第三話
「あら桂木様、笑い事ではありませんのよ!」
桂木の快活な笑い声から一拍置いて,今度は玲の少し怒った声が聞こえてきて,四葉は一度このテーブルを離れた理由を思い出した。
再会した当初は例のパーティーの件で何度もお礼の言葉を口にしていた玲だが,四葉が自分を顧みず後先考えない行動に出たことが分かると,まるでクラスのやんちゃ坊主を叱る教師のように小言を並べだしたのだ。
もちろん四葉のことを思ってのことだったが…居心地の悪さを感じ,「さっき食べたキッシュが美味しかったから是非食べて欲しい」と適当なことを言ってその場から逃げたのだった。
玲はアイドルのように可愛らしい外見をしているが,常日頃厳しく育てられているのか自分だけではなく他人の言動にまで厳しいようだ。
またこのお説教が始まるのか,と四葉が眉を寄せた時,いまだ笑いの余韻で体を震わせていた桂木と目が合った。
琥珀色に近い茶色の瞳が少し涙ぐんで,余計な艶っぽさを発している。
(どちらかというとたれ目なんだけど、なんか高級な猫みたいな人だな)
そう思うと茶色の柔らかそうな髪の毛も上等な毛皮のようだ。
玲が四葉に向き直ったが,四葉は桂木の瞳からまだ目が離せない。
桂木の方も四葉のあどけなく,丸っこい黒い瞳を見つめ返して来る。そして何かを悟ったかのようにふっとまた笑った。
「助けていただいたことは感謝しておりますが、淑女としては…」
「まあまあ、玲さんもその辺にしてあげましょう?これではあなたの感謝の気持ちが彼女にちゃんと伝わりませんよ。結果として全て丸く収まったことですし。」
そうなのだ。あの時四葉が急に滑り込んできたことで完全に場はしらけ,酔っ払いの男も騒ぎに気付いて(玲が驚きで悲鳴をあげたので)庭に降りてきた人込みに紛れていつの間にかいなくなってしまった。
そんな行動をとるようでは男もたいした人物ではなかったのだろう。
しかしあのような社交の場で男と揉めたとなると後々の評判にもかかわるので,四葉の行動に随分玲は助けられたのだ。
「そ、それはそうですが…」
玲が口ごもった時,桂木の上着から振動音が聞こえた。
「これは失礼、会社からだ。まったく野暮なやつらばかりで…。残念ですけれども僕はお先に。玲さん、お父様によろしくお伝えください」
さほど急いでいる風もなく優雅に立ち上がった桂木は玲に別れの挨拶をし,そして四葉に
「それと君は…今度は怪我したらすぐ治療しなさい。跡でも残ったら大変だから」と言って去っていった。
その言葉で四葉はああ!と思い出した。
そうだ、件のパーティーの時,足をすりむいた四葉をサッと抱き起し,近くの椅子に座らせ「救急箱を持ってくる」と言って颯爽と駆けていった人がいた。
暗くて顔がよく見えなかったし,騒ぎの中心に四葉がいると叔父に知られたら困るのでこっそりその場から逃げ出したから,その親切な人にお礼も言えてなかった。
あの場で玲を諭してくれたことを含めて,ちゃんと桂木にお礼を言えば良かった…とその日の事を何度か思い返していた四葉であったが,意外にもその機会はそう間をおかず訪れた。
叔父の八木 高志の元に,ある大口の取引先を通して桂木家よりお見合いの話が舞い込んだのだ。