港湾に参上するセルジュゲイル
オルフェとミラベルが境界の彼方へと旅立ち、暫く後のことだった。
隣接する境界にある友邦、サン・アップルトンから一通の手紙が俺の手に届いた。
『ドリジャール様へ
この度、私エメロッテ・レーンはサン・アップルトンでの修学を終え故国プリシィアへ帰る所存でございます。
ご存じの如く父ダミアン・レーンは軍人として命を散らし既に亡く、母もサン・アップルトンの生家で組まれた縁組で新たな家庭を営んでおり、前家の娘である私は立場もありません。
ついては亡父の盟友にして腹違いの御兄弟であられた貴方様に、後見人となっていただきたいのです。
徒食の世話を受けるつもりはありません。ただそのお名前ばかりをお借りしたいのです。
快いお返事を期待して、これにて筆を置かせていただきます』
俺は暫し手を止め、返書を書いた。
内容は短く、簡潔に。
『了承した。帰って来なさい。会おう』
そんなやりとりをしてから、もうひと月になる。
最後に受け取った手紙には、エメロッテが乗り込む予定のプリシィアへ向かう定期船便の日時が記されていた。
エメロッテ・レーンと最後に会ったのは彼女が七つの頃、既に十年も昔のことだ。
彼女の父であり、俺にとっては無二の友人であった男、ダミアン・レーンは軍学校に入る前からのつきあいだった。
奴は最初、数多いた腹違いの兄弟の一人でしかなかったが、奴が廃嫡の憂き目にあったレーン家を受け継いだ。そのことで、セルジュゲイルはダミアンの後見を引き受けた。
セルジュゲイル家の長子である俺はダミアンとよく遊んだ。共に家庭教師に学んだし、軍学校の演習でも同じ班を組んで汗を流した。
俺と違ってあいつは配属まもなく身を固めて、一人娘のエメロッテが生まれたのだ。
プリシィア王国の南東部にある港湾都市ウータンマスに俺は来ていた。
ここはプリシィアと異境の各国との窓口であり、毎日のように人や物を満載した交易船や定期船便が出入りしている。
海に突き出るように広がった防波堤が幾重にも取り巻き、凪いだ湾内では大小の船が舷側を波に洗われていた。
波止場は様々な階級の、様々な人種が、それぞれの目的のために群れていた。一目で異境の住人と分かる風体の者も多く、耳には普段は聞き慣れない異国の言葉が流れ込んでくる。
そんな活気の絶えない場所で俺は公営の港湾管理場に入った。高い天井につり下げられた無数のシャンデリアが屋内をまばゆく照らしていて、背の高い掲示板が視界を奪った。
“ようこそ!異界の客人よ!ごきげんよう!同郷の友人よ!”
この地を出入りする者たちへ送られる言葉が記されている。さらに
“○○番繋留地 ××発 △△号 貨客”
“○○番繋留地 □□着 ○○号 貨物”
“・・・・・・”
太く見やすい書体の案内が無数に張り出されているのだった。掲示板は遙か頭上高くにあって、一体どうやって書き直しているのやら、と思ったら、掲示板の文字の一部が奥に引っ込み、また別の文字が張り出されていた。裏側に専門の職人がいるらしい。
さて、そうはいってもこの港に不案内な俺には何がなにやらさっぱり分からないので、適当に行き来している荷役夫とおぼしき男を捕まえて聞いてみることにした。
「そこな役夫、ちょっと俺の話を聞いてくれないか」
立ち塞がれ困惑する役夫は、明らかに自分より羽振りが良さそうな奴を面倒くさそうに見下ろしていた。
「なんですかい旦那。俺はこの預かり荷をお客の乗る船まで運ばなきゃいけないんですよ」
「そう言うな。すぐに済む。俺は今日この港につくサン・アップルトンからの定期船便に用があるのだが、そいつはどの桟橋に停泊するのかね」
「は? サン・アップルトンの定期便ですかい? そりゃ、あの通り」
役夫は例の巨大掲示板の一点を指し示した。
「あの掲示板の、上から四番目の枠に書いてあるでしょうよ。六番の桟橋にある二十三繋留地だよ」
「ふむ。ではここからそこまではどう行く?」
「面倒な旦那だな!」
「まぁそういうなよ」俺は懐から金貨を一枚出して、今にも逃げたそうな男の手にポンと握らせた。
「・・・・・・ひえっ」
男の口から驚きの悲鳴が小さくあがった。
「質問に応えてくれた駄賃だ。釣りはいらんぞ・・・・・・それで、その二十三番とやらだが」
「あ、あっちの、灯台が建ってる、桟橋に・・・・・・」
「ん。そうか」
歯が合わなくなっている役夫に礼をして、俺はその場を離れた。
場内の人群れをかき分けて進み、灯台の建つ桟橋に入る為の道を曲がる。するとそこでは別の水夫や役夫といった労働者たちが意味ありげな顔で道を塞いでいる。
「二十三番繋留地は、この先で合っているか?」
「ええ、ええ、合っていますよ旦那様」
港湾労働者どもの顔役でござい、と顔に貼っているかのように振る舞う、一際恰幅のよい、顔に傷のある大男が俺を見下している。
「まもなくサン・アップルトンからたくさんの荷が来ますんでね、用のない方は入らんでくだせぇな」
「そうはいかん。出迎えねばならん者が来るのだ。そこを通せ」
「ははぁ、なるほど」
のらくらと応える傷の男に呼応するように、取り巻きらしき柄の悪そうな連中がにやにやと笑っている。
俺はちら、と男たちの脇から桟橋をみた。明らかに労働者と思われない、旅人を出迎えるためにやってきた人々が桟橋の先で集い、海の彼方から来る船を待っているのが見えた。
「そこを通せ」
「ははぁ、まぁ、通して差し上げてもよござんすがねぇ、そこは、ほら、ねぇ?」
ちらちらと俺の懐へ視線を注ぐ男の様子を見て、俺は理解した。どうやらこいつらは、俺がさきほど荷役夫としていたやりとりを見ていたらしい。
だがこいつらに渡す金など一銭たりとて無い。その上このドリジャール・セルジュゲイルを世間知らずの御曹司から何かと思っている、そういう目つきが気に入らない。
「ふぅ・・・・・・馬鹿め」
俺は瞬間、石敷の床を跳んで目の前の男に拳を叩き込んだ。
醜い顔が陥没して汚い悲鳴を上げて倒れた男の姿に取り巻きたちが硬直したところで、すかさず隣にいたひょろりとした上背の男の足を狩り倒す。
脾骨が折れ砕けて喚くこいつの顔に蹴りを加えつつ、衝撃から立ち直った荒くれ達は懐から各々のナイフを取り出して構えた。
「てめぇ!」
迂闊に口を開いた一人の男がいたので、俺はそいつの口に固く握った拳を叩き込んだ。
前歯が粗方折れてそいつの口の中から鮮血がほど走って床にこぼれる。
男の一人が雄々しく震えてナイフを振りかぶったが、俺はそいつが腕を振り下ろす前に、懐に入り込んで襟口を掴んで投げ飛ばした。
床に転がったそいつの手からナイフを蹴り飛ばして胸を踏みつける。足の下で胸骨が折れる小気味いい音がした。
「・・・・・・かはっ」
「ふん。手間をかけさせる」
ごろつき水夫どもが転がる事務局の廊下を俺は抜けていった。
鎖刃剣を置いてきたのは正解だった。でなければごろつきたちを小間切れにしてしまうところだった。
廊下の先で外に出、示された灯台の建つ桟橋へ歩くと、外気は澄んで晴れ渡り、桟橋の足をゆるやかに洗う波音が聞こえた。鼻孔をくすぐる潮の匂いが、遠い異国と自分を薄く繋げているようであった。
よくみると、管理局の職員と思しき男が手に巻紙を握って人々に呼びかけているようだった。
「灯台守より連絡されまして、まもなくサン・アップルトンよりの定期船が入って参ります。ご用のある方はお声をお掛け下さい」
「俺はサン・アップルトンに行くんだが乗り込みはいつになるんだね?」
「私の主人が定期船に乗って帰ってくるのよ。出迎えはしてもいいのよね?」
「私の名義で荷物を運ばせているのだけど受け取りはどうすれば・・・・・・」
遠巻きに見ているとそのように人々がサン・アップルトンからの船を待ち望んでいた。
言われるとなるほど、桟橋の前を塞ぐように延びた堤防の影から、船首の先がそろそろと現れ始めていた。
きっとあれにエメロッテ・レーンは乗っているはずだ。彼女にとっては十年ぶりの故国への上陸になる。うら若い少女が、身につけた学業のほかに何もなく、見一つで帰ってくるのだ。
彼女の境遇を救うことが亡きダミアン・レーンとの友情に応えることになるだろう、と俺はにわかに起こる胸の感情に震えて、船が近づいてくるのを待っていた。
「目標、確認」
「・・・・・・ん?」
桟橋に集まってきた人たちの中にいた俺の耳に、不審な言葉が聞こえた気がした。
「照準まで、後少し・・・・・・」
周りを見渡してみた俺は、そこにいる人たちの中で、明らかに異質な格好の人物がひとり、桟橋の集団の外側に立っていた。
そいつは浅黒い緑に染められた、この爽やかな海辺には似つかわしくないローブに身を包んでいて、フードの下の表情は窺えない。
だがそいつから発せられているものは分かる。それは、殺気だ。
そいつの殺気は今、全容を現した定期船へと向けられているのだ。
振り返れば定期船の方では舷側へ乗客が集まって、桟橋へ向けて手を振っていた。こちらからも手を振る人、声を張り上げて待ち人へ呼びかける人がいる。あの乗客の中に、エメロッテがいるのだろうか。
「目標、照準へ入った。発射」
不穏な殺気を放っている人物が、また怪しい言葉を呟いていた。その時。
対岸に当たる別の桟橋で、誰かが海へ落ちたように見えた。
そうかと思えば、海中へ落ちたと思しき人影は、すさまじい白波を蹴立てながら、定期船の横っ腹めがけて泳ぎだした。
いや、あれは「泳ぐ」なんてのんきな物ではない。まるで敵陣に突っ込んでいく騎馬の如き素早さだ。それに息継ぎらしき挙動も一切ない。
一直線に飛び込んでくる海中の陰に、定期船は気がついていないようだった。
「危ないぞ!」誰かが叫んだ。しかしその声は船には届かなかった。
そしてついに海中を突き進む誰か・・・・・・もはや人とは思われない何かは、定期船に接触する。その瞬間。
喫水から激しい閃光と爆音が轟き、静かな波間が衝撃で砕け散りながら桟橋の上を襲った。
「ああーっ!」
「きゃーっ!」
人々は、まったく無防備な状態でそれらに曝されたことで完全な混乱状態に陥った。桟橋の表面の砕けた礫混じりの波を浴びて疵だらけになった女の叫びに、防波堤へ叩きつけられた男の呻きが聞こえた。
そして俺は、両の足で桟橋を踏みしめて一人、立っていた。周囲に集っていた人々は倒れていた。激しい異常事態の気配が、身体中の血肉を沸騰させているのが分かった。俺の身体に流れるセルジュゲイルの血だ。闘争と危機を知らせる血の衝動、俺がある主、もっとも信頼している感覚が告げていた。
「貴様が、やったな?」
俺は、俺と同じように倒れる人々の中で立っている、あの不穏なローブの人物を見据えて言った。
「標的へ着弾を確認」
「貴様がやったのかと聞いている!」
「第二弾を準備」
「答えんか貴様ぁ!」
俺は一足飛びにローブの人物へ、拳を握って飛びかかった。
だが、俺の拳は空を切って地面を打ち、桟橋にひび割れを増やすだけだった。
ローブの人物はまるで煙のように消えてしまった。奴の立っていた場所に、陰のような黒い染みだけが残っている。
そうしている間にも、激しい攻撃を受けた定期船から危険を知らせる鐘が打たれ、港からは異常事態を告げる甲高い警笛が灯台から鳴らされていた。
傾きかけている定期船からは黒煙が上がっていて、先ほどの攻撃で船内のどこかで火災が起こっているのは明白だった。
そして、さっきローブの人物が言った言葉・・・・・・
「第二弾、とか言ったな。まさかもう一回あれをやるっていうのか」