宮廷魔導師が追放される話
知識も語彙力も自信無いので読みにくかったらすみません。
ベッドに明るい陽光が差す。小鳥の囀りが夜明けを告げる。穏やかで暖かい、いつもの朝だ。白銀の髪が眩い光を反射していた。
「【不可視化】」
魔導大国として有名なナタリー王国の宮廷魔導師筆頭であるフィーエル・ホワイトの朝は忙しい。起きてすぐにすることは着替え含む身嗜みの整え、次いで各地の見廻りだ。朝のうちに農村や地方の街に不可視化した状態で転移して、何か異常が無いかなどを調べるのである。
とはいえ一日で国中を見廻るのは普通に考えて時間が足りないので、過去の情報からピックアップした場所を二週間単位でローテーションしつつ時折他の地域にも目を向けるようにしている。
「どこも異常無し、と。平和なのは良いことだ」
今日回る全ての箇所の確認を無事に終えられたことに喜びを感じる。ある程度までは独断で対処することも許されているが、それでもやはり何事もない方が一番良い。
再び自室に戻ろうとして、そういえば長い間日照りが続いている地域があると誰かが言っていたなと思い出す。
太陽が無ければ農作物は育たないが、適度に水も与えなくては土地が干からびてしまう。農作物が十分に育たなければ家畜の餌も減るため、国民、特に農村に住む人々はその日食べる物にも困るようになるかもしれない。そうなればやがて国全体が大飢饉に見舞われる可能性も生まれる。
国民は国にとって重要かつ莫大な資源である。人の秘める能力は底が見えないし、数の力を侮るとすぐに足を掬われる。故に国の指導者は飴と鞭を適度に使い分けながら上手に運用してくる必要がある。さもなければ国は緩やかに崩壊への一途を辿るだろう_____と、かつて師が言っていた。
「【転移】」
王都からずっと西の方角にある目的の地に来てみると、確かに長い間雨が降っていなかったらしい。
地面が乾燥しているだけでなく、このままではほとんど収穫できないと思っているのか人々の顔には少し暗い影があるし、農作物も水分不足で元気がなさそうに見える。不安からくるストレスのせいか、巷で若い男女が喧嘩をしているのも発見した。これは良くない傾向だ。早々に手を打つ必要があるだろう。
空を見上げると雲ひとつない快晴で、登りかけの太陽が眩しい。朝の涼しい風も相まってとても清々しい気分になれたのだが、残念ながら雨が降る様子はかけらも見られない。こちらでどうにかしなければならないようだ。
「जु अल्’लि वा त्सरेस्हेन् जु एरुन् य जु उफलुअफद इस् क्रेरुकस्हेल् ते जु लेअसिन् वा म्मुगेस्हेद्【干天慈雨】」
一面の青空の中にひとつ小さな雨雲が生まれたかと思うと瞬く間に青を塗り潰し、辺りは仄暗い灰色に包まれた。と同時に、自らの登場を知らせるかのように冷たい音を鳴らしながら雨が降り出す。
【干天慈雨】は恵みの雨を降らす魔術だ。地を抉るような猛雨でも気が滅入るような長雨でもなく、日照りにあえぐ大地を救済し、純粋な農作物の成長を願う慈雨を呼ぶ。
天候操作の一種であり、第七節魔導詠唱術式、通称“第七魔唱術”に分類される上級魔術だが、魔唱術の最高節は現在のところ十一である。第七節が使えないようでは王国における魔導師トップの座は務まらない。
雨に気づいた人々が互いに手を取り合って喜び出す。先程まで喧嘩していた二人も仲直りしたようで、何だか良さそうな雰囲気となっていた。おめでとう、そして末永くお幸せに。
「【転移】」
寮の自室に戻るといつもより時間に余裕がなかった。まあ寄り道をしているので当たり前ではあるのだが。普段なら帰ってきて軽く運動でもするところ、今日は服装をもう一度確認して急いで食堂へと向かう。
「今日も良い天気ですね、筆頭殿。いつもより少し遅いようですが夜更かしでもしましたか?」
「……セイン殿」
柔和な笑みを浮かべてこちらに寄ってくる男の名はセイン・グラハム。代々優秀な魔導師を輩出してきた由緒あるグラハム侯爵家の次男であり、宮廷魔導師の中でフィーエルに次ぐ地位にいるものだ。見目も非常に整っており女性にも人気があるらしい。
だがいくら容姿や生家が立派でも、能力が無ければ実力主義の風潮が強い宮廷魔導師内で次席とはなれない。実際、幼い頃から厳しい英才教育を受け、名門の魔導師育成学校にて首席合格と首席卒業を成し遂げている。家柄、ルックス、実力の全てを兼ね備えた男がセイン・グラハムという男なのである。
だが彼は運が悪かった。同期に彼を超える者がいたからだ。
フィーエルは学院に籍を置いてはいたが、師による指導の為にほとんど通ってはいなかった。
学院では定期的に筆記と実技の試験があり、試験さえきちんとこなしていれば出席日数がどうなろうと進級には関係なかった。当然、学院に通わないまま次々と試験をパスする人物について様々な噂が飛び交ったが、フィーエルの師が情報を秘匿していたため宮廷魔導師となるまでその実力が表に出ることはなかった。
加えて宮廷魔導師になるや否や筆頭の地位に取り立てられたのだからセインにしてみれば実に面白くない。セインはずっと、フィーエルの肩書きを狙っているのだ。
「我々は先に訓練場に向かいますね。あ、くれぐれも遅刻はしないように頼みますよ。貴方のせいで訓練が遅れてはかなわない」
敵意の見え隠れする笑顔を浮かべ、多くの部下を連れて食堂を出るセインの背中を見送る。セインに媚び諂いながらついていく部下の魔導師達は取り巻きともいえるが、人脈という点でフィーエルが劣っているのは事実であった。
魔導師は実力社会であるが故に、力を求めた過去の貴族達は優秀な魔導師との結婚を繰り返し、今日では魔導師の八割が貴族出身となっている。そして王家の血を引く公爵に次ぐ貴族位、つまり王家の血を引かない者の中で最も位の高い侯爵家出身のセインと、一代限りで子爵の地位を与えられた名誉貴族のフィーエル。それも生まれは恐らく平民、育ちは農村の孤児院である。両者の人脈の差は火を見るよりも明らかであった。
ちなみに“恐らく”というのは生まれてすぐに孤児院の前に置き去りにされていたそうで、母親と父親に関する手掛かりが何ひとつなかったからだ。そこで師と出会う機会が無ければ、今頃フィーエルは死に絶えていたに違いない。
師がいたからこそ、今、宮廷魔導師筆頭という地位で王国を守る仕事ができているのだ。
「はぁ…」
せっかくひと仕事終えた後だというのに、すっかり不快な気分になってしまった。
いくら実力主義とはいえ、大多数を占める貴族達が手放しで平民を歓迎するわけではない。そのことは理解しているし今までだってこういったことが無かったわけではないが、それでも嫌なものは嫌なのである。
しかし、当然遅刻するわけにはいかないので急いで食事をとって訓練場に向かう。【転移】を使えば移動は一瞬で良いように思われるが、残念ながらそれをするわけにはいかない。訓練場が王城の敷地内にあるからだ。
では何故訓練場が王城の敷地内にあると【転移】を扱えないのか。それは訓練場を除く王城敷地内はアーティファクトと呼ばれる古代の人工遺物によって魔術阻害の結界が張られているからである。
アーティファクトとは“失われた技術”とも言われる、現代においては再現どころか修復も困難な高度技術を用いられている装置である。この装置はかなり古い為に少々の欠陥はあるのだが、それでも例に漏れず優秀であることに違いはなく、発見した当時の男爵は最終的に二段階上の伯爵位を賜ったそうだ。褒賞もたくさん手に入れた伯爵はそれから豪遊して生涯を終えたという。
「アーティファクトを見つければ俺も伯爵と同じ人生を歩めるのだろうか」
王城近くまで【転移】で移動してそこから徒歩で目的地へと向かう道すがら、フィーエルはそう考えずにはいられなかった。だが同時に、それは叶わないだろうという考えも頭に浮かぶ。
アーティファクトは古代遺跡などで稀に見つかるのだが、まず遺跡が滅多に見つからない上に攻略にはかなりの危険が伴う。多くの時間も必要となるが、あいにくと宮廷魔導師は暇ではないのだ。
訓練場に辿り着くとちょうどセイン達が訓練を始めようとしているところだった。
「おや、筆頭殿。ぎりぎりですが間に合ったようで何よりです」
「ああ。次からは気をつけるよ。では早速訓練を始めようか。準備運動を終えた者から壁沿いに五周のランニングだ」
セインの言葉に軽く返しながらいつもの課しているメニューを口にする。
内心でどう思っているかは知らないが、規律を重んじるが故に彼らはきちんと筆頭であるフィーエルの指示に逆らうことはなかった。
だがこの日の限り、いつも不快感を隠さないまでも一応従っていたはずのセインが異を唱えてきた。
「筆頭殿。毎回思うのですが、我らは後衛です。脳筋の騎士団でもないのに、何故このような訓練を課すのですか。肉体訓練よりも魔導技術の研鑽に励んだ方がずっと効率的だと思うのですが?」
「肉体は全てに通ずる基礎だからだ。そしてもう一つ、後衛が常に安全だとは限らないという理由もある。魔導師は敵味方どちらにとっても大きな戦力である為、相手は最初に潰そうとするだろう。それに、午後は全て魔術行使の訓練ではないか」
肉体は生物の持つ尊い財産である。そしていくら技術があったところで、肉体が脆く壊れてしまうようでは元も子もない。人間に替えは存在しないのだから。
一方で魔導師が後衛部隊であることも当然承知している。騎士団の面々は騎士団長にしごかれながら毎日少なくとも十五周は走っているが、それを魔導師に課すつもりはない。
「筆頭殿は実戦訓練の時間になるとどこかへ行ってしまわれるでしょう」
_____セイン殿が言いたいのはそこか。
セインはフィーエルが実戦訓練に参加しないことを暗に非難しているのだ。決して訓練をさぼっているわけではないのだが……セインから何度か申し込まれた手合わせを、事情によって魔力を無駄遣いできない理由から全て断っていたこともセインに疑念を抱かせる原因となっているのかもしれない。
「宮廷魔導師筆頭としてやるべき事があると前にも言っただろう。それも陛下直々の御命令という説明もしたと思うのだが」
「そうでしたね。確か『陛下にお聞きすれば本当だとわかる』でしたっけ?」
以前、セインが実戦訓練に参加できないことをしつこく問いただしてくるものだから、一度だけそのようなことを言ったなと思い出す。
「ああ。無論、実際にお聞きしろという意味ではないが」
つまりはそれぐらいの自信を持って“自分はさぼっていない”と言えるということが重要なのである。国王の命令を偽ったとなれば重罪は免れない。最高刑が下される可能性が高いだろう。それを恐れない発言というのはその分だけ信憑性が上がるのだ。
「…わかりました。本当に残念です」
セインは一体何が残念なのか。それは皆目検討も付かなかったが、引き下がってくれたのなら良いかと考えるのをやめてランニング訓練を始める。
それ以降はセインも大人しくなり、訓練は滞りなく進んだ。
そして午後、ちょうど実戦訓練が始まる頃にフィーエルは訓練場を後にする。
向かう先は王城内部、それも許可なく立ち入ることが禁止されている地下神殿。物陰に隠れて密かに【転移】を発動することと、景色は一瞬で薄暗い明かりの灯る場所へと移り変わった。
部屋の中央、五つの石柱で支えられた台座の上に水晶が据えられており、明かりを反射して時折煌めくように見える。そして台座を支える五つの脚のうち、ひとつだけが淡い光を放っていた。
この装置こそ王城敷地内での魔術行使を阻害するアーティファクトであり、またそれを動かすために必要な魔力供給を行うというのが実戦訓練に参加できない理由であった。厳密には、このアーティファクトが完璧な機能を果たせないことが原因であるが。
まずこの装置は王城の敷地内でのあらゆる魔術行使を禁じるという点でとある欠陥を持っている。どんな欠陥かというと、なんと魔力供給者の魔術は阻害できないのだ。
恐らくだがこれは仕様上の問題だと思われる。このアーティファクトが元々何を目的として作られたのかは不明だが、所有者以外の魔術を封じたい何らかの理由があったのだろう。
しかしこの情報を漏らさないよう先代魔力供給者から王城敷地内での魔術行使も極力禁止と言われている為、フィーエルとしてはあってもなくても特に変わらないものであった。
実際に困る問題は、老朽化のせいで損傷の激しい状態にあることだった。台座が少々ひび割れているのはどうでも良い。魔力タンクの役割を果たす五本の石柱のうち四本が使い物にならず、残る一本も予想される最大量の六割のみ、それも慎重に時間をかけてしか貯められないせいでフィーエルは実戦訓練に参加することができなかったのだ。
とはいえ太古の遺物に文句を言っても仕方がないのでそのまま魔力供給を始める。
ここで少し魔力について補足をすると、そもそも生物の体内には魔素と呼ばれるものが存在する。
魔素は生命力とも言い換えられ、これがある一定値を下回ると生物は死に至ると言われている。魔素は魔力に変換することで体外に放出することができ、その過程で魔力を用いて様々な現象引き起こすのが一般に魔術と呼ばれているものなのだ。
人間の場合、魔素は主に血中を流れているため人間、特に魔導師は自らの血を流すことを嫌う。
血中魔素濃度はほぼ生まれつき決まり、高ければ高いほど保有魔力量も増加するが、同時に少量の出血から多くの魔素を失うことにもなるため高位の者ほど怪我を恐れる者が多い。
「相変わらず時間がかかるな。五つとも完全な状態であれば毎日通う必要も無くなるんだが…」
残念ながら現代の技術で修復することは不可能だ。そもそも五つ全てに魔力を貯めきろうと思ったらとんでもない量の魔力が必要になる。
或いは人並外れた血中魔素濃度を誇るフィーエルならば、それも可能なのかもしれないが。
フィーエルが低い爵位ながらセインを押しのけて筆頭の地位に留まっているのはその膨大な魔力量のおかげだと言っても過言ではない。その血中魔素濃度はかつての宮廷魔導師筆頭である師をしてバケモノと言わしめるほど。それだけ他と比べてずば抜けているのだ。
そして既に引退した身であった師に才能を見出されて弟子となり、先代国王の時代に宮廷魔導師筆頭及びアーティファクトの魔力供給係に任命され、『王国の平和を守り、繁栄させろ』との命を受けた。朝の見廻りを含め、他の宮廷魔導師の職務には含まれないいくつかのことをフィーエルはこなしているのだ。
「…ふぅ。ようやく終わったか」
魔力供給を終えて外に戻ると空は既に赤くなっていた。すぐに陽が沈みきって暗くなるのだろう。
いつもはこのまま帰って趣味である古代文字の研究や言語習得に没頭したり、もっと明るければ魔物と呼ばれる害獣を間引きに行ったりするのだが、この日は少し事情が違った。
「ホワイト筆頭。国王陛下がお待ちです」
急な呼び出しに目を瞬く。しかし最高権力者である国王を待たせてはいけないのですぐに頷いて使いの者に従った。
その間に何故このタイミングで呼ばれたかを考え、そういえば今生陛下は戦争に強い意欲を持っている方だったなと思い出す。もしかしたらどこかに戦争を仕掛けようとしていて、それについての話をされるのかもしれない。
機能性のかけらもない豪華な調度品が多く並ぶ廊下を抜けて、ようやく謁見の間へと辿り着く。
ギィ、という音とともに巨大な扉が開いて定められた位置で跪くまでの間に、玉座に腰掛ける国王と側に控える近衛騎士、それと宰相がその空間にいることがわかった。
しかし。
_____何故、セイン殿がここにいる…?
宮廷魔導師に何らかの行動をさせたいのなら、セインよりも先に筆頭であるフィーエルに話をするのが普通である。だがそうではないということは、セインが個人的に深く関わっている案件なのだろうか。
ますますわからない。
「面をあげよ」
国王の声が響く。先代国王より幾分か若く迫力が少し乏しいものの、王族としての威厳を十分に感じさせる声だった。
跪く体勢のまま顔を上げると、厳しい顔の国王の姿が目に入る。
「ホワイト。何故自分が呼ばれたのかわかるか?」
「…いいえ。存じ上げません」
ちょうどその時、視界の端にセインの姿が映り、その口に僅かな笑みを見つけて思わず眉を寄せた。嫌な予感がする。
「そうか。では、要件を告げよう_______
_______フィーエル・ホワイト。王命欺瞞罪により、宮廷魔導師筆頭の解任及び爵位を剥奪し、国外追放の刑に処することとする」
「は…?」
辛うじて出せた声はたったこれだけだった。それもすぐに空間に消え、僅かな沈黙が訪れる。脳が理解することを拒む。
「その薄汚い罪人を捕らえよ!」
「「はっ」」
国王の側に控えていた宰相が命じると騎士二名がすぐさま寄ってきてフィーエルの両手首に魔道具を装着した。
瞬間、身体が怠くなる。体内魔素が一気に減ったのだ。ということはこの魔道具は魔術を阻害するための、それも魔力消費を増やすタイプの物だろう。王城内でつけられたということは、この状態で刑を受けさせられる可能性が高い。
そもそも国外追放刑とはナタリー王国にも接している、“伏魔の森”と呼ばれる広大かつ危険な森への追放刑だ。死刑よりも優しいものとされているが、民衆の晒し者になるか否かの違いしかなく、本質的には死刑と変わらない。
ならば意味がないのでは、とも思うのだが、そもそもこの刑は貴族が処せられることが多い。つまりはプライドが高い貴族達が本人あるいは家のメンツを守る為に嘆願する刑なのである。
「貴様が王命と偽り訓練の一部に参加していなかったことをセイン君が教えてくれたのだ。卑しい血はどれだけ繕ったところで所詮卑しい血。陛下の温情で晒し者とならなかっことを心より感謝しろ」
宰相がゴミを見るような目でそう吐き捨てる。彼は血統至上主義者であるため、そもそも良い視線を向けられたことは一度たりともないのだが。
王国を陰で操る実質の支配者である古狸のようなこの人物をフィーエルは普段から苦手としていた。
それよりも、とんだ冤罪をかけられたことに気づく。恐らくセインが筆頭になるために仕掛けたことなのだろう。宰相はグルである可能性が高いし、仮にそうでなくともこちらの意見を信用するとは考え難い。
フィーエルがこの状況をひっくり返すには国王を説得するしか道はないのだ。
「陛下、どうか発言を許して頂けないでしょうか」
「許す」
「恐れながら申し上げますと私は王命を偽るようなことは致しておりません。陛下が即位された時、私に『今までと同じように今後も国防の任に励め』と命令されたことを覚えておいででしょうか?私はその命のもと今日までずっと、「覚えておらぬ」…はい?」
「そのような命を下した覚えはない」
頭を鈍器で殴られたような気分であった。
つまりは国王もグルであるということ。この場において国王が絶対的な権力を持っている以上、もうフィーエルにはどうすることもできない。
セインと宰相はともかく、何故国王までもグルであるのか。その理由は主に二つ。
一つ目は、現在貴族は大きく分けると平和を好む先代の意思を引く派閥と戦争を好む現国王に賛同する派閥の二派閥に分かれていることである。
フィーエルはどちらかといえば前者、宰相とグラハム侯爵家は完全なる後者の人間であった。自分の派閥の人間を登用したいと考えるのは自然であり、それ故に下された判断だった。
二つ目は国王がフィーエルの真価を知らないこと。
先代国王は、自分の息子が自分と正反対の考えを持つためにフィーエルの有用さを詳細をぼかして伝えていた。
今の国王の認識では“国防において重要な役割を果たす者”、すなわち対外的な力を求める国王にとっては少々優先順位が下がる者の一人であり、その認識もセインと宰相からの報告によって間違いであることが判明していた。切っても何ら問題のない人物となっているのだ。
しかし、冤罪である以上素直に引き下がることができないフィーエルはなおも足掻く。
「引き継ぎは、どうされるおつもりなのですか」
「グラハム侯爵家の次男はかつて“神童”と称された才能高き魔導師。心配は要らぬ」
「…私は常に王国全体にも結界を張り続けてきました。それが彼にできるとは到底思えませんが」
「元筆頭殿。地位に縋りたいからといってそのような世迷言を陛下に申し上げなさるな。王国全体に結界を張り続けるなど、一体どれほどの魔力がいるとお思いか」
「……ここ七年ほど、私は飢饉や冷害を防いできましたが、」
「ふざけるのも大概にしろ!陛下を欺き職務を怠慢するだけでは飽き足らず、陛下や先代の治世をも自分の手柄だと言う気か?!」
三つの発言に対して順に国王、セイン、宰相が反応する。三名が口に出すこともある意味では正しいのかもしれない。
しかし、世の中には常識では推し量れないものも存在するのだ。
その良い例がフィーエル。もしも本当は王国全体だけでなく、王都と王城敷地にもそれぞれ結界を張っていると言ったら彼らは絶対に信じようとはしないだろう。だが、それは紛うことなき事実なのである。
「フィーエルよ。我は其方を晒し者にはしたくない。この意味、わかってくれるな?」
静かに響く国王の声。
諭すような物言いでありながらそこに孕むのは最後の命令。罪無き者の首を晒す勇気を持たないくせに臣下の進言を跳ね除けきれない、甘い甘い王様の戯言。
フィーエルからしてみれば追放刑も死刑も同等のものであった。何故なら死刑を言い渡されたところで【転移】で逃げることが可能だからだ。
セインとフィーエルの立ち位置を変えるだけに留めておけば良かったものを、目標に盲目となって正しい判断を下せないだけでなく臣下の手綱も上手く握れず、フィーエルの刑を国外追放に落ち着けたのはまさに愚王の行いと言えた。
「……わかりました」
どうにか声を絞り出すと、フィーエルは急激に頭が冷えていくのを感じた。冷静になってみれば、何故自分が今までこの国にしがみつこうとしていたのかもわからなくなる。
家族はおらず、師も既におらず、孤児院の子供たちはまだ修行中の身であった時代に流行病でみんな亡くなった。先代国王も既に崩御している。
_____それでもこの国は俺の故郷だった。
だから全力で守ろうと思えた。この国の民には平和でいて欲しいと思えた。臣下としてこの国を支えていこうと思えた。
けれど、それらの決意を全て踏み躙るようなこの仕打ち。今さら仕える気持ちはかけらも芽生えない。むしろ国外追放となって清々する気すらする。
「急ぎ荷物を纏め今日中には部屋を開けるように。騎士と魔導師を一人ずつ監視として付けておく」
その言葉とともに国王の側で控えていた者のうち二人が一歩前に進み出て背後に回ってくる。魔導師は屈強そうな男、騎士の方はきりっとした表情を見せる女だった。
跪いたまま国王が退出したのを確認し、監視役を引き連れて今後二度と訪れないであろう謁見の間を出る。
無駄に長く続く豪奢な廊下が憎い。【転移】ですぐにでも自室に向かいたい気持ちを抑え、足早に王城の敷地外を目指す。
そして外に着いた途端、背後を振り返って監視役二人の腕を掴んだ。驚いた騎士が剣を抜く前に一言。
「【転移】」
一瞬にして、その場から三名の姿が消えた。
転移先はフィーエルの部屋だ。
数え切れない本が並べられた巨大な本棚の前で、自分の身に起こったことに騎士と魔導師はそれぞれ驚いていた。
騎士は自身を上回る速度で魔術を掛けられたことに。魔導師は魔術阻害の魔道具を付けられた上でフィーエルが三人同時転移を行なったことに。
フィーエルは物理武器の扱いこそ慣れていないが、それなりに鍛えており体内魔素をうまく活用することで身体能力を格段に引き上げることができる。これは師による鬼のような訓練の成果であった。
“貧弱な魔導師はいざというときに使い物にならない”というのが師の教えであり、フィーエル自身も同じ意見を持つようになっていたのだ。だからこそ魔素ありきとはいえ騎士の速度も超えられた。
また、フィーエルが付けられた魔術阻害の魔道具は魔術行使の際に必要な魔力を百倍に跳ね上げる効果を持つ上、一般的に【転移】に必要な魔力量は距離に比例して増える一方で、人数が増えるごとに倍々ゲームのように増加する。
三人同時転移はそもそも行える人も多くはないが、コスパが悪いので実際に使用する者はもっと少ない。ほとんどいないと言っても良いほど。
だが王国、王都、王城を囲う三つの巨大な結界を維持しなくて良くなったフィーエルにとって、魔術阻害の魔道具を付けられようと不可能なことではなかった。
ちなみに魔術を完全に遮断する魔道具は、一時的ならまだしも半永久的に継続させられる物は現代の技術では作れない。その機能を持つのはアーティファクトぐらいである。
「【無限収納】」
その声とともに壁一面を埋め尽くす本の一部が空になる。
【無限収納】は名前にそぐわず決して無限ではなく、最大魔力量によって上限は決まってしまう魔術である。それでも便利に違いないが故の名前なのだ。
その間にも残りの本や他の私物をどんどん収納していくフィーエル。
その恐ろしいほどの許容量に騎士と魔導師が絶句しているのに気付くと、フィーエルは騎士に比べて華奢な人差し指をそっと唇に添えながら微笑んだ。綺麗な弧を描く唇に女騎士は赤面し、魔導師ですら僅かに動揺する。悪戯を楽しむ猫のようだ、と思わずにはいられない。宮廷魔導師である男でさえ、フィーエルのこんな生き生きとした表情は見たことがなかった。
フィーエル・ホワイトという人間は比較的容姿の優れた男である。
女顔では決してないが中性寄りの凛々しい顔付き。屈強とは言えないものの、鍛え抜かれて引き締まったしなやかな身体。そして、姓の由来となったその纏う色。
しかし日々の疲労や心労からかそれとも元来そうであるのか、表情の動きが乏しかったために今まで注目されるようなことはなかった。多忙な仕事と趣味を両立させた結果の睡眠不足による隈もその一助を担っていたはずだし、セイン・グラハムという容姿・社交という点でフィーエルを上回る人物が身近にいたことも理由の一つだろう。
だが今、全ての荷が降りて何もかもが吹っ切れたところに、自分を追放した側にいるはずの人間がその力に驚愕していたのだ。
言うなればそれはちょっとした優越感。他者より優れていると感じることで生まれる自己肯定。
それがこの微笑みの真相だった。
「…荷造りは終わったようですね」
「ああ」
頷きながら先程までの着ていた宮廷魔導師の制服を返却する。
今身に付けているのは手渡された、貴族の古着服だ。それも随分とぼろぼろになっている。
平民の中でも貧しい者が着ていそうな物なので、プライドの高い貴族からしたらこれを身につけねばならないだけで随分と屈辱に思うだろう。
防御力が紙レベルの低さなのは言うまでもない。
「では外へ。森に一番近い街まで貴方を送る馬車がいます」
「わかった」
外へ出ると、質素ながら頑丈そうな馬車が停まっていた。護送用馬車というだけあり、内外問わず衝撃や魔術に強い耐性を持つ作りとなっている。
複数の騎士と魔導師に囲まれながら監視役に促されるように馬車に乗り込む。
これだけ物々しい雰囲気を醸し出していれば野次馬がわらわらと現れそうなものであるが、幸いにして魔導師の宿舎周辺は貴族街に近く、人通りが少ないためそこまで衆目を集めることはなかった。
同行する騎士と伝令役の騎士とのやり取りが終わると、馬が嘶いて馬車が動き出す。馬車の進む音がガラガラと聞こえる。
脱走の為の対策は万全であり、監視役二人も同乗しているが、碌な防音はされていないため音は互いに筒抜けだった。罪人によっては外から罵詈雑言を浴びせられたり、酷い時だと護送中に辱めを受ける場合もあることをフィーエルは知っていた。音がだだ漏れであるせいで、馬に乗って同行する騎士や魔導師が触発されて何人もの相手をせねばならなくなる悪循環付きであることも。
結果、罪状や家柄によっては監視役の性別を選べることあるようになったらしい。だからといって身の安全が保障されるわけではないし、伏魔の森に置き去りにされればそれ以上に酷い目に遭う可能性も高いのだが。
「……」
ふと格子のはめられた小窓から見つけた王城を睨みつける。いつもと何ら変わらないそれに黒い感情が渦を巻く。
いくら吹っ切れたとはいえ、受けた屈辱がなくなるわけでも沸いた怒りを忘れられるわけでもない。
_______俺を冤罪で追放したこと、いつか後悔すれば良い。
王国などもうどうでも良いと思う一方で、自分を追い出した張本人達は不幸に見舞われてくれと、そう思わずにはいられなかった。
王都を発ってから十日ほど経ち、セインの取り巻き魔導師達に罵られる意外は特に何かがあるわけでもなく、無事に伏魔の森近くの街に到着した。
騎士が手続きを済ませている間に最後の食事を済ませる。
本当なら大量に買い込んで【無限収納】にしまっておきたいが、無駄な魔力消費は抑えたいし、多くの騎士や魔導師がいる状況で魔術を扱うべきではないだろう。これ以上、魔術阻害を強められたらさすがのフィーエルでも困る。
監視役二人には魔術行使が可能であることがバレてしまっているが、より強い魔道具を付けられることはなかったため、あまり問題とされなかったのかもしれないが。もしそうならば、このまま伏魔の森に入る方が望ましい。
「ここからは徒歩で進む。ついてこい」
監視役含む騎士達と一部魔導師が馬車を連れて離れていく。
この場に残ったのは伏魔の森まで同行する魔導師のみだ。宮廷魔導師の顔と名前は全て覚えているフィーエルだが、その顔触れには特に見覚えがあった。セインの取り巻き達だ。
護送してきた者の中でセインの取り巻きでない魔導師全員が騎士達とともに帰ったのは偶然ではなく、恐らくセインの策略なのだろう。
その予測はいざ伏魔の森に着いた時に確信へと変わる。
「ここからは一人で行け」
「わかった」
「おっと、そうだ。セイン様からお前に伝言を預かっている」
あまりにも微妙なタイミングの伝言に意味が分からず首を傾げたフィーエルを見て、取り巻き魔導師は嘲るような笑みを浮かべて言った。
「『負け犬らしく貴方が惨めに命乞いするところを見られなくて残念です。だからせめて、私の幸せのために無様を晒して死んでくださいね』だそうだ」
残る魔導師達もゲラゲラと笑い出す。
その言葉を理解した途端ふつふつとした怒り生まれるが、感情的になって魔術をぶっ放しても良いことはないと心を宥める。とはいえこれだけ侮辱されて無表情を貫けるほど自制心があるわけでもない。
「くくっ、あははははは!!」
故に、大笑いという形で激情を消化する。彼らを馬鹿馬鹿しいと感じたのも相まって、それは簡単に成功した。
「え…?」
先程まで今の自分と同じように笑っていた魔導師達はぽかんとこちらを見つめていた。
死を前にしてついに狂ったか、と彼らが考えているのが手に取るようにわかる。それがさらにフィーエルのツボを刺激した。
________こいつらは……彼らは、本気でこれからもこの国の栄華が続くと思っているのか。
そうであるならば彼らは本当に愚かだ。しかし、そうでないならばフィーエルは追放されていないはずなので、彼らの愚かさが証明されてしまっている形となる。
その事実に心中で落胆しながらフィーエルは思う。先代の世は素晴らしかったと。
数年に一度の自然災害から数百年来の猛威を振るった流行病まで、障害は多くあったが的確な判断と有能な臣下の力によって国力は衰えることなく、むしろ発展していた。
流行病で孤児院の子ども達が亡くなった知らせを聞いた時は、涙するフィーエルに、自分の力不足のせいだと先代自ら謝罪したほどだ。
先代や側近貴族達が病の沈静化と復興に尽力したことは知っていた。だから責める気持ちなどはかけらも持っていなかったが、それでも先代の民を想う気持ちに救われたし、同時にこの人の治世の手伝いをしたいと強く思った。以降フィーエルはそれまで以上に努力し、宮廷魔導師になってからは自然災害による被害を最小に抑えるように動いてきたのだ。
長い目で見ればいざ知らず、少なくとも今の王国の繁栄に自分が欠かせない人物である自覚はあったし、自負もあった。これは自惚れではなく事実である。
「はー、笑った笑った」
ひとしきり笑った後、肩で息をしながら取り巻き魔導師に近づく。
「なあ、俺からもセイン殿への伝言を頼むよ」
「っ、」
死を目の前にしてのその変貌に気圧されたのか、無意識に息を飲んでじりじりと後退る魔導師にフィーエルは遠慮なく近づく。
言いたいことはたくさんあった。文句ならどれだけ言っても言い足りないだろう。今まで溜めてきた鬱憤は数え切れないし、手紙にすれば重い恋文に勝るとも劣らない量を書ける自信がある。
しかし伝えられる量は有限であり、端的である方が相手にも伝わりやすい。
故に侮蔑を込めた悪意100%の笑顔で告げるのだ。
「_____くたばれよ、ゴミが」
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