第壱話:闇を照らした月
「おっきくなったらお姉ちゃんと結婚する!」
それは彼女の口癖だった。ほぼ同時刻に生まれてきた彼女は姉である私に毎日の様にそんな事を言っていた。私もあの子、浅葱の事は嫌いな訳ではなかったし、どちらかと言えば好きだったからそのつもりでいた。この世の誰よりも深い絆と血によって繋がれた私達は、ずっといつまでも一緒に居られるものだと思っていた。
夜闇に薄ぼんやりとした灯りがいくつも浮かぶ中、あの子は村の人達に連れて行かれた。私が何度呼び掛けても何の返事も返さず、眠っているかの様に抵抗一つ示さなかった。二度と会えなくなると直感的に感じた私はあの子を連れて行こうとしていた村人を追いかけようとしたが、両親によって止められた。幼い私を抑えるには十分な力だった。
「アサちゃん! アサちゃん!!」
夜の村に響いたのは私の声と鼓の音だった。母は私にこう言った「あの子にはとても大事なお役目があるのよ」。父は私にこう言った「光栄な事なんだよ。萌葱もしっかり見送るんだ」。
結局あの日以降、私の妹であるアサちゃんこと日奉浅葱は二度とその姿を私の前に見せる事は無かった。村のどこを探しても私の見知った愛しい彼女の姿は見当たらず、まるで最初から存在していなかったかの様に村の人々は振舞っていた。
「……さん! 日奉さん!」
「えっ?」
まただった。あの日の夢を見てしまった。しつこい油汚れの様に、あの時の記憶は脳にこびりついていた。そのせいでこうして高校生になっても彼女の事を夢想してしまっていた。
「ひ、日奉さん、大丈夫? うなされてたよ……?」
「うん。……大丈夫」
机に突っ伏していた私に心配そうな顔を見せているのは、私が中学生になってから知り合った友人である殺月真臥禧という少女である。幸の薄そうな顔をしており、いつも体のいずれかの場所に包帯や絆創膏などが付いていた。異常な程に運の悪い人物であり、そのせいで私以外の人間からは避けられているらしく、いつも私の隣に居る様な子だった。
外を見てみると既に日が沈み始めており、校庭の体育会系クラブの生徒達は片づけを始めていた。どうやらホームルーム後に少し休むつもりでいたが、思っていた以上にがっつりと眠っていたらしい。
「日奉さん。えと、えっと……」
「どうしたの?」
「ぅ……あの、ね。な、何か悩んでる事、とか……あるの?」
「どうして?」
「えと……ちゅ、中学の頃から、時々う、うなされてるみたいな、事あったから……」
今まで私は彼女の前で何度も眠ってしまう事があった。元々私が持っていた『特発性過眠症』という病気のせいもあったが、私のやっている仕事のせいでもあった。
日奉一族。遥か昔から怪異や超常存在が一般社会に認知されない様にするために封印するのを生業にしている一族である。一族と名乗ってはいるが本家の血を引いている人はほとんど存在しておらず、ほぼ全ての人員が外部から引き入れた者によって構成されていた。そして私、日奉萌葱もその一人なのである。
「心配しないでいいよ殺月さん。私、あんまり夜寝つきがいい方じゃないからさ。昼間寝ちゃって、それで変な夢とか見ちゃうだけだよ、うん」
「へへ、変な夢って何!? お、おし、教えてくれないかな……!?」
殺月さんは異常な食いつきを見せてきた。彼女は自身の不運を何とかしたいと考えているらしく、占いなどのスピリチュアルな方面に強い関心を見せている。そういったもののほとんどは適当な事を言っているだけの眉唾ものだが、時折本物が紛れている事がある。知識のある人間であれば意図して超常的な現象を引き起こせる占いなども存在するため、私達からすれば厄介な技術だった。そして異常な不運に苛まれている彼女であれば、そういったものを偶発的に発動させてしまう可能性がある。
「大丈夫だよ殺月さん。待たせてごめんね? 帰ろう?」
「え、ぁ……うん」
私は少しでも彼女がそういった存在に触れない様に話題を止めて帰宅の準備を進めた。準備と言っても何の事は無い、ただ机の横にぶら下げている鞄を肩にかけるだけの事である。
学校を出た私達は他愛のない話をしながら歩いていたが、途中からは家の方向が違うためまた明日と別れを告げた。家に帰っても別に誰かが待ってくれている訳ではない。寂れたアパートの二階にある部屋へ帰って来ても真っ暗な闇がお出迎えしてくれるだけなのだ。昔の様に私の片割れと言ってもいいアサちゃんの声が聞こえてくる事はもう無いのだ。
家へと上がり鞄を降ろすと、着替える気力も湧かず布団へと倒れ込む。日奉一族の現当主である茜さんから支給されたスマホを見てみると何度か着信が入っていた痕跡があり、授業中に電話を掛けてきた事が分かった。放っておく訳にもいかないため、折り返し連絡を入れる。
「もしもし、茜です」
「すみません学校でした。何かありましたか?」
「ええ。貴方の力を貸して頂きたいのです」
茜さん曰く、他の一族が進めているある怪異についての調査中に発見された物品に関する意見が聞きたいとの事だった。既に件の物品は郵便入れに届けられているらしく、外に出て確かめてみると確かに一枚の封筒が入っていた。差出人の所には一族の一人の名前が書かれており、中にはお守りが入っていた。
部屋へと戻った私は机の前に座るとそこに置かれている幼い頃のアサちゃんの写真を見ながら通話を続ける。
「お守り、ですか」
「ええ。ある地域で発生した不審死現場から発見されたものです。危険の無い様に呪力は除去してあります」
「それで……私に何を?」
「それを作ったのが誰なのか特定して欲しいのです。悪意を持ってこういった物を作れる人物が居るのであれば対処をしなければいけません」
「分かりました。それじゃあ分かり次第連絡します」
「お願いしますね」
必要な会話を終えた私はお守りを机の上に置くと一度写真の中のアサちゃんと目を合わせ、その後お守りを自らの額に触れさせた。私の頭の中に映像が流れ込んでくる。それはこのお守りそのものが持っている記憶の様なものだった。千年使われた道具には付喪神が憑くとされているが、それよりももっと早い段階で物には意識の様な何かが存在しているのだ。私にはそういったものを読み取る力があった。この力があるから私は日奉一族へと迎え入れられた。そしてこの力は、あの子が居なくなった三日後に初めて知覚した能力だった。あまりにも遅すぎる発現だった。
「……」
見えたのはどこかの寺院の様な場所だった。恐らくお守りを販売している場所であり、このお守りはそこで誰かに購入されていった。それは細身の薄汚れた男であり、その男はどこかの川沿いに建ち並んでいるホームレステントへと到着すると、小さい紙に「まがれ」とだけ書いてその紙を小さく畳んでお守りの中へとぎゅっと押し込んだ。その後男はフラフラと町中を歩き回り、ある豪邸の前に到着するとそのお守りを郵便入れに入れた。
「そういう事……」
私は鞄に入れていたノートからページを一枚破り取ると、そこに男の似顔絵を描いた。それをスマホで撮影して茜さんへとメールで送信し終えると、アサちゃんの写っている写真立てを枕元へと移動させた。すでにやるべき事は終え食事はいつも通り摂らないため、私に残された今日の作業は後一つだけだった。幼い頃、お互いにお金を出し合って購入したハートの髪留めが丁度額に当たる様に前髪を止め、横になって静かに目を閉じる。
目の前に映るのは私そっくりな綺麗な黒髪をしたアサちゃんだった。まるで鏡映しかの様にそっくりな顔をしていた彼女は、とろんとした眠たげな眼付でいつも私に可愛らしい笑顔を向けてくれていた。そんな彼女の顔を見るだけで私は幸せだったし、これからもずっと一緒に居たいと思えた。例えそれが二度と叶わないとしても。
「…………」
気が付くといつもの様にアサちゃんの姿は消えていた。いっそ目覚めなければずっとあの子を見ていられるのではないかとも思ったが、それはあくまで過去の懐古に過ぎないと考えると虚しくもなった。
顔でも洗おうかと体を起こしたその時、私の目には予想外の光景が映った。
「……何してるの?」
「えっ……え、ぁ……ひ、日奉さんの事、心配にな、なって……来てみたら鍵開いてたから何かあったんじゃないかって……あたし……」
殺月さんは勝手に上がった事を悪く思っているのかいつも以上におどおどとしている様に見えた。確かに彼女がした事は不法侵入であるし、通常であれば通報したいところだがそこまでしようとは思えなかった。彼女が言った事は本心であると感じたからだ。彼女は嘘をつけないタイプであり、仮に嘘をついてもすぐに顔に出るため簡単に分かってしまうのである。
「怒ってないよ。心配してくれたんだよね? ありがとう」
「ぁ……う、うん。ふ、ふふっ……!」
いくら悪意が無いといってもあまり長居はされたくなかったため、適当にお茶でも出して帰ってもらおうとすると殺月さんは不慣れな笑い声を止めてこちらに目を向けた。
「え、えと……ひ、日奉さん」
「どうしたの?」
「あ、あの写真の子って、誰……?」
思わず作り笑顔すら消え失せてしまう質問だった。表向きには一人っ子として通してきた私に双子の妹が居たなどと知るのは日奉一族の人間くらいだったのだ。正直に答えても嘘を答えても、彼女の持つ不運をもたらす力によって私がアサちゃんの事を隠せなくなるのは火を見るよりも明らかだった。




