただろうから温めてんじゃん」


「遭難先の山小屋か!そもそもシャワーも使わせてもらったしもう冷えてないですよ!」


「お、元気そう。よかった」



 口調はいつもと同じなのに、私の肌に触れる指先からは何か違うものを感じて自然と上半身を少し後ろへずらした。

 


「もう本当に大丈夫なので離れてもらえます?」


「なに意識してんの?」


「別に意識なんかしてないですよ!」


「じゃあいいじゃん、もう少しこのままで」



 乱暴に引き寄せられ、再び元通りに相馬さんの中に納まってしまった。



「あの、相馬さん?酔ってて軽く頭おかしくなってるのかもしれないですけど、よく見て下さい。今目の前にいるのセフレじゃないです!伊吹です!」



 お酒が抜けてないのかと、少し高い位置にいる相馬さんの顔を腕の中から見上げて再確認させようとすると、相馬さんはあきれたようなため息をついた。



「分かってるわ、バーカ!酔っぱらい扱いすんな」


「なら早く離して下さいよ!」


「やだ」


「ちょっと!どっかの部品でも壊れてるんですか?!」


「……そうだね、私もうとっくに壊れてる」


「……相馬さん?どうしたんですか?今日はいつも以上に変ですよ?」


「伊吹のせいだよ」



 さっきまでとは変わって、相馬さんの腕が痛いくらいに私の体をしめあげていく。



「……伊吹はなんでそんなに田沼さんがいいわけ?」


「なんですかいきなり……」


「田沼さんじゃなきゃ絶対にだめなの?」


「田沼さんじゃなきゃ絶対にだめです」


「ひょうひょうと答えやがってムカつくんだけど」


「もー!意味分かんない!」



 腕を伸ばしてなんとか少し引き剥がした時、数cmの距離で視線が合った。相馬さんは瞳をそらさず、落ち着いた声で話し始めた。



「上手くいかない田沼さんのことはあきらめてさ、私と付き合おうよ」


「悪ノリが過ぎますって」


「大して長い付き合いじゃなくても、私が悪ノリでこんなこと言わないってことくらいは分かるでしょ?」



 相馬さんはそう言って、そっと私の頬に手を触れた。1mmも想像してなかった事態にフル回転で頭を働かせる。確かに、悪ふざけで片付けるには完全に無理があった。

 私は頬に当てられた手を剥がすように取り、相馬さんに返した。



「相馬さんとは付き合えません」


「そんなに田沼さんか……」


「それは大前提としてありますけど、そうじゃなくても相馬さんとは難しいです」


「なんでだよ」


「……高2の時に私、高3の女の先輩に告白されたことがあったんです。その人は、部活とか何もやってなかったけど髪の色が派手な上にちょっと悪い雰囲気もあって目立ってたから1、2年生の間でもちょっと有名な人で、密かに女の子からの人気もあるような人でした」



 私が唐突に始めた過去の話を、相馬さんは珍しく黙って聞いていた。



「その人に告白された時、今までなんにも接点なんてなかったのに『あなたも女の子が好きでしょ?』って見透かされたことに衝撃を受けました。どんな仲いい子にも言ってなかったし、周りにバレてるなんて夢にも思ってなかったから。私はその先輩に興味があったわけじゃなかったけど、この人といたら本当の自分を出せるかもしれないって思って、それだけで付き合うことにしました」


「……それが初めての彼女?」


「はい」


「へー」


「学年も種類も違う私たちが二人でいると変に怪しまれるから、外では関わらないようにしようってルールを決めて、デートは放課後に先輩の家っていうのがお決まりでした。先輩は一人っ子で共働きのご両親もいつも遅くならないと帰って来なかったから、都合が良かったんです。すぐに自然とそうゆう流れになって、初めてのセックスもしました。一度だって堂々とデートなんか出来なかったけど、二人でいる時はいつも優しくて、『好き』とか『かわいい』とか沢山言ってくれて、いつのまにか満たされるようになって、幸せまで感じてたんです」



 少し面白く無さそうにする相馬さんに構わず私は続けた。



「しばらくそんなふうに付き合ってたある日、学校の外で先輩が男の人と手をつないで歩いてるのを偶然見かけました。次の日、いつものように先輩の家に行った時、見たままを伝えて問いただしました。そしたら先輩は急に面倒くさそうな顔をして言ったんです。『女の子とのセックスにちょっと興味があっただけだった』って。結局、先輩はレズでもなんでもなかったんです。ただ試してみたかっただけだったんです」


「そいつ最悪じゃん。で、それがどうしたの?」


「相馬さんて、その先輩にすごく似てるんです」


「顔が?」


「顔も雰囲気も。そっくりそのままってほどではないんですけど、重なるんですよね……」


「なるほどね。だからいつも私に何かと強く当たるわけだ?」


「そのつもりは全くなかったんですけど……。相馬さんのことは会社の先輩としては好きですけど、そうゆう目で見るのはやっぱり難しいです」



 最終的に言い切ると、相馬さんはまた一段と気に入らなそうに口を開いた。



「あのさ、そいつと一緒にしないでくれる?顔とか多少似てんのかもしれないけど、私は私だから」


「それは分かってます。でも申し訳ないですけどどっちにしても私、ノンケの人は……」


「ノンケじゃない。私は女の子だけだから」


「……え?何言ってるんですか?だって、相馬さんにはセフレが何人もいるじゃないですか!」


「それさ、伊吹が勝手に勘違いしてるだけで、私は一言も相手が男だなんて言ったことないんだけどね」


「……じゃあ、相手は……」


「みんな女だよ。男はムリ。いや、正直経験はあるけどね。まだ自分のこともよく分かってなかった未熟な頃。でも、ダメだった。むしろそれで私ははっきり自覚した。自分は女の子相手じゃないとダメなんだって」



 相馬さんが嘘をついてるとは思わなかった。けど、理解が追いついてこない。



「……あの、だとしても普通に、不特定多数の人と関係を持つ時点でどうかと思うんですけど……」


「それ言われたら反論ないけど、ここ何年かは決まった相手いなかったし、好きな子もいなかったから。だけどもうみんな縁切ったよ。伊吹を好きになってから」


「えっ……?」


「イメージは最悪かもしれないけど、こう見えても彼女がいたら絶対浮気なんてしない。伊吹だけ大切にする。だからさ、私のこと好きになってよ」


「待って下さい!でもあの飲み会の時、相馬さんは清川さんがタイプだって言ってましたよね?!私じゃないでしょ!」


「あぁ……そうだね。私、今まで歳下には一切興味なかったから。あの時はまだそんなふうに伊吹を見てなかった。入社してきてからずっとただ可愛い後輩だと思ってたし、田沼さんとのことだって本気で応援するスタンスだった。でもいつからか、伊吹が一生懸命に『田沼さん!田沼さん!』って口にするたびにムカつきはじめて……気づいたら伊吹を田沼さんに渡したくなくなってた」



 相馬さんが見たことのない憂いの目で近づいてくる。



「伊吹……」



 一瞬体が固まった隙にいとも簡単にまた体の自由を奪われ、次の瞬間には相馬さんに覆いかぶさられていた。

 かなりの緊急事態なのに脳の半分では『なるほど、この人はこうやっていつも女の子をたぶらかしてるんだ……』とその上手なやり口に変に納得をしていた。



「ごめんなさい!」



 私は全力で抵抗した。



「私は田沼さんが好きです。だから、本当にごめんなさい」


「田沼さんは、もう絶対に無理だと思うよ?伊吹だってそれが分かったからあれだけ落ち込んでたんじゃないの?」


「そうかもしれないけど……それでも私は田沼さんが好きなんです!田沼さんだけなんです!」



 相馬さんは私を解放し、もう何も言わなかった。



 私は起き上がり、ベッドを降りて着てきた服を探した。部屋の隅に綺麗にたたまれている服をすぐに見つけ、



「乾かしてくれたんですか……?」



 と聞いてみたけど、相馬さんは黙ったままで私に背を向けるだけだった。そのまま急いで着替えをしてバッグを手に取ると、もう一度ベッドの上の相馬さんに声をかけた。



「今日は色々とご迷惑おかけしました。着替えも有り難うございました」



 私は返事を待たずに部屋を出て行った。

 始めて歩く知らない街の空には太陽が上り始めていた。





























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