第肆話:禍った私と禍らない彼女
完全な暗闇へと落ちていた私の意識を覚醒させたのは、またもや殺月さんの呼び声だった。電気でも流されたかの様に痺れる脳を何とか働かせながら目を開けてみると、どうやら乗っていた電車は終着駅へと到着していたらしく、困った表情をした駅員と目が合い。平謝りしながら急いで電車を降りた。
私達が着いたその駅は、普段住んでいる町から遠く離れた場所にある港町だった。故郷の蛇ノ塚まではまだまだ距離があったが、アサちゃんを探すのに必要な道具一式を揃えるには最適な場所であり、仮に当主である茜さんに病院から抜け出した事がバレたとしてもいくらでも逃げる方法がある場所だった。
「ご、ごめんね日奉さん……も、もっと早く起こせば……」
「ううん。大丈夫だよ。むしろ丁度いいくらい」
「え?」
困惑した様子の殺月さんを連れた私は駅から出ると、まずは海の方へと向かった。町全体は長閑な港町といった雰囲気であり、こんな場所であの子と暮らせればどれだけ良かっただろうと考える。しかし、そんな願望は今のままでは叶わないのが明白だった。
海沿いの道路をふらふらと歩いていると、お目当ての店が目に入って来た。こういった町に必ず一つはあるであろうダイビング用品の専門店だった。ダム底に沈んだあの村に再び行くには、こういった潜水用具が必要不可欠だった。
「殺月さん、さっきそこら辺にコンビニあったよね?」
「ぇ、う、うん。あったけど……」
家を出る際に持って来ていた財布を取り出すと、そこから銀行のカードを抜いて殺月さんに手渡す。私の意図が汲み取れなかったのかキョトンとした表情をしていた。
「えっと、これは……?」
「見ての通り銀行のカードだよ。ほら、私今こんな見た目だし下手に動くと目立つでしょ? だから殺月さんに頼みたいんだ。お金下ろしてきて欲しいの」
「あ、そ、そういう事かぁ……いくら下ろせばいいの?」
「全部下ろしてきて」
「ぜ、全部? うん、分かった……」
全部という選択が予想外だったのか困惑した表情をする殺月さんに暗証番号を教えると、キョロキョロとしながらコンビニへと向かっていった。それを見送って一人になった私は防波堤越しに海を眺める。海も空も綺麗な青色に染まっていたが、遠くの空には薄っすらと雨雲の様なものが浮かんでおり、風の流れ的にこちらへと向かってきていた。これも彼女が持つ不運の力なのか、それともただの偶然なのかは分からなかったが私には関係のない事だった。ここでするべき事はダイビング用品を買う事だけなのだ。買ったらすぐに蛇ノ塚へと向かえばいい。ここがどうなろうが知った事ではないし、どうする事も出来ないのだ。
少し待っていると殺月さんがコンビニから帰って来た。顔を真っ青にしてプルプルと震えており、その震える手には自身の財布が握られていた。
「おかえり」
「た、た、たた、ただいま……」
「どうしたの?」
「どど、どうしたのって……こ、こここんなに入ってるなんて、お、思わなかったよ……っ!」
怪異を封印するという日奉一族の仕事のおかげでお金には困っていなかった。しかし、特にこれといった趣味を持てなかった私にとっては、お金はただ生きていくのに使うだけの存在であり、無かったら無かったで別にどうでもいい物だった。そのせいか自分でも気づかない内に結構な額が溜まっていたらしく、結果として殺月さんを酷く動揺させてしまった。実際、彼女の財布に入れられた私の全財産を見てみると少し驚いてしまう程だった。
「はい殺月さん、深呼吸してー。吸って~……吐いて~……」
何とか殺月さんに落ち着きを取り戻させた私は次にする事を伝えた。それは先程確認したダイビング用品店へと入り、ゴーグル、フィン、酸素ボンベを買って来るというものだった。本来であれば専用のスーツなども必要になるのだろうが、最悪無くても泳ぐ事自体は可能であるため今回はかさばらない様にスーツは買わない事にした。
「あ、あたしよく分からないんだけど……い、色々あるんじゃないのかな?」
「好きなのでいいよ。適当に見繕ってくれれば」
「そ、そんな適当にって……」
「お願いね」
彼女の様に気が弱くて自分で物事を決める意思が低い子に「適当に」とお願いをするのは少々心が痛んだが、下手に自分で買いに行くと足がついてしまう恐れがあるため彼女に任せるしかなかった。謎の儀式以降姿を消したアサちゃんの事を調べようとして勝手な行動をしている事がバレれば、間違いなく私を捕らえるために誰かが派遣されるだろう。もしそうなれば、二度とチャンスは無くなる。それだけは絶対に避けなければならなかった。
殺月さんが店に入ってから数十分は経った頃、ようやく買い物袋を引っ提げた彼女の姿が店先に現れた。やはり重たいのかうんうんと唸りながらこちらにフラフラと歩いてくると、着くと同時に足元に袋を降ろした。
「お疲れ様殺月さん。ごめんね」
「ぅ……ううん、大丈夫。つ、次はどうするの……?」
「うん。後はこのままあそこに行くだけだよ」
スマホを使って故郷への経路を調べてみると、かなり時間は掛かるが何とか今日中に行ける事が判明した。そのため、まずは一番近くにあったバス停まで移動すると次のバスが来るまで待つ事にした。田舎の方だからなのか便数は少なかったが、少なくとも後数分もすればバスが来るらしかった。殺月さんが持っていた袋を代わりに受け取ると、へとへとになっている殺月さんをベンチに座らせる。
「ひ、日奉さん……座らなくていいの……?」
「うん。殺月さんは体力無いなぁ」
「ぁ……あんまり運動は、得意じゃないからね……」
彼女の言う通り、体育の時間などでもかなりの運動音痴っぷりを見せている。しかし、かといって勉強が得意かと言われると、そちらもあまり良いとは言えない。彼女がテストなどで赤点を取るのは何度も見てきた。彼女が生まれつき容量が悪い子なのか、それとも彼女に付けられた『真臥禧』という名前が彼女の才能を阻害しているのかは分からなかったが、いずれにしても彼女にとってそれがコンプレックスになっているのは確かだった。
「あんまり気にしなくていいと思うよ」
「で、でもあたし……も、もっとちゃんとしなきゃで……」
「殺月さんは十分ちゃんとしてると思うけどなぁ」
「そ、そんな事ないよ……だって、あたし日奉さんみたいに、その……頭も、良くないし……」
「別に私だって良くはないよ。私が言ってるのは、優しさの事」
「優しくなんて……」
「…………優しいよ。十分」
正直、彼女が病院から付いて来てくれるかは賭けだった。こんな言い方をするのは良くないかもしれないが、マジメちゃんな彼女ならいい子ちゃんぶって止めると思っていたのだ。しかし、そんな私の予想を裏切るかの様にこうして一緒に付いて来てくれた。それも私の過去についてを知ったからだった。普通であれば一人生き残ったという私の事を怪しんでもおかしくない。実際、事件を起こした当時も警察は私の事を疑っていた。証拠が無いから捕まらなかっただけなのだ。きっと誰の目から見ても、私が犯人に映っていた筈なのだ。彼女がそれに気が付かない訳がない。きっと彼女も気づいている。それでもなお、こうして付いて来てくれているのだ。これを「優しい」と言わずして何と言えばいいのか。
恥ずかしそうに俯いてしまった殺月さん相手にどう言えばいいのだろうかと思案していると、そんな私を助ける様にバスが到着した。
「行くよ殺月さん」
「ぅ、うん……」
降りる人と目が合った際に一瞬ギョッとされたが、あまり触れない方がいいと思ったのか、その人はそそくさとバス停から離れていった。電子カードを使わずに券を二人分取った私はなるべく目に付きにくい後方の席へと座った。
「殺月さん。スマホのバッテリーは大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だけど……」
「今から私のスマホの電源を切る。理由はちょっと話せないけど、そうしなきゃいけないの。だから、村までの乗り換えは殺月さんが確認して欲しいんだ。出来るかな?」
「……ぅ、うん! ま、任せて……っ!」
怪異を相手にする事を生業としている日奉一族は全員何かしらかの特殊能力を持っているとされている。私の場合は『物の記憶を見る』というだけだが、中には一人で世界中のあらゆる情報を自在に書き換えたり、ハッキングしたりする力を持っている人も居るらしい。私自身その人に会った事がある訳ではないため、どこまでの事が出来るのかは分からなかったが、もし話が本当ならスマホのGPSを探知して簡単に居場所を割り出すくらいの事は出来そうだった。だからこそ、茜さんに番号が知られている私のスマホの電源を落としておく必要があったのだ。常に追跡されれば流石に逃げられないのは私にも分かっていた。
バスの扉が閉まった事により内部の酸素量が減っていくのを感じ、再び頭が痺れる様な感覚に襲われる。
「ごめん殺月さん……乗り換えになったら起こして……」
「う、うん。今度はちゃんとやるね……っ」
波の様に押し寄せてくる眠気に意識が呑み込まれ、視界は夜の様に真っ暗に染まっていった。