閑話 魔人とクッキング
ここは人里離れた山の麓。
『薬師のおばば様』と呼ばれる薬師兼占い師兼魔法使いの老婆と、その下僕兼同居人のランプチャームの魔人がひっそりと住んでいる。
そこへ最近、隣の国の王子様の元婚約者兼元伯爵令嬢が転がり込んで来たのである。
名をエヴィ・シャトレという、亜麻色の髪に碧色の瞳をした十六歳の女の子であるが。
「私、シフォンケーキを焼きたいのです!」
「…………」
朝食の際、握り拳を振り上げながらエヴィが言った。
それを聞いたふたり……おばば様と魔人は、何も言わぬまま微妙な表情をした。
知力も執務能力もすこぶる高い彼女であるが……どうも家事能力だけが欠如しているように感じる。
元々貴族令嬢である上、王城でお嬢様としてエリート教育を受けた彼女は、正比例するかのように平民のするような事は全く以て身につけてはいない訳で。
まだ平民としての生活は始まったばかり……
これから勉強や執務と同じように、料理や掃除も覚えていくのだろうと思っていた。
まだ判断を下すのは早いとは思うものの、ふたりは何となく嫌な予感がしているのも間違いない訳で。
はっきり言ってエヴィには、家事センスなるものが無いように見受けられる。
「……なんでよりによってシフォンケーキなんだ?」
シフォンケーキは卵白を硬く角立て、ふっくらフワフワに仕上げるケーキである。
非力そうな上手際も悪そうなエヴィでは、卵白が角立つか疑問である(いや、限りなく角立たないと思う)。
その上萎み易い為、色々扱いに注意が必要なケーキである。
「だって、この前お菓子屋さんに行った時に食べたフワフワが忘れられないのですもの!」
うっとりとした表情で言うが。多分エヴィが作ったシフォンケーキでは、フワフワにはならないと思うのである。
「……だったらまた買って来たら良いじゃないか」
おばば様がごもっともな意見を言った。
魔人もうんうん頷く。
「え~! せっかくなのですもの、自分で作りたいじゃないですか!」
「悪いが、お菓子は作るより買った方が大概美味いぞ」
確かに。
余程玄人はだしでない限り、お菓子はプロに任せた方が確かだと思うふたりであった。
「……何だいそれ、キモチワルイねぇ」
「…………」
押し問答の末、魔人は負けた。
使って欲しいと言われて手渡された箱を開けると、中にはフリフリのエプロンが一枚、入っていた。
パステルピンクの、ひらひらが沢山ついたエプロン。
闘士かと見まごう程に立派な体躯(腰までだが)の、脚はにょろんとした紫色の魔人……
一応身につけてみるが、完全にミスマッチである。
「良く似合います!」
「…………」
自信満々にそういうエヴィを、ふたりはチベットスナギツネの様な顔で見遣った。
「エヴィ! 卵はそっと割るんだ、握り潰すんじゃねぇ!」
半ギレする魔人とエヴィの周りには、卵液と殻が散乱していた。
グワシャァ!! ビチャーン!!
……全ての、家中の卵を潰したところでエヴィは『粉をふるう係』に任命された。
「こうやって『ふるう』のですね!」
気をとり直し、気合を入れてふるいに粉を入れ横に揺らしながらそう言うと、空中に漂う小麦粉が鼻腔を刺激する。
そして元ご令嬢とは思えないような豪快なクシャミが飛び出すのは、最早お約束だ。
「……ふぁ、ブワックション!!」
「…………」
ボウルに入った粉が綺麗に全て空気中に舞い、視界が真っ白に変わる。
互いの顔が見えるようになれば、エヴィと魔人のみならず、心配で近くで見ていたおばば様まで粉だらけの真っ白になっていた。
「…………」
三人は互いの姿を無言で見合うと、呆れたように大笑いしたのであった。
いつもの如く洗浄魔法で丸洗いされると、残った材料を混ぜて捏ね、魔法で出した型で抜き、天板に並べてオーブンに突っ込んだ。
クッキーだ。
クッキーの焼ける間のわずかな時間、静かな筈の山の麓の薬師の家は、お菓子の焼ける甘い幸せな香りに満たされた。
「わ~! いい色に焼けましたよ!」
初めてクッキーを作ったというエヴィは、大喜びで魔人の持つ天板を覗き込む。
逆にエヴィがすっ転んで突っ込んで来ないか、魔人の方がヒヤヒヤものである。
「熱いから気をつけなよ!」
おばば様の檄が飛ぶが、エヴィはにこにこ顔でクッキーを見つめていた。
程よく冷めたところで実食である。
味付けその他、重要なところは魔人が行った為、味に問題は無いであろう。
エヴィは生地の型抜き係であった。
ふわふわのシフォンケーキではなく、さくさくのクッキーに変わってしまったけれど。
「わわわ、美味しい!」
ひとつ摘んで口に入れれば、笑顔である。
「とりあえず、クッキーが作れるようになってからだな」
「シフォンケーキよりもパウンドケーキとカップケーキが作れるようになってからだね」
魔人はすかさずどこからかティーポットを出すと、人数分のお茶を淹れてテーブルに置いた。
「……っていうか、アンタはなんであんなお約束みたいな事になるんだい?」
「全くだな」
「練習あるのみです!」
嫌そうな顔と呆れる顔をものともせず、エヴィは鼻息荒く右手の拳を突き上げた。
おばば様と魔人は深く大きくため息をつきながら、寄せ集めの素材のクッキーとエヴィを交互に、まじまじと見つめたのであった。
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