05.ひとつだけの願い
もしも外に出て働く事になったとして、自分に出来る事は何か。
いつも見ている侍女の仕事は、見るとするでは違うだろうけど、何とか出来るのではないかと思う。
小さい子の家庭教師も、もしかすると出来るかもしれない。
文書作成や代筆の仕事もあると聞いた事がある。書類のあれこれをもっときっちりと覚えれば、きっと可能であろう。
自分がするあれこれが、依頼主である誰かの為になって、それがひいては自分が生きる為にもなるなんて、きっと素敵な事だろう。
街にあるお店の店員さんはどうだろうか? とても重労働そうだが、果たして自分に出来るであろうか?
アドリーヌは誰かを見る度にその仕事ぶりを観察するようになった。
手伝いの範囲を超えている様な執務の手伝いも、書類の種類に内容、理由などを事細かに確認し、覚えるようにした。
文字もなるべく綺麗に整えて書くように心がける。
「アドリーヌ様は素晴らしいですな」
「まだ学園ご入学前だとか」
家庭教師や文官によるアドリーヌの評価が上がるにつけ、王子は彼女に、より意地悪を言うようになった。
多分、自分よりも出来ると言われるアドリーヌが腹立たしく、コンプレックスを刺激されるのであろう。
週に一度、交流をはかる為に行われるお茶会も、席に着いて十分程で離席するのを止めなくなった。
初めは好かれるようにと努力をした。
駄目だと悟ってからは、せめて自分だけでも王子の事を好きになろうと務めたが。
それも無理なのだと解った時、おべっかを使い、様々な話題を振り、色々と王子が楽しめるように気遣いをしたものだが。それはそれで気に入らないらしい事がすぐに解ったのだ。
根本的に合わない上に、王子にしてみれば『決められてしまった好きでもない婚約者』が必要以上に疎ましく感じるのだろう。
努力したら努力しただけ空回り、お互いが嫌な思いをするだけ。
(好きじゃないなんて、そんなのお互い様だわ。それでも、貴族の務めとして甘受するだけなのよね……)
急用が出来たので席を外すという王子に、畏まりましたと言ってただただ見送るようになって久しい。
倦怠期も過ぎ、冷え切った熟年夫婦の如き不毛で不幸な関係。
アドリーヌは戻って来ない事を知りながら、文句を言われない為に読書をしながら王子を待つテイで、お茶会終了の時間まで椅子に座り続ける。
そんな時、決まって考える。
十歳のあの夜、占い師のおばあさんの予言。
『十六歳のとある夜に最大の不幸が訪れる』とは、何を指すのだろう?
――初めは事故や事件かもと考えた。
自分を疎ましい誰かがとか、どうしても結婚したくない王子が誰かを差し向けてとか。
しかしよくよく考えれば、女官や騎士に護られる中でそれも難しいだろうと思う。
それはアドリーヌの為というよりは自分達を守る為だ。
自分が責任を取らされない為、アドリーヌは守られ続ける。
命で無いのならば、最大の不幸って何なのだろう。
大怪我? 貞操の喪失?
それも、先程と同じ様に未然に防がれる気がする。
貴族令嬢としての不幸とは――――?
「……ってゆーかさ、一体いつまで同じ事をグダグダ考え込んでるんだ?」
食後の勉強も執務も湯あみも終わり、もう眠ろうとした時。
呆れたようなイラついたような声が響いた。
(……え……?)
アドリーヌはキョロキョロと辺りを見回す。
――誰もいない。
空耳かと思い、再び考えに沈もうとすると、大きなため息と共にもくもくと煙が立ち込め始める。
(え!? 火事!?)
「……ちげーよ」
良く見れば、自分の胸元にあるペンダントの、小さなランプから煙が出ている。
唖然としたまま大きく瞳を瞠ると、駄目押しとばかりに中からニュルン! と、闘士の様な筋骨隆々の裸の男の人……の上半身が出て来た。
(き、ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!!!)
「しーーーーーーっ!」
ランプの中から出てきた人……おばけ? は、アドリーヌの口を押え、静かにしろとばかりに人差し指を口の前に立てた。
ランプの出口(?)には蛇のように細長い様な下半身が入ったままで、且つ全身真紫色である。
(え!? 病気??)
思わず驚いていたのも忘れて心配になる。その位、人として有り得ない色だったからだ。
「…………。ちげーよ……」
紫色の男の人みたいなおばけの人(?)は、疲れたように腕組をしてアドリーヌを見下ろした。
「とにかく落ち着け?」
「はい」
確かに。いついかなる時も冷静でいるべきである。
ましてや困難で混乱をもたらす時こそ、より冷静になるべきである。
「フッフッヒー! フッフッヒー!!」
リラックスするという呼吸をすると、紫色の男の人みたいなおばけの人(?)は、ゲンナリした顔で首を横に振った。
「それ『ヒッヒッフー』だろ? それに今じゃないぞ、その呼吸法は」
「そうでしたっけ?」
アドリーヌは首をちょこんと傾げる。
「ああ。俺は魔人。ランプ……の魔人だ」
そう言って親指で自分を指さす。
「…………」
まじん?
思わず碧色の瞳を瞬かせた。
「つーか、アンタは一体いつになったら願い事を言うんだ? もうアンタの手元に来て二年だぞ?」
ランプの魔人氏は、太い眉をぎゅむっと縮めてアドリーヌに詰め寄る。
(え? な? これいかに!?)
流石のアドリーヌも混乱気味である。
「で、でも、お願い事ひとつだけなんですよね? よーく吟味して決めないと、後々後悔しそうじゃないですか!」
「そう言って石橋を叩いて叩いて、渡らずに壊すタイプだな、アンタ」
魔人は腰に手を宛てて仁王立ち……足が無いけど……した。
「大体、本来なら有り得ない筈の『すげー事がひとつ』叶うんだぞ? もうめっちゃラッキー☆ の、めっちゃハッピー♪ じゃんか」
まあ、それは確かにそうなのですが。
実際には合いの手を入れる間もなく、ランプの魔人が話し倒している。
「……とは言え大体人間が選ぶのは、『大金持ち』か『不老不死』だからなぁ」
……大金持ちはまだ解るにしても、不老不死って幸せなのかな……?
アドリーヌは再び首を傾げる。
「大体、一体全体なんでそんなに悩んでるのか言ってみろ、聞いてやるから!」
「……。それで願い事にカウントするつもりですか?」
疑わしそうに魔人を見る。
魔人は嫌そうな顔をしてぐいっと紫のヤバい色した顔を寄せた。
「これはノーカンだ! ガキは素直に言ってみろ!」
「……本当ですね?」
「本当だ!」
腕を組んで鼻息荒く魔人が首を縦に振った。
そして今までの短い人生を、見ず知らずの顔色の悪い魔人に話す事にしたのだった。
「うん。何ともひでぇ話だなぁ」
魔人がギョロ目を半眼にして言い捨てた。
「王子の気持ちをアンタに向ければいいんだろうが、生憎心理操作はNGなんだよなぁ」
アドリーヌを気遣わし気に気にしながら言う。
「いえ。それは全然、全く望んでおりません」
「そうなのか? それさえクリアすれば幸せになれそうなのに」
首を横に振るアドリーヌを、意外だと言わんばかりに眉を上げて見る。
「もう、王子に関してはこちらも何も気持ちが残ってないので。ただ、自由に新しい人生を送りたいのですが。……多分ここを普通に出たとしても、見つかって連れ戻されてしまうと思うんです」
「……まあ、そうだろうなぁ。例えば遠くの国にアンタの家を作ってそこで暮らすにしても、身バレしたら元も子もないし。第一アンタがひとりで生活出来るのかも不明だしなぁ」
「一応、身の回りの事は出来るように訓練しています。後は働けるように他の人の仕事をつぶさに観察しているのと、勉強を心がけています」
そう言って、今まで習った色々を記したマニュアルノート九十六冊を魔人に見せる。
「……まあ、勉強しただけで出来るかどうかはアレだが……心がけは大したもんだな」
魔人はノートを見て、若干引きながら頷いた。
「今は資金を増やす為のノウハウのひとつとして、投資の勉強もしています」
「お、おう……? そういうのは王妃や王太子妃ではなく、財務担当が考える様な気もするが。まあ」
魔人はそう言いながら腕を組んで、暫くギョロ目を左右に動かしていた。何か考えているらしい。
「――取り敢えず、俺様が叶えられないものは『殺人』『死者の蘇り』『好意が無い人間を好きにさせる等の心理操作』だ。心理操作は若干逃げ道があるんだが、いらんとの事だからまあいい。後は『願いの取り消し』と『交換』だが……今回はひとつのみだからこれも除外だ」
うんうん。
そういう決まりなのか能力的に出来ないのかは解らないが、なるほど。
「魔法使いのババアとの約束で、勉強するって事だからな。これだけ努力家なアンタなら金儲けのひとつやふたつ出来るようになるんだろう」
「え! 占い師のお婆さんは魔法使いなの!?」
魔人は驚くアドリーヌを、可哀想なものを見る目で見る。
「……そりゃあそうだろ? 普通のババアがこんな変な道具持ってる訳ねぇだろ」
「…………」
確かに。
呆れたような魔人を、アドリーヌは照れたように笑って見上げる。
(そうか。魔法使いって本当にいるんだ……)
苦労している割に呑気というか強いというか、鈍感というか……ある意味無垢な少女に親切心が働いた魔人は、そうとは言わずにアドバイスを送る事にした。
「まあ、長年生きて来た上に、色々願いを叶えて来て言える事は。私利私欲に塗れた願いよりも、本当に願うものの事の方が幸せになれるって事だな」
「……やはり、私利私欲一杯の大きな願い事だと、何処かでしっぺ返しが来るとかですか?」
「いや、そうじゃねぇよ。人間の尺度で見たら『願い』に大小があるだろうが、世の摂理から言ったら、そこまで変わったもんじゃねぇ」
「例えば金。一エーンと百億エーンは人間にとってだいぶ違うが、世の摂理からしたら金は金だ。そこに大小はさほど関係ない。まあ、体積や質量が若干違うだろうがなぁ、誤差の範囲だ」
「えぇ……?」
何とも信じがたい話である。
一エーンと百億エーンが、ほぼほぼ同じだなんて……
「本当に心から百億エーンが欲しいなら問題無い。……でも実際は、きっと『百億エーンを持ってる自分がどんな風に幸せになるか』が大事な訳だろう? そこは人によって違う訳だ」
――ある人は『働かずに自由に暮らす幸せ』だし、別の人は『それを資金にもっと稼ぐ幸せ』だろ? また別の人は『それを恵まれない人の役に立てるのが幸せ』かもしれない――
ここで魔人はひと息ついて、魔法でお茶を出した。
勢いよく注ぎ、ひとつをアドリーヌに差し出す。
「なのに百億エーン貰って、盗られないかオドオドしたり、疑心暗鬼になったり、揉めたり。気が大きくなって散財するとか……結局、幸せじゃなくなるパターンもままあるもんさ」
「それよりも、本当に自分が幸せと思えるものを選択した方が、『本当に幸せ』になれるって言う事ね」
「そういう事だ」
なるほど。
当たり前の事であるが、意外に漠然と考えていたかもしれない。
お互い大きく頷いてお茶を飲む。
「で、アンタが幸せに感じる事――考えるとウキウキしたり心が軽くなったり、楽しくて仕方がない事はありそうか?」
「わたくしが幸せに感じる事……」
――新しい人生。新しいわたくし。
柵と足枷から解き放たれた自分は、酷く心を高揚させた。
「あるわ。あた……」
「ちょっと待った!」
せっかく願おうと思ったら、魔人からストップが入る。
「ここまで待ったんだ。本当にそれで幸せになるか、どうやって幸せになるか、ようく考えてみな。一年後の今日、また聞いてやる」
じゃあな!
そう言うと、魔人は再び現れた沢山の煙と共に、シュポン! と音を立ててランプのチャームの中へ入ってしまった。
「えっ! 魔人さん!?」
胸元の小さなランプを見ても、ついでにひっくり返して振ってみても。
いつも通り鈍色に光る小さなランプがそこにあるだけであった。