第22話『涙 ― Re:birth of the World ―』
プロローグ
———その夜。
アマトの夢に、鏡の奥から“水音”が響いた。
光が溶け、星が泣いている。
世界が終わる音は、静寂に似ているね。
誰も気づかない場所で、
ひとつの魂が、自分を見失っていた。
けれど、その涙は消えずに、
落ちた雫は、海となり、
やがて空を映す鏡となった。
光がひと筋、闇を裂く。
それは悲しみを照らすための光ではなく、
悲しみそのものから生まれた光。
——そして、“世界”は再び息をする。
静寂の海に揺らめいていた光が、
ゆっくりと形を変えていく。
星の粒が流れ、
それが鏡面のきらめきへと変わり……
次の瞬間、そこに光の反射が生まれた。
——それは、デパートの照明だった。
無数のミラーが天井の光を跳ね返し、
現実の世界が、まるで星界の残光のように輝いているようだ。
そしてその光の中に、
立っていたのは…
赤いルージュを試す指先。
微笑む唇。
それが、アマトだった。
⸻
Ⅰ. 砕けた日常
日曜の午後。
デパートのコスメ売り場は、光と香りで溢れていた。
ミラーが無数の星みたいにきらめき、
香水とファンデーションの甘い匂いが空気を満たしている。
アマトは、カウンターの内側で笑っていた。
忙しくても口紅を試す客に優しく声をかけ、
一人ひとりの肌色に合わせて色を選ぶ。
手際も言葉も完璧だった。
それでも、胸の奥には小さな棘が刺さったままだ。
誰よりも綺麗に、誰よりも正確に。
笑顔を作るたび、心のどこかが削れていく気がした。
それでも笑う。
それがプロの仕事だから。
そうしていないと、自分がここにいる理由が消えてしまう気がしていた。
(大丈夫。今日も笑えてる。まだ崩れてない。)
店内は慌ただしく、お店の店員はみんなお客さんについていた。
お客さんには番組札を渡して待っていただいてる。
お客の声、レジの音、香水の霧。
それらが渦を巻く中で、
“丁寧で、速く”を同時に求められる緊張感が肌に刺さっていた。
そんな中…
「ねえ、いつまで待たせるの? もう15分も待ってるわよ?」
瞬間、空気が張り詰めた。
目の前の客は、腕を組んだままこちらを睨み、
眉をひそめている。
アマトはその表情を読み取り、すぐに声をかけた。
「番号札拝見しますね」
「ほら」
「ありがとうございます、それではこちらへお座りください。」
アマトは接客を始めた。
凛として立っていたはずなのに、
ヒールの底がわずかに沈む。
ほんの一瞬、足場が揺れた気がした。
「少し明るめのトーンに変えてみましょうか。
お肌が透けるように見えると思います。」
声はやわらかく、
けれど喉の奥が少し熱かった。
香水の甘さが胸にこもり、
呼吸をするたびに苦くなる。
(平気。こんなのいつものこと。
笑って、丁寧に、優しく――それでいい。)
鏡越しに見える客の目は、
どこか探るようで、冷たい。
「……うーん、悪くはないけど。なんか違うのよね。」
アマトは微笑みを深くし、
次のサンプルを手に取った。
「こちらはいかがでしょう?
ツヤが出て、より自然な印象に仕上がります。」
滑らかに言葉を並べながら、
アマトは胸の奥で小さく息を吐いた。
光が強く、まぶたの裏に焼きつく。
その白さが、心の奥にまで入り込んでくる気がした。
客は無表情のまま、鏡を覗いた。
その視線に小さな苛立ちが混じる。
「……まぁ、悪くはないわね。」
アマトは深くお辞儀をした。
「ありがとうございました。またお待ちしております。」
ほんの一秒の沈黙。
バッグを肩にかける音。
そして、ため息。
「やっぱり……あんたじゃなくて、店長さんの方が良かったわ。
ってかあんた新人なの?説明わかりづらかったわよ。」
——音が消えた。
アマトの笑顔が、鏡の中で静かにひび割れる。
光が揺らぎ、空気が重くなった。
香水の香りが急に苦く、
照明が肌を焼くように痛い。
(新人なの?……あたし、ちゃんとやったのに。)
指先が震える。
テスターのキャップが転がる音が、
異様に大きく響いた。
拾い上げようとした瞬間、
背中越しに舌打ちが落ちた。
「もういいわ。時間の無駄だった。」
その言葉は刃のように冷たく、
心の奥で何かが“パキン”と音を立てた。
血の味がした。
唇の内側を噛んでいた。
自分でも気づかないうちに。
(なんで……こんなに辛いのに、まだ笑ってるんだろう。)
頬の筋肉が限界を越えて震える。
それでも笑おうとした。
笑っていなければ、自分が壊れる気がした。
でも、もう無理だった。
世界の彩度が抜けていく。
香りも光も、遠くへ消えていく。
胸の奥に残っていた“凛とした何か”が、
粉々に砕けて、音もなく崩れ落ちた。
……視界が滲む。
ミラーの中の笑顔が誰かの顔みたいに見えた。
——その瞬間、アマトの仮面が砕けた。
⸻
Ⅱ. 崩れる音
仕事が終わる頃には、夜が街を包んでいた。
ショーウィンドウのガラスに、笑顔の自分が映る。
けれど、それはもう知らない人の顔だった。
歩道橋を渡る足取りが重い。
ヒールの音がコツ、コツと乾いた夜に響く。
(あたし、頑張ってるのに。)
思考がひび割れたガラスみたいに繰り返される。
その瞬間、ヒールが滑り――
パキン。
折れた。
お気に入りの高い靴。
今日一番大切にしていた“自分らしさ”が、
あっけなく壊れた。
「……嘘でしょ……」
しゃがみ込むと、涙がこぼれた。
街灯の光がそれを照らし、舗道に小さな星が生まれた。
「どうして……あたしばかり。」
夜風が髪を撫でる。
その優しさすら痛かった。
「あたしはただ、幸せになりたいだけ。
認めてほしいだけなのに……」
声が震えるたび、喉が焼けるように熱くなる。
車のライトが流れ、世界がぼやけた。
(あたし、何をしてるんだろう。)
誰にも見えない夜の真ん中で、
アマトの心は静かに崩れ落ちた。
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Ⅲ. 鏡の涙
部屋に戻ると、静けさが刺すように冷たかった。
明かりをつけると、鏡の中に泣きはらした顔が映る。
マスカラは黒い涙の跡を描き、
頬にはファンデーションのひび。
「……ブサイク。」
かすれた声が零れた。
自分に言い聞かせるように。
まるで呪いのように。
その瞬間――
鏡の奥が、波紋のように揺れた。
(……え?)
光が滲む。
それは蛍光灯の反射じゃなかった。
鏡の奥から、柔らかな光が脈打つように流れ出ていた。
胸の奥で何かが囁く。
——アマト。
名前を呼ばれた気がした。
息を呑む。
導かれるように手を伸ばす。
指先が鏡に触れた瞬間、
冷たさが消え、光が広がった。
光が滲み出た鏡の表面に、涙が一滴、落ちた。
その瞬間、波紋が広がり、世界が“ほどけ”始めた。
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Ⅳ. 星界の呼び声
重力が消え、
足元の床が液体のように波紋を描いて溶けていく。
視界のすべてが青に染まり、
空と海の境界が消えた。
見渡す限り、果てのない水平線。
光が滲む夜空と海とが、ゆっくりと溶け合い——
青が生まれた。
空気はやわらかく脈打ち、指先に微かな潮の鼓動が伝わってくる。
それはまるで、世界が息を吹き返す瞬間のようだった。
波も風もない――ただ光だけが呼吸していた。
その中心で、アマトはひとり、静かに浮かんでいた。
冷たいはずの空気が、やさしい温度を帯びて肌を包む。
どこからともなく、微かな香が漂ってくる。
それは花でも海でもなく、“光の匂い”。
――ふと、足元に視線を落とした。
片方のヒールが折れていた。
街で倒れたとき、傷だらけになった靴。
それでも、アマトはそれを捨てられなかった。
だって、それは“あたし”そのものだったから。
海の光が、傷ついたヒールを撫でた。
ひび割れの隙間に星の粒が入り込み、
ボロボロの革が、ゆっくりと透き通っていく。
淡い光を帯びたそのヒールは、
まるで**“星の欠片”を削って形づくったような輝きを放ち始めた。
歩くたび、波紋ではなく星のきらめき**が広がっていく。
アマトは立ち止まった。
手を伸ばすと、指先に微かな温もりが宿る。
それは痛みでも熱でもなく――“赦し”のようだった。
そのとき、海の向こうから声がした。
「泣かないで、アマト。」
白い衣を纏った女性が、光の上を歩いてくる。
その瞳は夜空を映し、
微笑みは月の光よりも静かで優しい。
「あなたの涙は、世界を繋ぐ光なの。」
「……世界を、繋ぐ?」
「ええ。
誰かを綺麗にしたいと願った、その心こそ“力”なのよ。」
光が海面を滑り、アマトの頬を撫でた。
それは“痛みを知る者”にしか与えられない祝福のようだった。
「あなたはもう、隠さなくていい。
あなたの色も、声も、涙も――全部、美しい。」
アマトは息を呑んだ。
それは“赦された”という感覚よりも、“やっと見つけた”という安堵に近かった。
その言葉に、アマトの胸の奥で何かがほどけていく。
泣き腫らした瞳からこぼれた涙が、
海の上で星となり、ゆっくりと溶けて消えた。
「あなたは幸せになるために生まれてきたのよ。」
星がひとつ、アマトの胸に落ちた。
温かい。
鼓動が光のリズムに変わり、
欠けていたヒールが完全な形に戻っていく。
それはもう、ただの靴ではなかった。
過去と傷を抱えた“自分”ごと、美しく再生した証だった。
「……これが、あたし?」
「ええ。あなたは“世界”の一部。
そして、“世界”そのものでもあるの。」
光が髪を包み、琥珀色の瞳がゆっくりと開く。
涙の跡が、虹のような輝きに変わっていく。
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Ⅴ. 星の誓い
鏡の向こうに、自分がいた。
泣いていた自分。
逃げ出した自分。
でも今、その全てを抱きしめられる気がした。
(これが……あたしの“世界”なんだ。)
目を閉じると、胸の奥から声が聞こえる。
——ありがとう。あなたの涙が、星を紡ぐのです。
アマトの唇が、静かに笑みを描いた。
涙はもう、光に変わっていた。
「……行くね。
今度は、あたしが誰かを照らせる光になりたい。」
海が眩い光になった。
そして、鏡の前には再び現実のアマトが立っていた。
けれど、その瞳の奥で、
星の国の光が静かに脈打っていた。
それはもう、ただの光じゃない。
“目覚め”の鼓動だった。
星は囁く。
“世界”とは、終わりではなく、始まりの歌。
涙は種となり、光となり、命を繋ぐ。
——その輪廻の歌を、今、あなたに
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次回予告
——星は囁く。
涙が光へと変わるとき、
世界は“再誕”の歌を紡ぎ出す。
失われた色を取り戻す者。
光の巫女、降臨。
闇を赦し、悲しみを抱きしめる光が、
いま、星界を照らす。
次回――
第23話『光の巫女 ― Rebirth of the Star ―』
画面の向こうで、声が笑った。
「惚れるなよ、シオン。」
その笑みは、夜明けよりもまぶしい。
「ねぇ、セレフィーズ。
あたし、やっと気づいたの。
“綺麗であること”って、誰かに見せるためじゃなくて――
誰かを照らしたいと思える“優しさ”なんだね。」
鏡の向こうで泣いていたあたしを、
見つけてくれてありがとう。
あなたの光が、あたしを再びこの世界に立たせてくれた。
だから今度は、あたしがあなたの光になりたい。
もう泣かないよ。
涙は、あたしの中で“星”になったから。
——アマト
セレフィーズのみんな、ここまで読んでくれてありがとう。
もし少しでも“アマトの光”を感じてくれたなら、
ブクマと感想で、その光を繋いでくれると嬉しい。
次回、第23話『光の巫女 ― Rebirth of the Star ―』
いよいよ新たな再誕が始まります。
星の国で、また会おうね。




