さすらいの聖女は誰も信じない
本当は長編にするつもりだったので、説明不足のところがあるかと思います。ご容赦下さい…
「お兄様の鬼ー!禿げろ!」
ボサボサの髪を振り乱し、悪鬼の如く凶悪な表情でそう叫んだメリルの顔に、トドメと言わんばかりに飾り気のない布袋が投げつけられた。
「べふっ」
間抜けな声を上げてひっくり返ったメリルは空を仰ぐと、もう一度大きな声で叫ぶ。
「お兄様のバカやろー!」
***
メリルの世界が一変したは半年前。
それまでメリルは第一王子の婚約者で、数少ない光属性の魔力を持つ神官として慈善活動を行っていた。
金髪にグリーンアイズの整った容姿から『ローベル伯爵家の天使』とまで言われ、年頃の娘の憧れの的、社交界中の男性を魅了する存在になっていた。
メリルは自分は恵まれた人間であると自覚し、持てる者としての義務を果たそうと心に決めて、日々慈善活動や社交活動に取り組んでいた。
それが勘違いだと気づいたのは、隣国へ嫁いだ姉が里帰りしてきたことがきっかけだった。
姉のライラは子供の頃から真面目で大人しく、手がかからないため両親から放置されて、その割に『姉なんだから』とさまざまな面倒ごとを押し付けられてきたらしい。
嫁ぐ前は引っ込み思案でどこか暗く見えたライラは、嫁ぎ先の使用人のセンスが良かったのか、はたまた恋の力か、里帰りしてきた時には一気に垢抜けて輝いて見えた。
里帰りしたライラが夫のミュラー侯爵とパーティに出れば、娘たちはその姿に憧れの視線を送り、男性たちはなんとかライラと踊ろうと必死になっていた。
(お姉様が嫁ぐ前は気にも留めてなかったくせに、心変わりが早いわね)
メリルは内心呆れていたが、ライラを妬んではいなかった。
しかし、事態はそれだけで留まらなかった。
ライラには精霊使の力があることが判明したのである。
精霊使とは建国神話に出てくるほとんど幻の存在で、精霊の力を借りることでほぼ万能に近い力を得る。精霊は一体で魔力を持つ人間の100倍近い力を持つので、数多の精霊を操れる精霊使は世界を支配するとも言われている。
「愚か者!なぜ、ライラを隣国に渡した!」
「陛下より隣国との繋がりを強化するよう命じられたので…」
「ならば、メリルを嫁がせれば良かったであろう!光の魔法など希少なだけで何の役にも立たん」
祖父は両親に怒鳴り込みにやってきた。
「なぜ、ライラを第一王子の婚約者にしなかった?あれほど優秀な娘なのに。メリルは未だ妃教育を終えていないそうじゃないか」
温厚な陛下も苛立ちを見せた。
「メリル様、神官長がライラ様を聖女として迎え入れたいと仰っています。どうか口利きを」
神殿もライラを欲しがった。
「私の初恋はライラだよ。本当はライラと婚約したかったんだ」
婚約者はメリルとの婚約を嫌がっていたことが分かった。
「メリルが、あの子が光の魔力さえ持っていなければ、ライラのことを気にかけてあげれたのに…」
母親にまで能力を否定された。
「お前、本当にライラの妹か?姉の夫に媚びて恥ずかしくはないのか」
家族になるのだからと愛想よく接したミュラー侯爵には嘲笑された。
「何が『ローベル伯爵家の天使』よ。ライラ様を虐めてたらしいわよ」
「前々から苦手だったのよね。なんか笑顔が嘘っぽいっていうか」
「私も、嫌々仲良くしてたのよ」
友人だと思っていた子たちの陰口を聞いた。
「私はライラ様に拾われたあの日から、ずっとライラ様にお仕えしようと心に決めていました」
信頼していた侍女が本当に仕えたかったのはライラだと目の前で言われた。
(なんで…光の魔力は素晴らしい力だってお父様もお母様も陛下も仰ってた。妃教育は順調だって王妃様は微笑んで下さった。私と婚約できて嬉しいって殿下は仰ってた。ゆくゆくは聖女になるよう期待してるって神官長は激励して下さった。私と友達になれて嬉しいって皆言ってた。いつもそばに居て私を支えてくれていた…それは、全部嘘だったの?)
ほんの一月の間に味方だと思っていた人が全て敵になった。神様の恩恵だと思っていた力がゴミ屑だと知った。
(ずっと騙されていたんだ)
人の心は変わるという言葉だけでは受け止められない現実にメリルの思考は明後日の方向に舵を切る。
(私を持ち上げて、甘い言葉を囁いて、期待させて、絶望させるのを楽しんでいたんだ。私が調子に乗るのを陰で笑ってたんだ。私が裏切られて傷つくのをずっと待っていたんだ…)
メリルは妃教育の遅れを理由に婚約解消され、神殿からは醜い嫉妬に駆られてライラを聖女に推薦しなかった(本当はライラに断られたのだが)として破門を言い渡された。
(私は愚かで大した力も持たない、世界のゴミなんだ)
すっかり自信とやる気を失ったメリルは部屋に引きこもってしまった。
メリルが引きこもっている間に、精霊使を隣国に渡してしまった責任を取って父は当主の座を降り、ライラを苦しめていたことを後悔して心を病んだ母親と共に田舎で静養することになった。
父の代わりに当主に就いたのは兄のリオで、王家よりメリルの妃教育にかかった借金の返済と、第一王子に新しい婚約者ができるまで後ろ盾をする義務を負わされて必死に働いていた。
そんな中で面倒ごとを背負わされる元凶となったメリルが部屋に引きこもってばかりで、ろくに働くことも新しい嫁ぎ先を探すこともしないのだ。最初の頃は妹を憐れんで口出ししなかったが、半年が経つ頃には我慢の限界が訪れた。
「メリル、いい加減に出てこい」
リオがメリルの部屋の戸を叩くが物音ひとつ聞こえない。
「いつまでタダ飯喰いを続ける気だ。社交界に出て嫁ぎ先を探せ、それが嫌なら見合いを受けろ」
「…私みたいなゴミ屑に嫁ぎ先なんてあるわけありません」
リオはイライラしたように頭をかいた。
「お前は見た目は良いし、光の魔力もある。多少評判が低くとも貰い手はあるだろう」
「そんな言葉には二度と騙されません。私は自分の無価値さをとうに分かっているのです」
先月は2回、今月に入ってからは5回ほどこのやりとりを繰り返している。
リオの堪忍袋は破裂寸前だった。
「だったら働いて稼ぐ気は無いのか?うちの状況は分かっているだろ?」
「私なんかが働いても負債を増やすだけです」
リオの堪忍袋はついに破裂した。
バンと大きな音を立てて扉が開く。
中にいたメリルはボサボサ頭の隙間から乾き切った緑色の瞳を見開いて固まっていた。
「そんなに自分を責めたきゃ八祠参旅にでも行ってこい!終わるまで帰ってくんな!」
ペイッと玄関からメリルが叩き出された所でようやく冒頭に戻る。
「お兄様のバカやろー!」
ひっくり返ったまま、しばらく空を見上げていたメリルだが、すぐにうつ伏せになる。
「太陽…眩しい…無理」
引きこもって半年、久々に浴びた日の光はメリルには耐え難いものだった。
そのままノロノロとリオが投げつけてきた袋を開ける。中には水筒が一本、手拭いが二枚、銀貨が三枚、ナイフが一本、火打石が一組だけ入っていた。
「うわ…これ本当に八祠参旅のセットだ」
八祠参旅とはある有名な神官が自らの罪を洗い流すために行ったもので、必要最低限の装備だけを持ち、馬は使わずに徒歩で、建国神話に由来する八つの祠に参拝するというかなりキツめの旅のことである。おまけにその八つの祠というのが国の八方向に散らばっており、山の上にあったり、干潮の時にしか渡れない島の上にあったりするので旅は過酷を極める。
「ここまで用意されてるってことは、兄様は最初から私を旅に行かせるつもりだったのね」
こうなってはもうリオが考えを覆すことはないだろう。リオの頑固さをよく知るメリルは諦めて立ち上がる。
「っていうか、着替えくらいさせてよ」
寝巻きのまま放り出されたメリルが最初にしなければまたならないのは、動きやすい服と靴を買うことだった。
***
屋敷から一番近い古着屋で、寝巻きを売ったメリルは同じ店で通気性の良さそうなシャツと履きやすくて頑丈そうなズボンを手に入れた。
シャツは丈が長め、濃紺の生地の襟元に白い刺繍が施されているもので、シンプルだがなかなか可愛らしいデザインにメリルは満足げに頷いた。
寝巻きの素材が絹だったためか思った以上に高値で売れたので、ついでに外套も買うことができた。外套を羽織り、靴屋で買った焦茶のショートブーツを履けばなかなか立派な旅人の完成だ。
相変わらず髪はボサボサで顔もほとんど見えないので、いくら服が可愛い旅人でもぱっと見は不審者でしかないのだが、どうせ馬車にも乗れない一人旅なのでメリルはそこを直す気はなかった。
「可愛いお嬢さん、旅のお守りはいかがかね?」
街の出口で怪しげなお守りを売る男が声をかけてくると、メリルは途端に不機嫌になって答えた。
「私を見て可愛いって言うなんて、騙して高いものでも売りつけるつもりでしょ。そうじゃなきゃ、頭か目の医者に行きなさい」
フンと鼻で笑ってその場を去るメリル。
まさに高いお守りを売りつけようとしていた男は苦々しい顔で「お気をつけてー」とメリルを送り出した。
***
まずメリルが目指したは隣国との境の森の中にある祠である。
自意識過剰な勘違いでメリルを嘲笑ったミュラー侯爵がいる隣国など近づきたくもないのだが、だからこそ、嫌なことは先に済ませようと思ったのだ。
貴族の令嬢として育った上に、ここ半年は家から一歩も出ていなかったメリルが歩ける距離はたかが知れていた。最初は1日かけてやっと隣町につくペースだったが、光の魔法による自己治癒で足の痛みを治して毎日歩いているうちにメリルはどんどん健脚になっていった。
1日で三つの街を通り過ぎれるようになった頃、ようやく森の入り口に繋がる街に着くことができた。
その街の名前はコルメといって、隣国と行き来する人が立ち寄るのに便利な宿場町だ。
3年ほど前にメリルが訪れた時はのんびりとした印象の街だったが、今は人通りが多くかなり賑わっている様子だった。
(…早く立ち去ろう)
その賑わいが良いものではないと勘づいたメリルは水と食料だけ手に入れて次の街に向かうことを決める。
「え、お嬢ちゃん今から街を出ていくのかい?もう日も沈むし危ないよ!」
水売りが大袈裟に驚いた。
「コルメは宿場町だ。悪いことは言わないから泊まっていきな」
「宿場町、ねえ?」
意味深に口元を吊り上げたメリルに水売りは苦笑した。
「アンタみたいなお嬢ちゃんにもわかっちゃうんだな。それとも怖いお兄さんにでも声かけられたかい?」
「まさか、私みたいなの店に入れてもなんの利益にもならないよ」
見た目はそのままでも、宿場町コルメは花街に内側を変えたらしい。
道行く人々がギラギラした欲望を目に宿す者と、諦めを映す乾いた瞳の者に別れているのは、それだけが理由ではなさそうだが。
水売りは別に勧誘目的ではなかったらしく、水を渡すとあっさりメリルを送り出した。
「聖女様!」
メリルは足速に街の出口へと歩き出す。いよいよ日が暮れてきたので、ぼさっとしていると勧誘やら酔っぱらいやらに絡まれる可能性があるからだ。
「お待ちください!聖女様」
誰かが聖女を呼ぶ声を聞いてメリルは首を傾げる。ライラが聖女を辞退した後、神殿から破門を言い渡されたので何も知らなかったが、新しい聖女が決まったのだろうか。
「聖女様!」
グンと腕を引かれてメリルは瞬きをした。
ここまでの旅で脚力も体幹も鍛えられたメリルは腕を引かれたぐらいではよろけないので、引っ張った方の相手が転びそうになる。
「あの、大丈夫?」
「はい。ああ、やはり聖女様ですね!」
「いや違うけど」
メリルを聖女だと間違って呼び止めたのは、ライラと同じ年頃の粗末な服を着た青年だった。
「ええ?でも3年ほど前に神官見習いとしてコルメに来られてた方ですよね?」
「そうだけど、その後訳あって破門された」
「ええ!」
青年が口をぽかんと開けて立ち尽くす。そして、そのまま体を震わせたかと思うと泣き出した。
「そ、そんな…聖女様…なんとおいたわしい」
「ちょっと、泣き止んで下さい!私が泣かせてるみたいじゃない」
「も、申し訳…」
「ああ、もう!」
メリルは青年を引っ張って露天の天幕に入った。
「いらっしゃい!ご注文は?」
「お腹に溜まるやつ2人前!」
天幕の中は食事処だったので、適当な席に青年を押し込んだメリルはそのまま適当に注文を済ませる。
「お待たせしましたー!トマトとチキンのリゾット2人前です!」
料理が運ばれてくることになって、青年はようやく泣き止んだ。青年の名はリュカといって、この街の神殿が営んでいる孤児院で育ったらしい。
「なぜ、聖女様は破門されてしまったのですか?」
「私は聖女じゃないし、聖女だったこともない。やっぱり人違いじゃない?」
「確かに、私は目が不自由ですがその代わり相手の魔力を感じることができるのです。貴女は3年前神殿にいらした方で間違いありません。その時、コルメの神官殿が貴女を次期聖女だと言っていたのを聞いたのです。それで、最近ようやく聖女様が就任なされたという噂を聞いて、きっとリル様が聖女になったのだと…」
メリルは旅先で名乗る時は『リル』という偽名を使うことにしている。王家やミュラー侯爵に変ないちゃもんをつけられたくないからである。
「破門された理由は言えないけど、聖女を探してるんならそれこそコルメの神官に聞けばいいのでは?」
「それが…」
メリルは話を聞きながらも着々とリゾットを食べすすめていく。
「お客さん!こちら、サービスのワインです」
店員がメリルたちの前に、小ぶりなグラスに入ったワインを置いていく。
(相手の年齢見て出しなよ…それとも、飲んだ瞬間に『子供のくせに何してる!』って捕まえて罰金でも取ろってつもり?)
「リル様、飲んではいけません」
分かっているとメリルが返す前に、リュカは声を顰めて言葉を続けた。
「これには麻薬が入っています」
「マヤクって何?」
やさぐれたとはいえメリルは生粋の貴族令嬢。おまけに、礼儀作法やら神代文字やらの勉強ばかりしてきたので麻薬の存在すら知らなかったのだ。
「え、えーと。簡単に言いますと、一度飲めば飲まずには生きられなくなってしまう、恐ろしい毒です」
「なるほど、一回コレを出せばまた飲みたくなって客が来るって訳ね」
サクッと下衆な商売方法を思いつくメリルに軽く引きつつ、リュカは話を続けた。
「実は、コルメがおかしくなったのはこの麻薬のせいなんです」
リュカの説明によると、半年ほど前コルメに越してきたとある金持ちが娼館を立てたらしい。コルメは穏やかな宿場町だったため、娼館には難色を示す住人が多く、旅人たちにも悪い評判を流して客が行かないようにしていた。それに腹を立てた娼館の主人モリスは『一度腹を割って話し合おう』とコルメの顔役となっている男たちを娼館に招いた。帰ってきた男たちはその日から度々娼館に通うようになり、ついには毎日入り浸るようになってしまった。
その原因を調べるために娼館に向かった者たちも同じようになり、ついには領主や神官まで娼館には通わないものの、モリスを擁護するようになってしまった。
こうなってしまえば、旅人たちにも娼館の噂は広がり、面白半分や怖いもの見たさで娼館に行く旅人たちのおかげで娼館は大繁盛し、ついに二号店、三号店までできる始末である。人手が足りなくなった娼館は住人の女たちを雇うようになり、ついにコルメはモリスの思うがままに呑み込まれてしまったそうだ。
「先日その娼館から逃げてきた女性が神殿に助けを求めに来たのですが、彼女は麻薬による中毒症状が出ていました。そこでようやく、なぜ人々が娼館に逆らえなくなったのか分かったのです」
(やっぱりここに泊まらないことにして正解だったみたい)
メリルは空になったリゾットの皿を満足げに眺めて頷いた。
「事情はわかったわ。教えてくれてありがとう。一刻も早くこんな街からは出ていくね」
「え、そうなります?」
一瞬驚いて固まったリュカだが、彼は馬鹿ではなかった。
「すいません!季節のシャーベット二つ!」
帰り支度をしていたメリルは大人しく席に着いた。
「私が聖女様を探していたのは、この街を救っていただくためなのです」
「それ、聖女の仕事じゃなくない?」
「人々の心の汚れを払うのは聖女様の存在意義でしょう」
そういえばそんなことが聖典に書いてあったなあとメリルは思い出した。
「でも、私は聖女じゃないし、新しい聖女様が誰かも知らないから」
力になれなくてごめんねーと軽く謝りながら、メリルは美味しそうにぶどうのシャーベットを頬張った。
「ですが、貴女の神聖な魔法ならモリスの邪悪な心も浄化できるはずです」
メリルはリュカをジロリと睨んだ。
「何?煽てて良いように働いてもらおうってつもり?言っとくけど、私は自分の力の矮小さを嫌ってほど理解してるから。その手には乗らないよ」
リュカはしゅんと肩を落とした。
「そんなつもりではなかったのですが…。不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。もうお引き止めいたしません」
メリルは「不快ってほどじゃなかったけど…」と呟いたが、さっさとこの街を去るチャンスだと荷物を持って立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってもらおうか」
いつの間にか背後に立っていた男に肩を掴まれ、不機嫌そうに振り向いたメリルの口を男は白い布で覆う。
何かの薬を嗅がされたらしいメリルはその場で気を失った。
***
「…あー、よく寝た」
メリルが目を覚ましたのは、薄暗い部屋の中。
(あれ、何があったんだっけ?)
自分が誘拐されているという状況をよく理解していないメリルは首を傾げた。
周りにはメリル以外にも若い女の子が10人ほどいる。
メリルを攫ったのはモリスの部下で、麻薬のことを知ってしまったリュカとメリルを排除するために攫ったのだ。『酷いボサボサ頭だが、金髪は珍しい。女は薬漬けにして商品にしろ』というモリスの言葉により、メリルは家族の借金や、自分が薬にハマってしまったという理由で『商品』になろうとしている女性たちと同じ部屋に入れられた。
(あれ?私の荷物は?)
自分の全財産(といっても銅貨十数枚だが)が入った布袋がなくなっていることに気づき、メリルは慌てて辺りを見回す。
「あのー、私がここに入れられた時、布の袋も一緒に入れられてませんでしたか?」
「いいえ。貴女もモリスの部下に捕まったんでしょ?それなら金目のものは全部没収されてるはずよ」
メリルの一番近くにいた少し年上の女性に尋ねると、女性は淡々と答えてくれた。
「それってつまり、泥棒「あ、うわああああ!」
突然部屋の隅にいた女性が苦しみ始める。
周りにいた女性たちは恐れ切った様子で後退りをした。
(ああ、例の中毒患者か)
メリルは女性の方へ歩いていくと、暴れてのたうち回る女性の上に馬乗りになって動きを封じた。メリルが女性の額に手をかざすと金色の光が優しく女性を包む。
(完全に解毒するには時間が必要みたいね。それに、いっちゃった精神の方はもっと時間をかけないと…)
やがて光が消えると、女性は穏やかな表情を浮かべて静かに寝息を立てていた。
「あなた、一体…」
最初にメリルが話しかけた女性が驚いて立ち上がる。
「な、治せるの?私も治して!苦しいの、このままじゃ…」
「私も!私も助けて!」
その部屋にいた中毒者らしい2人の女性がメリルの腕を掴む。
「分かったから、静かにして。あと、そこのお姉さんモリスって奴がどこにいるか知ってる?」
メリルは右手と左手をそれぞれ女性の額にかざして、魔法による治療を行いながらモリスのことを口にした女性に話を聞いた。
「ここはモリスの娼館の地下よ。モリスがいるとしたら娼館の北にある離れだと思う。『お気に入り』をそこに連れて行くのが彼の日課らしいから」
「詳しいね」
女性は肩をすくめた。
「私の恋人だった男がここの娼館にどっぷりはまり込んで借金まみれになったのよ。彼が惚れた女はモリスの『お気に入り』だったそうよ」
なるほどとメリルは納得した。彼女が他の女性たちに比べて悲しんでいる様子も怯えた様子もないのは怒りで腹が座っているからなのだろう。モリスへではなく、恋人への怒りで。
(どうやってここを出よう?)
他の女性たちが逃げようとしていないということは、当然部屋の周りには監視がいるのだろう。
上の階に上がっても周りは敵だらけのはずだ。
「そっか、もういいんだった」
『神官は無闇矢鱈に力を使ってはならない』というのは見習い時代から叩き込まれてきた神殿の教えた。それはそうだろう、神官は神に使える者、その力は神の物であって神の意志によって振るわれなければならないのだ。
(私はもう、神官じゃない)
メリルは手を組んで祈り始めると、聞き覚えのない奇妙な言葉の羅列に女性たちは困惑し始めたが、辺りに不思議な力が充満していくことに気づき生唾を飲み込んだ。
祈りが終わり、メリルが目を開くとその緑色の瞳には金色の星が宿っていた。
呆気にとられる女性たちの全身に悪寒が走る。
「堕ちろ」
歌うように告げたのは、天使か、悪魔か。
ドンと爆発音がしたかと思うと、天井が木っ端微塵に砕けた。正確には、地下室の上に建っていた娼館そのものが砕け散ったのだ。
「爆撃?」
自分でそう口にしながら、女性はこれは全くの別物だとすぐに気づく。上階から降り注ぐはずの瓦礫が全く降ってこないのだ。それどころか、自分達の上にあった天井でさえ、少しの砂埃を降らせただけでまるで存在がなかったかのように消えていた。
上階で事に勤しんでいたらしい客や娼婦たちはあられも無い姿ではあるが、なにか金色の光のようなものに包まれて庭に放り出されていて、怪我などはなさそうだった。
「北極星があっちだから、北はあっち!」
メリルは元気よく星を指差すと駆け去ろうとする。
「待って!これは一体どういうこと?」
「ああ、その人たちは一時的に毒素抜いただけだから。まだ抜ききれてない毒素とか精神的な部分はちゃんと神官に治してもらった方がいいよ」
今度こそメリルは走り去る。
「ええ…?」
女性は何が何だか分からずその場に立ち尽くした。
***
「な、何事だ!」
娼館の主人であるモリスは突如響いた爆音に、慌ててバスローブを身に纏い離れから飛び出した。
バスローブからはよく肥えた腹が見え隠れし、額には脂汗が浮かんでいる。
「しょ、娼館が突如消滅いたしました」
娼館から駆けつけた従業員の一人が青い顔をしてモリスに報告する。
「そんなことは見れば分かる!」
離れからも煌々と輝いて見えるはずのモリスの城は跡形もなく消えている。
(とうとう国の騎士団に目をつけられたか…?しかし、それにしては騎士が攻めてくる様子はない)
モリスが考え込んでいると、離れの方から喧しい足音と共に藁の塊を頭に被せた小柄な人物を先頭に使用人が何人か駆けてくる。
「待て!止まりなさい!」
「ああ、もう、しつこい!」
小柄な人物は足を止めると後ろを振り向き、手を天に翳した。
後ろ姿を見てモリスはようやく藁の塊に見えていたものがひどくボサボサの髪の毛だと気づいた。
ボサボサ頭が聞き覚えのない言葉を唱えると輝く矢のようなものが天から降り注ぎ、追手は慌てて後ずさる。
「これ以上近づいたら、本当に当てるから」
ボサボサ頭は容姿に似合わない可憐な声で吐き捨てるように告げると、モリスの方を振り向いた。
「あんたがモリス?私の持ち物返して」
ボサボサの金髪の隙間から緑色の瞳がギロリと覗く。
「お前、さっき盲目の神官と捕らえた…」
「そうだ。あと、リュカさんも解放して」
「これは立派な犯罪だぞ!去れ!」
モリスの言葉が終わらないうちに黄金の矢がモリスの目の前に突き刺さり、モリスは腰を抜かして座り込んだ。
「コレで脳天貫かれたくなかったら、私の、荷物、返して」
モリスは相手が只者でないことに気づくと近くにいた従業員に渋々命令する。
「裏庭の倉庫に神官を閉じ込めてある。こいつの荷物も取ってこい」
従業員が慌てて走り去るとモリスは震える足で立ち上がるとメリルに向き合った。
「その力、光の魔力の持ち主だろう?やはり神殿の差金か」
「違うよ。リュカさんは神殿の人だけど、私はもう破門されてるから無関係。そっちが手出してこなかったら何もする気なかった」
モリスは思案する。
(この荒んだ様子、そして激しい怒り…上手くすれば取り入れるかもしれん)
メリルが怒っているのは主に荷物が盗まれたからである。
「なあ、その力があってなぜお前はそんな貧しい身なりをしているのだ?」
「は?あんたに関係ある?」
モリスは白豚のような丸っこい顔に同情を浮かべて優しい声でメリルに語りかけた。
「破門されたと言っていたな。きっと何か関係があるんだろう?神殿の者はいつだって理不尽だからな…」
メリルは胡散臭そうにモリスを見る。
「私だって神殿に迫害された者の一人だ。娼館の何が悪い?邪な心がいずれ世界を滅ぼすと言われてしまったよ…。だが、もう大丈夫なんだ。この街にいる限り神殿は私には手出ししてこない」
メリルの瞳に僅かに好奇心が灯ったのをモリスは見逃さなかった。
「君も私のビジネスを手伝わないか?欲しい物はなんでもくれてやる。神殿からも守ってやる。いや、一緒に馬鹿な神殿の連中を破滅に追い込むのはどうだ?」
メリルは口を開いた。
「信用できない。神官の力なら麻薬は浄化できるよ。どうやって神殿を抑え込むの?」
「"精霊"の力さ」
モリスは重要な秘密を伝えるかのようにひっそりと言葉を紡いだ。
「異国の魔術道具で精霊を捉えるものがある。私が所持している"病魔の精"の力で奴らの身内を病にした。生きるも死ぬも私の思うがままという訳だ」
メリルはそこで初めて微笑んだ。
「すごいことを聞いちゃったね。…お返しに、私も秘密を教えてあげる」
ボサボサ頭に不釣り合いな、慈愛に満ちた聖女の微笑み。
「私すごく個人的で理不尽な理由で精霊って大嫌いなんだよね」
モリスは何かを言わなくてはと口を開いた。しかし、その口から言葉が紡がれることはなかった。
「あ…」
メリルの後方の空から放たれた光の矢が正確にモリスの心臓を捉えていたからだ。
モリスがその場に倒れ込むと光の矢は飴細工のように呆気なく砕け散る。
「さあて、私の荷物は…あっ、来た来た」
手首を縄で縛られたリュカを連行してきた従業員は、メリルと目が合うと顔を青くして脱兎の如くその場から逃げ去る。
「なにさ、人を化け物みたいに」
メリルは肩をすくめるとリュカの縄を解き、自分の荷物の中身を確認した。
(うん、何も無くなってないね)
「リル様?一体何が…」
目の見えないリュカだが、魔力の状態でこの場が異常事態なことには気づいていた。
「領主と神官はモリスが持ってる精霊のせいで身内を人質に取られてる。隣国のミュラー侯爵夫人に頼めば治してくれるよ」
「はあ…モリスは一体どうなったのですか?」
地面に倒れ伏したモリスに駆け寄る従業員は一人もいなかった。放置されたままの哀れな男を見てメリルは肩をすくめる。
「自分が心臓射られたと思い込んで、気絶してるんじゃない?私の魔法は人を傷つけられないんだよね」
メリルがリュカを促してそこから去ろうとすると、娼館のあった方が何やら騒がしくなっていた。
流石に様子がおかしいと気付いた領主が騎士たちを派遣し、神殿の者たちも駆けつけたらしい。
「リュカ、お前無事だったのか…一体何が起こったんだ?」
コルメの神殿の責任者である高位神官がリュカに尋ねた。
「私はモリスに捕まってしまって、こちらの聖女様がお助けくださったのです!」
「だから聖女じゃないって!」
神官は訝しげな顔でメリルを見る。
顔を知られている神官だと面倒なのでメリルはそっぽを向いた。
「あ、いた!あなた、さっき中毒者を治してた子よね?お願い、私の夫も治して」
先ほどメリルと一緒に捕まっていた女性のうちの一人がメリルを見つけて声をかけてきた。
「え、それはこの街の神官に頼めば…」
「お願いよ!今にも死んでしまいそうなの」
メリルは面倒くさそうな顔をしながらも、渋々女性についていく。
一人治せばまた一人二人と次々と中毒者の元を連れ回され、街中の中毒者の治療を終えた頃には日付が変わろうとしていた。
「聖女様、本当にありがとうございます」
「だから、私は聖女じゃない…」
流石に疲れたらしいメリルは語気を弱めながらも律儀にツッコミ返す。
「僅かですが、治療代です。受け取ってください」
街の人々を代表して、コルメで一番良い宿の主人がメリルの手に金貨が詰まった袋を握らせた。
「え、いや。お気持ちだけで結構です…」
メリルは全力で首と手を振ったが宿の主人はなお力強くメリルの手に金貨の袋を押し付けた。
「受け取っていただかなければ我々の気が済みません。きっと明日にでも領主様がお見えになって正式なお礼があるはずです。今日はうちの宿に泊まってください。勿論、お代は頂きませんので」
その勢いと人の良さそうな笑顔に負けて「は、はい…」とメリルは頷いたのだった。
こうして、結局メリルはコルメの街に一泊することになったのである。
***
翌日の昼過ぎ、メリルが泊まった部屋を遠慮がちにノックする音が響いた。
「リル様、起きていらっしゃいますか?領主様がお見えなのですが…」
返事がないが、領主を待たせ続ける訳にもいかないので、メリルを呼ぶように頼まれた宿の従業員の少女はゆっくりとドアを開けた。
「失礼いたします…リル様?」
部屋の中はもぬけの空だった。
「だ、旦那様!大変です!」
少女は宿の制服である濃い緑色のスカートを翻して慌てて駆け出した。
「まさか、もう出立されていたとは…」
宿の主人は驚いた様子で部屋の中を見渡し、机の上に見覚えのある袋があることに気付いた。
それは、昨日主人がメリルに手渡した金貨の入った袋だった。
そして、袋のそばに『中毒者の治療に役立てて下さい』と書き置きが残っており、書き置きの上には銅貨が数枚置いてあった。
「まさか、お礼も受け取ってくださらないとは…」
そして日頃の癖で、書き置きの上の硬貨の金額を咄嗟に計算した主人は目を見開いた。
「や、宿代まで…?!」
しばらく固まったまま動かない主人に従業員の少女は恐る恐る声をかける。
「旦那様…?どうしましょう」
主人は震える声を絞り出す。
「さ…」
「さ?」
「さすが聖女様だ!なんと無欲、なんと律儀!ああ、あの方こそ真の聖女様に違いない」
宿代一つで大袈裟なと言う度胸は少女にはなかった。
***
数時間前、宿で5時間程仮眠を取ったメリルは出発の準備を整えていた。
(コルメに泊まったのは完全に予定外だったけど、久々に体を洗えたからよしとするか。すっきりしたなあ)
久々にお湯と石鹸で頭と体を洗えたおかげで、髪はサラサラの指通りを取り戻した金髪を適当に束ねたメリルは鏡を見て満足げに頷く。
それから、胡乱な目で机の上の金貨の袋を眺めた。
(これ、本当にもらって良いのかな…。こんだけのお金があればここから先は野宿しなくて済むし)
しかし、こんな時決まってメリルの脳裏を過ぎるのは半年前に浴びた失望と嘲りと怨嗟の声。
人の好意を信じてはならないと、メリルは深く心に刻み込んでいた。
(いや、これは罠だ。きっとこのお金を私に受け取らせることで、光の魔法を使ってお金儲けする罪人に仕立て上げる気かも…)
メリルは金貨を置いていくことに決めた。
(あ、でも受け取らないとモリスの仲間だって言いがかりつけられるかも…)
そんな訳で適当に清い人っぽい書き置きを残すことにした。
(そもそも、浄化なんて神官なら誰でもできるのにわざわざ私に治療させてこの街に足止めさせるって…もしかしてこの騒動自体何かの罠?)
メリルの浄化は光の魔力のおかげで常人の数十倍の効果があるのだが、自分の力をゴミだと思っているメリルにその自覚はない。
(早くこの街を出ないと…!)
扉を開けようとしたメリルはまた回れ右で部屋に戻る。
(待って、宿代はタダっていうのも罠なんじゃない?食い逃げならぬ泊まり逃げの罪で倍額請求されたりして…)
メリルは宿に入る時に見た宿泊料を思い出し、銅貨を数枚書き置きの上に置く。
(こ、今度こそ…)
ようやく宿を出たメリルは足早にコルメの街を後にしようとして、また回れ右で街に戻る。
(き、昨日の飯屋に飯代置いてこないと…!)
人を信じないというのもなかなか手間がかかるものである。
***
それから数週間後、かつての穏やかな活気を取り戻しつつあるコルメの街にミュラー侯爵夫妻がやってきた。
リュカがメリルから聞いた情報を元に離れを捜索した結果、精霊を閉じ込めている古い魔道具が見つかったのである。
ミュラー侯爵の力で魔道具から精霊を解放し、ライラの力で精霊とコンタクトを取り、無事に領主と神官の家族の病は治ったのだった。
早々に仕事を終えたミュラー侯爵夫妻はコルメの街を散策することにした。
道ゆく人々の明るい笑顔と、街を彩る花々、そして観光客向けの露店。
「あなた、あの露店を見ても良いかしら?」
ライラが指さしたのは女性が営む絵やハガキを売る店だった。
「ああ」
ミュラー侯爵は世の女性たちが思わずうっとりとしてしまうような艶やかな笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ。どうぞ見ていって」
「この街の絵ね。とっても素敵だわ」
ライラの言葉に店主は愛想良く応じる。
「ありがとうございます。旅の思い出にいいでしょう?」
「ええ。一つもらおうかしら…あら、こっちは夜空の絵なのね」
端の方に数枚置かれた小さな額入りの絵にライラは目を細める。
「そっちは半分趣味で描いてるものなんです。スケッチじゃなくて私の想像を絵にしたものも多いですし」
女性の言う通り、夜空を星の馬が走る様子や、女性の瞳の中に星空が描かれているものなど、写実的ではない絵が多い。
「こっちもすごく素敵です。全く新しい構想だわ」
ライラの言葉に女性は悪戯っぽく微笑む。
「実は最近、星の女神様に会ったんですよ。それからどんどん情景が目に浮かぶんです」
「女神様?」
「ええ。私、昔の恋人から借金背負わされて色々人生のどん底にいたんですけど、その女神様が全部吹き飛ばしてくれたんです」
ライラはその女神に興味を持った。
「その女神様の絵はないの?」
「描いたんですけど、神殿に没収…というか超高額で買い取られてしまって」
神殿の祀る神ではないからだろうとライラは考えた。
(神殿のそういうやり方は好きになれないけど…でも国同士の友好を考えたら、やはり聖女の話は受け入れるべきよね)
一度メリル経由で断ったはずの聖女の話が、最近になって国経由でライラに持ち込まれたのだ。
「残念だわ、見てみたかったのに。じゃあ、これとこれをください」
ライラはコルメの街の絵と夜空の絵を一枚ずつ購入した。
「ありがとうございます!」
この絵が生まれる大元のきっかけにはライラの存在があるのだが、そのことを知っているのは空に輝く星々とメリルをよく知るほんの一部の者たちだけであった。
***
ライラがコルメの街で絵を買った数日後、メリルはやっと一つ目の祠に辿り着いた。
一つ目の祠は深い山間にあり、山に入ってから祠に着くまで丸2日かかっていた。人どころか獣すら立ち入らない秘境、そこに一人立つメリルは深く深呼吸をする。
木々の湿った、それでいて爽やかな空気が肺に充満し、風が葉を揺らす音だけが鼓膜を支配する。
メリルは久々に穏やかな気持ちでいた。
祠は岩を削って作られた簡素なものだったが、それでもそこには間違いなく神秘的な力が宿っていた。
試練の先にあるこの静謐な空間が、人々の心を洗い流しているのかもしれない。
メリルは祠の前に跪くと目を瞑り静かに手を握り合わせた。
(どうか…)
この地を最初に訪れた聖人は世界の平和を祈ったという。
(どうかミュラー侯爵が毎日足の小指を家具にぶつけますように!)
やはり、人の心はそう簡単に変わるものではないらしい。
***
メリルが一つ目の祠を参拝している頃、神官長アベルの部屋では彼の側近であるゼノがお茶を入れながらアベルにコルメの件について尋ねていた。
「なぜ、彼女の功績を消してしまわれたのですか?」
中毒患者の救護に悪徳商人の摘発、そして麻薬が国中に蔓延るのを防いだ。これだけの功績があればメリルは神官に復帰できただろう。
しかし、メリルが街を去った後、神殿から騒動を収めるために派遣されたアベルは上手いことコルメの神官や住人たちを丸め込み、この騒動においてメリルの存在を無かったことにした。
彼女の師であるアベルが、可愛がっていた弟子の復帰を望まないはずがないとおもっていたゼノにはその真意が全く分からない。
「あの子の魔法は光の魔法の中でも天の星々を司るものだ。それは私たち人間が、地べたから何百年と空を眺めて手を伸ばして研究し続けてきた成果そのものでもある。それを、神様なんかにくれてやるのは勿体無いだろう?」
神官とは思えない不遜な言葉にゼノは驚きと呆れで口を開けたまま固まった。
「それに、見てごらん。神官なんかしてるより、ずっと楽しそうじゃないか」
メリルに助けられたと言う女性が描いた、天を指差し高らからに笑う少女の絵姿を見て、アベルは嬉しそうに微笑んだ。