第18話『Re:女帝 ― 欲望のままに(The Empress)』
澪の中で、何かが壊れた。
――そして、「もうひとりの彼女」が目を覚ます。
欲望が形を持ち、現実が歪む夜。
“女帝”のカードが、すべてを飲み込んでいく――。
第18話『Re:女帝 ― 欲望のままに(The Empress)』
運命の扉が、紅に染まる。
Ⅰ. 澪の絶望
翌朝、澪はノートを届けにシオンの家を訪れた。
ノートの事は口実で、本当は昨日の事が気になりシオンの様子を見に来た。
ドアをノックしようとしたとき、わずかに開いていることに気づく。
胸の奥で、嫌なざわめきが走った。
——ギィ、と静かに隙間を開ける。
ベッドの上で眠るシオン。
その唇の端に、赤い痕が微かに残っていた。
「……これ、口紅……?」
澪の心臓が跳ね上がる。
(嘘……そんなの、あり得ない。昨日、シオンは“ひとりでレポートやる”って早く帰ったはず……なのに)
——部屋で、誰かと一緒だった?
絶対に私がつけない艶やかなルージュ。
だからこそ、その赤は「私の知らない女」の痕跡にしか見えなかった。
震える指先で口元を覆い、澪は思わず部屋を飛び出した。
だが胸の奥の奥で。
“もうひとつの自分”が、甘く、艶やかに囁いた。
——(ふふ……私じゃない“私”が、ちゃんと残してあげたんだよ♥)
澪の気持ちとは裏腹にシオンの表情は、どこか安堵したように緩んでいた。
澪は部屋を飛び出した後、そのまま自分の部屋へ駆け込んだ。
ドアを閉める音が、胸の奥でひび割れたガラスのように響く。
澪はベッドに崩れ落ち、声を張り裂けるように叫んだ。
「なんで……なんでなのよっ! 私が……私がしたかったのに……!」
涙に濡れた頬は熱を帯び、視界が滲んで揺れる。
「幼馴染だからって……それ以上になんて……なれなかった……っ!」
叫びはやがて嗚咽に変わり、笑いが混じった。
「……はは……なにそれ……バカみたい……っ……」
泣きながら、笑いながら、声は自分でも抑えられない。
「シオンの……キスの相手……私じゃなかった……」
「……ふふっ……シオン……ねぇ、シオン……」
涙と笑いの境界を失った声が、壊れたオルゴールのように繰り返される。
「シオン……シオン……シオン……シオン……!」
「シオン……シオン……っ、シオン……っ!」
枕に顔を押しつけても止まらない。
その名を呼ぶたびに、胸の奥で甘い吐息が蘇る。
——(ふふ……ちゃんと残してあげたんだよ♥)
「いやぁ……いやぁぁっ……シオン……っははっ……シオン……シオン……っ!」
「ふっははっ……ははっ、ははははははっ……」
「いやぁっっっっっっっっ!……」
「シオンっ…シオンっ」
泣き声と笑い声が混ざり、狂気のように名前を連呼する。
涙で濡れたその顔は、普段の澪では決して見せないものだった。
——崩れていく澪の笑みは、涙よりも恐ろしく。
その夜、部屋には「シオン」という名だけが、呪いのように響き続けた。
Ⅱ. エテイヤの覚醒
次の瞬間——。
澪の髪が、ざわりと逆立った。
ラベンダーの髪が燃えるように紅く染まり、根元から血のような朱が滲んでいく。
「……シオン……♥」
声は同じ澪のものなのに、艶やかで、甘すぎて、別人の吐息にしか聞こえない。
背筋を弓なりに反らし、澪の身体から異様な熱が溢れる。
胸元の影が裂け、漆黒の文様が広がっていく。
制服の輪郭は官能的に歪み、布地が裂けたかのように幻想のドレスへと変化した。
肩から腰へ、曲線を強調する艶やかなシルエット。
瞳は深紅に染まり、唇には濡れたような紅の輝き。
「シオンくん……♥ あたしのモノよ……♥♥」
澪の叫びは快楽に変わり、官能的な声へと変質していく。
そこにいたのは、澪ではない。
幼馴染の面影を喰い破り、甘美な魔性として生まれ落ちた存在——《エテイヤ》。
「澪」と「エテイヤ」が混ざった二重人格。
「ふふっ……♥ 澪なんてもういらないのよ……♥ シオンくんはぁ……私だけのもの……♥♥」
Ⅲ. 星界への招き
エテイヤは虚空に手をかざす。
すると、月光の亀裂が空間に走った。
「来なさい……シオンくん♥ ここは現実じゃ足りない……♥
あたしの欲望も、シオンくんの罪も……全部、星界で暴れさせてあげる……♥」
亀裂の向こうに広がるのは、赤黒い月が空にかかる異界。
足元には光る魔方陣が浮かび、螺旋状に回転していく。
リビングのソファで眠っていたしおぽんが、袋を抱えたまま目を覚ました。
「ふぁ……? シオン様……これ……星界ゲートだよ……!」
だが声は震えている。しおぽんも感じ取っていた。
これはただのゲートじゃない。欲望と背徳の力が混ざり合った、危険すぎる扉。
エテイヤは笑う。
「ほら……♥ 罪悪感に震えてる顔、すごく綺麗……♥
シオンくん……あたしに堕ちて……♥♥」
その瞬間、床が割れ、光と闇が混ざった渦がシオンを呑み込む。
澪の涙はもう消えていた。
代わりに紅く燃え上がる瞳と、甘く淫靡な笑みを浮かべたエテイヤが、シオンの手を強引に掴む。
「一緒に墜ちよう……♥ シオンくん♥♥」
——そして、三人は星界へと落ちていった。
背後に残るのは、静かな大学街の夜だけ。
赤黒い月が揺らめく星界。
シオンの視界は霞み、現実と幻の境界が崩れていく。
⸻
Ⅳ. エテイヤの揺さぶり
エテイヤが甘く笑いながら近づく。
「ねぇ……シオンくん♥ 昨日の夜、覚えてる……?♥」
「……夜……?」
オレは眉を寄せた。記憶は断片的で、霞の向こうに沈んでいる。
彼女は唇を濡らし、吐息を震わせた。
「んふふ……♥ あんなに熱くて、濃くて……♥
無意識に押し返してきたときのシオンくん……♥ たまらなかったの♥♥」
「やめろ……!」
胸がざわつく。嘘だ。そんなはずはない。
でも、確かに残っている——熱と、痺れるような感覚。
エテイヤは頬を撫で、耳元で囁いた。
「ほんとは……澪と、したかったんだよね?♥
でもシオンくんが触れたのは……澪じゃなく、私♥」
「……っ」
その瞬間、視界が二重に揺らぐ。
エテイヤの紅い唇が、澪の笑顔と重なって見えた。
——淡い微笑みと、背徳の吐息。
——欲しかった温もりと、奪われた快楽。
「……っやめろ、やめてくれ……!」
オレは頭を抱える。だが幻は消えない。
エテイヤは恍惚と吐息を漏らし、シオンの胸に爪を立てた。
「どうしようもなく罪深いでしょ……♥
でも安心して、シオンくん♥
罪も、夢も、未来も……全部、あたしに委ねなよ……♥」
彼女の声が甘く溶け込み、澪の笑い声と重なって聞こえる。
オレの世界は崩れていく。
光を失った《月》が、すべてを幻に変えていった。
Ⅴ. 欲望の罠
「……さあ、シオンくん♥」
エテイヤは背筋をしならせ、爪先まで艶やかな微笑を浮かべた。
紅い瞳が、燃えるように輝く黒水晶を見つめている。
その石は、渦巻く光と闇を孕みながらゆっくりと回転していた。
「もう一度、あの“覚醒”を見せて……♥
あたしに全部、見せてよ……♥
あなたの“星”の光がほしいの……セレフィーズの声も、その力も、全部……♥」
「……っ……」
シオンは胸を押さえる。
鼓動は速く、体の奥から微かな星の響きが蘇っている。
(あの時の……あの感覚……)
鎖が砕け、世界が反転したあの瞬間の光景が脳裏に閃く。
それはまだ、はっきりと身体に刻まれていた。
「いい子……♥ 思い出してぇ……♥」
エテイヤは囁き、爪先でシオンの頬をなぞった。
甘い吐息が、耳奥に絡みつく。
「声にして呼んでごらん?セレフィーズを……
あたしがぜんぶ吸い込んであげる……♥ 楽になるから……♥」
「やめろ……」
シオンは首を振る。
(違う……あれは……誰かに力をもらっただけじゃない……
俺が、いや、“私”が掴んだ力だった……!)
黒水晶が低く唸り、エテイヤの髪が風に舞う。
艶やかなドレスの裾から紅い光が溢れ、星界の床に魔方陣が浮かび上がる。
それは、覚醒の力を“受け皿”として吸収する仕組みだった。
「早く……シオンくん♥ あなたの光、あたしにちょうだい……♥
セレフィーズの声を、あたしの胸に落としてぇ……♥♥」
シオンは目を閉じ、深く息を吸い込む。
(違う……これは罠だ。セレフィーズの力を吸い上げるための罠……
でも、もう“声”がなくても俺は……)
彼の胸奥で、微かな星座の光が瞬く。
鎖が揺れ、足元の魔方陣が一瞬だけひび割れた。
エテイヤの瞳が細くなる。
「……あら……もう、声なんかいらないって顔……♥」
彼女は笑う。甘く、しかし底に冷たい棘を忍ばせて。
「ひとりで覚醒できるって? ふふ……素敵……♥
でもその光、全部あたしが吸ってあげるから……♥」
「いいや……」
シオンはゆっくり目を開ける。
瞳の奥に、星座の光が広がっていく。
「もう、俺は誰かに“与えられる”光じゃない。
俺が……自分の手で、掴む光だ!」
エテイヤが一瞬、吐息を止める。
黒水晶が甲高い音を立て、魔方陣が揺らめく。
星界の赤黒い月が、不穏に震えた。
「面白いじゃない……♥
なら見せて……その光がどこまで“私”を満たせるか……♥♥」
エテイヤは両腕を広げ、爪を伸ばして星の欠片を掻き集めるように空を裂いた。
彼女の背後で紅い羽根のようなエネルギーが渦巻き、黒水晶の上に“杯”の形を成す。
その杯は、シオンの覚醒の光を吸い上げるために用意された器だった。
シオンは一歩踏み出す。
足元から青白い星の光が立ち昇り、鎖が軋む音が響く。
「セレフィーズ……聞こえるか?
声がなくても……俺は行ける……!」
その声に呼応するように、星界の奥からかすかな鈴の音が響いた。
セレフィーズの光がまだ完全に消えていない証だった。
「……来い、セレフィーズ……
いや、来なくてもいい。
俺は……俺自身の光で、立つ!」
鎖がひび割れ、エテイヤの魔方陣が一瞬、紅く乱れた。
「ふふっ♥……そう、もっとぉ……♥
あなたが光るほど、あなたの罪は甘くなる……
もっと見せて、シオンくん……♥♥」
紅い瞳と星の瞳が交錯し、星界全体が震えた。
⸻
Ⅵ. 覚醒の兆し
次の瞬間、シオンの身体から星の光が迸った。
鎖が爆ぜ、黒水晶の杯に向かって奔流のように光が流れ込んでいく。
だがその光は、エテイヤが思っていたよりもずっと重く、眩しかった。
「なっ……なにこれぇ……っ!? 熱いっ……♥ でも……ゾクゾクするぅぅっ♥♥」
エテイヤは両腕で胸を押さえ、陶酔と苦痛の入り混じった声を上げた。
その姿は、まるで欲望そのものに飲まれていく女神のようだった。
——シオンは、今度こそ、自分の力で覚醒しようとしていた。
⸻
次回予告
第19話 蒼帝 ― The Astral Emperor ―
「もう誰の力にも縋らない。
この手で、運命を統べる。」
シオンの中で目を覚ました“再誕”の意志。
《皇帝》《世界》《ソードのキング》が描く星座の陣が、
彼自身を——蒼の覇王へと変えていく。
その刃が貫くのは、エテイヤの鎖か。
それとも、救いを求める澪の心か。
——これが、私の《展開》だ。
澪の涙が“エテイヤ”の微笑みに変わった瞬間、
愛は欲望へ、想いは呪いへと変わっていった。
――それでも。
星の声は、まだ沈黙していない。
次回、シオンの覚醒が始まる。
彼が選ぶのは「救済」か、「支配」か。
第19話『蒼帝 ― The Astral Emperor ―』へ続く。
【セレフィーズへ】
もし少しでも胸がざわめいたら、
ブクマでみんなの光を灯してほしい――
あなたの一票が、この物語の“星座”を描くから。




