第十八話『好きという気持ち。』
「ぅ…。ぅう……」
ぬるくなった湯船に浸かる孤独な少女は張り裂けそうな想いを必死に押さえつけながら、そのすすり泣く嗚咽は灯りの灯らない浴室から僅かに漏れ出していた。
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湿った空気を纏った鼠色の雲が空一面を覆う中、今にもぽつぽつと小雨が降り出しそうな天気を一人で背負うように力無く歩く少女がいた。
「おはよー!!鈴香!」
「………おはよ。」
大きな傘を左手に持ち追いかけるようにして走ってきたタクマをちらりと見た鈴香は、表情を変えることなくぼそりと口を開き歩みを進めた。
「なんだよ元気ないじゃん!どしたの?ってか今日あいつらいないんだな。」
「みたいだね。。」
他の生徒たちがわいわいと談笑しながら登校する中、タクマと鈴香の会話は続くことなくすぐに途切れた。
心境を察したタクマはそこから彼女に話しかけることはなく息を合わせ同じ歩幅で歩くだけだった。そしてしばらくすると空からぽつりぽつりと小雨が降り始め彼は自分の傘をバサッと開いた。
「ん?………ったく。。。」
タクマは俯いたまま一向に傘をさす気配のない鈴香を見てぼそりと呟くと自分の傘を半分彼女のカラダに預けた。
程なくして沈黙の続く通学路にはコンクリートの湿った匂いが漂い始め、そして雨の雫が木々に降りかかる音だけが2人の耳を塞いだ。
「おーい!門閉めるぞー!!早く校内に入りなさーい!」
校門前ではジャージ姿の生徒指導の先生が生徒たちを急かすように声を張り上げていた。
ついに何も話すことなく学校に着いた2人は下駄箱で各々室内シューズに履き替え別の教室に向かい始めた。
「なんか、俺にできることあったら言ってくれよな。。」
すれ違いざまにタクマは力無くゆっくりと歩く鈴香の背中を押すように言葉をかけた。がしかしそれに反応することもなく彼女は曲がり角で姿を消した。
「………。」
その様子を後ろから見つめていたタクマは断腸の思いのままチャイムの鳴り響く廊下を急くように走っていった。
「このシステムにより人工知能に自我が芽生え、人類と同じように考え意見することができるようになりました。そして、」
教壇で授業を進める先生を他所に鈴香は雨の降る空を見上げながら昨日のことを思い出していた。
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河川敷で自分の胸の内を告げた次の日、鈴香は廊下でマモルとばったり出くわしてしまっていた。
「よ、よお!」
少し気まずそうに右手をあげフランクに話しかけてきたマモルに鈴香は何の言葉も返さずそそくさと避けるようにすれ違っていた。
ーーーーー
(はぁ。。。もうマモルに合わせる顔がない。。)
授業中に怪訝の目で外を眺めているそんな鈴香を遠くの席から静かに流し目で見ている子がいた。
そしてその昼休み
「すーずか!!一緒にお昼食べよ!!」
抜け殻のように席から動かない鈴香の元へ花凛は弁当を持ってやってきた。彼女はそう言うと鈴香の前の誰の席かわからない机を勝手に移動させ鈴香の席に対面するようにぴたりとくっつけて席についた。
「いやー今日も今日とて授業退屈だったなー!なんで私AIについて勉強してんだろ!マジで興味無いのにウケるわ!…そんじゃ!いっただっきまーす!!」
いつもの調子で喋ると手のひらをぱちんと合わせぱくぱくと美味しそうに弁当を食べ始めた。
「いただきます。。」
鈴香も手を合わせ楕円の形をした赤い弁当箱をパカっと開け、ふりかけのかかった白ごはんを一口ずつ食べていった。すると半分ほど平らげた花凛は静かに口を開いた。
「うまくいかなかったの?」
目を伏せながら問いかけてきた花凛に鈴香は思わずぴたりと箸を止めた。そして感情を殺したように小さく頷いた。
「うん。。」
消え入る声で返事する鈴香を見て彼女は何を言うわけでもなく、騒がしい教室内で2人は黙々と食事を続けた。
窓の外では徐々に酷くなっていく雨が彼女の心を映しているようだった。
一方その頃、屋上では1人雨に打たれている男がいた。
「あぁ。。。」
意味を持たない音を吐きながら空を見上げていたその男は流れ出る涙を誤魔化すように大量の雨を浴びていた。
「俺はあいつに見合わねぇのかなぁ。。辛そうにしてるってのに頼りになる言葉1つかけてやることもできなんだ。。そりゃこんな男好きになるわけねぇよな。はは。」
その乾いた笑い声には助けを求める悲痛な叫びが混じっていた。そして昼時なのを忘れ去るほど暗くなった空の下、彼は悲しみを洗い流すように突っ立っていた。
すると後ろに人の気配を感じた彼はゆっくり振り返るとそこには1人の少女が立っていた。
そして男は枯れた顔で彼女を見つめ呟いた。
「あれ、今日来てたんだ。。」
「ふふ。実はね。また1人でなにしてるの?風邪ひいちゃうよ?」
にっこりと微笑んだ彼女を見て男は視線を黒く淀んだ雲に向けた。
「前話したやつ、告白のやつね。あれ振られちゃったんだよ。で情けない話未練たらたらで。でも何かするってわけでもなくてどうすればいいのか絶賛お悩み中って感じ。」
彼女は雨に当たらないよう屋根のあるところに移動した。
「そうなんだね。上手くいかなかったんだ。。それでそんな悲しみに打ちひしがれてたってわけか。。」
「………。」
「諦めちゃうの?」
彼女の声は絶え間なく降り頻る雨の音に掻き消されそうなる。
「………わかんない。でもそいつ好きな人いるってさ。」
「………そっか。ピンチだね。。」
その言葉に男は歯を噛みしめ、少女の方を見た。
「正直もうお手上げって感じ!こんな絶望の淵に立たされてる俺にかけるアドバイスが前みたくあるんだったら言ってくれよ!」
両手を大きく広げ投げやりな態度に彼女はボソリと不満を言った。
「うーん。私なら諦めずに好き好きオーラ全開で頑張るんだけどなぁ。」
「なんだそれ。それ迷惑じゃない?好きでもないやつからの好意って。」
拍子抜けたアンサーに少しあざけるように男は返した。
「そんなことないよ!好きになってもらうことに嫌な気持ちになる人なんていないよ。それに君の場合は諦めなければまだ可能性が残ってるじゃん!相手がこの世に存在している限りゼロじゃないんだよ。。」
「………。」
何も返せず俯いた男に少女は近づき雨に打たれながら続けた
「一度挑戦して挫けることなんて誰でもできるんだよ。」
「え………。」
「むしろこの世界一度で成功することの方が珍しい。」
「………。」
大粒の雨が容赦なく2人を襲う中彼女は男の目をまっすぐに貫いた。
「私も昔自分を責めた時期があった。それは自分の過去の過ちを許せなかったから。取り返しのつかないことをやってしまったから。すごい泣き叫んだ。そして閉じこもった。でも。そうじゃない。人間は考えることができる。そこからまた立ち上がることができる!」
少女は一歩ずつ歩み寄りながら叫んだ。
「心が痛むのはそこから何かを学ぶためなの!」
「…」
「涙を流すのは過去を振り返らないためなの!」
「…」
「人間が笑うのは明日を生きるためなの!だから!」
「………」
「何度でも立ち上がって!タクマくん!!」
弁当を食べ終わった2人は教室を出て廊下の窓際にもたれかかっていた。花凛は購買で買ったカフェオレを音を立てることなくストローで飲んでいた。
「気になる人がいるんだってさ。。」
鈴香は半ば諦め顔でそう口にした。
「それで?」
花凛は鈴香の言葉を左耳で聴きながら教室内でバカやってる男たちを無表情で眺めていた。
「もういいかなーって。なんかしんどくなっちゃったし。」
鈴香はもたれかかるのをやめると花凛の方を見て苦笑いした。するとちらりと横目で鈴香を見た彼女はストローを口から離し少し投げ出すように言葉を放った。
「まぁ、あんたがそう思うんならそれでいいんじゃない?そいつだけしかいないってわけじゃないんだし。」
「………。」
無口になる鈴香を横に花凛の飲むカフェオレが徐々に音を立てはじめた。
「高校生活での恋愛なんて所詮は子どもの遊び。進学したり就職したらまたそこで新たな出会いがあって最後はその人と結ばれる。なんてことざらにあるんだよ。」
「………。」
『ズー』と音を立てるとストローを口から離し雨が降り注ぐ窓の方を見て花凛は続けた。
「でもさ、私思うんだ。あんたの心の中にあるそいつを想う気持ちが本物だって信じられるんなら、もし最後にどんな辛い結果が待っていたとしても、それまで頑張って一途に貫いたその記憶、努力は、」
彼女は目線を空から鈴香の方に移し言った。
「一生あんたの、鈴香の人生を支える糧になる。って私は信じてるんだ。」
ニコッと笑いながらまた空を見上げると雨は止み雲の隙間から太陽の日差しが光の柱のように差し込んでいた。
「今はもっと悩んでいいと想う。鈴香にはちゃんとした男と結ばれて幸せになってほしいし。だから焦らず慎重に考えてもいいんじゃないかな。」
その言葉に少し目をうるっとさせた鈴香は袖でささっと拭くと窓の外を見上げ小さく笑った。
雨が止み水溜りに綺麗な空が反射された屋上では、日に照らされ暖かい風に吹かれていた男がいた。そしてその男の表情はどこか吹っ切れた様子で強い芯のある顔に変わっていた。
「うし!!!!」
男はパンパンと顔を叩くと笑顔で屋上を去っていった。