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03.王城、王都。更には国外脱出だ!

 大広間を出るまでは背中を伸ばし、粛々と歩みを進める。

 きちんとしたご令嬢である事を印象付けなくてはならない。

 ある意味、アドリーヌの最初で最後の花道である。


 ……出入り口を出た所で、震える身体を叱咤してドレスの裾を掴み上げ、猛然とダッシュをした。


(……いやっほ~~い! これで自由だーーーーーっっ!!!!!!!)

 途中で力強く右手を上げ、大きく飛び上がって喜びを爆発させる。


 何重にも重なるペチコートをわっし! と掴むと、迷路のように曲がりくねる廊下を猛然と走り、掃除用具やストック品が置いてある小部屋のドアを開けて滑り込む。


 流石にこんなところにご令嬢が入り込むとは誰も思うまい。


 小さな頃から王城に暮らしている為、王城の部屋という部屋を知り尽くしているのである。


 そして、興奮に震える指を叱咤してドレスを傷つけない様、丁寧に脱いで行く。

 ここからは時間との勝負だ。周囲が混乱している隙に王城を出なくてはならない。


 ドレスの下には万一の時……誘拐などをされた時にドレスを脱いで逃げられるように、いつでも自前のワンピースを着こんでいる。

 万一にもつかまって、身代金などを王家に要求される事が無いように逃げろと言う事であった。


(そんな馬鹿な。一応王太子妃候補で、貴族の令嬢でもあるのに)


 そう、色々おかしいのである。


 ……指摘をすればより意地悪をされるので、粛々と従う振りをしておくのが利口ではあるが、今では思わぬ怪我の功名であったと思う。


 自由な活動が殆ど許されず、見張られているに等しい生活の中で、見つからない場所に嵩張る着替えを用意するのは難しい事だっただろう。


 自前の鞄を開け、隠し扉になっている蓋を開ける。これは以前実家に帰った際に物置に放り込んであったものだ。

 ……誰がどんな目的で作ったものなのかは解らないが、要らないと言っていたので貰って来たのだ。


 重要なものは見つからないよう、隠しスペースに保管してある。

 但し、余り厚いものは入れる事が出来ない。隠し部分が大きくなると不自然になる為、薄い本が入る位の厚みしかないからである。


 潰してその隠し部分に保管してあるぺったんこの革のシューズと、刺繍の練習の際に使用したハンカチを使って女官の目を盗んでこっそり作った、メイドが被る様なボンネットを引っ張り出した。そして幾ばくかの路銀の入った巾着を首に下げ、服の中に隠す。もうひとつはポケットの中に忍ばせる。


 ワンピースの隠しポケットから与えられていた部屋の鍵を出し、両陛下に宛てた今までの礼と夜会の顛末を記した簡単な手紙と共に封筒へ入れる。

 誰かが部屋の中の荷物を持ち去り懐に入れながらも、アドリーヌのせいだと言われるのを防ぐためだ。


 部屋には王室から支給されたドレスや装飾品を始め、王様と王妃様から頂いたお小遣いと細かな品々全てが、きちんと欠けなく覚書と共に保管されている。

 

 アドリーヌは長い亜麻色の髪をきっちりとお団子に纏めると、ボンネットを被って革の靴を履く。そして不自然でない程度にハンカチで軽く化粧を落とす。

 ドレスと靴と鍵入りの手紙を纏めてストック品のシーツを借りて包み、鞄を持って再び廊下へと出た。


 大丈夫だ。今まで何度も何度も頭の中でシミュレーションした。

 実家への帰宅など王城の外へ出る時、図書館の地図で何度も確認したのだから。

 移動の際の経路も完全に頭に叩き込んである。


 ――焦らず冷静にさえ熟せば、無事王城と王都を脱出出来る筈だから。

 そう、逸る自分に言い聞かせた。

 


 

 離れた大広間から、人々の喧騒が聞こえる。

 つい先ほどまであの中にいた事が信じられないようだ。


 アドリーヌは慎重に周りを見渡しながら廊下を進む。

 ふたり程城内警備の騎士とすれ違ったが、特に何も言われずにすれ違った。


 バレはしないか心臓が大きく音を立てるが……長年の教育で培ったポーカーフェイスを心がける。

 そしてなるべく不自然でない様に、視線を彷徨わせず、逸らさずに進んで行く。

 遠目には、折りたたまれたシーツを運んでいる下級メイドに見えるだろう。


 そして遂に裏口へと着いた。

 アドリーヌは大きく息を吸い、そして吐くと、ゆっくりと歩みを進めた。


 裏口は、業者や通いの平民の下働きなどが通る場所だ。

 正面玄関とは違い警備も薄く、簡単なチェックで通り抜けられる筈だ。


 意を決して門番に話し掛ける。


「……申し訳ありません」

「どうしましたか?」


 ひょっこりと見張り窓から、門番が顔を出した。

 アドリーヌは困ったように表情を作る。

 

「実は今から帰る途中なのですが、お着替えらしきものが置いてございまして……どうすれば宜しいでしょうか?」

「……今日は夜会がありますから着替えの落とし物でしょうか? それじゃあこちらで預かりましょう」

「ありがとうございます。助かります」


 アドリーヌはそう言って頭を下げた。


「じゃあ、ここにお名前を書いてくださいね。帰宅されるなら、こちらの入出書にも」

「はい」


 アドリーヌはアドリーヌ・シャトレ、と記入する。

 碌に見もせず、文字が書いてある事を確認すると、にっこり笑って言った。


「ご苦労様でした」

「はい、ではどうぞよろしくお願いします。お疲れさまでした」


 気の良い門番さんに笑って挨拶をする。

 本当に本当に、お疲れさまだ。


 そして、樫の扉を開けて外へ出る。


 出る瞬間、武者震いがしたのはご愛敬だ。

 びっくりする位、すんなりと出る事が出来た。


 背中の方で、扉の軋む音が聞こえ、続けて扉の閉まる音が頭に響く。

 アドリーヌは震えを収めるように深呼吸し、歓喜する心も押しとどめる。


 ……のんびりとはしていられない。間もなく庭の四阿で泣いているのでも、部屋に閉じこもっているのでも無い事に気が付くであろう。

 手紙を受け取った父が、慌てふためいて城に飛び込んでくるかもしれない。


 可及的速やかに国外に脱出する必要がある。

 アドリーヌは早足で、駅馬車の場所へと急いだ。



***************************

 女官たちは、どこかアドリーヌを見くびっている所があった。

 彼女は自分達が育てた籠の中の小鳥である。

 小さい頃から王城で育ち、世の中の事は何も知らない世間知らずのお嬢様。


 婚約破棄をされ強がっていたが、どうせ何も出来ない身の上だ。

 今頃は庭に隠れて泣いているか、自分の部屋で意気消沈しているかのどちらかであろう。

 そう思っている。


 すぐさま追おうとした騎士に、少し泣かせておあげなさいなと言う。


 騎士は騎士で、確かにと思う。

 可哀想に。ひとり心落ち着ける時間も必要であろう。


 ここは国で一番警備のしっかりした王城である。庭にも城内にも、至る所に騎士が見回り守っているのだ。

 国で一番安全といっても良い。早々危険も無いのであるからして。


 三十分程して、騎士と女官が部屋に戻ったかと部屋をノックしたがまるで反応がなかった。

 ドアノブを回してみるが、鍵が掛かっている。

 呼びかけにも反応がない。騎士が二人顔を見合わせ、女官は首を傾げた。


「……庭でしょうか?」

「一応見てみましょうか」


 数名で庭の四阿や花壇など、アドリーヌが行きそうな場所を探してみるが見当たらない。

 心配した騎士が、もう一人の騎士と女官に確認をする。


「緊急配備を致しましょう」

「国王陛下に伝えますか?」


 庭からアドリーヌの部屋を見上げるが、真っ暗である。

 女官はため息をついた。面倒な事である。


「……多分、お部屋で泣いているのでしょう。かなりショックだったでしょうから、不貞腐れているのでしょうね。

 子どもの喧嘩のようなものを、わざわざ陛下のお耳に入れる必要はないでしょう。もし、殿下のお話し通り本当に承認されているのでしたら、本日発表される事をご存じでしょうし」


 ある意味、王子の性質の悪すぎるお遊びだった。

 アドリーヌの前でだけなら幾らふざけようが構わないが、あんな大勢の貴族の前で言うなんて。

 王子はそういった短絡的な所が見受けられる。火消をするこちらの身にもなって欲しいものだ。


 貴族たちも解っていて、大げさな事を言ったとしても話半分に聞いているのだ。

 王家の力が強い社会である。元々あの場に王子の発言を遮れる人間はいないのだ。


 アドリーヌもアドリーヌだ。売り言葉に買い言葉で、書類まで作る真似事をするなんて……


「……呼びかけてみて返事がなければ、いつものように扉の前で警護してください」


 明日の朝になれば出て来るでしょう、と女官。

 ずっと食事を摂らない訳にも行かないであろう、と言って笑った。

 

 

  

 同じ頃。

 早馬でシャトレ伯爵邸に着いた騎士は扉を叩いていた。

 顔を出した執事に、騎士が問いかける。


「シャトレ伯爵は御在宅か?」

「旦那様は社交に出ておりますが……」


 社交と言っても一晩に幾つも開かれており、今日伯爵が出掛けているのは例の夜会ではない。


「…………。そうですか。では帰り次第アドリーヌ様が至急こちらをご確認いただきたいと仰っていたとお伝えください」


 騎士はガッカリしたように肩を落としたが、執事にそう伝える。

 流石に『婚約破棄の書類が入っている』というのは憚られ、なるべく早くと念押しをして頭を下げた。


 かのご令嬢は、今頃荷物を纏めているのだろうか。一刻も早く迎えの者が来る事を心待ちにしているであろうに――そう思い、再び城へと戻って行く。



 深夜に伯爵が夫人を伴い帰宅した。

 執事は手紙を渡し、騎士の伝言を伝える。


 酒が入り、疲れていたというのもあるだろう。年を経るに従い、夜中に文字を追うのが面倒であった。

 緊急と言えば病だろうが……だが、娘本人が寄越したのであれば体調不良などではないであろうと結論付ける。


「こちらへの一時帰宅の知らせかもしれんな。とは言え、もうこんな時間だ。明日朝一で確認して返事をするとしよう」


 シーズン毎に数日帰宅が許されていて、毎回その時期になると日付を知らせる為に手紙を寄越して来るのだ。

 昼ではなく夕刻に送って来るという事に少々引っ掛かりはしたが、もう夜中である。


 主の言葉に時計を見ると、確かに時間が時間だと納得する。

 執事もそう思い頷いて、手紙は読まれないまま一晩、伯爵の執務机の上に置かれる事になったのであった。



 *************************

 そんな風に、全てがアドリーヌにとって幸運に働いた。

 夜会のしょっぱなに王子がやらかしてくれたのも大変有難かった。もう少し遅ければ、駅馬車――長距離用の乗合馬車――の最終は、走り出してしまったであろうから。


 辻馬車は拾えるであろうが、それでは遠くまで行く事がなかなか難しい。

 

 夜会が始まってから二十分程で外に出る事が出来た上、その十分後には本日最後の長距離馬車に乗り込み、王都を出発した。


 ここでやっと、アドリーヌは人心地がついた。

 夜間も馬を替え止まらずに走ってくれるこの馬車は、夜明けには幾つか先の大きな都市まで運んでくれるであろう。


 なるべく早くに国外へ出てしまう方が良い。

 幾つかの国と国境を接しているが、一番近い国境の街まで行って、別の国から別の国へと移動する方が見つかり難いだろう。


 まさか本当に国外へ出るなんて思ってもいないであろうから、国外へ出てしまえばもう見つかる事はない筈だ。

 興奮冷めやらぬアドリーヌは、まんじりともせず静かに朝を迎えた。



 朝の活気に満ちた街に降り立つ。

 そうして今度は始発の別の駅馬車に乗り込み、国境近くの街まで走った。

 国境を有する街は大きい。


 昼前に到着したが、露店で甘いパンと飲み物を買った。

 周りのおじさん達を見て、同じように行儀悪くも立ったまま平らげると、まず、鬘屋かつらやへと入る。

 腰よりも長く手入れされた長い髪をバッサリと切り、売り払った。


 綺麗に手入れされた髪は思ったよりも高値で売れた。

 きっと輝く金髪だったのなら、もっと高値が付いたであろうが。


 しかしこの亜麻色の髪も平凡な容姿も、人に紛れるのにはうってつけであるのだ。

 アドリーヌは軽くなった髪を揺らしながら洋品店に入ると、下着数枚と念の為の髪色を変える色粉を買い、別の中古服店では替えの洋服と鞄を買った。

 次に銀行へ入る。当分の間必要なお金を引き出す為だ。

 大丈夫と解っていても緊張するが、もちろん特に問題無く受理された。


 こうした方が良いかああした方が良いかと色々考えすぎてしまうが、実際はなるべく大きく動かずに目立たない方が良いだろう。


 乗合馬車で国境を隔てる場所へと向かう。

 平和な治世である今は、商売などで国と国を行き来する人も多いと聞いていたが、本当に沢山の老若男女が並んでいた。

 特に不審な点が無ければすんなりと扉を潜り抜けて移動している。


 アドリーヌは関所に立ち、前の人と同じように身分証である戸籍票を出す。


「出稼ぎかい? 旅行かい?」

 憲兵が気さくに声を掛けて来た。


「……出稼ぎです」

「そうか、頑張りなよ!」


 優しくそう言われ、素直に頷く。

 そうしてただ鞄二つを持って、アドリーヌは新天地へと歩みを進めたのだった。

 


 王子の婚約者であり、名門伯爵家のご令嬢アドリーヌ・シャトレは、浮気をした王子に婚約破棄を突き付けられ、着の身着のまま国外追放を言い渡された。昨夜の事である。


 そして、本当に忽然とその姿を消したのであった。

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