第13話 二人の関係
田沼さんは駅まで行くと上りの電車に乗った。私はバレないように隣の車両に乗り込み、そこから様子を伺っていた。
バッグから手鏡を出し前髪を直している。今日も眼鏡はかけていない。遠めからだけど、こないだ一緒に出かけた時ともまた少しメイクが違う気がする。服だっていつもよりもっと気張っている感じだ。
落ち着かない気持ちで田沼さんを見張っていると、三十分くらいしてようやく田沼さんは立ち上がった。ドアが開きホームへ降りる。長い階段とエスカレーターを経てようやく改札を抜け地上へ出ると、そこは、これぞ東京と思わせるような夜の繁華街だった。
歩いてるだけでも不安な私をよそに、田沼さんはディープな界隈をシャキシャキと奥へ奥へ進んでいく。私は怯えながら素人尾行で必死に着いていった。すると、一軒のお店の前でついに田沼さんが止まった。扉の前、すぐに入ろうとはせずまた手鏡を取り出して最終チェックをしている。
しばらくしてそれが終わると、ようやくその扉の取っ手に手をかけた。重そうな扉が開くと、カランカランという鈴の音と同時に、中から「いらっしゃいませ〜!あっ愛ちゃん!千絵ちゃんが来てくれたよ〜!」と聞こえ、扉は閉まった。
あの店の中に愛ちゃんがいる!!
てゆうか、田沼さんが『千絵ちゃん』って呼ばれてる……。
店に少しだけ近づいて外装を見てみる。窓は一つもなくて中は見えない。『マグネット』と書かれた看板だけが掲げられている。
バーみたいな感じかな?
だとしたら、愛ちゃんはバーの店員さんてこと?なら二人は、ただの店員とお客さんの関係……?
ここまで着いてきたものの、ここからどうしようかと一気に焦る。田沼さんの姿が目の前から消えた今、得体の知らないこの街で一人立ち止まっているだけでも怖くてしょうがなかった。だけど、それでも田沼さんと愛ちゃんとの関係をもっと知りたい……!
その時、ポケットの中でバイブが鳴った。画面を見るとかけてきたのは相馬さんだった。
「もしもしー?伊吹?」
「相馬さん?どうしたんですか?こんな時間に」
「今飲んで帰ってきたとこ。伊吹が付き合い悪いから、清川さんとしょうこと飲んできたわ」
どうやら酔っぱらって意味なくかけてきたらしいけど、私も見知らぬ路地で心細く手持ち無沙汰で困ってたし、ちょうどよかった。
「すみません、今日はどうしても外せない予定があったんです」
「外せない予定ってことは、田沼さん関係?てゆうか、もしかして今外にいるの?」
「はい。知らない飲み屋街に来てます……」
「それってまさか田沼さんと?!」
「田沼さんと……というよりは、田沼さんを追いかけて……」
「おい……いよいよストーカーじゃんよ……」
「ストーカーじゃないです!気になって着いてきただけです!」
「それを世間ではストーカーって言うんだけど?」
「ちっ……」
「あ!今お前舌打ちしたな!」
「相馬さん、この街なんか変なんですよ」
「スルーすんなよ」
「なんだか道行く人が品定めするような目で失礼なくらい見てくるんです」
「……田沼さんはどこにいんの?」
「『マグネット』っていう看板しか出てないバーみたいなお店に入ってっちゃって、それきりです」
「まじか……」
「なんですか?」
「それさ、レズバーだよ」
「えっ!?」
「……田沼さんてほんとにそうだったんだ……意外だったな……」
相馬さんの感想そっちのけで、私はいよいよ田沼さんが心配で仕方なかった。『愛ちゃん』がレズバーの店員なら、田沼さんはたかられてるのかもしれない!!
「てゆうか、相馬さん店名だけで分かるなんて、この辺相当詳しいんですね」
「……別に。昔、地元の先輩に連れてかれたことがあったから、それでちょっとね」
「へー、なんでもかんでも網羅してるなぁ……無駄に」
「無駄は余計だわ」
その時、田沼さんの入っていったお店の扉が突然勢いよく開き、中からお客さんらしき女の人と、それを見送る店員らしき女の人が出てきた。
「今日も来てくれてありがと〜!!」
「楽しかったよ、愛ちゃん!」
愛ちゃん!?あの人が愛ちゃんなの!?
「すみません!相馬さん!ちょっと手が離せないんでまたあとで!」
「え?!ちょっ……」
私は強引に電話を切り、去っていくお客さんが見えなくなるまで手を振り続ける愛ちゃんを凝視した。
「また来週来るからー!」
「絶対ね〜!待ってるぅ〜!!」
あの人が……愛ちゃん……
愛ちゃんは背が高く、体つきのいい女の人だった。ふくよかというよりは、柔道家のようにガタイがいい。
一世代前のギャルを思わせる金髪の髪に、真っ赤なピチピチのワンピース、腰に巻かれた太いベルトは玉子焼きくらい黄色い。そして、メイクは歌舞伎役者並みに濃かった。
可愛いとか可愛くないと言う概念を越えてなんかすごい。節分の日にあのまま道を歩いていたら、子どもたちが鬼と間違えそうなくらいにパンチがある。
女の子を選別するのは趣味じゃないけど、今は話が別だ。自分で言うのも嫌な話だけど、女の子としては完全に私の方が勝ってると思う!
……ただ、体型のせいもあって爆乳レベルで胸が大きいし、この距離からでも分かるくらい満点の愛嬌があって、不思議とモテそうなオーラを身にまとっている……。そこに田沼さんは惹かれてるんだろうか……?
あまりにじーっと観察していたら、お見送りが終わった愛ちゃんとガッツリ目が合ってしまった。
「おねえさん、よかったら飲んで行きます〜?」
数メートルの距離を気にせず、愛ちゃんは大きな声で話しかけてきた。
「あっ!いえ!おかまいなく!」
「うちは一人でも全然入りやすいお店なんで、よかったら今度ぜひ飲みに来てください!」
そう言いながら愛ちゃんは私に近づいてきて、マジシャンのように胸元から一枚の名刺を取り出して私に渡した。
「ど、どうも……」
名刺が生暖かい……。悔しいけど一瞬ドキッとしてしまった。こうゆうのが愛ちゃんのやり口なのか……
最後ににこっとこぼれるほどの笑みを見せ、愛ちゃんはしつこい営業はせずに店の中へと入っていった。
やるな……
名刺を片手に、思わぬ強敵のポテンシャルを認めざるをえなかった。
それはそうと、これからどうしよう……?
その時、再びスマホが震えた。思った通り相馬さんからの電話だ。
「なにがあったんだよ。いきなり切るから心配したじゃんよ」
「すみません、お店から人が出てきたから……」
「田沼さん?」
「いえ、違いました」
「で、これからそこでどうするの?」
「相馬さんが言ってた、田沼さんの毎週金曜日の目的地って多分ここだと思うんです。だとしたら、お店の人にいいように使われちゃってるのかもしれない!」
「そこの店の子と普通に付き合ってるだけかもしれないけどね」
「……確かにその可能性もありますけど。……とにかく調べます!」
「調べるってどうやって?」
「とりあえず出てくるまで待って、帰る時の雰囲気を見て探ろうかなって」
「金曜日だし朝まで出てこないんじゃない?それに、出てきたとこ見ただけで分かるもんかなー?」
「もしそこに愛があるなら、端から見るだけでもバレバレですよ!体の付き合いばっかりして、心で何にも繋がろうとしないから相馬さんには分からないんですね」
「おい、そこまでにしとけ」
そのままどのくらい相馬さんと話していただろう。待ちくたびれてめげそうになった頃、『マグネット』の文字を内側から照らす電気が突然消えた。
「あっ!看板の電気が消えました!」
「え?うそ!思ったより早いな!暇だったのかな」
カランカランカラン……
「……田沼さんが出て来た……」
「うそ!どんな感じ?」
「……田沼さん以外にお店の人が三人いて、今お店の鍵閉めてるみたいです。……あ、二人の店員さんが手を振って、左の方に歩いて行きました……」
「田沼さんは?」
「……田沼さんは……愛ちゃんと一緒に反対側の右の道に……」
「愛ちゃんて誰だよ?」
「……うそ」
「ん?どした?伊吹?」
「……田沼さんが……愛ちゃんと、手繋いでる……」
「あー……」
今までいくつか恋をしてきた。
だけど、たったそれだけでこんなに痛みを感じたのは初めてだ。すごく痛いのに、どこが痛いのかは分からない。
繋がれた手、寄り添う愛ちゃん、照れた様子の田沼さん……どこに視線を合わせても体の中のどこかが、その部分の組織が死んでゆくように痛い。
「……伊吹、ショックかもしれないけどさ、田沼さんも……」
相馬さんが電話の向こうで励ましの言葉をかけ続けてくれている。でも、その声は途中から全く耳に入ってこなくなった。
気づけば私は、夜中3時の飲み屋街を人気のない方へと歩いてゆく二人の10m後ろを無意識についていっていた。
もう答えは出てるんじゃないか?
田沼さんは騙されてなんかない。
愛ちゃんは田沼さんにべったりだ。
二人はきっと愛し合ってるんだ。
なら、これ以上ついていくべきじゃない……
いくつかの曲がり角を曲がった後、ようやく足を止め、離れてゆく二人を眺めていた。するとその直後、二人はふいっと左の建物の中へ入っていった。
「どっか入った……?」
独り言が声に出た後、私は二人の入っていった建物まで走った。息が上がりながら、無機質なエントランスを覗く。ここって、愛ちゃんのマンション……?
「あの……すいません……」
後ろから声をかけられると、そこには30代と40代くらいの女の人二人が迷惑そうに私を見ていた。「ごめんなさい!」ハッとして道を空ける。
二人とも、メイクも服も髪もキマっているけど、男ウケを狙ったものとは違った。
「すみません!」
二人の背中に向かって大きな声で呼びかける。引き続き迷惑そうに、それでも一応は聞いてくれるスタンスで二人は私を向き直った。
「あの!ここって……いわゆるラブホテルですか?」
口にした直後に『なんてこと聞いてんだ!』と失言に気づいた。コソコソ入ってなんぼの場所に向かう二人に、この世で一番野暮なことを聞いてる。すると、40代の方のおねえさんが私を面白がるように笑った。
「……なに?もしかして混ざりたいの?」
急角度の返答に言葉が出て来ない。そんな私を石像扱いするように無視して、30代の方のおねえさんが「ふざけたこと言わないで!」と相手の人に怒り、二人は結局イチャイチャしながら中へと入っていった。
「伊吹!どした?!なんかあったの?!」
私が誰かと何かを話してるのが聞こえて何事かと心配してくれた相馬さんの叫び声のような呼びかけに、我に返った。
「いえ……ちょっと話しかけられただけで大丈夫です」
「なんだよ……返事ないからびっくりしたじゃん!で、田沼さんは?まだ近くにいるの?」
「……いえ。……見失っちゃいました」
私は相馬さんに嘘をついた。




