04.占い師と不思議のランプのペンダント
今から六年前の事。
アドリーヌが十歳の時、王城に旅の一座が招かれた。
大道芸や奇術、吟遊詩人の奏でる音楽。そして占い師のお婆さん。
ある意味容易に外出が許されないような閉ざされた退屈な王城では、定期的にこういった旅の一座を招く事がある。
皆、楽しそうにはしゃいでいたが、アドリーヌは浮かない顔でそれらを瞳に映していた。
最近のアドリーヌは何をしても楽しいとは思わなくなり、浮かべる微笑みはただの飾りである。
お手洗いに立った時、占い師のお婆さんに声を掛けられた。
幾つなのかも解らない様なしわしわでワシ鼻の、紫色のローブを纏った姿。
――絵本から抜け出て来たような、『占い師のお婆さん』そのものの姿だ。
(……イメージ戦略かしら……)
アドリーヌは思わず、初対面にも関わらずまじまじと占い師のお婆さんを見た。
そしていきなりボヤく様な言葉を掛けられる。
「……あんたの人生は酷いもんだね」
「…………」
そうであろう。
意地悪な女官。自分を目の敵にするご令嬢達。
自分勝手な婚約者。
……国王と王妃様は少しだけ優しかったが、どこか勝手な事は王子と変わらず、優先されるは王子でありしわ寄せは当然の様にアドリーヌの元へとやって来る。
頼れるはずの両親は長く離れて暮らしているからか何処か他人行儀な上、国王たちの言う事をよく聞き、はいと従いなさいと言うだけだ。
辛いと言おうものなら困った顔をするか、済まないと泣くか。そして頑張れと言うのみであるのだ。
そうやって嘆いたふりをして、決して城から連れ出してくれようとはしない。
――そんな事を思って、そうでしょうねと小さな声で答えると、お婆さんは大きくため息をついた。
そして袂から何やら出すと、アドリーヌの前にぶら下げた。
「これが見えるかい?」
占い師のお婆さんの手には、小さなランプをかたどったチャームのついたペンダントが揺れていた。くすんだ様な鈍色のそれは、小さく揺れている。
アドリーヌは小さく頷いた。
「これは、あんたとあたしにしか見えない。何でも願い事がひとつ叶うペンダントさ」
そう言うと、アドリーヌに渡そうとするが、アドリーヌは手を引っ込めて首を振る。
非常に胡散臭い事この上ない。
「わたくし、代わりに差し上げるものがございませんの」
「そんなものはいらないさ。あんたがどんな選択をするか見たいだけさ」
「…………」
ククク、とお婆さんが笑う。
「毒なんかついちゃいないよ。まあ騙されたと思って持っておきなよ」
そう言うと、無理矢理アドリーヌの小さな手に滑り込ませた。
「あんたは六年後、十六歳のとある夜に人生最大の不幸が訪れる。それを最高に変えてみたくはないかい? どうしたら最高になるのか考えてごらん」
アドリーヌは齢十歳にして、非常に疲れていた。
毒に倒れるならそれでも良いだろうし、『何でも願いが叶うペンダント』だなんて、胡散臭い事この上ないが、そんなお伽話に騙されてみても良いのかも知れないと、強引に勧められながら思ってしまった。
「あんたには幾つかの選択肢が広がるだろう。その選択肢を多くするために、出来るだけ必要だと思う事を学ぶんだ。いいね?」
見ていたペンダントから顔をあげると、隣にいた筈のお婆さんの姿は跡形もなく、小さな手の中に残るペンダントがあるのみであった。
初めは心の慰み位に思っていたペンダントであるが、本当に誰にも見えないらしかった。
いつもは文机の引き出しの奥に隠しておいたのだが、たまたま身につけたまま、忘れて着替えをする事になった。
しまった、と身体を強張らせる。
女官と侍女に取り上げられると思ったが、焦った所でもう仕方がない。
それがどうしたものか。
王太子妃としての格がとネチネチと追及されそうで嫌だと思いながらも、諦めて着替えをしていたが。まるでペンダントが見えないばかりか触れる事も出来ない様で……指摘される事も無く、極々普通に着替えを終えたのである。
「……アドリーヌ様、どうされたのですか?」
信じられる筈もなく、頭の中は混乱していた。
その様子は困ったような驚いたような、不審な様子だったのであろう。
問いかけて来た女官に小さく首を振ると、アドリーヌは頭の中を高速回転で動かして考えていた。
(……もしや、あのお婆さんの言った事は本当だった……?)
それからアドリーヌは怒られない為だけに励んでいた教育を、熱心に習う事にした。
学ぶ事。
何を学べばよいのか解らないし、アドリーヌに与えられた自由は少ない。
それならば、自分に施される教育全てを、出来るだけ心を入れて学ぶ事にした。
そうすれば、いつか何かが解るのではないかと信じて。
王城図書館へ出掛け、暇な時は手当たり次第に読み進める事にする。
それに、学んでいると他の事が気にならなくなって来る。
様々な雑音をシャットアウトして、物事に集中する方が『楽』だと知った。
年に何度か季節毎に数日実家へ滞在する。
小さい頃は女官も一緒に実家へ来ていたが、ある程度からはひとりで滞在する事にした。勿論自由に行動する時間を増やす為だ。
王城の女官はプライドが高い。故に普通の屋敷で侍女に交じって仕事をする事を好まないのだ。
実家に行くのだし、屋敷には侍女がいるからと言って王城に居るか休暇を取って貰うかを提案する。相手を立てる為に、行き帰りは女官と騎士に同行して貰う事をお願いしておく。
やはりと言うべきか、提案してみると思ったよりもすんなりと了承された。
これで屋敷の侍女を誘導すれば、王都の色々な場所を見学したり、必要なものを購入したりし易くなるだろう。
その時に何か為になるものは無いかと倉庫を探していた。
別段考えがあった訳ではない。ただ何か、自分に自由になる物で、王や王妃に与えられたものではない、返さないでも良い何かが欲しかっただけだ。
その時、小さな古びた鞄を見つけたのだった。
開けてみると、思ったよりも内容量の小さいものであった。
不思議に思い裏っ返したり振ったりしてみると、カタンと小さい音がして、鞄の底部分にあたる中敷きが足元に落ちたのである。
(……隠しポケット?)
厚い手帳が入る位の大きさのそれは、一体何を隠したものなのか。
微妙に思いながらも、時には引き出しすら確認される不自由な生活に、きっと役に立つという直感を信じて父に貰っても良いか確認すると、いつからあるのか解らないそんな古びた鞄が良いのかと首を傾げつつも了承してくれた。
王城に家からの持参品だと言えば、古臭い鞄を鼻で笑い、さほど調べられもせずに手元に置く事が可能となったのである。
本当に見えないと解ってからは、ペンダントを常に身につけるようになった。
辛い事や悲しい事があると、そっとそれに触れて心を慰める。
ひとつしか叶える事が出来ない『お願い』。
一体何を願えば自分にとっての最善なのか。
同時に、願いを使えばここから逃げ出す事も出来るのだと考え、逃げ出したらどうやって暮らして行けば良いのかも考えた。
逃げ出しても不自由で不幸せに暮らし続けるのならば、今とさして変わらないのだ。
どういう生活を送りたいのか? 何を幸せと感じるのか?
悪意に晒されず、心安らかに暮らしたい。
普通に働いて、美味しく食事を摂って、心安らかに眠りに就く。
好奇の目にひたすら我慢をするのではなく、のびのびと自由に暮らしたい……
だが、アドリーヌ・シャトレである以上、それらが叶えられる事はないであろう。
成人すれば王太子妃に、そして行く行くは王妃になる身の上だ。
万一破談になったとしても、王子の婚約者だった事実は一生ついて回る上に、ある事無い事噂され続けるだろう。
そして貴族の娘として、その時々で『丁度良い』とされる家へと嫁がせられる……
(新しい人生が、新しいわたくしであったなら?)
新しい自分。
それは甘美な響きであった。
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