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第11話 踏み込んだ先の『愛』




「……どうぞ、入って」


「お邪魔します……」



 すごい、田沼さんちだ……。

 田沼さんちにいる!

 さすが家、かなり強めの田沼臭がする。

 私は吸える限りの空気を鼻から吸った。



「なに……?どうしたの?」


「いえ!なんでも!」


「ここ、座って」




 田沼さんは押し入れから座布団を出して、ちゃぶ台みたいな古い木のテーブルの前に置いてくれた。



「失礼します……」



 間取りはうちと全く同じでワンルーム。でも全くと言っていいほど物がない。

 ベッドとその脇に小さな本棚、そしてその上に間接照明。たったそれだけ。



「何もないでしょ」



 私の考えていることを察したように冷たい麦茶をテーブルの上に置きながら、田沼さんが言った。



「すごく洗練されてますね!」


「無理に良いように言わなくていいのに」



 少しだけ照れ笑いをしてくれて、また心を持っていかれる。



「お弁当食べる?」


「そうですね!」



 私は四つのお弁当のフタを全部開けて、なんとかテーブルの上に全て並べた。



「テーブル占領してすみません……」


「それが大食いの醍醐味なんだから好きなように食べて!」



 私としては大食いのつもりはないんだけど、光栄なことに田沼さんはこのレベルでもテンションが上がってくれてるみたい。確実にいつもより生き生きとしている。



 田沼さんを目の前に緊張しながらも、本当に限界的にお腹が空いていて、私は何かに急かされてるくらい必死に食べた。



「すごい……本当に食べれるんだ……」



 カツカレー弁当を食べ終わった田沼さんは、一点集中で私の食べる姿を見ていた。しかもいつのまにか眼鏡をかけている。じっくり見届けるためにかけたんだろうけど、テーブルの上に身を乗り出すようにするから、真正面からのこのアングルだと完全に谷間とあのホクロが見える……そこに眼鏡によるエロ賢さも加わって、私の頭は爆発しそうだった。



 それにしても不思議だ。目の前に田沼さんのおっぱいがあると、不思議とお腹がいっぱいにならない。

 少し満たされてきたかと思っても、おっぱいを見るとまた食べれてしまう……。



 三十分もしないでお弁当は五分の一を切り、未知なる食欲に田沼さんはこの上なくはしゃいでいる。



 私からしたらただの食事なんだけど「がんばって!」と楽しそうに体を弾ませて応援してくれて、おっぱいも田沼さんと一緒に弾んでいる。そのおかげでさらに食べるスピードが上がる。



 最高の後押しで私は最後までペースをキープしたまま、四個のお弁当を完食した。



「すごい……」



 田沼さんが感動したようにこぼした。

 さすがにいっぱいになったお腹を抱え、今も無邪気に目の前でかすかに揺れるおっぱいを見ながら、『そちらの方がすごいです。そして、ありがとう……』と心の中で呟いた。



「さすがにお腹いっぱいでしょ?」


「はい、さすがに」


「少し休む?辛かったらベッドで横になっていいよ?」


「あ、ありがとうございます……。でも今ベッドになんて横たわったら絶対に熟睡しちゃいそうだし我慢します」


「そっか。何もないけど、ゆっくりしてっていいからね。そうだ、ベッドだと気になるなら座布団を枕にしてそこで横になる?」



 田沼さんが異様に優しい……。

 もともと本質的には優しいのは知ってるけど、自分のテリトリーは乱したくない人なのに……。

 大食いの人間にはさらに格段と優しくなる田沼さんの習性をまた一つ知った。



「本当にありがとうございます。でもしばらくしたら消化するので……」


「じゃあ、温かいお茶でも淹れようか?」



 その時、畳み掛ける田沼さんの優しさと満腹による朦朧(もうろう)感から、いちかばちかの甘えが口から出た。



「出来たら……お茶よりお酒が少し飲みたいかなぁ……」



 お茶を淹れようと立ち上がっていた田沼さんはそれを聞いてピタッと動きが止まった。



「あっ!ごめんなさい!嘘です!嘘です!」


「……いいよ。お酒なら色々あるから。明日仕事だから残らない程度にだけど、少しだけ一緒に飲む……?」



 またいつのまにか眼鏡を外した田沼さんが、幻のような一言を放った。



「……はい!!ぜひ!!」



 パンパンのお腹を起こしてなんとか正座をすると、力いっぱいの返事をした。





***



 

 さすがアルコール。

 お酒の入った田沼さんは、飲めば飲むほどリラックスしてきて、だんだんと警戒の幕を薄くしていった。



「どうして言ってくれなかったの?自分も大食いだって」



 とろっとした表情で少しご立腹そうに私を責める。こんなお叱りならいくらでもお受けしたいと思う。



「ぺこりんを好きって言ってる人の前で大食いだなんて言えないですよ、私なんかのレベルで……」


「大食いは量じゃないと思う」



 え?大食いって量じゃないの?

 量こそが大食いの大前提じゃないの?



「無理すれば食べれる人はいるけど、それって食べ物に失礼だと思う。でも、伊吹さんは本当に食欲がどんどん湧いてくるみたいに食べるでしょ?食べたいから食べる……それが一番大切なことだと思う」



 それはあなたのおっぱいのせいです!

 そう心で思いながら、褒められたみたいでまた調子に乗ってしまう。



 今日は奇跡的な何かが起きている。

 今ならいけるとこまでいけるかもしれない……そんな考えが浮かんだ。

 私はお酒が入ってなかったらまず踏み込めない場所へ少し強引に突き進むことにした。



「そう言えば、こないだ相馬さんたちと飲んでる時、ちょっと面白い話になったんです」


「面白い話?」


「うちの女子の中で、もし彼女にするなら誰が一番タイプかって話なんですけど……」


「ふーん」



 田沼さんは興味があるのかないのかはっきりしない相づちをうつ。それでも聞く姿勢はあるみたい。

 


「そしたら……相馬さんは清川さんを選んで、清川さんはしょうこちゃんがタイプだって言って、しょうこちゃんは相馬さんがいいってなってすごい三角関係になったんですよ!」


「すごい。バランスがいいのか悪いのか、綺麗に割れたね」



 よし、ちょっと興味を持ってくれてる。



「そうなんですよ!たまたまですけど、すごいですよね?それが本当の恋だったたらなかなかの職場ですよね?」


「確かに。それで、伊吹さんは誰を選んだの?」


「え?私ですか?」


「うん。伊吹さんも誰か選んだんでしょ?」


「……まぁ、一応……」


「誰を選んだの?」



 予想外に田沼さんから聞かれて息が止まる。言っていいのかな……?言って大丈夫……?ダメかもしれないけど、少しくらいは伝わってほしい……



「私は…………田沼さんです」


「……え?その四人の中でって話じゃないの?」


「いえ、会社の中で……なので」


「……そう。でも、どうして私なの?」


「それはもちろん、田沼さんが一番可愛いからです!」



 もう流れに身をまかせるしかなかった。私は真っすぐ田沼さんを見つめてはっきりと言った。



「……そうやって、その場に居ない私を話題にして場を盛り上げようとしたの?」


「……へ?」


「それならその場で勝手に楽しんで、わざわざ私に言わないでくれればいいのに」


「……あの、田沼さん?私、盛り上げるためとかじゃなくて本当に田沼さんが……」


「そんなわけないでしょ?清川さんも、相馬さんも、鬼瓦さんもみんな、誰が見たって綺麗だし可愛いのに、その中で私を選ぶなんてふざけてるとしか思えない」



 見たことのない田沼さんの感情の乱れ具合に私は慌ててしまった。



「確かにみんなそれぞれ素敵ですけど、それでも私は、田沼さんが一番素敵で可愛いと思います!もし恋愛をするなら、私は絶対に田沼さんを選びます!」



 しばらくの沈黙の後、田沼さんはため息をついた。もしかして引かれた……?



「……ごめんね、伊吹さんはそんな子じゃないのにね。気を使ってくれてるだけなのに……。悪いように言って本当にごめんなさい……」



 どうしたの?田沼さん!

 もしかして今、情緒不安定な時期なの……?

 もう一度『そうゆうことじゃないです!』ときちんと否定しようとしたその時だった。



 家中に響く大音量で、聞き覚えがある着信音が鳴った。




 この曲なんだっけ……?




 ……そうだ!ピタゴラスイッチだ!!



「あっ!ごめん!」



 田沼さんは慌てて立ち上がり、キッチンの方へ向かった。



「あれ?!どこだろ?!」



 焦りながらキッチン周りで必死に探してるけど、ピタゴラスイッチはどう考えてもベッドの方から聞こえてくる。ふとベッドの上を見るとやっぱりそこにスマホはあった。



「田沼さん!こっちで鳴ってますけど?」



 手を伸ばして取ろうとした瞬間、田沼さんはキッチンから走って戻りそのままベッドの上に滑り込んだ。そして、私が触れかけたスマホを寸前のところで奪うようにキャッチした。



 私が見てきた田沼さん史上、過去一の躍動感にあ然としておののく。



「す、すいません……勝手に手に取ろうとして……」


「だ、大丈夫……ありがとう……」


 

 その時、息を切らした田沼さんがバランスを崩してベッドの上から転がり落ちそうになった。



「田沼さーーんっ!!」



 とっさに手を差し出したけど、その重さに耐えられるはずがなく、無残にも田沼さんは私の手から落ちてそのまま畳へと叩きつけられてしまった。その拍子に田沼さんの手から落ちたスマホは畳の上を滑り、私の目の前に正位置で止まった。

  


 まだピタゴラスイッチが鳴り続けているその画面には『愛ちゃん』とデカデカと表示されていた。しかも名前の両脇には大きなハートマークがついている。



「……え」



 畳に転げ落ちた田沼さんと目が合う。その瞬間、田沼さんは這いつくばりながら百人一首の札のようにスマホをはじき飛ばした。



「……見た?」



 ピタゴラスイッチが止まり、田沼さんは起き上がって気まずそうに尋ねた。



「……はい。がっつり……」


「愛ちゃんっていうのはただの知り合いだから!」


「……田沼さんて、ただの知り合いにハートマークつけて登録するんですか……?」

 

     

 田沼さんの表情が歪む。すると、家のどこからかかすかに人の声が聞こえてきた。二人とも瞬時に心霊現象かと思ってビクッとしたけど、声は遠くにはじき飛ばされたスマホから聞こえているようだった。



「もしかして……さっき飛ばした時に出ちゃってたんじゃ……?」



 私がそう言うと、田沼さんは



「ちょっとごめん!」



 と素早く立ち上がってスマホを拾い上げ、私から出来るだけ離れた玄関まで行ってコソコソと電話に出た。



 悪いことだと分かりながら、思いっきり耳をそばだてる。



「……もしもし?ごめんね、今、会社の人と居て……うん……うん……」


 

 向こうはハート付きの『愛ちゃん』なのに、私のことは『会社の人』か。悔しさと憎らしさに耐えながら耳をすます。



「違うよ、今日は予定があるから行けないって言ってたでしょ?………金曜はいつも通り終電で行くから……うん……必ず行く……うん……じゃあね……」



 電話を切ると、苦々しい顔をしながら田沼さんは内股の小股で帰ってきた。



「失礼しました……」


「いえ、全然。……金曜日はいつもその『愛ちゃん』さんと遊んでるんですか?」



 どうしても気になって、思いきって聞いた。



「聞いてたの?」


「ごめんなさい、私耳がすごく良くて……」


「……そうなんだ。悪いんだけど、これ以上は踏み込まないでくれる?」



 田沼さんはすっかりアルコールが抜けたテンションで淡々と言った。そこまではっきりと言われたらもう何も聞けない。一刻も早く帰ってほしそうな空気を察して、傷つきながら自分から切り出した。



「すみませんでした……それじゃあ私、そろそろ帰ります」

 

 

 案の定、もうさっきのように『もっとゆっくりしてって』とは言ってくれない。『そう……』と受け入れて、早速お見送りモードに入られる。



「今日は色々とありがとうございました……お邪魔しました……」


「こちらこそありがとう。おやすみなさい」



 頭を下げる私を巻くように、笑顔のない田沼さんが早口で言ったその言葉でついにデートは本当に終わってしまった。



 あっけなく退出し、一瞬で夢から覚め、外の廊下を数メートル歩いて自分の部屋のドアを開けて入る。



 後ろ手で扉を閉め、玄関から誰もいない部屋に向かって大声を出した。




「愛ちゃんて誰?!」




 まさか彼女……?!

 彼女じゃなくても好意がある相手なのは間違いない……。好意の全くない人にハートなんてつけるわけがない。




 そんな……田沼さんは私の運命の人のはずなのに……




 私はそのまま動けず、靴も脱がずにしばらくその場に立ち尽くしていた。




 



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