第5話『吊るされた男、逆さの視界(The Hanged Man)』
努力しても報われない――そんな声に縛られ、夢を諦めそうになるとき、タロットは逆境の中にこそ光を示す。
今回は《吊るされた男》と《ワンドのエース》。
二つのカードが重なり合うとき、これまでになかった“新しい力”が生まれる。
占いとして読んできたカードが、今度は戦いの“技”へと進化する瞬間。
絶望の十字架を打ち砕き、未来を開く新モードが、ここから始まる――。
Ⅰ. 配信の幕開け
「こんばんは!」
コメント欄には、今日も常連のリスナーが次々と挨拶を流してくる。
画面の中で、しおぽんが耳をぴょこぴょこ揺らしながら元気に跳ねた。
「やっほ〜! 今日も来てくれてありがとぴょん!」
コメント:「しおぽんこんばんは!」「元気だね!」「今日も楽しみ!」
オレは少しだけ真剣な顔でカードデッキを掲げた。
「今日はひとつ、カードの話をしようと思う。」
コメント:「お?解説?」「聞きたい!」
オレはデッキを手に取り、カメラに向かって語り始めた。
「タロットには大きく分けて二種類がある。〈大アルカナ〉は人生の大きなテーマを映し、〈小アルカナ〉は日常の出来事や気持ちを映す。二つを合わせて読むと、まるで地図と現在地を重ねるみたいに、これからの進むべき道がもっと鮮明になるんだ。」
コメント:「なるほど!」「わかりやすい!」「奥深いなぁ」
しおぽんが胸を張り、ぶんぶんと両手を振る。
「ぴょん!大きな星の地図と、今歩いてる道を重ねると……未来のゴールがちゃんと見えてくるんだよ!」
オレはうなずき、小声でしおぽんに囁いた。
「……だから、今度の戦いで試してみたい。占いじゃいつもやってるけど、“技”としてはまだ一度も使ったことがないから。」
しおぽんの耳がぴょんと立ち、瞳がきらきらと輝いた。
「ぴょん!?それって……すごく特別な光になるかも!」
──その時、コメント欄に新しい名前が浮かんだ。
《レイチェル:こんばんは。いつも見てたんですけど…初めて配信に入ってみました》
《レイチェル:タロットの話…もっと聞いてみたいです》
少したどたどしい文章。だが、その言葉にはなぜか温度があった。
まるで、ずっと前からここにいたかのような。
実際、彼女──レイチェルは配信が始まった頃からずっと画面越しに見届けていた。けれど勇気が出せず、コメントを打つことはなかった。
今日、ようやくアカウントを作り、初めて言葉を投げかけたのだ。
「レイチェルさん、こんばんは。来てくれてありがとう。タロットの話を少しずつ一緒にしていこう。」
コメント:「初コメだ!」「いらっしゃい!」「仲間ふえたね!」
──しかし、その直後。画面の中央に、一通の固定コメントが光を帯びて浮かび上がった。
《いつまで、この状況が続くのか見てほしい。もう我慢できない。》
オレの胸の奥に、ざわつきが走った。
その悩みと共に、星の声が影を呼び寄せていくのを、しおぽんも敏感に感じ取っていた。
「シオンさま……この声、心の奥で大きな影を作ってるぴょん!」
コメント欄の文字がざわめき、画面の向こうに黒い影がじわりと広がっていった。
Ⅱ. 紗月という人
そこは、小さなワンルームだった。
アラームが06:40を告げ、スヌーズを二度繰り返してようやく布団を押しのける。
鏡の前で髪を整えながら、小さく呟いた。
「……今日こそ」
けれど口角だけが引きつり、目は笑っていなかった。
通勤前のコンビニ。紗月はいつもの棚からパンとコーヒーを手に取る。新商品のポップに視線が止まっても、手は伸びない。
「どんな味か気になるけど、いつものでいいや。
失敗したくないしね」
そう自分に言い訳をしながら、足早にレジへと向かった。
会社の朝会。上司は笑顔で言う。
「そろそろ一人で回せるようになってね。早く慣れて、どんどん仕事を覚えて」
柔らかな声のはずなのに、紗月には“もっと成果を出せ”という圧にしか聞こえなかった。メモ帳のページだけが埋まっていく。けれどそこに書かれた言葉は、心の中には積み重ならない。
この会社には夢を持って入社した。
「編集局長になって、読者を幸せにする雑誌を作る」――それが私の夢だった。
けれど現実は雑用ばかり。コピー取り、資料の整理、電話番。夢に近づいているはずなのに、足元は泥にとられて進めないような感覚だった。
夜の19:30。
「これ、今日中に仕上げてくれる?」
机の上に置かれる追加の資料。
断れば「やる気がない」と思われるのだろう。
その恐怖が一瞬で胸を締めつけ、紗月は笑顔を作って答えてしまう。
「……はい、やっておきます」
本当は、もう限界だったのに。
口は、逆らうことを許さなかった。
帰宅して机に向かう。
開いたのは、Illustratorの入門テキストだった。編集とは直接関係ないかもしれない。けれど、ページをめくるたびに心が少し温かくなる。
(誰かの目に触れて、少しでも笑顔になってくれるなら。文字だけじゃなくても、絵でもいい。私の手で、幸せを届けたい)
そう思った瞬間だけは、胸の奥に小さな灯がともった。
「新しい未来に繋がるかもしれない」
——そんな淡い期待が、心を支えていた。
だが、次のページを開いたところで、スマホが鳴った。上司からのメッセージ。
《明日、急ぎで特集案の下調べしておいて。残業になるけど頼む》
胸の奥の灯は、冷たい指でつまみ取られるように消えていった。
(……結局、私は抜け出せない)
(雑用だけで一日が終わる。努力なんて無駄。未来なんて……ない)
シオンにコメントした瞬間・・・・
紗月の背後に影が立ち上がった。
黒い木の柱が空間を裂くように現れ、紗月の身体を容赦なく押し付ける。
「やっ……!」
両手首が荒縄に絡め取られ、十字の横木へと打ちつけられる。足首にも縄が絡み、膝を押し広げられるようにして縛り付けられた。
ぐぐ、と縄が締まり、血が止まるほど食い込む。
紗月の身体は十字架に磔にされ、もがこうとしても微動だにできない。
「……いや……やめて……!」
紗月の体は、正面から十字架に貼り付けられていた。
無数の視線に晒され、両腕は大きく広げられ、逃げ場はない。
そのとき、十字架全体がきしむように軋み、ゆっくりと傾き始めた。まるで時計の針が十二時から六時へと進むように、ゆっくりと反転していく。
「努力しても報われない。お前の夢は叶わない」
「無駄なんだ。全部……」
耳元で囁く声が鎖のように絡み、心臓を冷たく締め上げる。
胸の奥で、希望の灯が小さく揺れ、消えかけていた。
(私が……私が悪いの?)
涙が頬を伝い落ちても、誰も救いの手を差し伸べてはくれない。十字架の上で晒されるその姿は、犠牲と絶望の象徴そのものだった。
そして、そのまま空間ごと紗月は星界へと移される。
Ⅲ. カード展開
コンパス枠|吊るされた男(The Hanged Man)
「逆境に囚われる時こそ、新しい視界が開ける」
トリガー枠|月(The Moon)
「不安と幻想に惑わされず、真実を見つめる」
ルート枠|ワンドのエース(Ace of Wands)
「小さな火花が、未来を燃やす大きな炎となる」
三枚が輝き、背景が砕け散る。
コメントが流星の軌跡へと変わり、星界ゲートが開かれた。
Ⅳ. 星詠展開(変身)
「言の葉は鍵、星の光は道しるべ。
ステラン、ステラン、ステラン――来臨せよ、汝――シオリエル!」
光が弾け、銀髪と星霊眼を宿すシオリエルが舞い降りる。
Ⅴ. バトル序盤
黒い十字架が紗月を背後から拘束する。
「動けない……!」
十字架は軋みを上げながら、ゆっくりと傾き始める。
――一時。
わずかに視界が斜めになり、平衡感覚が狂う。吐き気が込み上げる。
――三時。
血が逆流するように頭にのぼり、耳鳴りが高鳴る。
「やめて……! 私、頑張ってきたのに……!」
――五時。
天地が崩れ落ちる。世界が遠ざかり、声はすべて嘲笑に変わる。
「誰も必要としてない」
「帰る場所なんてない」
――六時。
十字架は完全に逆さになり、紗月の世界は裏返った。
頭に血が集まり、視界が赤黒く滲む。
「……もう、全部終わりにしたい……」
その一言が漏れた瞬間、心の奥で何かが崩れ落ちた。
Ⅵ. 二枚の輝きがリンク
シオリエルが星霊眼を開き、宙に浮かぶ二枚のカードが強く脈打つ。
「吊るされた男……そして、ワンドのエース……!」
二つの光が交差し、互いに引き寄せ合う。
星界の空に火花が奔り、巨大な炎の輪が形を成した。
シオリエルはその光に身を投じる。
「逆境の視点と、始まりの炎……二つの力が交わる時、未来は反転する!」
炎の輪が彼女を飲み込み、その身を紅蓮に染め上げていく。
Ⅶ. クライマックス:完全解放
十字架は六時を指し、紗月の心は完全に砕け、闇に沈みかける。
「……終わりにしたい……!」
その呟きに呼応するように、星界を裂いて声が響いた。
『諦めるな!』
その一言は雷鳴のように闇を震わせ、崩れかけた心を揺さぶる。
シオンの演唱が星界に満ちていく──
「今ここに新たな生命の名を──
ステラン、ステラン、ステラン──
星炎を纏いし大いなる化身、汝の名は──フレイム・ギア:シオリエル!」
燃え盛る炎が星の軌跡と結びつき、シオリエルは進化の姿を現す。外套は焔に包まれ、星霊眼は逆さの世界を真紅に映し出す。
「逆さの視点よ、真理を映せ……!」
紅蓮の翼を広げた彼女は、逆さの十字架を狙い撃つ。
「《星逆啓示・焔環〈A〉(アストラル・リバーサル:フレイム・ギア・エース)》!」
十字架を貫いた瞬間、紗月の身体を縛る縄が弾け飛ぶ。彼女はゆっくりと地上に落ちた。仰向けになりそして、初めて深く息を吸えた。
背後で十字架は燃え上がり、轟音を立てて天空へと舞い上がる。火の粉が夜空に散り、星屑のように煌めいた。
しかしその軌跡はやがて反転する。
天地がひっくり返り、十字架は逆さに翻りながら落下を始める。
「――っ!」
業火に焼かれた十字架は地上へと激突。
火柱は天を貫き、夜空を白昼のごとく照らした。
残骸は跡形もなく消え、ただ赤い炎と金色の星屑だけが漂う。それは破滅ではなく、古い殻を焼き払い新しい始まりを告げる光だった。
紗月の胸の奥に、熱が蘇る。
「……まだ、終わってない。ここから始めればいいんだ……!」
Ⅷ. 結び
炎の残光が星界に舞い散り、静寂が戻る。
仰向けの紗月は、ゆっくりと上半身を起こし、そして肩を震わせながら涙を零した。
「……私、ずっと縛られてた。努力しても報われないって……もう夢なんて、届かないって……」
震える声は途切れ、胸の奥から嗚咽が溢れる。
シオリエルはそっと彼女に歩み寄り、淡く燃える星霊眼で見つめる。
「夢は、諦めた瞬間にしか終わらない。
逆境も、停滞も――それは必ず、次の扉へ続く布石になる」
星の光が紗月の頬を優しく照らし、涙は宝石のようにきらめいた。
紗月は嗚咽の合間に、かすかに笑みを浮かべる。
「……まだ……やれる。夢を、諦めない」
その言葉を聞いたオレは、カードを閉じながら深く息を吐く。
「タロットクローズ。吊るされる苦しみを越えた先には、必ず新しい始まりがある。
――大丈夫だよ」
シオリエルは静かに頷き、星霊眼を閉じる。
「道は、確かに開かれた」
炎が完全に消え、星界は再び夜空のきらめきへと戻っていった。
次回予告
第6話『死神、終焉と再生(Death)』
両親の願いを叶えるために、夢を手放すのか。
それとも、自分の想いを信じて立ち向かうのか。
死神は残酷に見えるが、その鎌が断ち切るのは「偽り」や「停滞」。
何を終わらせ、何を生き残らせるのか。
――夢を諦めることは、果たして本当の終焉か。
それとも、そこから始まる新しい未来か。
紗月が見せてくれたのは「夢を諦めない」という決意だった。
どんなに逆境に縛られても、そこから新しい未来を選ぶことができる。
僕たちも同じ。
配信の向こうで見てくれているあなたの心にも、きっと小さな星の火花が灯っているはず。
その光を、仲間と重ね合わせれば――どんな影だって越えていける。
TikTok配信でも伝えているけれど、未来のためには「耐え抜く期間」が必要な時もある。
苦しくても、その思いがきっと新しい世界を見せてくれる。
だから、共に進もう。
我らセレフィーズ。星の意思を受け継ぎ、未来を紡ぐ者。
次回もまた、星界で会おう。
「タロットクローズ。そして――大丈夫だよ」