11.楽しい生活を始めるのです
アドリーヌが行方不明となって一か月が過ぎた。
懸命の捜査が続いてはいるが、段々と諦めムードになって来ている事も確かだ。
始めは大半の人間がすぐにみつかるものと思っていたが、捜索は予想外に困難を極めていた。
捜査を始めた当初、近くにいるとばかり思っていた。その為彼女が立ち寄りそうな場所を中心にしらみ潰しに王都内を捜索していたのであったが、その足取りは全く掴めないままだったのである。
捜索を始めて三日後。誰かに連れ去られたか、遠くに行く決意で王城を出たのではないかという判断に至り、捜査範囲を拡げた。
すると数日後、王都からかなり離れた地方都市で、彼女のものらしい髪が売り払われている事を突き止める。
鬘屋の店主に話を聞いたところ、髪を売りに来る人間はそれなりにおり、特に強い印象に残ったところはないとの答えだった。
「誰かと一緒に来たとか、怯えていたとか……不自然な様子は見受けられなかったか?」
ルーカスが店主に問う。
店主は困ったような顔をしながら答える。
「さぁ……もう一週間も前の事ですし……多分若い女性でおひとりだったとは思いますが……ただ、普通の様子だったと思いますよ。怯えていたなら記憶に残っているでしょうから」
「……そうか」
この間一週間。
捜査は完璧に後手後手に回っていると言えた。
身代金などの要求が伯爵家に寄せられない事に加え、ならず者達が令嬢を攫ったという情報も全く出て来ない事から、アドリーヌが自分の意思を持って身を隠しているか、遠くに行ったものと考えられた。
国境を警備する関所に確認もしたが、やはり結果は芳しくない。
平民は商いなどで相当数の出入りがある為、基本は身分証の確認だけである。
戸籍を確認して貴族だった場合は、万が一諸外国で何かあった場合に備え記帳をしておくそうであるが、アドリーヌ・シャトレの文字は見受けられない。
平民の戸籍を用意したのかと考えブラックマーケットも捜査したが、若い女性が戸籍を買ったという証言も証拠も、何も出ては来なかった。
こうなってしまい、伯爵夫妻は自分の娘を早々に手放した事を後悔していた。
国王と王妃も、慣例だからと女官に任せきりにせず、もっと親身に関わるべきであったと悔やんでいた。
頑張り屋で我慢強いアドリーヌは、聞いても大丈夫だと言うばかりであった。加えて優秀でもあった為、安心しきっていたとも言える。
ルーカスも、もっと早く強く、国王夫妻に進言すべきだったと自分を責めた。
貴族達は息を潜める様に状況を見遣りながら、色々な意味で、自分達に余計な累が及ばないようにと静観していた。
今日、ルーカスは捜査の報告の為に王に謁見をしていた。
捜査が長期化した為、人員規模が縮小される事が決まったのだ。
国直属の騎士と兵は大半が通常通りの業務に戻り、少しの人員に変更となる。それに加えてシャトレ伯爵家とルーカスが中心となって捜査を続ける事になったのであった。
「きっと、デュボア男爵令嬢との噂が聞こえてから……いや、もしかしたらもっと前から計画していたのかもしれませんね」
「……そうだな。あの子は賢い子だから、こうなる事が解っていたのかもしれん……」
「無事だと良いのですが」
気落ちするルーカスに、国王は頷いた。
まさか、女官があそこまで酷い負担を強いているとは思わなかったのである。周りも王や王妃にバレない様に、自分達が面倒を被らないようにと隠していたのであるが。
状況が状況の為、今までの色々な事が明るみに出て、王や王妃の知るところとなったのであった。
厳重に囲うようにしていたのも、彼女に取って代わろうとする輩の仕業か、過去に何度か命を狙われる事があった。閉じ込める為ではなく、アドリーヌの安全を守る為のものであった筈だったのに。
「デュボア男爵令嬢が正式に城から下がったそうですね。……執務を覚えさせるとの事でしたが、大丈夫だったのですか?」
「勿論、差し支えない範囲だよ。機密に当たる部分は弾いておいた。全部熟せる筈がないからね」
「途中で音を上げる事をご存知だったのですか?」
「ああ。今後は地方で静かに暮らすそうだが」
「……随分寛大なのですね?」
ルーカスが恨みがましそうに言う。
「もう王家と関わる事はないであろう」
ミラ嬢もデュボア男爵も身に染みた筈だ。
勿論何か仕出かさないよう表に裏に、解るよう解らぬよう、抑止と監視と両方との意味で見張りもつけてある。
何よりも、無理やり命や自由を奪うような事を課す事は、あの他者に寛容なアドリーヌが良しとしないであろう。
「立太子する第二王子をしっかり育てねばならんし、クリストファーも戻り次第、叩き直さねばならん」
時間と物理的な距離を取ってしまえば、たいていの感情は薄れるものだ。
自分だけが一方的に重圧や負担を強いられると思えば、悲しいかな、その速度は加速する。
例え片方が思い続けたとはいえ、恋愛は双方でするもの。
ふたりが再び手を取り合う事は無いであろう。
「お前にもアドリーヌにも申し訳ない事をした……」
「…………」
どうか無事でいてくれれば良いが。
国王はそう思ってため息をついた。
「……私は諦めません」
ポツリと呟くルーカスに、王は静かにそうか、と言った。
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アドリーヌことエヴィは、顔を泥で真っ黒にして草むしりをしていた。
薬草畑とは名ばかりの草むらで、雑草を抜いているのである。
野良仕事をしてみたいと言っていたエヴィだが、鍬も鋤も扱えるはずがなく、鎌は怖すぎる。よって素手で草を抜いているのであるが……
「……おい。そんなペースじゃ日が暮れちまうぞ!」
一緒に草むしりさせられている魔人は、亀のような速度で進むエヴィに痺れを切らしていた。動きもさる事ながら、虫が出て来る毎に驚いたり観察したりし始めるので、全く進まないのである。
焼いてみたいと言っていたパンは、案の定真っ黒焦げの為、消臭剤として使用され。何らかの煮込みを作れば、どうしてか鍋が大量の火を噴いていた。
……平民の擬態へは、なかなか厳しい道のりであるように思えた。
「あちらの端にお野菜を植えられますでしょうか?」
「……それ、俺様の負担になるだけだから却下だ」
「ええぇ~!?」
魔人にすげなく却下されると、エヴィは不満げに声をあげては恨めしそうに、雑草だらけの土地を見遣る。
確かに。
きっと……いや、間違いなく魔人が世話をさせられた挙句、世話をしているつもりのエヴィの面倒まで見る羽目になる筈だ。
庶民の暮らしぶりはまだまだのエヴィだが、投資はどんどん値を上げていた。
選ぶものが軒並み急騰する為、エヴィの資産はこの短期間で既に倍に増えていたのである。
……目利きに自信があるというのは誇張でもハッタリでもなく、本当にその手の才能があるのであろう。
資金も余裕があるし、何よりも小さな頃からずっと努力をしていたのだ。少し位ゆっくりしたって回り道をしたって、どうって事ない。
「一体全体、草むしりにいつまでかかってるんだい! 食事の時間だよ!!」
おばば様のドヤし声が聞こえて来る。
魔人はため息をつきながら紫色の尖った耳をほじっては、魔法で抜いた雑草を消した。
「うへぇ。相変わらず無駄に元気なババアだなぁ」
「モタモタしていると食いっぱぐれてしまいますわ! さっさと行くゼェですわよ!」
そう言って走り出すエヴィを見て、誰のせいなんだとジト目になるのは無理もないであろう。
そしてあの言葉使いは何なんだろうか……
風を切って笑顔全開で走って行く姿を見遣って、声をかける。
「おーい。そんなに走るとコケる……」
ズベシャーーーーッ!
豪快にスライディングして行く元伯爵令嬢を見て、ため息をついた。
「……あ~あ……」
「何やってんだい! ったくもう!!」
文句を言うおばば様に魔法で丸洗いされ、水や汚れはどこに行ったのかと瞳を輝かせているが。
案外落ち着きが無いんだなと、おばば様と魔人は再認識する。
「魔人さーん! ご飯、無くなっちまうゾ、ですわよーーーー!!」
大きく手を振るエヴィと、対照的に渋い顔をしたおばば様に返事をした。
「へいへい……」
エヴィの新しい生活は、今やっと始まったばかりだ。
これから先の未来には、一体全体どんな騒ぎが……いや、面白い事が待っているのであろうか?
これからもエヴィは、元気にふたりを振り回し見守られながら。
時に一緒に、楽しく明るく元気良く進んで行く。
キリリッ! 無駄に凛々しく眉を上げて、勢いよく突っ走って行くのである。
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