第弐話:まがれまがれまがれ
口籠っている私を見て殺月さんは不安そうな顔をしていた。私がやっている仕事は当然彼女には隠してあるが、それでも突然学校を早退したり居眠りをしている姿を目撃されているため、何か不審なものを感じ取っている様子だった。あの写真を見られてしまった以上、下手な嘘をついてもボロが出る可能性があったため仕方なく必要な情報だけを話す事にした。
「あの子は……妹だよ」
「日奉さん、い、妹さん……居たんだね」
「うん。双子のね」
「すっ凄い、ね。あたし一人っ子だから、そういうの憧れちゃうな……」
一度だけ彼女の家に遊びに行った事がある。その時は仲が良いからというよりも監視しなければならない対象だったからである。自身が持っている不運を振りまく力を制御出来ていない彼女に何が起こるのか、監視するのが当時の私の仕事だったのだ。最初は表向きだけの関係を続けるつもりだったが、時折見せる捨てられた犬の様な目を見ると見捨てられなかった。
彼女の両親は健在でありぱっと見特に変わった感じは無かったが、案内された彼女の自室には大量の縁起物が所狭しと並べられていた。しかしそんな紛い物では強大な不運は抑え込めていなかった。
「い、一緒に住んで、ないんだね……?」
「……そうだね。うん、今は実家の方に居るよ」
「そ、そっか。実家……どこだっけ?」
返事を失敗してしまった。いつも学校では目立たない様に隅っこの方に居る事が多いというのに、こうして二人きりになると何故か私の事をずけずけと調べようとしてくるのだ。彼女に今まで友人が出来なかったのは、不運の力のせいではなくこういった部分なのではないかとも感じる。もっとも彼女には悪気は無いのだろう。ただ親しい人の事をもっと知りたいというだけなのだ。理解出来なくはない。
「そういえば殺月さん、何か用があってうちに来たんじゃないの?」
「えっ!? え、えと……し、心配だったから……」
「本当にそれだけ?」
「……あの、ね。い……一緒にどこか、遊びに行けたらなって……」
申し訳なさそうに喋る彼女の声はどんどん小さくなっていき、最後には空気にかき消されるかの様に聞こえなくなった。
彼女は何故かあまりメールなどといった電子通信を好まない。電話ですらもこちらから掛けなければ使おうとしない。一度、何故そこまでして使わないのかと聞いた事があり、その時彼女は「顔が見えない状態で話すのは怖い」と答えた。確かに彼女の様な気の弱い子からすれば、相手がどんな表情をしているか見えないのが怖いというのは納得出来た。だからこの様に時折家へと突然やって来たりするのだ。
「何だそんな事かぁ。いいよ。どこ行きたい?」
「ぇ、ぁ、えと……うーん……」
「決まってないならお外歩きながらにする?」
「ぁ、う、うん!」
少しでも早く部屋から追い出すためにアイデアを出すと、彼女は嬉しそうな顔を見せて小走りで玄関へと駆け出した。しかしその際、勢いよく動いたせいか机に脚をぶつけて盛大に転んだ。周囲に不運を振りまく代わりに何故か本人の運は良かった彼女にしては珍しい現象だった。
「ちょっと、大丈夫?」
「ご、ごめんなさい……だ、大丈夫……」
足を擦りながら座り込んだ彼女の目には涙が浮かんでおり、その雰囲気はどこか幼い頃のアサちゃんを思わせた。いつも私の後ろを付いて回り、活発なせいで転ぶ事の多かったあの子もよくこんな顔を見せていた。
「無理に立たないで、痛いの治まるまで座っててね」
「あ、ありがと……ぁ」
「どうしたの?」
「こ、これ……何?」
そう言って彼女が床の上から拾い上げたのは茜さんから届いたお守りの中に入っていた紙片だった。ホームレスの様な風貌の謎の人物によって「まがれ」という文字だけが書かれており、危険性は取り除かれているとはいえあまり持っていて縁起のいいものではなかった。不運の力を持っている彼女と掛け合わせた場合何が起こるのか予想出来なかったため、慌てて取り上げる。
「危ないっ!!」
「ぇ、え……?」
「……あ、えっと。あんまり触って欲しくない物なんだ。ごめんね、おっきい声出して」
「う、うん……あたしも勝手に触ってごめんなさい……。それで、その、それって何?」
「えっと……」
どう答えるべきかと回答に詰まった。お守りの方であれば家族からの贈り物とでも言えるが、ただ文字が書かれているだけの紙の何が危ないのか、何故触って欲しくないのかの説明をするのは困難だった。しかも運の悪い事に彼女の下の名前である「真臥禧」と全く同じ読みである「まがれ」と書いてあるのだ。どう答えれば誤魔化せるのだろうか。
「あっ……」
「?」
「ななな、何でもない! ご、ごめんなさい! さ、先に出てるね!!」
殺月さんは何故か急に顔を赤くして部屋から飛び出していった。一体彼女が何を想像したのか理解出来なかったが、部屋から追い出す事が目的だった私からすれば有難い事だった。
あまり待たせるのも良くないかと考え、簡単に化粧や身支度を済ませると紙をお守りに詰め込むと、どこかで処分するためにライターと共に鞄の奥へと突っ込んで家を出た。
「お待たせ。大丈夫?」
「う、うん! なな、何でもないよ……!」
アパートの階段下で待っていた彼女と合流すると、まだ顔を赤くしてこちらと目を合わせようとしなかった。遊び場所を見つけるために歩き始めても、そわそわと落ち着かない様子を見せており相変わらずこちらと顔を合わせなかった。何かを隠しているのではないかと感じた私は、嫌でも向かい合わなければならない状態を作り出すために駅前にある喫茶店へと向かう事にした。
この町は動物園などがあるためか駅前にはそういった観光客狙いの店が立ち並んでおり、とにかく飲食には困らない場所だった。
「お腹空いてない?」
「えっ!? ぁ……うん」
どこに行こうかと話し合う目的もあったが、今一番話さなければならないのは彼女の態度についてだった。自らの力を無自覚に使用し制御出来ていない彼女の精神状態が乱れるのは出来るだけ避けなければならない状況だった。
席について向かい合う状態になった私は適当に注文を済ませると、俯いている殺月さんへと声を掛けた。
「殺月さん」
「ひゃいっ!?」
「……もうちょっと声抑えてね。さっきからどうしたの? 私何かしちゃったかな?」
「ぇ……ぅ、ぁ、あの……さっき……な、名前が……」
「さっきの紙の事かな? あのね、あれは――」
「あたしはっ!! ……ぅ、ひ、日奉さんが、そ、そのつもりならっ……全然っ! だだ、大丈夫、で、す!」
「…………はい?」
彼女が一体何を勘違いしているのかまるで理解出来なかった。まさか私が彼女の名前を書くほど好きだと勘違いしているのだろうか。別に殺月さんの事は嫌いな訳ではないし、臆病ではあるが誠実な部分は評価しているつもりだ。しかしわざわざそこまでする程ではない。ライクな関係なのだ。
「あの、殺月さん? 他の人も居るからもうちょっと小さく喋れる?」
「あっ! う、すみません…………」
「うん。えっと……さっき殺月さんが言ってたのってどういう事? 怒ってる訳じゃないんだよ? ただ、意味がよく分からな――」
そうして質問をしようとした瞬間、「あっ」という声が聞こえたかと思うと店員が運んでいたオレンジジュースがこちらへと零れ落ちてきた。どうやら運んでいる最中にバランスを崩したらしく、しかもよりにもよってそれは私が頼んだ物だったのだ。
「す、すみませんお客様!」
「いえいえ、大丈夫ですよ。すぐに乾きますから」
「ご、ごめんなさい日奉さん! あ、あたしが居るから……」
確かに彼女の不幸の力は私にも発動するというのは以前確認済みであるため、これも彼女が起こしたものだという可能性は十分にあった。
「ま、待ってて、すっすぐに……ほら!」
殺月さんはわたわたと慌てながらいつも持ち歩いているポケットティッシュをこちらに差し出した。普段から不運を起こしてしまう彼女にとってポケットティッシュや折り畳み傘は必需品だったのだ。
ティッシュを受け取って服を拭きながら頭を下げてくる店員に問題ない事を告げていると、突然厨房の方から何かが割れる様な音が聞こえてきた。皿という感じの音ではなくガラス製の物、恐らくグラスか何かを落とした様な音だった。
「すぐに代わりの商品を持って参りますので……」
「いや本当に気にしないでください。大丈夫ですから」
「は、はい……」
店員が下がっていくのを見届けると殺月さんに顔を向ける。
「大丈夫だよ殺月さん。別に貴方のせいじゃないよ」
「で、でも……昔からこういう事ばっかりだったし……ひ、日奉さんも知ってる、よね?」
彼女のこれまでの経験は中学の頃に教えてもらった事がある。幼稚園の頃には水泳の時間中に同じクラスの子が溺れたり、お遊戯会の時には天気予報でも予測されなかった雷雨が発生し、小学校の時には体育祭でも文化祭でも雨が降り、同級生が川に流される事故が起こり、中学生になっても同じ様にイベント事の時には雨が降り続け、当時所属していた美術部の他の部員の作品が紛失するという事件があったらしい。もっとも、中学時代の話は私もこの目で確認したものだが。
「殺月さん、考え過ぎは駄目だよ。たまたま貴方がそういう事に居合わせちゃってるだけだもん」
「で、でもでも、おかしくないかな? いっつもこんな事ばっかりなんだよ? そ、それなのに、あたしだけ……あたしの家族だけ、特に何も起きないんだ」
殺月一家にだけは何故か大きな不幸が起きないというのは私も注目している部分だった。不運の中心である彼女の周りには確かに不運が起きていたのだが、毎回大きな被害を被るのは他の人間であり、殺月さんやその家族は最悪の事態を避けられていた。彼女の名前「真臥禧」に込められた意味が本当に「まがれ」と同義である可能性もあったが、自分の力では確証が持てないため彼女の両親を糾弾する訳にはいかなかった。
「あのね殺月さん。私、そういうオカルトな話は専門じゃないんだけど、それでも殺月さんのせいじゃないって思うよ?」
「そ、そうなのかな…………あ、ありがと。そ、そういう風に、言ってくれるの日奉さんだけだよ……」
殺月さんは慰められて安心したのか少しホッとした表情を見せて目を細めた。これで精神状態が安定して想定外の事は起こらないだろうと胸を撫で下ろしたその時、私の意識は凄まじい熱と衝撃、そして爆音によって闇へと呑み込まれていった。




