第14話 密かな恋心
「……おはようございます」
週明けの月曜日、出勤してきた田沼さんに、私はいつも通りの明るい挨拶が出来なかった。
「……おはよう」
そんな私になんとなく気づきながらも、何も触れずに感情の見えない挨拶が返ってくる。
昨日の夜、ぺこりんは新しい大食い動画を公開した。そんな次の日の朝は、田沼さんからその話を振ってくれるのが近頃のお決まりだったけど、私の様子がおかしいからか、貴重な二人きりの時間に田沼さんが私に話しかけてくれることはなかった。
仕事中、書類の確認をしに田沼さんが私のデスクまで来た時、田沼さんは何も悪くなんかないのに、どうしても怒りに似た感情が湧いてきてしまって、「それで間違いないです」と、隠せない態度で冷たく言ってしまった。
今のはさすがに感じ悪すぎる!と反省して思い直し、席に戻る田沼さんに謝ろうとしたけど、その後ろ姿が愛ちゃんとホテルに向かうあの背中と重なって、やっぱり謝れなかった。
結局どんなふうに接したらいいか定まらないまま定時になった時計を見て、深いため息をついて席を立った。
帰る前に寄っていこうと事務所から出てお手洗いへ向かうと、ちょうど出てきた相馬さんと鏡の前で遭遇した。
「あ!……相馬さん、こないだは長いこと付き合わせちゃってすみませんでした」
お昼の休憩中は清川さんもいたので、田沼さんの衝撃的なプライベートを口外するわけにいかず、あの電話を切って以来、相馬さんと二人で話すのは初めてだった。
「私からかけたんだから伊吹が謝ることないでしょ」
「そっか。確かにそうですよね。どうして私が謝ってるんだろう」
「そう思っても口に出すなよ」
「相馬さん、私の顔って可愛いですよね?」
手を洗う相馬さんの背後に立ち、無表情で鏡に映る自分を見て尋ねる。
「そうゆう聞き方は可愛くないなー」
鏡越しに目を合わせて相馬さんは言った。
「そうゆうのいいですから!真剣に答えて下さい!」
「なに気ぃ立ってんだよ、五月のノラ猫か。可愛い、可愛い。伊吹ちゃんは可愛いですよ!」
「真剣さが微塵も見えないんですけど、ちゃんと本心で言ってます?」
「言ってるって。口は悪いけど顔は良い」
「……じゃあ、田沼さんは可愛くない子が好きなのかな……」
「なんだそれ?」
「こないだのバーの人とか、ぺこりんもそうなんですけど……田沼さんが推してる女の人たちって、大変申し訳ないけど正直言うと、あんまり可愛いとは言えないんですよ」
「まぁ可愛いなんて基準は人それぞれだからね。大人数のアイドルグループだって、ファンの全員が全員、センターの子を選ぶわけじゃないじゃん?人気投票万年最下位の子でも、その子が誰より一番可愛いって思う人だっているわけだし」
「なんですか、それ。めちゃくちゃ分かりやすいじゃないですか!」
「なんで褒める時すらケンカ腰なんだよ」
「なら、田沼さんはセンターを選ばないタイプなのかもしれない……」
「しれっと自分はセンターだって自負したね」
「だって私、どう考えてもセンター顔でしょ?」
「まぁそうだけど」
「やっぱりそうなんだ……」
「なんかそのリアクション、こムカつくんだよなー」
腕を組んでかったるそうに言う相馬さんに向かい合い、私はその目を睨んだ。
「相馬さんも私をそうゆう目で見るんですね」
「は?」
「自分の顔がそこそこ可愛いって分かってるだけで、どうしてこムカつかれなきゃいけないんですか?!小中高と周りの人間が『学年で一番可愛い』だの『芸能人の誰々に似てる』だの散々チヤホヤしてきたんだから、必然的に嫌でも自覚しますよ!これって私が悪いんですか?!」
「どした、どした?だいぶたまってんな」
「『そんなことないよ』なんて謙遜しても、裏では『絶対自分のこと綺麗だと思ってるよね〜』とか『男好きっぽい』とか好き勝手言われて、もううんざりなんです!好きでこの顔に生まれたわけじゃないのに!そんなのが面倒だから、自分が可愛いってことも、女が好きだってことも、私はもう全部隠さずに正直に言うことにしたんです!」
久しぶりにスイッチが入ってしまい愚痴をぶちまけた私に、相馬さんは唖然としながら意外にも素直に折れた。
「悪かったよ、そんなに切実な思いしてきたとは知らなかった」
「……分かりゃあいいんですよ」
「そうゆう態度は相変わらず良くないけどね……。てかさ、『好きでこの顔に生まれたわけじゃない』って言ってたけど、伊吹は可愛くない顔に生まれたかったの?」
「……私は、好きな人が可愛いって思う顔になりたいです。田沼さんが一番可愛いって思う顔になりたい……」
「まぁ、そうゆうところは可愛いかもね」
「えっ、ほんとに?!今の可愛かったですか?!」
その時、また一人、お手洗いの中に入ってきた。
「お疲れ様です……」
「しょうこちゃん!今日も早いね!」
「うん、近場だったから」
「しょうこ、お疲れ。たまには早く帰んないと疲れ溜まるからね、今日はゆっくり湯船にでも使ってぐっすり寝なよ。じゃあ、私行くわ」
相馬さんはすれ違いざまにしょうこちゃんの肩を揉んだ。
「ひゃっ!」
その瞬間にただでさえ声の高いしょうこちゃんがもうワントーン高い声を上げると、
「大げさだなー。おっぱい揉んだわけでもないのに」
と、しょうこちゃんの顔をいぶかしげに覗き込む。そしてそのまま視線だけを胸元に下ろし、
「しょうこはまだ揉めるほどおっぱい成長してないか!」
と耳を疑うレベルの時代錯誤なセリフを吐き、高らかに笑いながら出て行った。
「セクハラ!!あとなんかすっごいやだー!!」
縮こまるしょうこちゃんの代わりに廊下を歩く背中へ少しでも強いダメージを与えようと必死に投げつけていると、そんな私にしょうこちゃんが話しかけてきた。
「さと美ちゃん、もういいよ……ありがとう」
「まったくあの人はなんてこと言うんだろ……」
「ただの冗談だもん、すぐに上手いこと返せない私が悪いの。……それより、今は相馬さんと何話してたの?」
「え?あー、こないだ相馬さんと長電話しちゃって、その時のことをちょっとね」
「そうなんだ……さと美ちゃんと相馬さんて、プライベートでも電話し合うような仲なんだね……」
「別に全然そんなことないよ。こないだは酔ってかけてきたみたい。清川さんとしょうこちゃんの三人で飲みに行ったんでしょ?先週の金曜日」
いくらしょうこちゃんでも、田沼さんの秘密をやたらめったら話すわけにはいかないので、そこは割愛した。
「あの後相馬さん、さと美ちゃんに電話したんだ……」
あきらかにしょうこちゃんのテンションが低い。
「あの、しょうこちゃん?どうかした?」
しょうこちゃんは私と目を合わせずに、洗面台の縁を見ながら話し始めた。
「前回の飲み会の時、会社の女子の中で誰がタイプかって話したの覚えてる?」
「もちろん!しょうこちゃんは相馬さんだったよね?あれはちょっと意外だったな」
「そう?」
「だって、相馬さんて貞操観念低すぎるじゃん?私、現実でセフレがいる人って初めて見たよ。しかも3人もいるとか……考えらんない」
「……じゃあ、私の言ったことが本当だったら、さと美ちゃんは私のこと、どうかしてるって思う?」
しょうこちゃんは右手に握りしめていたハンカチをさらに握って、自分より少し背の高い私とようやく目を合わせた。
「え!?ちょっと待って!まさかしょうこちゃん、本気で相馬さんのこと好きなの……?!てゆうか、しょうこちゃんも女子が好きなの?!」
しょうこちゃんの爆弾発言に慌てた。こんな無垢な子があんな性の化け物みたいな人の餌食になったらと思うと、落ち着いてなどいられなかった。
「さと美ちゃん!声大きいよ!」
「はっ!ごめん……。びっくりしすぎちゃって……」
「……女の人が好きなのかは分からないの。今まで人を好きになったことないから。……こうゆう気持ちになったのは、相馬さんが初めてなの……」
「……よりによって初恋が相馬さんだなんて……あ、ごめんね?」
「ううん。相馬さんて誰かと真面目に付き合う気とかない人だもんね。そのくせ体の関係は簡単に持っちゃうみたいだし……」
「うん……いい人ではあるけど、恋愛の相手としては正直ちょっとね……。そもそも、無類の男好きだし」
「そうだよね……。だからね、どうこうなりたいとか思ってるわけじゃなくて、今よりもう少し近い存在になれたらなって……私の場合はそのくらいだから」
てゆうことは、なんとなく特別好きな先輩ってだけなのかな?と一応ほっとした。
「じゃあ、相馬さんとキスしたいとかエッチしたいとか、そこまで思うわけじゃないんだ?」
私が念押しの質問をすると、しょうこちゃんはハンカチを胸の前に持ってきて、今度はそれを両手で小さく引っ張りながら意を決した顔をした。
「……そうゆうこと考えてみたんだけどね……多分、してみたいんだと思う……。そう思えるからこそ、この気持ちが恋なんだって思ったの。さと美ちゃん、それが女の人を本気で好きかどうかの基準だって言ってたでしょ?」
私は天を仰いで嘆いた。
神よ、どうしてこんな幼気な少女を生贄にしたのですか……?
「さと美ちゃんは田沼さんが好きなんだよね?」
急角度の話題に首を正常に戻す。
「え?うん。そうだけど、突然どうしたの?」
「心変わりとかしないよね?」
「するわけないよ!田沼さんは永遠に不滅だもん!」
「じゃあ、相馬さんを好きになったりは絶対しないよね?」
「なにそれ?そんなこと絶っっ対あるわけないじゃん!!誓ってない!」
「よかったぁ……」
しょうこちゃんはそう断言した私の宣言を聞くと、さっきから痛めつけられっぱなしのハンカチのしわを丁寧に伸ばしながらようやくほころんだ笑顔を見せた。
これは、本人が言葉にしてるよりずっと重症だ……。あのモンスターにしょうこちゃんは骨の髄まで惚れてしまっている。
私はただただ、相馬さんによってこの子の心も体も、何も傷つくことがありませんように……と、心から祈るばかりだった。




