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02.婚約破棄、受けて立ちましょう

(恋とは恐ろしいものねぇ)


 ――お伽話では、愛も恋も素敵で美しいものだけど。

 ――実際は歪んでしまう事もあるのね。

 ――自分と自分の愛おしい人だけが幸せならいいなんて、何だか浅ましいと思いますの。

 ――愛されなかったものの僻み? でも、それ以外の人はどれだけ踏みつけても、必要以上にいたぶっても平気なんて、人としてどうかと思うのですけど。


(気をつけないと……人のふり見て我がふり直せ。おふたりは反面教師だわ)


 こんな風に大勢の目のあるところで恥をかく事がない様に。そう自分に言い聞かせる。


「それでは、殿下はわたくしと婚約破棄をし、ミラ様と婚約をされる……という事ですわね?」


 アドリーヌは静かに尋ねる。


「そうだ! アドリーヌはミラを陥れ、貶め、外道な振る舞いをしたのだ。そのような人間を国母にする事なんて出来る訳がない!」


「私、とっても辛かったのです、アドリーヌさんが謝ってくれたら許してあげます!」


 目を吊り上げてクリストファー王子が怒鳴り、ミラは翡翠色の瞳に涙を浮かべながら宣う。


(ええぇぇ……?)


 言っている事が無茶苦茶なのだが。

 どうすれば互いにきちんと、意思の疎通が出来るのであろうか……


 よしんば万が一、伯爵令嬢が男爵令嬢に意地悪とやらをしたとしても、こんな大勢の前で謝罪とかない。


 まして『謝ってくれたら許してあげます』とか言ってしまう事もありえない。

 

 低位貴族のご令嬢が、高位の、ましてや王子の婚約者であるアドリーヌに対して『さん』もありえない。

 

 ……彼女のお家は大丈夫なのだろうか。他人ながら心配になってしまう。


「ええと。その、ミラ様をわたくしが意地悪をしたり貶めたりというのは、学園内でなのですよね?」

「そうだ!」


「わたくしが学園に参りますには、騎士様を一緒にお連れしなければなりませんのは、ご理解いただけましたか?」

「うん?」


「ついでに、関係各所に許可と申請書提出と許可を頂かなくてはならないのです……」

「うん……?」


「更に、他の方に代わりにして頂くにしてもですが、わたくしが王城に教育の為お部屋を賜っており、自宅ではない為にどなたかを呼ぶ為には、外出と同じように関係各所に許可と申請書提出と許可を頂かなくてはならないのです……」

「……うん……」


「他の方にして頂く為に、依頼の為に伺うにしても騎士様を一緒にお連れしなければなりませんし、関係各所に許可と申請書提出と許可を頂かなくてはならないのです」

「…………。うん…………」


 許可が二回出ているのは間違いではない。二回貰う必要があるのである。


 早口になり過ぎないように説明をしながら、アドリーヌはクリストファー王子の顔を見た。


「ですので、わたくし、周囲に迷惑が掛かりますのでお友達を呼んだ事がございません。それに、王太子妃教育と勉強、空き時間は執務のお手伝いをしておりますし、六年の学習期間を半分で履修いたしましたので、勉強ばかりで呼ぶお友達がおりませんの。存在しないのですわ」


 困った顔のアドリーヌと、微妙な表情の王子とミラ。

 そして困惑気味の老若男女のギャラリーたち。


「身の安全もですが、品位が損なわれるような事は女官たちに厳しく指導を受けますわ。

 ですから、万が一にもそんな愚かな事をしようとしたとして、きっちりかっちり止めて下さいます。皆様王家に忠実な立派な淑女ですもの。


 ……それで、もし騎士様や女官が殿下の仰るような事をしていた場合ですが……流石に生徒に交じると違和感が隠しきれないかと思いますのよ。


 ミラ様、あなた様をいじめた者はこの中にいらっしゃいまして?」


 騎士と女官数名を並べて見せる。

 ……基本的にはオバサンとオジサンで構成されている。

 数名若い人もいるが、とても学園の生徒にはなりえない年齢だ。


「……いえ、おりません……」


 口籠って答える。

 います、とは言えないだろう。徹底的に追及されて嘘……好意的に言って勘違い(?)が露見してしまう。


「では、わたくしが行ったという確固とした証拠はないという事ですわね? わたくしがしたのではない……いえ、するのが限りなく難しい、というのは解って頂けましたでしょうか?」

「…………」


 何かを言おうとしているミラに、被せ気味に続ける。


「でも、先ほど辛かったと仰ってましたものね……とってもお辛かったんですのね。だから、殿下の婚約者のわたくしがしたのだろうと、勘違いしてしまった」

「そ、そうなのです! 私、とっても辛かったのです」


 誤魔化そうとしてなのか本当なのかは置いておいて、とっても必死に言い募っている。

 どさくさに紛れて言質も取れたし。その様子に、アドリーヌは何度も頷く。


「では、どなたがミラ様にそのような事をなさったのか、徹底的に調べて貰って下さいませね、殿下。

 憶測ではなくて、本当にきっちり調べて差し上げて下さいませ? 殿下の愛するミラ様が仰っているのですもの。仇を取って差し上げないと。ね?」


 ふたりの顔を交互に見ながら念を押す。

 本当にそんな事実が出てくれば良いが……出てこようが来まいが、アドリーヌの知った事ではない。


「わたくしはおふたりが仰ったような事は一ミリたりとも致しておりませんし、出来ませんが。殿下のお言葉をしかと重く受け止めまして、婚約破棄をお受け致しますわ」


 大広間が大きく騒めく。

 言い出しっぺのクリストファーも瞳を丸くして、驚いた顔をしていた。


 多分、泣いて縋るとでも思っていたのであろう。

 自分のものだと思っているからこそ、ぞんざいにも扱えるのだ。


「アドリーヌ様……!」

 女官が顔色を悪くして、非難するような声を出した。


 その間にアドリーヌは、王太子妃候補として公務の際に座る席の横、いつでも持参している書類鞄から用紙をとっては、さらさらと婚約破棄の書類をしたためて行く。


 書類作成はお手の物だ。

 伊達に十年以上、王太子妃候補として執務を押し付けられている訳ではない。


「国王陛下に確認を致しませんと!」

 アドリーヌは慌てた女官を押しとどめる。


「あら、婚姻が如何に重大なものかは貴族なら誰でも知っておりますわ。ですから勿論聡明な殿下は、王家の婚姻がどういうものかきちんとご存じでいらっしゃいますもの。このように大勢の皆様の前で発表なさるという事は、王家の決定事項以外ありえません。既に国王、王妃両陛下にはご了承を受けているに決まっているではないですか」


 穏やかに笑ってそう言うと、そうでございますわよね? とクリストファーに視線を向ける。

 クリストファーは視線を左右に彷徨わせながら、かすれた声で『ああ』と言った。


「それに王家の方々……殿下の仰る事は絶対だと皆様、言っていたではございませんの。ですから、この事も正式な王家からのお言葉として、わたくしが粛々と受け入れるのは至極当然の事ではございませんの?」


 女官たちは口籠った。


 伯爵令嬢でありながら、王太子妃となる栄誉を勝ち取った少女に対する嫉妬に僻み。

 将来すんなりと執務が出来るように与えられた王家の執務の手伝いだけではなく、王子の執務の肩代わりをさせる為の方便。


 また、王家の人間から理不尽な事を言われても我慢させる為にずっと使って来た『王家の方が仰る事は絶対』がのしかかり、彼女たちの首を絞める。


「物心つく前から王城にあがり、わたくしなりに誠心誠意、請われるままに努力して来たつもりですが、足りえなかったのでございましょう」

「……そ、そうだ。貴様では王太子妃足りえない! 王太子妃とは美しく皆に愛される人間がなるべきだ」


 今までの話を聞いていた心ある貴族たちは、王子のあまりな言葉に眉を顰める。


 ……確かにアドリーヌは目を引くような華やかな美しさではない。

 かと言って、醜くも見苦しくも無く、清純そうな見目なだけである。


 今まで語られた話からすれば、幼くして親元を離れ、ただひたすらに努力してきたのだろうご令嬢に……それも両家が認めている正式な婚約者に、いきなりこのような理不尽な話を投げつけるようなものなのだろうか、と。


「ですので、両陛下もご納得されているのでしたら、おふたりを祝福いたしますわ」

「!!」


 アドリーヌの言葉に、大広間にいる全員が驚く。

 この話の大元の原因である王子もミラも。


「そちらは、両陛下もご納得いただいているでお間違えないのですよね?」

「あ、当たり前だ!!」


 念のために再確認するアドリーヌに、クリストファーは引っ込みがつかなくなったのだろう、食い気味に大声を出す。


 この機会を逃すべきでないと思っているのだろう。

 大方、大勢の人間の前で事を起こしてしまえば、覆せないとでも思ったのだろう。


 しめしめ。それは誰の心の内か。

 

 アドリーヌは、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。

 再び大広間がどよめく。


「それはよろしゅうございました。では、こちらにご署名下さいませ。わたくしはもう済ませましたので」


 そう言って、今ほど作成した婚約破棄の書類をクリストファーに手渡す。

 乱雑に書かれたサインを確認して頷いた。


「読み上げますので、おかしな箇所が無いかご確認くださいませ」

 

 内容は普通の破棄の内容と一緒である。


 まずは婚約破棄に至る経緯。

 王子クリストファーがミラ・デュボア男爵令嬢を見初め、それにより現婚約者アドリーヌ・シャトレ伯爵令嬢を王太子妃とするに不適格とし、国王夫妻に奏上、婚約の破棄を行う事を受理されたとクリストファーより申し入れがあった事。


 互いに話し合いの上納得したものとし、賠償その他は婚約の締結の際に署名した内容に沿う事。



 余計な文言は入れず、あくまで事実(……としているだけだが)と、保証や補填内容そのものは先に作成している婚約の契約書内容に沿う、という至極あっさりしたものであった。


「国王陛下に御署名頂きませんと!」

 女官が書類を取り上げようとするが、アドリーヌが素早く引き寄せた。


「殿下はもう成人していらっしゃいますので、他の書類と同じ、ご本人の御署名のみですわ……わたくしは未だ未成年ですので、父の署名が要りますが」


 そう言いながら父へ、手紙を綴る。


 クリストファーから婚約破棄の申し入れがあった事。

 王家からの申し入れの為、無条件で受け入れる事。その書類に署名をして提出して欲しい事。

 これらは本日の夜会で行われ、沢山の貴族が証人となっている事。


 ……まあ書かずとも言わずとも、今夜の出来事はあっという間に社交界に広がるであろう。きっと後世に語り継がれる筈だ。


 それらを走り書きとは言え流麗な文字でしたためると、封筒に入れ封をした。


「騎士様。申し訳ございませんが、これをシャトレ伯爵家へ届けて頂けますか?」

 近くにいた騎士に願うと、悲しそうな顔をしながら御意、と言って大広間を後にした。



「後日父より関係部署へ提出をするように書き添えました。――どうぞお幸せに」


 信じられない位あっさりと、そして穏やかに別れを告げるアドリーヌに、クリストファーは顔を歪めた。


「これでミラ様が未来の王太子妃ですわね。王太子妃教育は大変かと思いますがどうぞ頑張ってくださいませ」


 これから女官に嫌という程絞られるであろうミラに笑顔で応援をする。


 ……いや、絞られる立場になれれば良いが。

 伯爵令嬢ですらあの扱いだったのだ。男爵令嬢が、それもつい最近まで市井で暮らしていた少女が本当に認められるのか。


 気を引く為の王子の甘言に踊らされ、今後の社交界での立ち位置は非常に辛いものになるであろう。


「美しいご令嬢に替わって宜しゅうございましたわね? 王太子妃候補の再教育になりますが、どうぞ丁寧に教えてあげて下さいませ」


 地味で華が無いのだから能力をつけろと、色々無理難題を言って来た女官に微笑む。

 思ってもみない顛末なのだろう。女官は口をはくはくとさせて立ち尽くしていた。


「皆様、大変お騒がせ致しまして失礼致しました。本日の婚約破棄に関する証人と立会人は、本日この会に出席された皆様と相成りました。我が国と王室とを支えて下さる皆様にお見守り頂きまして滞りなく完了出来ました事、誠にありがとう存じます。


 こちらにいらっしゃる皆様がご健勝でご多幸でございますように」


 アドリーヌはお手本のようなカーテシーをして、自ら鞄を持ち、大広間を去った。


「……厚顔無恥め! 貴様にほとほと愛想が尽きた、もう二度と顔を見せるな! 王室で買い与えたものを持ち出す事は許さん! 着の身着のまま出て行け! 国外追放だ!!」


 泣いて縋ると思ったアドリーヌに笑顔で対応され、頭に血がのぼったクリストファーは去り行く背中に手酷い言葉を投げつけた。

 一瞬立ち止まり振り返ると、畏まりましたと言って会釈をした。


 嫌いな人間に縋って欲しいとか、全く意味が解らない。


 どっちが捨てられたのか。

 どちらが勝ったのか。そして負けたのか。


 心ある人々は、気高いご令嬢の背中に膝を折って見送った。


 密かに、幼い頃から今まで、頑張る彼女を見守ってきた公爵令息がアドリーヌを追いかけたが。離れた場所にいた為なかなか追いつかず……

 

 急いで廊下へと出るがアドリーヌの姿は既にそこには無く、忽然と消えていたのであった。名を呼ぶ声が、ポツリと消えて行くばかりであった。


「……アドリーヌ嬢……?」

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