06.お願いごとの決定
一年後、学園の中等課程に進んだ。
十三歳のアドリーヌは、審判の時まで後三年程となる。
……限りなく十五に近い十六なのか、十七に近い十六なのかでだいぶ開きがあるが……準備は早目・確実にを心がけた方が良いであろう。
毎日忙しくはあるが、執務……の手伝いもだいぶ手慣れて来た。
何かがあってからでは学園にも通えないかもしれないと考え、学則を見ると飛び級制度がある事が判明し、教師に確認をした。
卒業資格をとったからと言って役に立つかは解らないけど、無くて困る事はあっても、あって困る事は無いだろう。
いや、資格を取ってもそれが認められる立場ではなくなっているかもしれないが、知識自体は残るであろうと考える。
王太子妃教育等に力を入れたいので、なるべく早く卒業したいと理由をでっちあげ、中等教育課程と高等教育課程の同時履修をする事になった。
座学はともかく、実技試験は高等教育課程の人と一緒に受けるのだが。
王子の従兄弟である三歳年上の公爵家子息のルーカスが、色々と気遣ってくれる事が増えた。
王弟の息子である彼が王城に出入りする事は自由であるので、クリストファーが席を外しひとり待ちぼうけをするお茶会に、偶然を装って同席し、話し相手になってくれる事が増えた。
高等教育課程で行われた授業のノートを貸してくれたり、ご令嬢に遠巻きにされ実技で組む人が居ない時にパートナーを務めてくれたりもする。
有難い事だ。
彼は高位貴族にありがちな傲慢さが少ない、紳士な少年だ。
ルーカスは頑張り屋な『従兄弟の婚約者』の状況を知り、心を痛めているようだった……
魔人は話を聞くと、微妙そうな表情でアドリーヌに確認する。
「……その、クリストファーをやめてルーカスって方と婚約すればいいんじゃないのか?」
そう、あの日から丁度一年後の夜に、再び煙をもくもくさせながら紫色の魔人が現れたのであった。
――あの夜の不思議な出来事は、決して夢ではなかったのである。
「婚約は、基本こちらからは破棄出来ません。それにルーカス様にも婚約者が内々に決まっている筈です。割って入るつもりは無いですし、わたくしは新しいわたくしになって、イキイキと自分の人生を生きたいのです」
「ふーん」
力強く答えるアドリーヌを一瞥すると、可哀想に、と小さく呟いた。
「で、願い事は決まったんだ?」
「はい。『新しい私』です」
ふんす、と鼻息荒いアドリーヌと、微かに首を傾げる魔人。
新しい私、とな。
「……それは具体的にどんなんだ? 『婚約破棄をして新しい人生を歩く』『違う人に成り代わる人生を送る』『希望の仕事などに就く』『自分の考え的に、新しい自分とする』……etc」
魔人に改めて確認され、アドリーヌは考える。
「もうひとりの『本当の私』の人生というか、ちゃんとした身元……戸籍が欲しいです」
戸籍?
……魔人は微妙な表情をした。
「うーん。でも、戸籍って金を積みさえすりゃあ買えるだろ?」
アドリーヌも聞いた事がある。お金に困った人が、自分の戸籍を売る事があるそうだ。またそういう様々な違法な物を売っている場所があるのだという。
何処にあるのかは解らないが、お金を積んで探せばそれもみつかるのであろう。
「戸籍自体は買えますが、それは他の誰かの戸籍ですよね? わたくしは『わたくしの本当の戸籍』が欲しいのです。誰かから取り上げたものでなく、違法でもない、本物の。そしてどんなに探しても足がついたり、綻びが無い『真っ新な私』が」
「ふうん。新しい人生も本当の自分って訳か……」
変なこだわりにも感じるが、確かに目の前の少女が闇市で怪しい奴相手に取引が出来るとも思えない。騙されてスッカラカンにされる様子が目に見えるようだ。
「……それとも、戸籍も命に関連する事なので難しいですか?」
渋る魔人に、もしや難しいのだろうかと上目遣いに見る。
「いや、新しい戸籍を作る事自体は難しい事はない。ちょちょいと書類を紛れ込ませれば済むだけだ」
だが、と思う。
「三年も考えに考え抜いた末の願いが『戸籍』なのか? 信じらんねぇな。まあ……本人の願いならなぁ……新しいアンタの名前は何にする? 自分の名前だ、好きなのをつけな」
自分の名前……
アドリーヌは暫し無言で考えると、ゆっくりと口にした。
「エヴィ。エヴィよ」
「Evie――人生、か。オーケー」
魔人は頭をボリボリと掻くと、本当に良いのかと念押ししてから大きく息を吸い込んだ。
「♪ 神秘のパ~ワ~ッ! 俺様のパ~ワ~ッ!!」
大きな声で歌うように唱えると、暫し無言になった。
…………。
……………………。
「…………?」
「はい、完了」
どうだ? と言わんばかりにギョロ目を見開く。
……ん? うん??
「……えっと。本当に出来たのかどうかはどうしたら解るのかしら?」
「戸籍だろ? 役所に行けば」
それは、至極ごもっともである。
「……わたくし、自由に出歩けないの……でも、そうよね。もうお願いは叶えられたんですものね……今ので本当に使えるかなんて確認は無理よね……」
確かに。ペンダントの中で見ていた三年間を思い起こせばアドリーヌが自由に出歩くのは困難である。
更に役所で別の名前の証明書を発行して貰うなど、確認は困難を極めるだろう。それを使う時になって初めて可能になるレベルだ。
「う~ん。じゃあまあ……今回はチョロいお願いだったから、おまけな?」
そう言うと、ボン! という小さな音と煙と共に証明書が現れた。
「ほいよ」
渡された証明書――自分の新しい人生と名前をなぞり、アドリーヌは頬を紅潮させて微笑んだ。
「エヴィ・シャトレ……」
「……良い名前だな」
魔人は静かに頷いてそう言った。
シャトレもそう珍しい姓ではない。姓までは考えなかったので、必然的に今使用している姓になったのであろう。……が、平民にもいる姓である。
「どうもありがとう。これって普通に使えるのよね?」
「…………」
勿論使える。使えるが、ペンダントの中で見ていた三年間を思い起こせば……以下同文。
お互い微妙な表情をすると、顔を見合わせた。
「……これで最後だからな? あとは実際に使う時に試してみろよ!?」
そう言って、ボン! という煙と共に現れたのは預金通帳。
「身分証を使って作るっていったら、やっぱこれなんだろう?」
確かに。だが、現在の処遇では作るのにどう言い訳をすれば良いか迷う所だ。
新しい人生の資金を作るのにも必ずいるのでありがたいが……
「こ、これ……!」
「ん? ああ。通帳作るのには入金しないと作れない仕組みだからな。それもおまけだ」
中には一千万エーンが入金されていた。
贅沢をしなければ平民なら二年位は暮らせるだろう。
……いや、ひとり暮らしなら三年はいけるかもしれない金額だ。
「これで、安心したか? じゃあな、頑張れよ。エヴィ」
「……!」
そう言ってウインクすると、シュポン! と音を立て、沢山の煙と共に紫色した魔人はペンダントの中へと吸い込まれて行った。
「魔人さん……」
そして、雪が溶けるかのように胸元のペンダントも消えたのである。
「……そんな……」
心の拠り所であったペンダントが無くなってしまった事は哀しいことだが、いつまでも呆けてはいられない。
アドリーヌは拭いても拭いても滲んでしまう涙を拭いながら、見つかっても興味を引かないよう、使い古しのハンカチなどで証明書と通帳を丁寧に包み、手持ち鞄の隠しポケットにしまった。
万が一にも隠し扉が開いてしまわないように、厳重に目立たないよう細かく布を縫い付ける。
こうして、十三歳のある夜、アドリーヌは『お願い』を叶えたのである。




