第5章:火と、これから。
朝が来た。
儀式場の空は、青かった。
青いのに、なんだか少し、あたたかく感じられた。
スモルは湖のほとりに座っていた。
火の灯った尻尾を、そっと水面に近づける。
パチ……と音がして、少しだけ湯気が立った。
「オレ、火でいいや」
ぽつりと、呟いた。
火でよかった。
火だったから、怖かった。火だったから、泣いた。
でも――火だったから、届いた感情がある。
それを、もう手放さなくていい。
「おーい!」
振り向くと、ルイが走ってくる。ちょっと元気が戻った顔。
「なにしてるの?」
「火を……あっためてた」
「意味わかんないけど、スモルっぽいね」
そう言って笑ったあと、ルイは何かを差し出した。
それは、ひとつの小さな青い石。水属性の儀式石だった。
「これ、僕がもらったやつ。でも……君に渡すほうが、合ってる気がしてさ」
スモルは目を丸くした。
「でも、それ……」
「火でも、水でもない。君は“スモル”だよ。
属性じゃなくて、“心”でここにいたでしょ」
ルイの言葉に、スモルの胸が、きゅっとなった。
受け取った石は、冷たくて、でも少しだけあたたかかった。
スモルの火で、ほんの少し熱を帯びていた。
そこへ、アーシャがやってきた。
いつもの無表情、だけど少しだけ――まぶたがゆるんでいた。
「これから、どうするの?」
「火に戻るよ。というか……戻るっていうより、“選ぶ”って感じかな」
スモルはまっすぐに、アーシャを見た。
「火を出すの、怖いままだと思う。でも、それでもオレは火でいたい。
誰かの感情に触れて、揺れて、たまに泣いて、怒って、でも……」
言葉に詰まったスモルの尻尾が、ふっと赤く揺れた。
「それでも、この火で……誰かの心、あっためられたらなって思う」
アーシャは、ほんのわずかに微笑んだ。
「……その火、きっと、必要とされるわ
スモルは湖をあとにした。
歩きながら、空を見上げた。
雲の切れ間から、朝の光が差し込んでいた。
それは、オレンジ色――火の色だった。
スモルの心のなかで、小さな火が灯っていた。
名前のない火じゃない。
これは、ぼくの火だ。ぼくの心だ。
スモルが帰る支度をしていると、儀式場の裏手で、小さな声が聞こえた。
「……火って、やっぱり怖い」
声の主は、小さな水属性の子ドラゴンだった。まだ若くて、儀式も受けていない見習い。
スモルは気づかれないように、そっとそばにしゃがんだ。
「火、怖いよね。オレもずっとそう思ってた」
「でも……あなた、火なのに……優しかった」
小さなドラゴンは、スモルの尾に揺れる火を見つめていた。
まるでそれが、焚き火のように、怖くなく見えたのかもしれない。
スモルはにっこりと笑った。
「火ってね、怒るだけじゃないんだよ。
誰かの寒い気持ちを、あったかくすることもできるんだ」
そう言って、そっと尻尾の先を近づけた。
火は、ふわりと揺れて、小さなドラゴンの瞳に映った。
「……すこし、きれいかも」
その声に、スモルの胸の奥で、火がまた優しく燃えた。
帰り道、スモルはひとりじゃなかった。
となりに、ルイがいた。
リュックを背負って、ぽこぽこと足音を鳴らしている。
「……ねぇ、戻ったら、何するの?」
「うーん……とりあえず、火の訓練やり直しかな」
「まだ、暴走するかも?」
「するかも。でも……前よりは、ちゃんと話せると思う。火と」
ルイは「へぇ〜」と笑って、草をひとつ蹴飛ばした。
「火と会話できるドラゴンとか、聞いたことないよ。へんなやつ」
「お互いさま」
ふたりは笑った。風が抜ける丘をのぼりながら。
ふと、スモルは立ち止まり、空を見上げた。
遠くで雲が割れて、光が差し込んでいた。
「なあ、ルイ。オレさ……火のままで、誰かの火になれるかな」
ルイはちょっとだけ考えて、こう言った。
「うん。てか、もうなってるよ、わりと」
その何気ない一言が、スモルのなかの火をもう一度――静かに、やさしく灯した。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
『やさしすぎる火』は、誰かにとってはただの“弱さ”に見えても、
それでもきっと、誰かをやさしくあたためている――そんな想いで書きました。
感想・ブクマ・評価など、もしこの物語の火があなたに届いたなら、
その火を、もっと大きくしていただけると嬉しいです。