友人が死んだ駅
少しメタフィクションが入ってます。
短く端的にを心がけました。
アユカワが死んだ。
朝の通勤に使う列車にふらりと飛び込んで、それまでだった。
私は毎朝アユカワと同じ駅を使って通勤する間柄な事もあってか、彼とは親しかった。
その日、私は少しばかり寝過ごして、時計の針に追い立てられながら、いつもの駅の乗車場に向かう階段を駆けていた。列車の到着を告げるアラームを聞きながら、改札からの上り階段はあと三段、駅構内への視界が広がったと思ったその瞬間、アユカワがプールに飛び込みをする子どものように足を踏ん張っている姿が見えた。
そして、音がした。
言葉で形容するならばどんという音だった。細かい音を付け足すならば、骨の砕ける音がした。肉の弾ける音もした。血が飛び散る音もした。即死以外にはなりえない衝撃が肉体を変形させる音だった。
構内が騒ぎになり、慌てた駅員が走り回る姿を横目に見ながら、私は自分の目玉が見たものが一瞬の見間違いでなかったかと確認しようと野次馬の人だかりに加わろうとしたが、事態を確認しようとする人の多さに近づく事もできなかった。
しばらくして、救急隊員と警察だと思わしき人々が現れて、死体の始末をし始めた。非日常的な光景にぼんやりとしていた私は、その頃になってようやく頭が回りだし、会社に連絡を入れ自分のおかれた状況を説明する事を思いたった。アユカワは出社していなかった。
それからの私は心の整理なんて何もできず、ふらふらと流されるように私の日常を送った。会社にはまだアユカワのデスクが残されていた。ご遺族はまだ荷物の引き取りにも来ていなかった。自殺の方法のせいもあって、悲しむ間も無く目の回るような状況におかれているであろう事は私にも想像できた。
そして、アユカワの葬儀が終わり、数日してからだった。
私は影を見るようになった。
通勤時と帰宅時。駅の構内のアユカワが飛び込んだあの場所で、影が、ぼんやりとかすんだあの日のアユカワの残像が、あの日と同じように線路に向かって飛び込みをするのだ。何度も、何度も。列車が来ようと来まいとも。もう、死ぬことだけはないだろうから。
心的外傷に伴う幻覚。私の見ているものを説明するならばきっとそういうものなのだろう。言葉と理屈で説明する事は簡単だ。だが、いざ我が身に起きてみたならばその不可思議に動揺せずにはいられなかった。
私は駅に足を運ぶたびに、何度も何度もアユカワの死の儀式の立会人をさせられる事になった。
私はアユカワの影を見るうちにふと思い出す事があった。
人付き合いの悪いアユカワを無理矢理に引っ張って、慣れていない事が見て取れる酒の席を設けた時の事。ひと時も過ごせば話す事も尽きてくるから、私たちはお互いに最近はまっているものを話し始めた。アユカワはサブカルチャーが好きなようで、そこでは死んでから生まれ直して幸せになるようなストーリーが流行っているらしかった。
人生ガチャ引き直したいですよ。そんな事を話しながら、アユカワは泣き言か愚痴のようにポロリとそう言った。私も子どもの頃に百円玉をポケットに入れて、ガチャガチャを引きに近所の駄菓子屋や文房具屋に行った経験があったので、でもガチャって有料だろしかも今思うとかなり割高だったよなと返すと、先輩貧乏だったんですかとなぜか私を哀れんだ目で見やがった。
まあ、なんと言うか。アユカワというやつは、そんな風に世渡り上手とかそういう類の言葉から縁遠いやつであったので、内に溜め込んでいるものも私には想像もできないほどに彼を蝕んでいたのかもしれないと、今になって思うのだ。
サブカルチャーの死んで生まれ直すという流行りは、しょせんは物語りのギミックでしかない。誰しもが、何も死ぬこたあないだろうと心のどこかで思っているような代物だ。
だが、崖っぷちのアユカワにはそんなものすらも動機付けになりうるのかもしれなかった。言い訳のようではあるけれど、私も彼の周囲にいた誰しもが、そんな風になっていたアユカワの事に気がつかなかった。異変を見て取る事が出来なった。
だから、絶望は恐ろしい。絶望はこうまで人を毒するのに、蝕まれる人の姿も苦しみも見て取る事など出来ない。
そのような事が頭にあったからか、私はいつしか、アユカワの影にある解釈をするようになっていた。
ああ、あいつまたガチャ引いてんだなと思うようになったのだ。
そうやって、いつかあいつなりに幸せな人生を見つけられたならば、私はそれでもいいのかもしれないとも思うようにもなっていた。それがあいつなりの恵まれるばかりではない人生への足掻き方であると捉えてもいいのかもしれないからだ。
そう思う事で、何よりも平穏を得られたのは私自身だった。不可思議な幻影を見るたびに思い起こされるあの日の出来事。そして、その度に軋んだように痛みを発する内なる私。それを慰めるための一種の逃げと言われても仕方のない事だった。でも、私にはそれが必要だった。
とにもかくにも、こうして私は奇妙をこっそりと含みながらも、とりあえずの安定を日常に取り戻したのだった。
そして、今日もまたアユカワの影は線路に飛び込む。そんなアユカワとすれ違いながら、私は駅から列車に乗って会社に通い、ただわき目も振らずに自分の人生に専念した。
そうして、しばらく経った。
ある時、帰り道で一杯飲んでいい気分になっていた私はくだらない事を思いついていた。
そういえば、私はアユカワの飛び込んだ先を見ていなかった。ひょっとすると、何か見れるかもと思ったのだ。アユカワの紹介してくれたサブカルでは死んだ後の現世とのつながりは明記されていないものが多かったが、子どもの時分に見た映画では、他界への移動地点がつなぎ目になって、そこから他界を旅する主人公の姿が確認できるような作品もあった。
全ては作り事。実に馬鹿らしい。でも、酔った私はもっと馬鹿になっていたから、くだらない思いつきを自制する思考すらも出来なかった。
帰りの電車を降りて、駅の構内のいつもの場所にたどり着いた私は、アユカワの影の背後に立つ。すると、アユカワの影はすっと助走をつけて線路に向かって飛び降りる。そしてまた、アユカワの影はいつの間にかスタート地点に戻っている。
私はよたよたと酔いの回った足でアユカワの道筋をなぞる。その間にアユカワの影は、私を追い越して、何度も、何度も、線路に飛び込んでは戻ってくる。
その時に、ふと私はある言葉を思い出していた。他でもない私自身が発した言葉だ。ガチャってやつはひどく割高な代物だったという言葉だ。
そんな闇の中でぼんやり輝く月すらも覆ってしまう、慈悲のない雲のような暗い言葉が胸をよぎったその時に、私の痛んだ心はある音を繰り返し再生していた。
アユカワが列車にぶつかった時の音だ。命が弾けて潰れる音だ。
その音はひどく軽かった。それで終わってしまうのに、その程度なのかと思うほどに軽かった。
私は死を代価に新しい人生を得るというサブカル作品たちに、ある種の無垢な願いのようなものを感じる事があった。
それは命とは尊いものであるという願いだ。人の死というものが、神や運命や、およそ人の手が及ばぬ道理の歯車すらも動かしうる重みがあると信じているかのように思えるのだ。
ひどく悲観的なように見えても、どん底の人生にあっても、でも人が持ちうる一番なけなしの財産には価値があると信じたがっている。その事を鼻で笑えるようなやつはきっとどこにもいないだろう。それを笑ってしまうなら、私たちの価値観や文化は近世に逆戻りしているのと同じだからだ。それじゃあ、辛くて、苦しくて、きっとみんな不幸になるしかないからだ。
でも、もしも。もしも、ガチャが回らなかったら。
私はアユカワの影が飛び降りた線路をのぞき込んだ。
そこには何もなかった。
いや、あるにはあった。線路があった、枕木があった、敷石があった、線路を構成する造作が一通りあった。でも、それだけだった。
なのに、アユカワの影は、何度も、何度も、飛び降りる。ずっと、いつまでも終わることもなく。
必要な対価が支払われ、ガチャが回るその時まで。ずっと。
悪酔いは冷ややかに覚めていた。
私はアユカワの影に背を向けて、そこから去る事しかできなかった。
ただただ私には、しょせんは全ては傷んだ私の心が見せただけの悲観的な幻でしかないはずと願わずにはいられない。