第10話:中立地帯の海岸へ 〜暑すぎるんだけど!〜
クローサワはレッキンとともに中立地帯の海岸に来ていた。そこは人の住処も建物も一切存在しない無人の地だった。長い間歩き続けてきたため、夕暮れが近づいていた。
クローサワはやる気のない表情でレッキンをちらりと見た。
「ここまで来たけどさ。ゴブリンってどうやって探すつもり?」
レッキンは自信満々に胸を張り、キラキラした目で大きく笑った。
「こっちが探すんじゃない、向こうが出てくるんだよ!ゴブリンの巣は印をつけられた洞窟にあるって決まってる。俺たちはその一つに突入するだけさ!」
「でもさ、洞窟って暗いだろ。遠距離攻撃専門の俺が中に入っても、役に立たないんじゃ?」
レッキンは前屈みになってククッと笑ったかと思うと、頭を上げて空を仰ぎながら大笑いした。
「ははは!お前は中に入らないよ!俺が入るんだ。お前は外から出てくるやつらを撃つだけでいい。それから洞窟の奥にあるって言われてる部屋に突入する。」
つまりボス戦があるってことか。安い報酬じゃ割に合わないな。
疑わしそうにレッキンを見つめた。
「その部屋に入るなら、最初に約束した報酬じゃ済まないぞ?」
レッキンはクローサワの背中を軽く叩いた。
「心配すんなって。部屋に入る前に報酬はちゃんと払うさ。お前にはアホみたいに出てくるゴブリンたちを撃ってもらえれば十分だ。」
「で、その洞窟ってどこだ?早く案内してくれ。」
中立地帯の海岸線は海面よりも六メートルほど高く、これによって海の魔物が簡単に本土に上がることはできなかった。
レッキンはその海岸線の端を歩きながら、身を乗り出して下を覗き込んでいた。
「お、ここだ。」
波が打ちつける岩の間に、大きな穴があった。波が来るたびに、わずかに塩水がその中へ流れ込んでいた。
クローサワは隣に寄り、レッキンの視線の先を見た。
「これが洞窟の入り口か?」
レッキンは彼の目をまっすぐ見つめた。
「ああ、そうだ。もっと楽な入り口があればよかったのになぁ。」
「でも、どうやってゴブリンたちを外に出させるんだ?」
レッキンは拳でクローサワの肩を軽く叩いた。
「俺を信じなって。」
そう言うと、彼は海を背にして地面に手をつき、体をずらして穴の中へと体を滑らせた。下半身が洞窟に入った瞬間、両手で地面を離し、そのまま彼の姿は暗闇に消えていった。
クローサワは右手でリボルバータイプの44マグナムを構え、銃を左側へ振ると、カチッという音と共にシリンダーが開いた。
彼は左手で地面の砂を一握りすくい上げ、その砂に黒く殺意のこもった魔力を込めた。
砂は弾丸の形へと変わり、黄色だった砂粒は漆黒へと染まった。
その弾を一本ずつ丁寧にシリンダーに詰め、再び閉じた。
「俺がやるべきことは…ただ、待つだけだな。」
洞窟の中は湿っており、斜めに下がる床は滑りやすかった。
レッキンは勢いよく滑り降りると、ほんの一瞬空中に浮かび、足から着地した。
彼は腰のポーチから小さな球体を取り出し、それが手の中で輝き始めた。
球体はゆっくりと頭上に浮かび、直径約二メートルの範囲を照らした。
壁は湿ってカビに覆われ、海水が少し入り込んでいるため、床の隅には苔が生えていた。
しかし水たまりはなかった。
中に流れ込んだ水を排出する経路があるはずだ。もっと下に…
彼は五メートルほど進んだ先で、底の見えない崖にぶつかった。
だが、向こう側には道が続いていた。
数歩後ろへ下がると、一気にジャンプした。
しかし体がやや後ろに傾き、腕を振ってバランスを取ろうとした。
「くっ…!」
上体を前に倒して着地を成功させると、さらに進み始めた。
洞窟は螺旋階段のように下へと続いていた。
天井が低いため、彼は自然と膝を曲げて前屈みになりながら歩いた。
階段を下り終えたとき、彼の鼻を強烈な腐敗臭が襲った。
片手で口と鼻を覆った。
「この臭いは一体…?」
足元を慎重に確認しながら進むと、無数のゴブリンの死体が散乱していた。
死体の数があまりにも多く、足が床に触れることすらなかった。
まずは扉が開いているかどうか確認しなければ。開いているなら報告するべきだ。
レッキンが死体の山を抜けて進むその頃、クローサワは洞窟の外でまだ待っていた。
中に入ったほうがいいかもしれないな。報酬や鉱石があるかもしれないし。
でも…狭い場所か…いや、そんな閉塞感のある場所には入りたくない。ここで待つ。
せめてヴァナとの約束を守れるだけの時間までは…
彼は心に決めていた。ヴァナとの約束が危うくなったその時だけ、中へ入る。
ようやく死体が途切れた場所に辿り着いたレッキンは、下へと傾く通路を進み、
本来ならば直立しているはずの青銅の扉が、地面に倒れているのを見て唾を飲み込んだ。
逃げ出したのか?だが…なぜだ?
彼は足音を抑えつつも、急ぎ足で中へと入っていった。
その部屋は円形で、天井はまるで円錐のように高く尖っていた。
壁や床に固定されていたはずの、人の胴体ほどもある鎖がすべて千切れており、
何かがそこから解き放たれたことは明らかだった。
レッキンは腰のポーチから手のひらサイズのカメラを取り出し、何枚かの証拠写真を撮った。
そしてくるりと踵を返し、部屋から出ようとしたときだった――
「ふむ…お前はゴブリンではないな。」
暗闇の奥から響いた声に、レッキンはその場で凍りついた。
瞳孔が開き、脚が動かない。
膝が震え、歯がかちかちと鳴り、呼吸すら忘れていた。
闇に包まれた怪物の体が収縮し、人間と同じ大きさになった。
顔も体も人間のように変化し、全身を包んでいた黒い影は消え、
そこにはまるで鏡のように、自分自身とそっくりな姿が立っていた。
「変身能力か…」
黄色い虹彩を持つ“偽レッキン”はポケットに両手を入れ、レッキンと同じ服装――
だがそれも服ではなく体の一部である擬態――でニヤリと笑った。
「俺が変身した相手は、殺してしまえば誰にもバレない。
それに、記憶も手に入るからね。」
レッキンは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら拳を構えた。
まるでボクサーのようなファイティングポーズを取ると、偽レッキンは首を傾げた。
「本当に戦うつもりか?その足、戦う準備ができているようには見えないけど?
ほら、震えてるじゃないか…」
レッキンは苦笑しながら答えた。
「かもな。だが外には優秀な相棒が待ってる。いずれここに来るさ。
そのときになって、後悔するんじゃないぞ。」
偽レッキンはうなずきながら言った。
「ああ、上に誰かいるね。気配は感じるよ。
でもさ、なんで外に置いてきたんだ?
もし一定時間戻ってこなければ、助けを呼びに行くようにでもしたのかい?
それとも狭い空間では戦力にならないと判断したのか?
ま、どっちにしろ君が時間を稼げなければ、
俺が君を殺して、あとはそいつのフリして外に出るだけ。簡単なことさ。」
レッキンは自分そっくりのその笑顔に嫌悪感を覚えながら、問いかけた。
「お前…最初から鎖を断ち切って逃げたんじゃないな。
誰かが…お前を解放した。」
偽レッキンは一歩前へ出ながら、手をポケットから出さぬまま言った。
「目覚めさせてくれただけさ。
本人は来なかったが、耳元で囁いてくれた――エルフの囁きって、
悪魔をも狂わせるって知ってたか?
その囁きのおかげで、封印の一瞬の隙間を突いて覚醒できたんだ。
一瞬で逃げるには、それだけで充分だった。」
レッキンは構えを低く取り、後ろ足のつま先を立てた。
頭上の光球が彼の背後へ回る。
「それだけ聞ければ十分だ。」
そして踏み込みながら右拳を叩き込もうとするが、偽レッキンは
手をポケットから出すことすらせず、横に一歩ずれてその攻撃を回避した。
反撃の膝蹴りが胸に突き刺さり、レッキンの体は天井にまで打ち上げられた。
口から血が溢れ、視界が霞んだ。
しかしその瞬間、光球はシュルリと移動し、洞窟の外へと飛び去った――
レッキンは天井から転げ落ち、足を踏ん張って立ち上がった。
腰のポーチの一番奥から小瓶を取り出すと、
拳で瓶を叩き割り、中の粘り気のある緑色の液体を手のひらにこぼした。
彼はその液体を舌でなめると、
真っ暗闇の中でも白黒とグレーのコントラストで視界を確保できるようになった。
怪物はため息をつきながら、レッキンの首筋をつかんで壁際へと投げつけた。
背中が壁に激突し、彼の体は床へと転がった。
骨は折れていなかったが、彼は自分の体に内部出血が起きているのを直感で理解していた。
「光を消せばお前が見えなくなると思ったか?
ゴブリンを殺したときも、見ずにやったとでも?
遺体を見たか? 一体一体、違う手段で殺されてたろ。
拳で頭を潰したり、胸を貫いたり、腕を引きちぎって突き刺したりな。」
倒れていたレッキンの前に怪物がしゃがみこみ、ニヤリと笑いながら問うた。
「どうした? もう終わりか、人間?」
レッキンは反撃の一撃として、拳をその股間に振り上げた。
打撃は浅かったが、かすめた衝撃で怪物は少し飛び退いた。
「な…なんだ、今のは…」
レッキンは立ち上がり、再び拳を構えた。
今度は肩幅に足を開いて安定した姿勢をとり、
脚の震えも完全に止まっていた。
左手で「かかってこい」とジェスチャーをすると、
怪物は不気味なほど大きな笑みを浮かべた。
「いいだろう!」
叫びながら突進し、右の拳をレッキンの顔面に狙って放った。
レッキンはその拳をすれすれで回避し、反撃の拳を腹部に叩き込もうとしたが――
怪物は体を回転させ、レッキンの背後に回り込むと、
右腕を槍のようにしてレッキンの背中から貫いた。
「……ッ!!」
レッキンの目は、腹から突き出た自分に似た手を見つめていた。
血が口からぽたぽたと垂れ、飛び出た腕に染み込んだ。
だが――その腕は、引こうとしても抜けなかった。
「な…なんだと?」
もう一度、もう一度と引っ張ったが、まったく動かない。
レッキンの腕は両脇に下がっており、意識も朦朧としていた。
だが彼の動きとは関係なく、怪物の腕は何かに固定されたかのように抜けなかった。
「どうしてだ?! なんで引き抜けない!? 何をした?!」
怪物は左手を使ってレッキンの首を狙って振るった。
――ミシッ!
その左手は粉々に砕け、手首の骨が皮膚を突き破って飛び出した。
「っぐ…!?」
パニックになった怪物は姿を変えようとしたが、
皮膚の一部が一瞬緑色になってすぐに戻るだけで、変化できなかった。
どれだけ足掻こうとも、元の姿に戻れなかった。
しかも、空間の温度が徐々に上昇していた。
汗が額から滴り落ち、息も荒くなる。
その頃、クローサワはまだ洞窟の外で立ったまま待ち続けていた。
突然、洞窟の中から何かが飛び出してきたので、すぐに銃を構えて発砲したが──
弾は外れ、命中したのは海の水面だった。
その一瞬、海の表面には半径50センチほどの空白が生じた。
「……今のは一体…?」
彼の目の前には小さな球体がふわりと浮かんでいた。
それと目が合った瞬間、球体から声が響き始めた。
「そうだ、上には何かがいる。存在は感じている。だが教えてくれ。
どうしてそいつを外に残した? 一定時間戻らなければ、助けを呼ぶためか?
それとも狭い場所で戦力にならないと思ったのか?
だが…もし時間が稼げなければ、お前を殺して、代わりに上へ行き、社会に紛れることなど簡単だろう…」
「この声…誰だ? 変身系の魔物か…?
……となると、俺も中に入るべきか?
いや、でもこれを俺に送ってきたということは……
騙されないように、これを通して真実を伝えてくれたのか。」
浮かぶ球体を手に取り、光が消えた。
「透明な球体…これは“魂石”か?
用途が多彩で、希少な鉱石だ。あんな冒険者なら、いろんな場面で使えただろうに……
これを渡したということは……生きていない可能性が高いな。
弾丸に変えておくのが最善か。」
クローサワはさらに1時間待った。
そろそろ戻るべき時間だった。
もしかしたら、あのとき洞窟に入っていれば……助かったかもしれない
そう後悔し始めたそのとき、洞窟の入り口から見覚えのある人物が現れた。
彼は即座に銃を構え、発砲。
──しかし銃弾はその頭に当たった瞬間に砕け散り、何も傷を与えなかった。
その人物──レッキンは、血の滲んだ口元と涙の浮かんだ目でクローサワを見つめた。
「おいおい…俺が何したってんだよ、頭撃つとか……めちゃくちゃ痛かったぞ!」
(くそっ、本物だ…間違いない。でも、どうして弾が通らない?)
レッキンが岸へ這い上がってくる間、クローサワは驚きと疑念を隠せなかった。
「銃弾が…」
「うん、そう。ちょっと変なんだよな。
まぁ、話はあとで全部するよ。まずは……ちょっと横にならせてくれ。」
地面にうつ伏せになって休んだレッキンは、しばらくして体を起こし、洞窟での出来事を語った。
死にかけた瞬間、体内に眠っていた古の力が目覚め、彼を救ったのだという。
あの身体から放たれた灼熱のエネルギー……あれが、内なる存在の力だったのか
レッキンがようやく立ち上がると、手を差し出した。
「で、俺が送った球体──どこにある?」
クローサワは掌に載せた弾丸を見せた。
「お前が死んだと思って、全部弾にしておいた。でも、最後の一発は使ってない。
ほら、どうぞ。」
レッキンは涙を浮かべながら、それらの弾丸を腰のポーチに丁寧にしまった。
「大丈夫、大丈夫。
溶かして、もう一度球体に戻せばなんとかなるさ。」
こっちにとっては大損だけどな…
「それで──約束の報酬は?
中で何があったかなんてどうでもいい。
約束は約束だ。俺は報酬をもらうぞ。」
レッキンはため息混じりに、小さな革袋を差し出した。
「6枚の東方銀貨だ。宿に泊まるには十分な額さ。」
「サンキューな。」
少し遅れて投稿してしまいました。ごめんなさい。




