13.その後のエヴィ・後編
公爵は今まで溜まっていた分とばかりに、ルーカスに執務を大量に寄越した。
確かにこの二か月は好きに外へ出ていた為文句を言えた義理ではないが、それにしてもと思う量であった。
(……仕事で忙殺して、他のことを考えさせないって寸法なのか)
見え透いた父の対応に呆れたようにため息をつきつつ、父からすればまた自分を呆れた気持ちで見ているのだろうと思い、苦く笑った。
扉がノックされ返事をすると、初老の執事がお茶の用意と共に入室して来た。
「坊ちゃま、今ほどベイカー子爵家のお嬢様がいらしております」
見知らぬご令嬢の来訪に、ルーカスは眉をひそめる。
クリストファーとアドリーヌ(エヴィ)が不仲なのをいいことに取り入ろうとしていた連中が、今度はルーカスに照準を変えて来たのである。使者も先触れも寄越さずに乗り込んで来るのは大変に珍しいが、それが余計にルーカスの表情を刺々しいものにしていた。
これ見よがしに大きくため息をつきながら、書類に視線を落とす。
「私は忙しい。申し訳ないが帰ってもらってくれ」
「売り込みではございませんよ。シャトレ様のことを伺いたいと仰っています。後、新聞広告のことでお話ししたいと」
執事の声にはじかれたように顔を上げた。
優しい表情でルーカスを見つめる執事が、笑いをこらえるような表情で確認する。
「こちらへお通しいたしますか。それとも談話室の方がよろしいですか? それとも――」
帰ってもらうかという声を遮るように早口で告げる。
「ここへ!」
自分の執務室の方が誰にも邪魔されず、ゆっくり話が出来るだろうと思った。
******
執事に連れられてやって来たご令嬢は、大人しそうな線の細いご令嬢であった。
茶色い髪にオリーブ色の瞳。そのオリーブ色の瞳を、不安気に小さく揺らしていた。
ルーカスは緊張しているらしい令嬢を前に、威圧感を与えないよう柔和に見えるように微笑すると、会釈して着席を勧める。
「ようこそおいで下さいました」
「お忙しいところお時間をいただき申し訳ございません。マリアンヌ・ベイカーでございます」
淑女らしく丁寧に膝を折ると、勧められるままにソファに腰を下ろした。
「本来ならご予定を伺うべきところ、不躾にも直接参りまして失礼いたしました」
緊張しながら訥々と話す様子はなるほど、確かに売り込みに来たご令嬢たちとは違うようである。
聞けば、アドリーヌと同い年だという。
入学当初高位貴族のご令嬢方に意地悪をされ浮いていたそうであるが、それをアドリーヌがとりなして意地悪がやんだそうである。また、中等教育課程でペアを組む際などには一緒に組んだりしていたのだそうだ。
「優しくしていただきましたのに、私は何もお返しが出来ませんで……殿下とミラ様の件もどうすれば良いのか解からず、ただ見ているだけでした」
「……それは、仕方がないでしょう。下位の者が上位へ意見するのは難しいですから……」
ルーカスとアドリーヌが卒業した後のことなため聞いた話ではあるが、学園でアドリーヌとクリストファーの間に割って入ろうとする高位貴族のご令嬢が、ミラへ意見をしたことが幾度となくあったそうなのである。
その都度クリストファーがご令嬢たちに詰め寄り詰問し、段々と誰も何も言えなくなってしまったそうなのだ。
「アドリーヌ嬢も難しいお立場の方でしたから……きっとベイカー嬢の存在は心強かっただろうと思います」
アドリーヌはアドリーヌでこれまた浮いた存在であった。
高等教育課程でのペアは殆どがルーカスが務めることになった訳で……なので彼女の存在は、中等教育課程でのルーカスのような立場だったのではないかと推測した。
子爵令嬢は現状で解っている内容をルーカスに確認し、小さくため息をついた。
王子の婚約破棄騒動は表面的にはタブー視されており、表立って口にはしない風潮である。本当かどうかも怪しい噂話のみが蔓延する中、確認したくともする相手もいなかったのであろう。
「アドリーヌ嬢のことなので先触れを出せなかったのですね……」
子爵家から公爵家へ先触れを出すとなれば、何事かと両親に確認されるであろう。
「申し訳ございません」
「いいえ。それで、新聞広告の件というのは?」
新聞社と縁があって何か情報があるのだろうかと訝しんだが、そうではなかった。
「ルーカス様が近隣諸国の新聞社にメッセージ広告を打っていらっしゃると聞き及びました。隣国の親類に新聞社を経営している者がおりまして。何かお力になれるのではないかと思いまして、参上いたしました」
「それは有難い! 是非お願いします」
幾つか隣接している国の一つが令嬢の母君の生国であり、広告を打った新聞社の一つが親類の会社であることから、頻度や大きさなど色々と融通をつけられるという話であった。
「出来ましたら、私にもお手伝いをさせていただければと思います」
切々と縋るような瞳でそう言うと、子爵令嬢は頭を下げて静かに帰って行った。
実際メッセージがどれほど効果があるのかは不明だが、今出来ることはそう多くない。
(誰か、目撃者でも出てくれれば……)
ルーカスも縋るような思いでメッセージ広告を増やすことを決めた。
*******
「え、王城に旅の一座として潜り込むんですか?」
エヴィは驚いたようにおばば様に確認した。
「そうさ。来月初め、隣国の王城に旅の一座に招集がかかった。それに便乗してカタをつけるよ」
「カタをつけるって」
(――どうやって?)
エヴィは思わず首を傾げた。
「ありのままに、だけど少しだけ不親切な『含み』を持たせて現実を伝えればいいさ」
「……あとは向こうが勝手に解釈してくれるってか?」
「そういうことだね」
魔人とおばば様は意思の疎通もばっちりといった感があるが、エヴィはさっぱりだ。
「まあ、あんたが幸せに楽しくやってるってことを伝えればいいんだよ。言いたい文句があるなら一緒に言ってやんな」
「はぁ」
何だかよくわからんと言った風貌のエヴィに苦笑いをしながら確認する。
「詠唱はバッチリかい?」
「はい! それはもう!」
今度は元気に頷いた。魔人はニヤニヤしている。
「…………。やってごらんよ」
エヴィはキリッとした顔で大きく息を吸う。
腰を落とし右手右足を後ろへ引くと、大きく声を発した。
『春を齎す愛と豊穣の女神よ!』
右腕を横に伸ばし、左腕は大きく引き付ける。
魔人は古くてぼろいテーブルに肘をついてエヴィの動きを見た。
『季節を紡ぎて花々を咲かせん!!』
エヴィの大きな動きを、おばば様は何も言わず、光の消えた瞳で追う。
そんなことなど気にもせず、エヴィは両手をクロスし、その後右手を高く突き上げた。
『フル・ブルーーーームッッ!!!!』
「…………」
三十秒ほど、長閑な山の麓の小さな家に無音の世界が広がった。
「どうでしょうか!?」
「……詠唱は覚えたんだね……もうちょい、(おかしな)動きを押えるといいんじゃないのかねぇ」
瞳を輝かせるエヴィに、何とも言えない表情のおばば様が小さく頷きながらそう言った。




