第七話
見合いの次の日,四葉は早朝から出勤し,大量の玉ねぎの皮をむいていた。
四葉の仕事は給食の調理員,いわゆる「給食のおばちゃん」だ。
高校卒業後,調理師専門学校に通い資格を取得し,今は自宅近くの小学校の給食室に勤めている。
年は23歳とまだ若いが,この職業についてもう3年目だ。
なので朝早くからの作業も慣れたものだが,どうにも昨日の桂木とのことが頭から離れず,いまいちいつものペースにのれていない。
(周りからはいつも通りのスピードで仕上げているように見えている)
あのあと,驚きのあまり四葉が動けないでいたら,ちょうど叔父と仲人が二人の様子を見に来てくれて,様子のおかしい四葉を心配した叔父からの提案でその場でお見合いはお開きとなった。
桂木も仕事の合間を縫ってきたらしく忙しなく戻っていった。
帰りの車の中で叔父に色々と聞かれたが,頭が混乱してそれすらもあまり覚えていない。
適当な相槌を打っていたからまた今日にでも叔父から着信があるだろう。
そう思うと憂鬱な気分になって,ついに四葉は包丁を持つ手を止めてしまった。
そして洗い桶の中に大量に浮かぶ玉ねぎを見て思い出した。
(そういえば私のことは調べたって言っていた…)
四葉が記憶している一番小さい頃の思い出は,4歳か5歳ぐらいの時で,確か公園から帰る途中の,ある家の前のものだ。
お母さんらしき人の鼻歌が聞こえ,良い匂いがする。ここのお家は今日カレーなんだな。
(いいなあ、カレー。うちも今日カレーじゃないかなあ)
と思って四葉が古びれた団地の一室に急いで帰ると,テーブルには菓子パンが一つのっているだけ。
家の中はしんと静まり,スナックに勤める母親の姿はすでにない。
それが四葉のいつもの日常だった。父親は物心ついた時には亡くなっており,母親と慎ましい二人暮らし。幼稚園にも保育園にも通っておらず,夜職の母親が寝ている日中は,母親を起こさないようにほとんど外で過ごしていた。
かといって公園に行っても同じ年ごろの子がいないので,一人で遊ぶことが多かった。
その日常が壊れたのは小学校一年生の時だった。ある日四葉が学校に行っている間に母親がいなくなったのだ。
そのことがわかるとその日はまず教室から出され,なぜか校長室に通された。
そして隣の職員室で先生がてんやわんやしている様子などを伺っているうちに夕方になり,初めて会う自分の祖父母だと名乗る人が迎えに来たのだ。
(お母さんがいなくなってから、16年…?。私の記憶もあいまいだし、おじいちゃんおばあちゃんももう亡くなって…。お母さんの行方を調べるのも難しいと思ってた)
しかし昨日の桂木の言葉には自信が含まれていた。日本有数のお金持ちの家には何か頼りになるネットワークでもあるのだろうか。
(そうだ、私のことを調べたっていうのは、最近お母さんのことを探し始めたことも調べた、ていうことかもしれない)
桂木は四葉のことをどこまで知っているのだろう。昨日不意に桂木が見せた冷たい横顔が四葉の脳裏に蘇る。
(怖い…でも少しでも可能性があるなら……賭けてみたい)
お昼の休憩時間に四葉は以前もらった名刺を握りしめ,スマートフォンで電話をかけた。
そうして桂木と四葉の偽装の恋人関係が始まったのである。
玉ねぎを見て思い出したっていうのは桂木のことではなく、カレーのことです…。