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antigen

作者: 晴樹

目覚めるという行為は、どうにも曖昧だ。僕は子供の頃、目覚める瞬間というものを感じようとしたけれど、どうしてもいつの間にか目覚めていて、結局その瞬間を知覚したことはない。今だってそうだ。天井からは温度のない白色光が降り注ぎ、僕が僕であることさえ曖昧だった。


「おはよう」


声のあった方に顔を向けると、一人の人物がいた。見た目は、それが男であるとも女であるとも、あるいは若いとも年老いているとも言えない奇妙な人物だったが、その一瞬を合図にするかのようにしてこれまでの記憶が頭の中を駆け巡った。


「久しぶりに起きて、混乱しているの?」

「いや、大丈夫だ。僕は、あの時の医療技術では手に負えない難病に罹って……治療法が見つかるまでコールドスリープで眠ることにしたんだ。そして、君が僕の――」


妻だ。ということは言う必要がない。姿は随分変わったが、彼女の雰囲気はあの頃と変わらない。彼女も目に涙を溜めて、長い眠りから目覚めた僕に、感動一入ということなのだろう。コールドスリープから目覚めたということは、僕の体を蝕む病に対する薬ができたということか、あるいは――。


「それにしても随分変わったね。あれから何年経ったの?」

「……そうね。色々変わったね。あなたが眠ってから四十年ちょっと経ったのよ」


そうすると、彼女は既に七十代のはずだ。


「僕が眠っている間に、不老化の技術が進歩でもしたの? 随分若く見えるけど」

「そう。……それなら私は、何歳に見える。いいえ、それだけじゃなく、女に見える? 男に見える? あるいは白人に見える? 黒人に見える?」


何を問われているのか分からなかったが、それ以上に分からないのは問いの答えだった。僕の知識の上では、彼女は女性のはずだが、初対面で男性と言われたらそう信じてしまいそうな程に中性的だ。年齢にしても人種にしても、性別と同じことが言えた。答えに窮する僕に、彼女は悲しげな眼を向けながら続けた。


「……あなたが眠る前から『多様性』という言葉が世の中で叫ばれていたと思うけど、私はそれを『みんなちがって、みんないい』という意味だと思ってたわ。でもそれがいつの間にか『違わなくてはならない』という意味になっていていた。多様さを他人に強要しだしたのよ」


彼女は唾棄すべき事のように言い放った。


「言っている意味が分からない」


彼女が何を語っているのかも、どうしてコールドスリープ明けの僕にそんなことを語るのかも、何もかもが分からない。


「例えば、男性しか出演しない映画があったら、それは多様性がないと言える?」

「……いや、男性しか出演しない映画しか(・・)なかったら多様性がないと言えるかもしれないけど」

「女性しか出演しない映画もあれば、映画界全体でみれば多様であると言える――そんな考えは過去のものよ。どんな映画も、男性も女性も出演しなければならないし、黒人も白人も出演しなければならない。そうして一作品の中では多様性がある、同じような映画が量産されたわ」


彼女は、そこで言葉を切り、遠くを見つめて「それが個人にも求められたの」と呟いた。それはつまり、一個人として「多様」でなければならないということか。


「男であること、女であることが非難される時代になったわ。性とか人種とかに縛られた作品や個人に、世界のどこにも居場所がなかった。さっき、私が女に見えるか男に見えるか訊いたけど、答えは男女両方の性を兼ね備えた新たな性――最初は『両性』って呼ばれてたんだけど、人類みんなが両性になっちゃったら性なんて概念がなくなって、もう死語になったわ。年齢も人種もそう。私たちは、男であり、女であり、若者であり、老人であり、白人であり、黒人である多様な(・・・)人類なの」


彼女は、自嘲的に笑った。僕が眠る前から、差別とかそういう問題は世界に蔓延っていた。長く続く議論に飽いた人類は、短絡的で分かりやすい解決策に飛びついたのだろう。いろんな色をキャンバスに描こうとして混じり合い黒色になるように、多様性を求めた結果、多様性がなくなったのだ。絶妙に色を配置するという神経を使う仕事を放棄して。


「ごめんなさい。私のわがままであなたを起こしてしまって。スーパーコンピュータは、死の時刻まで予測できるのに、死を回避する薬は作ってくれないの。だからみんな死ぬの」


ああ、やはりそうなのか。最後に最愛の人を一目見たいというのはわがままだろうか。僕は何も言わずに彼女の手を取る。多様性が失われた世界に訪れるのは、必然の死だ。映画なら観客が来なくなり、人間なら――ウイルスなんてのはどうだろう。画一的な新人類に感染する新種のウイルス。それは瞬く間に広がって――そんなことはどうでもいい。今はただ、彼女の隣に居たい。明日のこと、人類のことは考えずに。


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