15.帰ろう、そして歩き出そう
「~~~~~~~~~っっ!!!!」
突風に煽られて、おばば様と魔人、エヴィが空高く舞っている。
青ざめたエヴィは声なき声で叫んでおり、上に下に右へ左へと回転しながら手足をバタつかせていた。もの凄い高さに、ギュッと目を瞑った。
あられもない格好だが、それそこは、魔法で誰にも見えないようにと配慮済みである。
おばば様は呆れたようにエヴィを見ながらため息をつくと、ゆっくりと空を見上げた。
魔人はふよふよと風に乗るようにしっぽをはためかせている。
「戻るよ」
そう言うと同時に、パチンと指を鳴らす。
「あら、お帰り」
踊り子の姐さんが急に表れた三人に何でもないように言う。
三人は旅の一座の幌馬車に瞬間移動したのだ。
風もなければ背中が床についているというのに、未だに目を瞑ったままバタバタと手足を動かすエヴィを、一座の人間達が苦笑いをしながら見守っている。
魔法は消したため、姿もバッチリ表れている訳で。スカートの下に異国風のズボンを履いたままだったのが幸いである。
「ちょいと、いつまでそうやってるんだい」
おばば様がしわがれた声で呼びかけた。
「……えっ? へっ!?」
エヴィはピタリと動きを止めると、固まったまま碧色の瞳を瞬かせた。
******
幌馬車が次の職場へ向かうべく、街道を、山道を走り抜ける。
三人は国境近くの通り道に降ろしてもらう予定だが、まだ暫くは時間がありそうだ。
眠れそうもないエヴィは幌馬車の荷台の一番後に腰かけ、足をぶらぶらさせながら月明かりの下、流れる景色を見ていた。
考えていたよりもずっと心配してくれていた人々に、エヴィは嬉しさと不思議さと、ちょっとの割り切れなさと申し訳なさと罪悪感……いろいろな気持ちが入り混じっていたのだが。どう表現すれば良いのか解らない感情の名前を探そうとして、見つけられずにため息をついた。
おばば様と魔人が隣に座る。
魔人は何処からか人数分のカップを出すと、慣れた手つきでお茶を淹れ、温かなそれをエヴィに渡した。おばば様にも。
「里心がついたかい?」
「そういう訳ではないのですが……意外で」
「そうかい?」
意外でもなんでもないと言う声でおばば様も空を見上げた。
エヴィにしてみれば、あんなに自分を心配しているなんて予想もしていなかったのだ。随分心配をかけて申し訳ないことをしてしまったと思うし、クリストファーを怒らせれば国外追放という言葉を出すだろうことは織り込み済みだった。
なので追放劇はほぼ自発的にしたようなもので……
色々考えた上でそれが一番いいと思ったのは事実だが、勝手をして我儘だったのではないかとも思ってしまう。
「……まあ、良かったじゃないか。自分が心配されていたと解かって」
こんなに素直な女の子だ。心根を知っていたら嫌いになんてなる筈はないだろうにと、おばば様と魔人が心の中で呟く。
「あれだ、親だって完璧じゃないしな。人間関係は近ければ近いほど、却って難しいことも多いもんだ」
人ではない筈の魔人が人間関係を説くことの不思議に、エヴィはおかしくてちょっと笑った。
「あんなに私を見て動揺したり、心配されるとは思いませんでした」
「あんたの戸惑う気持ちも解るさ」
寄り添うようなおばば様の言葉を、エヴィは黙って聞く。
「年を取ればいいってもんでもないけど、若いと色々間違えてしまうことも多いからね……」
事の始まりの頃、エヴィの両親も同年代の国王夫妻も、若かったのだ。
目の前に起こる様々な事への対応に、気持ちを持て余してボタンを掛け違えてしまうこともあったのであろう。
「そうだな。確かにな」
勿論、全てを年齢だけで語るのも違うであろう。
ましてや受け手は本当の子どもだったのだから、もっと大人が配慮すべきではあった。
若くとも間違いの少ない人間も、自らを律することの出来る人間もいる。若くたって大人は大人で親は親だと言われれば、それはそうだという以外ないのだが。
あくまで正論であって、全員が正しく間違わずに生きて行くというのも、難しい。
難しいからこそ理想なのだろう。
組み合わせやタイミングが悪かったのだと片づけてしまうのは酷であるが、残念ながら人生には、そういうことも時折起こるのだと思えた。
「近くても遠くても、自分を大事に想ってくれる人間がいるのは幸せだし、大切に想える存在がいるのはもっと幸せだよ」
「幸せ……」
「そして、親は子どもが幸せでいてくれることが、また幸せであるともいえるんじゃないかねぇ」
親だからといって誰もが同じように、同じだけ子どもを愛する訳でもないけれど。
少なくとも彼らは――エヴィの両親も国王夫妻も――子どもに対して、容易に悪意を持つ人間ではないように思えた。
「ただ、近くにいると見え難くなることもある」
立場だ常識だといって雁字搦めになる立ち位置の人間は特にそうだ。
責任やら務めやらで、絡まったり目隠しされたり、色々だ。
「ちょっと離れたところにいた方が、より思いやれることもあるってもんさ」
だから、離れることに、自分が決断すること、自由になることや人間らしく生きたいと思うことに罪悪感なんて持たなくていい。おばば様はそう静かに呟いた。
「あれだ。人間も時間や状況で様々に形を変えるもんだ。一旦離れたってそれで終わりって訳じゃない。お互いもう少し時間をおいて、ちょっと落ち着いて余裕が出来たらいつだって顔を見せに帰りゃあいいし、近くに……なんなら一緒に暮らせばいいってこった」
魔人もゆっくりと心に語り掛けるように言った。
人生の先輩としてエヴィに贈られる言葉を、ひとつひとつ大切に、心の中で繰り返す。
「淋しいだろうけど、向こうもあんたの無事が知れてちょっとは安心できただろうし。あんたも彼らの知らない側面を認識出来てよかったじゃないか」
ちょっとボタンを掛け違えてしまっていたが、愛情がない訳ではないという真実。
束の間なのかずっとなのかは、まだ解らないけど。
(確かに『さようなら』を言えて、よかった)
実際に会って気持ちを確認できたこと以上に、無事を伝えられたことは、結果的に正解だったであろう。
生死も解らない状態のまま心配をかけ続けることは、おばば様の言う通り早々に改めるべきであった。理不尽な事をされたからといって、同じように人にしていい訳がないのだ。
意固地な気持ちやどこかで恨みがましく思う気持ちがあって、エヴィもどこか冷静に判断できなくなっていたのであろうか。
そう反省すると共に、エヴィはおばば様と魔人に心から感謝した。
そして何より、きちんと向き合い謝ってもらえたことで『諦め』ではなく、『許す』ことが出来るのは幸せだと思う。怒りや悲しみ、諦めといった負の感情は、普通の感情よりもエネルギーを多く消費する。なぜなのか心をとても摩耗するものなのだ。
きちんと区切りをつけることで、心置きなく新しい自分の人生を歩けるのだ。
エヴィは困ったような、ちょっと泣きそうな顔で笑った。
「人生短いって言うけど、まあまあ長いもんだよ。これからどんな風に変化するかなんて誰にも解らないんだからねぇ」
「エヴィ次第だな!」
「私、次第?」
そうだ。
おばば様と魔人の協力を得て、自由なもう一つの人生を掴むことが出来たのだ。
そして、これからその人生を自由に歩いて行くのだ。
(新しい私……)
いつだったか魔人に宣言したように、真新しい、自分自身の、自分が選択した未来を。
どんな未来が待っているのだろうか。そしてどんな未来を紡いで行くだろうか。
「おばば様。魔人さん。本当にありがとうございました」
エヴィは心からそう言って微笑んだ。
おばば様と魔人は人相悪く笑いながら、サムズアップする。
幌馬車に揺られながらの道に朝日が昇る。
深い群青色が溶け、柔いあたたかな色が空に広がって行く。たなびく雲が淡い黄色やピンクに色を染め、青と混じり合っていく。真っ白な鳥が空を突っ切って行った。
夜明けの眩しい日の光が、三人の顔を明るく照らしている。
国境近くの街はもうすぐだ。




