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プロローグ 旅立ち

「あなたは見栄えもしないし頭でっかちなところがあるから、いい(とつ)ぎなんて期待しないでね」


 なんて、さも身を案じているような素振りで母が言ったものだから、私はその場で、


「これ以上母さんたちに面倒を見てもらうつもりはないから!」


 と言って、荷物をまとめてラボに引っ返した。

 サン・アップルトンのカロリーヌ練金アカデミーの、足かけ七年に渡って通ったこのラボも、今日で見納めかと思うと心にくる物があるわね。


「どうしたメロちゃん、こんな時間まで。また何かの実験かい?」


 見回りしていた守衛のおじさんが一人でラボに残っていた私を見つけた。

 このおじさんは私がアカデミーに入った時から何かと気にかけてくれた。だから私は教えて上げようと思った。


「おじさん、これは実験じゃないの。夜逃げするのよ」

「よ、夜逃げ?」

「そう。今日、実家と喧嘩してきたの。だから学費も止められちゃうし、ラボにいられなくなっちゃうから、荷物をまとめて出て行くことにするわ」


 自分で書きためたレポートや資料をより分けて鞄に詰めながらそういうと、おじさんは胸をなで下ろしたらしい。


「そうかい。私はてっきり誰かと駆け落ちでもするんじゃないかと思ったよ。そういう学生さんはいるからね」

「生憎そういう人はいないわ。私にはこの、ゴーレムだけ」


 そう言って、私はラボの真ん中に立っているゴーレムの背中に鞄を投げ込んだ。


「それじゃあこれからどうするんだい? 行く宛はあるのかい?」

「プリシィアにいくわ。私はもともとあっちの生まれなの。父の友人や親戚がいるから、なんとか援助してもらうわ」

「ふぅん。それじゃあもうメロちゃんには会えなくなるね。寂しいねぇ」


 おじさんはしみじみと言った。


「止めないんですね」

「まぁね。行くという人は止められないものだよ。特に、メロちゃんみたいな気持ちの強い子はね」

「そうかな」

「そうだよ。まぁ、元気でやりな」

「うん。あ、おじさん、この手紙を預かってて」


 懐から出した手紙を渡す。


「これを明日、部屋にくる人に渡して。多分、主任教授が一番最初にくると思うから」


 おじさんは手紙を受け取ると、しっかりとそれを懐にしまい込んだ。

 私は最後に、ラボの天井を覆っているドームの開閉器を回す。巻き取られたチェーンの重さでどんどん動きが鈍くなる。これだけは毎回苦手だ。

 と思っていたら、おじさんが助けてくれた。おかげでなんとかドームを開くことができた。天井がなくなったことでラボの中に風が吹き込んできた。冷たい夜の風だ。


「それじゃ、行くね」

「ああ。元気で暮らしな」

「・・・・・・ここでの生活、楽しかったよ。研究もいっぱいできた。新しいことをいっぱい知ることができた。それに守衛のおじさんも、食堂のおばさんも、購買のおじいさんもいい人だったから」


 私はゴーレムの背中に飛び乗り、小さくあけられたハッチから中に入る。

 『ゴンドラ』と私たちが呼んでいる内部は大の男なら身動きもとれないくらい狭苦しいけど、私にとっては自分の部屋のようにくつろげる広さだ。入り込むと正面にゴーレムの『目』で見た視界が見える。不透明ガラス越しで見るような、緑がかった世界だ。

 私は目の前の(タクト)を掴む。手のひらにすい付くそれを伝って私の意識を読みとり、ゴーレムは動くのだ。

 お゛お゛ん・・・・・・とゴーレムの内蔵が唸った。足の裏と股下にあるエーテル噴射孔から白い蒸気の混じったエーテルが、徐々に圧力を高めて吹き出していくのがわかった。


「下がって!」


 まだ部屋にいる守衛のおじさんに叫び、まもなく、ゴーレムの身体が浮き上がる。瞬く間に速度があがり、身体に重力がかかる。それに耐えている間に私とゴーレムは、ラボの天井から外へ飛び上がって、冷たい風吹く夜空へ飛び上がった。

 ゴーレムの隙間から、ひゅうひゅうと風が吹き込んでくる。そんな中で私はゴーレムの首を巡らせて下を見た。あっというまにラボが小さくなっていく。ラボのあるアカデミーの建物、建物のある街区、街区のある首都アップルトン、首都から四方に延びる街道、曲がりくねった道の先の丘、その丘の陰に見える小さな村、田舎の村を望む貴族の別宅の立つ小さな山なんかが過ぎ去っていく。

 私は次に空を見た。人の気配が遠ざかるほど、月と星の光がはっきりと見えるようになって、私の心は、この小さな身体を飛び出して広がっていくような、そんな開放感で満たされていた。

 この、冷たく固いゴーレムの中に収まって跳ぶ小さな私が目指す、もっと広くて、暖かい場所が待っている。

 空を飛んでいる私は、そんな稚い気持ちでその時、満たされていた。


 

「ドリジャール・セルジュゲイル様へ。

 このようなお手紙をお送りして、ご無礼をお許し下さい。

 かつて私の父、ダミアン・レーンの存命の頃、格別の厚意を示して下さった貴方様へ、このような手紙を送るのは心苦しいことでございます。

 しかし、私の現状は大変厳しく、かつてのようなご厚意を賜りたく、お手紙をお送りしす・・・・・・

 

 前夫の子として今の家に身の置き所のない私は、生まれた国であるプリシィアに帰りたく思います。

 ついては、私の後見としてそのお名前をお貸しくれますことを、重ねてお願いします・・・・・・」

 

「わかった。会おう。帰ってきなさい」


 

 何度も読み返した手紙を大事に畳んで、私は懐に納めた。

 何度呼んでも、その簡潔な文字の中に、ドリジャール・セルジュゲイルという人の、明朗で、力強い意志が感じられ、私の心は熱く胸打ってしまう。

 いけないわ、エメロッテ。ドリジャール卿は確か、御年35歳。真っ当な貴族なら当然奥様やご子息がおられる身分。変な心得違いしては相手にも迷惑というもの。

 それでも私の脳裏には、サン・アップルトンへ渡る前、父を訪ねて参った彼の、凛々しく優しいお姿が浮かんでくる。

 ふぅ、と何度目かわからないため息をつき、私は自分が身を置いている船室から出る。気分を変えるために外の空気が吸いたい。

 かすかな船体の軋みが聞こえた。船の腹が波に洗われている匂いもあった。幼い頃、同じような船に乗ってこの海を越えた記憶がある。

 急峻(きゅうしゅん)な階段を這うように上り、甲板に降りた。私以外にも何組もの渡航者がおり、彼らのほぼ全員が外に出ていた。他にも航行に専心する水夫たちがあちこちに立ち働いている。


「失礼ですが、レディ」


 ふと、私のそばに身なりのよい紳士が立っていた。襟に巻かれたスカーフに碇のバッジが留められている。


「この船の航海士をしているものです。本日は旅行者の皆様に、境界を通る瞬間を紹介すべく、甲板におります。部屋番号とお名前をお教え願えますか」

「106号室のエメロッテ・レーンです」

「エメロッテ・・・・・・ああ、はい。ゴーレムで入船された人ですね! あれは驚きました」


 騎乗式ゴーレムはアップルトンで生まれた最新の魔術で、まだ出回っている数も少ない。船に乗せるのも一苦労で、今は船倉の片隅でうずくまるように置かれている。


「実は私、これでも魔術師の勉強をしているものでして、あれにはとても興味があります」

「はあ」

「ですので、その、できれば間近で見学させて貰えればうれしいのですが・・・・・・」


 航海士さんの申し出に私は困った。あれには船室に持ち出せないものがたくさん入っているから、他人に近寄られるのは不味いわ。


「ごめんなさい。あのゴーレムは繊細なもので、他の人には触られたくないの」

「・・・・・・そうですか。残念ですが仕方ありませんね」


 航海士さんが肩を落とす。ちょうどその時、船が一際大きな波に当たって揺れた。


「そろそろ境界を通ります。見物なさりたいならもっと前に行かれるといいでしょう」


 促され、私は他の船客に混じって欄干(らんかん)に捕まって海を見た。

 既に陸地は遙か遠く、霞むほども見えない中を進む船に当たる波は、青黒くうねり、白く泡だってもいる。

 舳先の向く先は一面に切れ目なく広がる海洋で、その先に陸地があろうとはまるで思われなかった。

 けれど、次の瞬間、船の舳先が薄い皮膜を突き破るように、ここと別の場所を隔てている空間の縁へめり込むのが見えた。

 おお、と歓声が聞こえる中、船はずんずんと境界にめり込んでいき、やがて欄干に捕まる私たちも船ごと空間へと飲み込まれる。


「うっ」


 『こっち』から『あっち』に入り込む瞬間に、鳩尾(みぞおち)が強く押し込まれるような衝撃を覚え、私は軽く呻いた。空気が重く、呼吸が苦しい。

 微かな目眩(めまい)さえ感じるその瞬間はしかし、ほんの数分のことでしかなかったらしい。

 はっ、と気づけば、既に船は境界を突っ切って、『あっち』にたどり着いていた。空の色、海の色、風の質感、あらゆる物が、さっきまでいた場所とほんの少し違うのが肌でわかった。


「みなさん、境界を渡る瞬間はごらんになりましたか。どなたか具合の悪い方がいればおっしゃって下さい、船医のところまでお連れします」

「本当にこれで境界を渡れたのか」


 欄干にもたれた一人の紳士が聞いた。彼も少しばかり顔色が悪い。


「はい。先ほどまでいたサン・アップルトンのある境界から、プリシィアのある境界へ移動しました。・・・・・・後で詳しい計算はいたしますが、予定では明後日にはプリシィア王国の港湾都市ウータンマスへ到着しますよ」

「おお、そうか。そりゃよかった」


 紳士は胸をなで下ろし、幾ばくか回復を見せる。彼はどうやら境界を超えるのが初めてだったと見えた。

 私は二度目の境界超えになるけど、子供の頃のことだけどよく覚えている。船室で気持ち悪くなって、母のスカートに吐き戻してひどく怒られたからだ。

 あの時の寂しさは結局、サン・アップルトンでの十年間で全て埋まることはなかった。

 だから逆に今、私はプリシィアへの帰還、ドリジャール・セルジュゲイルとの再会に胸が中立っていた。

 既に境界は超えてしまったことが、一層にそのことを思い出させてくれる。


「これから帰る・・・・・・帰ってこれた・・・・・・」


 この海風の先に待っている未来が揚々足るものであること願って、私は暫しの間、風を浴びていた。

 


 けれど前途は揚々とはいかないものね。

 船が沈みそうなんだもの。



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