エルフ裁判
ドドルウ国の裁判所の前には、人がごった返していた。
いいや、人だけではない。エルフとドワーフ、、ホビット、はては、ゴブリンやオークまでありとあらゆる種族が裁判所へと押しかけていたのだ。整理番号を配る裁判所の職員は、困惑した表情のままにその職務を遂行していたが、このような事態になるのは予想がついていた。
「こんなの死人が出ますよ」
記者のドウメキは同じく記者のワタヌキにそう言い、ワタヌキはそれを肯定した。
「こんなに人の、あ、いや、みんなの関心があるんですね」
「そりゃあ人権の歴史に新たな一ページだからな」
ワタヌキはそう言うと、人混みを分け入って裁判所の中へと入っていく。ドウメキも同じく、人混みから抜け出して裁判所へと向かっていく。そんな二人を警備員は引き留めようとしたが、二人して身分証と事前に申請しておいた記者としての特別許可証を見せる事で、すんなりと中へと入れてもらうことができたのだった。
政府はこの裁判に関して、マスメディアとしての記者を使う事をしたのだ。
「いやぁ、政府様様ですね」
「特例だろ。この、裁判のためのな」
ワタヌキは法廷と廊下を隔てる扉に張られた一枚の紙を見て言った。
『ハンス家遺産相続訴訟』
と、書かれているそれは裁判所が書き出したものである。堅苦しい言葉でまとめられており、いかにもハンス家という家の相続問題とも思われるかもしれないが、その実態は少しばかり違う。もしも、ただの相続裁判であれば、エルフやドワーフが来るはずがない。
世間一般では、この訴訟を「エルフ人権裁判」と呼んでいる。
どうしてそう呼ばれているのか。
元々ハンス家という名家がドドルウ国にはあった。貴族階級の家であり、その貴族として所有してきた土地や建物資産などで繫栄してきた言ってしまうと旧家と呼んでも差し支えない家だ。特に最近では、先祖代々所有している銅鉱山からさらに希少鉱石が発掘され、その資産価値は上り調子である。
その当主が死んだ。
病死であった。よくある死であり、悲劇だった。
が、家族からしてみればその死から悲劇が始まった。
「おい、アレが」
傍聴席に座ったドウメキの脇を、ワタヌキが肘で小突く。
ドウメキがふっと顔を上げると法廷の中に一人の女エルフが入ってくるのが見えた。
「間違いないです、ハンス家の女中、フェールン・スタリンです」
女エルフ特有の麗しい顔つきは黒い布で隠されている。それは喪服として身に着けているので、その布の下ではどのような顔をしているのが余計に想像を掻き立てられて、どこかそそられるものがあった。顔を隠していたとしても、他の肉体部分からはいかにも美しいという表現が似合う雰囲気が漂っているのだった。
このフェールン・スタリンは女中としてハンス家で長い間、奉公をしていた。それこそ、ハンス家の死亡した当主、そして、その前の前の当主の時代からハンス家に仕えていると本人が言うのであり、更に記録として雇用契約書もまた残っているのだから、間違いはないと思われる。
そして、このフェールン・スタリンに対して、死亡したハンス家の当主は、ほとんど事実婚のような形式をとっていた。無理もない事であろう。美しい女エルフを傍に置いた権力者がどうなるか、というのは想像に難くない。しかし、比較的、ハンス家主君とフェールン・スタリンの間は良好であり、幸せな蜜月があったようだ。
故に、ハンス家の当主は、遺産の一部を後妻としてフェールン・スタリンへと相続させる事を遺言書として残した。
が。
「おい、おいおいおい、マジかよ」
続いて法廷に入ってきたのは、いかにもハンサムというような美男子であった。
しかし、その耳はとんがっておらず、体つきから見ても、まさしく、ヒトのそれである。が、その体に纏った雰囲気は、誇と勇気、人類が長い間を経て累積してきた全て、努力して得てきたという絶対的な自信があった。
かっと見開かれた瞳からは何者にも屈しないという強さが見て取れる
「ハンス家の現当主、ハンス・フォン・ホースト五世」
「またの名を資本皇帝だ。実際、現国王の娘と良い間柄と聞くぞ」
しかし、法廷においてその皇帝は、ただの起訴人である。
何が起きたか。
お察しの通り、相続問題である。
ハンス・フォン・ホースト五世(以下、ホースト五世)は、父親つまり死亡した当主の資産を管理し、会社を運営し、経営してきていた。言ってしまえば当然ながら相続する権利を持つのであった。
父親の死去後の混乱を最小限に抑えた、と言えば彼の手腕が伺えるような気がする。少なくともこの裁判以外は。
さて、このホースト五世とフェールン・スタリンの間には血縁関係がない。
ホースト五世は、前妻の子供であり、純血たるヒトである。
ここで法律的、相続的な争いが勃発した。
「エルフに通常、ヒトとして有する相続の権利はない」
それがホースト五世の主張であった。と、いうのも、ドドルウ国憲法において人権を認めているのはあくまでヒト族に限られているのだ。故に、エルフやドワーフの他、どのような種族であったとしても、人権はなく、相続する権利は法律上認められないというのが主張であった。
が、それに対して、当然ながらフェールン・スタリン側は反論をした。
「エルフに限らず亜人も人であり、人権は認められ、相続の権利は認められる」
それがフェールン・スタリン側の主張であった。
ここまでくればどうしてこの裁判がエルフ、ドワーフといった多くの種族が注目するかがわかるだろう。そう。この裁判はただの相続裁判ではなく、亜人に、人ならざる種族に、人権を認めるかどうかという重要裁判なのである。
本日の最終判決の時において、それが司法の立場から示されるのだ。
裁判官が来るまでの間、ドウメキは近くの喫茶店でワタヌキとした会話を思い出すことにした。
***
「はっきり言うけど、裁判官は最悪だな」
「なにがですか?」
ドウメキは煙草に火を着けるワタヌキに小声で聞いた。
ワタヌキは煙草にしっかりと火がついたことを確認してから、ゆっくりと煙を吐き出して灰皿に煙草を置く。紫煙がゆらゆらと立ち上るのを見ながら、ワタヌキはまた一本、新しく煙草を取り出す。
「どっちに転んでもだよ。エルフに人権を認めるなんてなったら、最悪だ」
「どうしてですか。彼らは美しいし」
「あほか。美しいから人権を与えるなら俺とお前みたいなブスは、人権はく奪だよ。そうじゃない。種族としての違いがありすぎる」
「どこがですか」
「一つは、寿命だ。エルフの寿命を知ってるか? ヒトの何十倍も長寿だぞ。それとお前が同じ権利を持っているなんて考えてみろ」
ドウメキは腕を組んで、首をひねりながら考える。
が、それはあまり考えが浮かんでいないというような様子に見えて、ワタヌキはため息を吐き出す。
「一つは仕事だ。例えばヒトとエルフ、二人の労働者がいるとした時、二人の生涯賃金はどうなると思う」
「そりゃ、エルフは長生きだからエルフの方が賃金は高いですよね」
「だろうな。で、ヒトは退職してしまう。すると同じように二人の人員が補充されるが、自然とエルフの方が増えて行かないか? 出て行く人数はヒトの方が多い。気が付くと、職場はエルフの独占状態で、ヒトが仕事を求めてもありつけなくなっているかもしれない」
「そんなの考えすぎですよ」
「お前、知識階級、研究職のエルフ率を知っているか? 9割だぞ。9割のエルフが長寿というだけで蓄積した知識をもとに、ほとんど独占状態だ。歴史の問題をヒトが解こうと思ったら隣に座ったエルフが、『あ、これ、実際に見てきた事件だ』なんて笑えないよ」
「そうですかねぇ」
「だけど、事実として、お前が一生かけて、いや、お前の息子、孫まで働いた金額よりもエルフが生きている間にもらえる賃金の方が多いのは間違いないからな」
新しく取り出した煙草に火を着けて、ワタヌキは言う。
「さらに言うと、今回の相続だってそうだ」
「いいじゃないですか、仲良しの後妻さんに遺産を渡す」
「エルフは長命だ。そのエルフがその遺産を全部相続するとなってみろ、次に相続できるのは何百年後かわかったものじゃないぞ。場合によっては、何万年もあとだ。それだけの間、土地や資産を独占できるなんて恐ろしいだろう」
先に吸った煙草に手を伸ばしてワタヌキは一息、吸い込んだ。
ドウメキは疑問を持ったままに首をかしげる。
「そんな、あんな美しい種族がそんな醜悪な事をしますかね」
「言っておくが、オークやゴブリンもエルフとは比べられんが、ヒトとは数倍の寿命の差があるぞ」
「それは悪しき事態ですね」
呆れた顔でワタヌキは新しい煙草を、既に吸ってあった短くなった煙草の隣に置いた。
「逆にホビットはヒトよりも寿命が短い。言ってしまえば、それもヒトと同様に扱うのか?」
「それは」
ドウメキは何も言わずに、じっとワタヌキの煙草を見た。
半分になった煙草はまだじわじわと燃え続け、灰を灰皿に落とす。それに対して、まだ新しい煙草は、燃えてはいるものの、まだ余力は十分にありそうだった。
「単純に亜人に人権を与えましょうって、言う話じゃないんだよ。これは、いいか? これは、種族の問題なんだ」
***
「おい、ドウメキ」
ワタヌキに脇を小突かれて、ドウメキははっと顔をあげた。
すでに法廷の中には傍聴席も含めてみっしりと人が入ってきていた。
さらに言うと、7人の裁判官もまた法廷へと姿を現しており、それぞれが各々の席へと座った。
「では開廷します。本日は、本相続訴訟について判決を言い渡します」
中央に座った一人の裁判官がそう宣言をし、ぱっと懐から一枚の紙を取り出した。
慣例により判決は事前に書面で記されて、裁判官が所持する事となっている。
「主文、起訴人ハンス・フォン・ホースト5世の主張を受け入れ、通常、ヒトが有する権利内での相続は認められないものとする。なお、訴訟費用については、起訴人が負担するものとする。以上」
「理由は!」
フェールン・スタリンの隣に座る弁護人が立ち上がり聞いた。納得できるだけの理由が必要、とそういう事であろう。
裁判官は深く息を吐き出し、強い眼差しで法廷に座る面々を見た。
「現行法における人権の定義は、ヒトである事。他方、エルフはヒトではなくエルフという種族であり、法が定める人権の枠の外にある。本件において法で定め認めていない人権において、相続の権利を認めることはできない。
ただ、他方、相続人がエルフに対して与えたいという財産があるのも事実であり、本件において、起訴人もそれについては相続ではない形での供与を認めている。
故に、本件においては司法として一般の人権としての範囲で相続を認める事は出来ないとする」
以上閉廷。
そう裁判官が宣言をすると落胆の声と共に、弁護士は何か言いたげに口を開こうとした。しかし、それをフェールン・スタリンが制した。顔を隠して、特別に何か言葉を発するわけでもなかったが、手を軽く上げたその動きはまさしく制止の動きであった。
一方、ホースト五世の顔色もまた優れなかった。喜びに満ちているという様子ではなく、ただ、平然とした顔であり、傍聴席に対してちらりと一瞥をすると、顔色を一つも変えないままに、法廷を後にした。
さて、裁判の後の事をドウメキはずっと追った。
結局のところ、エルフに人権は認めないというのが司法の判断であった。これは政治的な理由が明確に影響されているというのが通説である。と、いうのも、もしもエルフに人権を認めた場合、他の種族に対しても当然に権利を認めざるを得なくなる。が、そうなると、ドドルウ国としては巨大な問題を抱えることになるのだ。
と、いうのも、今、ヒトが居住している空間は、かつて、他の種族が暮らしていた土地だからだ。
言ってしまえば、エルフの森を、オークの村を、ドワーフの鉱山を奪った所に居住しているのだ。
それを返還するという問題が発生しかねない。そして、それは、ドドルウ国の問題だけでは収まらない。ヒトという種族全体が脅かされる問題になる。勿論、法は遡及してその適用が出来ないのが、それが通るかどうかは別問題だ。
しかし、フェールン・スタリンにとってはこの判決は彼女を不幸へと貶める事はなかった。
ハンス・フォン・ホースト五世は、フェールン・スタリンに対して、父親からの遺言通りの財産を支給した。それは、代々、ハンス家に仕えてくれた恩給であり、さらに、遺言には記されていなかったがホースト五世が個人的に広大で莫大な土地の一部に家を建てる事も許可した。
フェールン・スタリンは、その広大な土地の一角に小屋を建て、そこで一人、静かに暮らしたそうである。
「どうして、あの時、裁判を止めたのか」
ドウメキは、そうフェールン・スタリンに対して質問の文書を送った。ほかにもいくつかの質問を入れていたが、結局聞きたいのはそこだった。その返事が返ってくることは、ドウメキも、ワタヌキも存命中にはなかったのだった。
裁判から503年後、フェールン・スタリンが死亡したことで、彼女の考えはもう二度と、表に出る事はないのだった。
まだ、ドドルウ国において、人権があるのはヒトのみである。